*意思の強さ

 吹き抜けを囲むステンドグラスから鮮やかな光が降り注いでいた。


 街としては中規模なイシュミルであるが、交易の拠点として栄えた歴史は長く、カラフィサール・イシュミル間は今に続くカラフ本線において最初期に開通した区間である。

 戦前、馬車鉄道の時代に建てられた二階建ての駅舎は決して大きくはないものの堅実剛健の中に仄かな優美さを湛え、開設八十年を過ぎた今でも、行き交う人々を鷹揚と迎え入れている。


 駅の正面からは港を見下ろし、古レールの曲線に彩られたホームから見上げれば、山裾に広がる坂の街の佇まい。中央の吹き抜けには縦長の窓が規則正しく並び、幾何学的な文様に嵌め込まれた色ガラスが直線で構成された空間に特別さを与えていた。


 色とりどりのきらめきの下、時間を潰す人々は思い思いに過ごしている。


 吹き抜けを囲む売店の一つ。テーブル席には騎士の制服に身を包んだ二人。構内の軽食屋で買った巨大サイズのフライドポテトとチキンを黙々とつまみ続ける。


 ふと、女の方が食べる手を止めた。



「先輩、気づいてます? あの男」


 手に摘んだフライドポテトでクイックイッと相方に指し示す。


 先輩と呼ばれた男は、鍛えられた肉体をどっしりと椅子に任せて、食糧を摂取中であった。四角く整えた髪は如何にも軍人という風貌。厳つい表情を変えず正面を向いたまま、視線だけで女の言うそれを確認した。鳶色の瞳が鋭く細められる。


「……枝無しの割には、魔力だけは多そうだ。だが、ろくに鍛えていない。ああ、本当に残念だ」


「いや、その。先輩、残念って……」


 呆れと心配を入り交ぜつつ、女は男を見つめた。肘をつきテーブルに身を寄せると、肩口で切り揃えられた少し暗い金の髪がサラリと頬に垂れる。細い指を口元に添え、声を潜めて女が言った。


「従魔ですよ。しかも人型の。振る舞いもすごく人間ぽくて、なんなんでしょうアレ」


 男がなんでもないことのように、ふむ。と返す。


「この仕事を続けていれば、従魔なんてちょくちょく見るものさ。まぁ、だがアレは確かに珍しいな」


「先輩から見ても、人型の従魔は珍しいですか」


「それもあるがそこじゃない。目に身体強化をかけて奴のタグを見てみろ。訓練でやったはずだ。できるだろ?」



 女は言われた通り身体強化をかけてタグを見た。より制御された筋肉が精密に水晶体のピントを合わせる。しかし、そこにある文字までは読めそうで読めない。

 二枚あるタグのうち一枚は不思議な色をしている。従魔の男が動いてそれが揺れると、角度を僅かに変えるたびに黒にも橙にも紺にも見えるのだ。



「あの変な感じの金属、どっかで見たことあるんですが……多分剣、隊長の短剣があんな感じの。思い出しました。アダマンタイトの合金です。硬すぎて武器には向かない、超成金趣味アイテムだと隊長が自慢してたアレです!」


「正解。隊長の剣筋はヤバすぎてアレを扱えるんだが。それはそうと、アダマンタイトのタグの意味は知っているよな? 試験にも出ていたぞ」


 試験と聞いて、女はあからさまに目を泳がせた。


「えっ、っと、従魔登録標と束にしているということは、従魔の行動可能範囲を証明する許可証のはず。アダマンタイトより上はほぼ有り得ないですから、消去法で、まさか……」



 女の困惑に男は口元を緩め、語るのを楽しみにしていたとばかりに答えた。


「おぃおぃ、アレイナは実技で稼いだんだったか。上位の許可証は、まず見ることがねぇレアものだが、必ず覚えとけ。アダマンタイトのタグは特別許可の特級だ」


「……特級?! あれは迷宮連の理念を表す建前みたいなもので、実際にはまず発行されるものではないと聞いていますが」

 

「だが、そこに存在している。知られていないだけで他にもいるんだろうさ。いや、いて欲しい」


「……いて、欲しい?」


「ああ。そのうち一人くらいは強えぇだろ? 人間並みかそれ以上に知的でヤバ強えぇ魔物、しかも本人の自由意志で戦うことができて言葉も通じる――殺りあってみてぇ」



 男は心底楽しそうに声を殺しながら笑った。男から発せられた威圧寸前の殺気に、女は本能的に身を固くした。周囲を見回し何も起きなかったことを確かめると、そのまま目をそらして、話題の当人たちにそっと視線を向ける。


 綺麗な人。私の好みではないけれど。従魔の容姿に対する第一印象はそれだった。

 うなじ近くまで覆う甲殻のせいか、髪が跳ねて独特の髪型を形作っている。改札の向こうから差した陽射しが、金属質な毛束を透かして淡く煌めいていた。


 確かに整っているが、それ故にあまり人間らしくはない。人間ではないのだから、人間らしさに乏しいのは当たり前だ。なのに何故そんなふうに従魔を見たのか。女は自問する。答えは明確だった。彼の立ち振る舞いがあまりにも人間じみているからだ。


