第36話

 その後、舞佳はみんなに、真可と千太郎が戻ってきているか、二人を知っているか、訊いてまわった。

 しかし…結局、誰も覚えていなかった。

 まるで、真可や千太郎は最初から存在していなかったかのような振る舞いで…


 舞佳の大切な人は、きっと帰ってくる。

 ここで、あいつらに襲われたら、千太郎の努力が無駄になる…


 そう言ってくれた傑ですら、二人のことを覚えていなかった。

 自分がそう言ったことも忘れたようで、舞佳の訴えに耳を傾けながら、舞佳がおかしくなってしまったのではないか、と、心配するような、気の毒そうな顔で申し訳なさそうにしていた…

 舞佳を連れ戻したことは覚えていたようだが。




 舞佳はフラフラとしながら、玄関に向かった。

 この空間から…二人が忘れ去られている空間から抜け出したかった。

「また、いっちゃうの?」

 後ろから、誰かの心配そうな声がやってきた。

「え…いや…ううん」

 慌てて首を横に振って誤魔化して、後ろを向いた。

 そこには、まだ眠そうな灯真が目を擦っていた。

 今、起きてきたばかりのようだ。

 …そういえば、まだ灯真には、真可と千太郎のことを訊いていなかった…

「あの…真可ちゃんと千太郎さんって知ってますか?」

 舞佳はしゃがみ込み、試しに灯真に訊いてみた。

 きっと…覚えていないって、そう言うかもしれないけど…


「…せんたろうおにいちゃんなら、しってるよ」


 返ってきた返事は、他の人とは全く違うものだった。

「えっ!」

 灯真は覚えていてくれている!

 舞佳のもつ思い出を共有してくれる仲間がやっといた。

 みんなにも話して欲しい!

 千太郎はやはりここにちゃんと存在していたのだ。


 しかし、驚いた舞佳の動きがピタリと止まった。

 …灯真が、寝ぼけた顔をしたまま、こう言ったのだ。


「ぼくのいえの、となりにすんでた、おにいちゃんでしょ?もう、いなくなっちゃったけど」

 …と。


 舞佳は、この言葉に違和感を覚えた。

 この前まで、一緒に過ごしていたことを覚えていないような発言だ。

「え…この前、千太郎さん、ここに、この家にいましたよね?」

 焦るように訊いた。

 それに対する、灯真の返事は…

「え?せんたろうおにいちゃん、きてたの?」


 …と言うことは、やっぱり覚えていないのだ。

 灯真も。誰も。


 覚えているのは…わ、私だけ…?

 一体、何が起こってるの…?

 どうしたら良いの…?


 頭を抱え始めた舞佳に、灯真は疑問の目を向けた。

「あ、あの…!」

 そう言って、舞佳はいきなり灯真の両肩を掴んだ。

「わ…!」

「千太郎さんって、今…どこにいるんですか?」

 灯真が驚いて怯えた瞳になっているのにも、舞佳は気づいていない。


 いなくなってしまった、二人に会いたい…


 その一心で訊いていることに偽りはないのだが。

 そんな中、灯真は声を絞り出すように言った。

「わ、わからないよ…とおくにひっこすって、それしかいってなかったから」

 …舞佳は、力無くうなだれた。

 同時に、灯真の肩にあった両手もするする落ちていく。

「そっか…ありがとうございます」

 ゆっくりと、舞佳は立ち上がった。

「まいかおねえちゃん、どこにもいかないでね!」

 灯真が強く言った。

 …舞佳が出ていってしまうと思ったようだ。

「…大丈夫です。もう勝手に出ていったりしません」

 振り返った舞佳の微笑んだ顔を見ると、灯真の顔が明るくなった。

「じゃあ、あさごはんつくろうよ!」

 灯真が手を差し出す。

「良いですよ」

 舞佳は、その手をしっかりと掴んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る