人の波に洗われて

 改札を出た先は広かった。何のためか想像できないほどに。あちこちに人が行き来し、わらわらと集まっては流れている。駅の中だけで、ウサクの村の住人くらいは人間がいるのではないか。


 足を止め振り返れば、改札から吐き出された人間が次々と通り過ぎてゆく。この空間の中で俺だけが生き物ではない、時間の流れから外された杭か何かに思えた。どうしてここにいるのか。逃げ出したい。身の危険さえ感じる。



(とりあえず、隅の方に行こう……どうするかはそれからだ)



 行き交う人間たち――魔素の光の間を縫い、流れが途切れる方へ。フェムの見せる何かの影が段々大きくなり、それが壁面だとようやく理解できてくる。


 フェムの見せる像は、そこに何かあるとはわかっても、遠くの小さいものか近くの大きなものか殆ど見分けがつかない。それが魔素を含んでいれば、チグハグながら感覚は重ねられて、奥行きの実感を伴うのだが。


 この駅の中はどうにも魔素に乏しい。それでも、フェムのおかげで何かある、何か動いている、とわかるのはゼロとは全く違う。


 そう、何かあるのが見える。フェムの――杖の先がそこに触れる。当たった感触と音の情報が統合されて、見えていたものが壁際に設置されたベンチなのだと実感を伴う。


 都合よく、すぐ近くに人は座っていない。壁まで歩いただけだというのに、俺は迷わずそこに腰を下ろした。



(先が思いやられるな……)



 魔素の乏しい環境で、初めての場所を歩くというのがこれほど慣れないとは。村は狭く、行動範囲は覚えていたし、自然溢れるおかげで色々見えていた。


 老若男女様々な声。足音。売店の呼び込み。駅員の切符を切る鋏が甲高い金属音を繰り返す。改札の向こうからは時折、列車の到着を知らせる鐘の音が聞こえてくる。

 周りの人間は俺のことも何か言っているのだろうか。気にしないように努める。自信を持て。ニナ風に言えば、今の俺は珍しいだけの怪しくない人だ。



 流れる人間の群れを、ぼうっと眺める。色とりどりの輝きが絶え間なく行き交う。

 

 無生物の魔素は、僅かに青みを帯びた白い色をしている。対して、生物の魔素の色は多様だ。あの花の女のように。俺は魔素の色にかなりを頼って生物を見分けている。虫となると個体の識別は怪しくなるが、蟻は群れの中に色の異なる集団がいたりする。


 魔素の色は、生物の個性だ。量、動き、輝き。色の揺らぎ。そこに覚える印象こそが、俺にとっては人の容姿と言ってもいい。


 視覚で得られる情報は他にもある。魔素の特性――人間が属性と呼ぶもの。色とは別に感じられる、この感覚を持つ者を俺は自分の他にまだ知らない。



 こうしていても仕方がない。先生が書いてくれた地図を荷物から取り出して広げた。魔石を細かくして混ぜ込んだインクは俺の目にも見える。目的地を指で辿って確認する。宿は駅からほど近く、ここを出れば歩いていくのは難しくはなさそうだが――



(方角も駅の出口もわからん……)



 地図にあるのは北口だ。周囲に聞こえないよう、フェムに尋ねる。


「……フェム、北はどっちだ?」


 村では方角なんて気にしたことがなかったから、フェムにこんな風に頼んだことはない。これだけ広く複雑な場所だ。おそらく案内は出ているだろうから、フェムに文字が読めたなら他にやりようもある。だが、文字は俺でさえ地上に出てから覚えたくらいだ。


 フェムからは戸惑いが感じられる。どうやら方角はわからないらしい。


 これは、その辺の人間に聞くしかないのか。きついな。北口はどちらですか? と聞くだけだろう、勇気を持て。硬めの足音に気づいて顔をあげると、ちょうど目の前に一人来た。よし、声をかけ――



「こんにちは。カラフィサール騎士団、アレイナ・エファンディです。何かお手伝いできることはありますか?」


「……あ、ああ、俺か?」



 聞こえた声は女だ。小麦色から薄桃色に変化する、二色の魔素が流れている。二色の魔素は、そこそこ珍しい。身体強化を多少使い慣れている人間の特徴も見える。騎士団と言ったか。そのせいか。


 正直助かった。騎士団というのが嘘でないなら、ひとまずは害意から声を掛けてきた可能性は低いからだ。仕事の一環だろう。



「そうです、杖の方」


 杖? ああ、フェムのことか。


「……北口に行きたいんだが。その、案内を頼めるだろうか」








 騎士とはいうが身分階級のそれではない。今この国の人間に身分差はないし、ハルディア語での騎士と、西方から来た概念に訳語として充てられた騎士は異なるものだ。


 この国の騎士団の起源は、独立運動の中で生まれた義勇兵だ。ハルディアの狭隘な山地に特化された騎兵集団として力を持ち、不正規戦で侵略に抵抗した彼らは、建国の際に軍に編入された。