 続けて、向かい合う連れの女を見る。従魔への怯えは欠片も感じられず、実に和気藹々としている。服装は街に馴染み小慣れてはいるが、動きやすさを重視。靴も山野を歩くのに適したものだ。まくった袖から見える腕は薄らと日焼けし、程よく筋肉もある。青みを帯びた黒髪は軽やかなショートカット。


 総じて、彼女は誰かを仕えさせたり護衛をつけたり、はたまた大金で従魔を買うような立場には見えない。


 女は、二人の関係を不思議に思う。


 特級であれば、可能性としてはありうる。カップルか、幼馴染か、大学の友達同士か、職場の同僚か。従魔と聞いて想像される立場からは程遠いが、二人にはきっとそんな関係が似合う。



「手まで繋いでやがる。リア充死ね」


「先輩、モテませんもんね。でもあれは手を繋いでいるのではなく、男の方の目が不自由なのではないでしょうか。こう、二の腕を掴んでいるでしょう。しかも男の方が」


「ふむ。従魔で目が悪いとかさぞかし苦労しそうだ。イケメンだから可哀想だとは思わんが」


「ただしイケメンに限る、ですよ。平穏に過ごして欲しいものです。我々の仕事も減りますし……」



 そうは言ったものの、従魔が事件を起こすことは極めて少ない。その多くが契約術で縛られているからだ。


 この時代に、何にも縛られず自由意志で行動している迷宮の魔物など、どれだけいるのだろう。

 女は知識でしか本来の魔物を知らない。いや、今日まで知らなかった。初めては恐らく、今見ているそれなのだから。



「資料で見た迷宮の魔物はどれも攻撃的でした。どうして彼は人でいられるのでしょう? 特級ということは、通常の従魔のように術で縛っているというわけでは無いでしょうし」


 真剣な面持ちで呟いた女に、男は顎をあげて鼻で笑う。


 魔物は危険だ。何もおかしくはない。しかし、人間も同じなのだ。人も獣も見た目が異なる者に本能的に警戒心を抱く。そんな本能に振り回される人間もまた獣だ。


 結局、実際に危険か。それはその事実だけで確かめられることで、そいつの属性だけで知った気になるのは仕事の、戦いの邪魔になる。


 あの従魔がクソ強えぇ可能性はまだ失われていない。むしろ、そうであって欲しい。


 そう、男は願う。



「人のままなら事件を起こさない。だから俺たちの仕事にならない。それだけだな。こういう偶然でもなければ目にしない。単純な話さ。どうよ、その辺にフツーに暮らしている魔物が隠れている。そう考えた方が楽しいだろう」


「昔の私なら、とても同意はできませんでした。でも、あの二人を眺めていると、先輩が言うようにフツーに暮らしていけるのなら、楽しいのだろうと――今は、思えます」



 女は従魔の男を見て、眩しそうに目を細めた。



「……意外と近くにいたりして。あっ、そういえば、フィッツ君なんてすごい美形で魔力も多いから怪しいんじゃないです?」


 女性人気の高さでよく話題になっている同僚の名を挙げた女に、男は両の手のひらを上に向けて軽く呆れた。


「おぃおぃ。真面目な顔してとんでもねーこと言うな。魔物が皆イケメンで魔力が多いわけじゃない。むしろキモかわいい奴が大半だ。あれは枝無しだし、邪妖精あたりか。ちょっとわからねぇが。なら、美形で魔力が多いが戦闘系の能力は持たず大人しいが性格が暗いあたりで、こぢんまりとまとまるだろうさ」



 冗談混じりに答えたものの、男は従魔に感じた違和感を拭えずにいた。襟の端や裾のスリットから覗く甲殻も鋭角な構造を重ねたツノも、邪妖精のような愛玩用とされがちな魔物よりかは、むしろ枝持ちの魔獣にありふれたものだ。


 鳶色の目を向けて、男は思索に耽る。


 ――枝を隠しているのか? あんなスカした服に隠せるもんなのかあれは。何か入っているようにも見えなくはねぇが。肩に掛けた荷物が邪魔だな。わからねぇ。



「性格が暗い、は先輩の私怨では? 戦闘系の能力は持たず大人しい……人間に敵意のない魔物もいるのですね」


「敵意がない、とは違う気もするがな。……迷宮の魔物である限りは。だが例外もある。最終的にはそいつの意思の強さ次第だ」



 言い切った男は、ポテトの最後の数本を紙パックごと傾けて口の中に流し込む。食べ方が汚いと女が指摘する。構わずガツガツと咀嚼して飲み込んだ。


 件の従魔を見ると、杖を振って連れを戯れさせている。和やかなだけの光景に、静かな衝動が男の奥底で小波をたてる。魔力にアテられたか。


 女に先に帰るよう伝え、男は足早に駅を後にした。

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