*階段は飛び降りるもの

 先輩は、イシュミル名物のウニ丼と刺身をしこたま食べると意気込んで市場に走って行った。昼過ぎから市場に行っても、その日一番の新鮮な海産物はあまり残っていないし、そんな予定は直前まで無かったのに。


 いつものことながら、あの人間離れした体力と胃袋に付き合うのには苦労する。でも私はそれが、さほど嫌いではない。

 なのに、先輩は私に先に帰れと言う。言い返したかったものの、先輩の纏う例えようのない雰囲気に気圧され、私は仕方なくカラフ行きの列車へと乗った。



 イシュミルからカラフまで快速で一時間半ほど。海岸沿いの奇岩を眺めていれば、その距離は長いようであっという間に過ぎる。帰宅のラッシュにはまだ少し早い時間、そこそこの混雑度のプラットフォームに降り立つ。


 改札に向かう途中、イシュミルで見かけたあの従魔を一両先の人の流れの中に見つけた。あの時駅にいたなら、同じタイミングで乗っていても不思議はない。それはそう。驚いたけれど。


 人の流れは、人でないものでさえ紛れさせる。でも、多少目に留めたなら彼が人間でないことは明白だし、首からかけたタグにも気づく。通り過ぎる人々のうち何人かが、ちらちらと振り返る。


 気になって当然だ。従魔であることが気になるというより、彼みたいな従魔が珍しいから。


 ここカラフにも従魔はいる。街で目にしたこともあるし、クワタローというもふもふの従魔は市のイベントにも時々出ていて、おっきくてかわいい人気者だ。新聞や雑誌でも、従魔に関する話題を見ることはよくある。


 迷宮連の掲げる理念的には褒められたものではないのだけれど、従魔を持つのが金持ちの見栄みたいな側面もあって、そういう話題はお茶の間でそこそこ人気だから。


 迷宮連に登録されている魔物――つまり従魔は一万くらい。でも、未登録のまま人に飼われている魔物はもっと多い。二万くらいはいる、いや三万はいると様々な説がある。お茶の間の噂レベルで。



 堂々と連れて歩ける、従魔を傷つけた者には厳しい罰則があるなど、魔物を登録して従魔とする利点は多い。けれど、これは従魔が人を傷つけないという原則の元に認められるもの。

 その条件を満たせそうにないのに従魔にしたいとなれば、魔物には安全の為に契約術が施される――


 ペットを見せびらかしたい虚栄心のために契約術を施される魔物もいれば、契約術のお陰で迷宮の支配から逃れ平穏に暮らせる魔物もいる。

 辺境で特に事件も起こさず未登録のまま一生を過ごす魔物もいれば、狭い部屋に閉じ込められ外の世界を知らずに死んでゆく闇ルートの魔物もいる。


 従魔登録は人間への安全を保証するものであって、従魔の権利を保証するものではない。それが現実。

 この問題は発展途上なのかなと私は思う。迷宮連もそれをわかっていて、問題を起こさない限り未登録の魔物も黙認していたり、準登録のような仕組みを設けたり、特級という例外も認めている。



 そんな感じで、わたしたちにとって従魔は珍しいけれど遠すぎもしない存在だ。例えるなら、芸能人に直接は会ったことがないけれど知ってる、みたいな感じ。普通の従魔を見ても「あ、芸能人だ」くらいの驚きで終わる。驚くけど一回見たら納得して、もういいやって感じね。


 ――なんだけど。

 ほら。またチラチラ見てる人がいる。


 やっぱり、人間ぽい従魔が珍しいから。形だけなら二足歩行でこう、人型の従魔はいることはいるんだけども。魔物感が抜け切らなかったり、人形臭かったり。契約術で縛られてるからかも。


 彼にはそういう不自然さが一切ない。


 ほら、あのいかにも疲れたって感じの所作もすごく人間ぽい。眉間に当てた長めの指なんて、不覚にも少し色っぽいと思ってしまった。



 と、そこで私はやっと気づいた。ここまで彼があまりにも普通に歩いてきたから。迷っているのかもしれないと。


 こういう時、この、都会の温度感はめちゃくちゃ微妙だ。見ていても声をかける人はなかなかいないし、しかも従魔だから尚更。助けがいらないのに声をかけるのも迷惑じゃないかとか、遠慮するのもわかるから難しい。


 これも何かの縁。本当に困っていそうなら私が声をかけよう。仕事帰りで騎士の制服を着たままだから周囲から見ても不自然さが無くて都合がいい。何よりあの従魔と話したことを先輩に自慢できる!



 彼は杖で階段を確認して何か考えているようだった。急にしゃがみ込んだので不安になったけれど、立ち上がった様子を見るに、具合が悪いわけではなさそうだ。


 降りるのかな? そう思った時――



「は?」



 思わず声が出た。

 いやいやいや、そんなのアリなの?


 周りも驚いてるし。視線が気にならないのかと思ったけど、あの様子じゃ見えてない。見えてるなら杖で確認しない。見えてないのに飛び降りた。


 追いかけなくては。使命感とも期待とも言い表せない衝動が、私を前へと突き動かした。


 彼の真似ではないが、身体強化をかけて15段ほど飛び降りる。全部は私には無理。マナーが悪いけれど、制服を着ているので何か理由があるように見えると期待。街の人気者、騎士団の制服は大体において万能なのだ。


 よし、改札に向かう彼が見える。


 何かで読んだことがある。見え方の程度は様々で、弱視の人も杖を使うとか。そういうのかもしれない。


 それにしても。先輩はろくに鍛えていないなんて言っていたけれど、あの身のこなしから見るにそこそこやれるのでは。私はそう訝しんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る