 彼らにとっては正しい評価が得られ、国にとっては戦後に荒くれ者ともなりかねない民間の軍事組織を管理下に置ける利点があったわけだ。


 一世紀以上の時が過ぎ、今では騎士団の名前だけが各地の部隊の愛称として残っている。その経緯ゆえ、西方諸国からは民族主義の象徴とされ複雑な印象も持たれているらしいが、全くいつの時代の話という感じだ。


 そもそも民族主義というが、住む土地や文化を破壊されるなら、抵抗するのは当たり前ではないか。様々な人種が行き交い、魔物の俺にさえ寛容なこの土地で、ハルディアの民族という自覚を人々に抱かせたのは、むしろ侵略者の存在なのだ。


 まぁ、俺の政治的位置はどうでもいい。俺の生まれる前の話だし。今は平和だし。



 ともかく、この地の民にとって、騎士団はややこしい存在ではない。歴史の中では建国の戦士であり、今は洒落た制服の部隊の名称でしかない。地元民も彼らを親しみを込めて騎士と呼んでいる。子供のなりたい職業でも定番らしい。


 現代の彼らは、一種の特殊部隊にあたるのだろうか。魔力や一芸に秀でた者が多く所属しており危険な地域での遭難者の捜索など、その活躍は聞き及ぶ。広報にも積極的で、暇な時にはこの女のように巡回のようなこともしている。


 アレイナと名乗った騎士の腕を借り、北口へと向かう。アレイナは時々そこにあるものや通路を俺に説明する。こうした仕事に慣れているようだ。


 先を行くアレイナが止まった。



「今、北口を出ました。正面は駅前広場です。カラフの街は、道路が格子状に東西南北に走っています。この駅も方角に沿って建てられていますので、今私たちも真北を向いています。左手は駅前商店街、右手は郵便中央局方面です」



 助かった。二重の意味で。駅の外は予想外に植物に溢れていた。街路樹というやつだろう。道に沿って木が生えている。道幅も広く、全体的にゆったりしている。正面の広場にも低い生垣や芝生か花壇と思わしきものがぐるっと広がっていて、何か騎獣っぽい生き物が並んでいる場所がある。ああ、乗り場か。


 騎獣のいななきや人々の声に混ざり、水が飛沫をたてる涼しげな音がする。


 汽車の窓から街をもっと見ておけば良かった。汽車が街に入ってから、車内はかなりの混雑になり、緊張で窓の外どころではなかったのだ。お陰でもっと絶望的な状況に身構えていた。これならやっていけそうだ。カラフィサールの街、カラフか。悪くない。


 とにもかくにも生物万歳だ。街にはもっと植物を植えるべきだ。俺のために。



「ありがとう。助かった」


「こちらこそ。お役に立てて何よりです。この先の案内は必要ですか?」


 随分と丁寧に誘導してくれたし、下手に気を遣われてもな。多少は説明した方がいいだろう。


「大丈夫だ、必要ない。俺には魔素が見える。これほど街路樹が生えているなら、問題なく歩いて行けるな」


「なるほど、それなら大丈夫そうですね。あっ、それで、階段を……」



 彼女が小さくこぼした言葉を、俺は聞き逃さなかった。思わず顔を逸らしてしまう。


「あれを見ていたのか。もしかして、注意するために追ってきたとか?」


 注意するためならむしろ問題ないが。変に監視目的だと面倒だな。アレイナは慌てて否定してきた。


「いえ、階段を走ったり飛び降りるのはいけないことですが、その、私も追いかけて飛び降りましたので……」


「驚いた。騎士さんでもそんなことをするんだな。なら、一人でほっつき歩いている従魔が珍しくて追ってきたのか?」



 こういう真面目そうな手合いは少し茶化したくなる。邪悪な印象になるように努めて口角を上げ、半歩前にでてアレイナを覗き込んだ。


 アレイナの魔素の巡りが緊張に満ちた。魔素の通り道が延長され、流れが鋭く速くなる。身体強化まではいかないが、その前駆ともいえる反応だ。警戒されている。実に人間らしい。


 ふむ。この女、俺を恐れていながら案内を持ちかけて来たのか。まぁ、階段前でグダってた所から見張られていたなら、単純に心配になってという可能性もあるが……


 うーむ。若干、面倒だな。

 ああ、こういう時のための特級ではないか。



「冗談だ。だが、俺もこんな身なんでな。騎士に追われると、監視でもされているのかと勘ぐってしまう。何も問題はないはずだ」


 言って、アダマンタイトのタグを見せる。


「特別許可の特級だ。納得したか?」


「は、はい。特級をお持ちであることは知っておりましたので」


 不安が一つ解消された。タグが一般にどの程度通用するのか、俺はよくわかっていない。特級のタグの見た目が、一般にも知られた方が楽ではある。これから先々で通じなかったら面倒だ。



「知ってたと? 聞くが、このタグの認知度はどんなものなんだ?」


「そうですね。従魔のタグの色と内容について、ハルディアの国民は義務教育で学びます。現在、ええと、おおよそ六十歳以下の方でしたら、まずご存知のはずです。ですが、特級はその……非常に珍しく、覚えていない方もいらっしゃるかもしれません」



 ほう。義務教育、有能だな。

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