イシュミル駅

 街は暗かった。光が少ないことを暗いとよぶのなら。村ではあたりに草木が生い茂り、土の道の周囲を彩っていた。田畑も明るく、山々は深く命に覆われて、それぞれの色で歌っていた。人の住む家も、あの土地の豊かな魔素を宿した木々から作られていた。


 村は昼も夜も変わらない薄明の中にあったが、見た目だけなら街は村よりもずっと暗かった。肌に感じる日差しは確かに初夏の感触であるのに、石造りの街の見慣れぬ暗さは深い雪に包まれた冬を思わせる。


 やたらと群れた人間の光が忙しなく動き回り、それが街の暗さを尚も訴える。


 俺が暮らす予定の街は何駅か先にある。ここイシュミルの人口の数倍、この島インサナディアで最大の都会だ。きっとそこはもっと暗いに違いない。


 そんな考えが過り、不安でニナの腕に触れる指にも力が入る。



「入場券を買ったので、乗り場まで案内しますよ」


「なにからなにまですまない。本当に助かった。……ありがとう」


 心底本音だった。俺一人ではどうにもならなかった。フェムも出てこな……んん? どうやら出てくる気になったらしい。



「私も、ご一緒できて楽しかったので。向こうについてからは大丈夫そうです?」


「ああ。俺にも見えるように先生に地図を描いてもらったし。それに、奥の手もある。


 ――来い、フェム!」



 俺がその名を呼ぶと、手の中に細く長く白い杖が現れる。



「えっ、それどうなってるんですか? かっこよく出してきたからには、ただの杖じゃないですよね?」


 反応がいいな。ニナは俺の手元を覗き込んで、今にも食いつきそうにしている。実にこういうのが好きそうだ。


 手の中には確かなフェムの感触。目の前ではニナの空色の輝きがはらはらと小さな星を散らし、ほんの少し前までの暗い想像も共に吹き飛んでゆく。



「勿論。大雑把に説明すると、常に探査の術が発動していて、視覚に反映されるようになっている」


「はー。すごいですね。そんな便利なものがあるなら、どうして使ってなかったんです?」


 もっともな疑問だ。フェムのことを語りたい衝動が沸き起こるが、ぐっと堪えて言葉を選んだ。


「魔力をかなり食うし、ずっと頼ると少し疲れる。それに、フェムの助けを借りても、ニナの顔が見えるわけではないからな」



 あの展望台で、商店街で。俺は何度かフェムを呼び出そうとした。だが、珍しく抵抗されたのだ。


 フェムはこうなることを知っていたのだろうか。今や俺は、ニナを警戒していなかった。そして、俺はニナの気遣いを受け入れていた。



「顔、見たかったです?」


「……まぁ、今はそこそこ見たいかもな」


 見えた所で、俺に顔の認知は難しい。世辞も使いようだな。茶化してみれば、ニナはまんざらでもない反応を見せる。


「フェムっていうのは?」


 その問いに答えるかどうか、一瞬迷う。まぁ、いいか。ニナとはここで別れるのだし、問題あるまい。それに、フェムに興味を持たれるのは俺も嬉しいからな。


「杖の元になった精霊の名前だな。昔世話になった奴で、望んで杖になった」


 ニナの前でフェムを振ると、追うようについてくる。面白い。どことなくフェムも楽しそうだ。



「ほわー。すごいです、すごいファンタジーです」


「ファンタジー、ね」


「あっ、まさか、あの、呼ぶと現れる、元々精霊だった、魔力を大量に消費するってどれも聖剣の特徴に当てはまるような……」


 フェムを追って揺れていた淡い空色の輝きが、ふっと大人しくなる。


「詳しいな。それもエルフが出てくる小説の知識か?」


「そ、そうですけど。ということは本当に本物の聖剣なんですか。ちょっと信じられないです」


「剣じゃないし杖だし。何も切れないけどな」


「はー。すごいです。すごいです!」



 壊れたようにすごいです!を繰り返すニナ。悪い気はしない。フェムはすごいし、かしこいからな。


 そういや、今時の聖剣の扱いはどんなものか。


 精霊が言うに仲の良い精霊がなるのが聖剣、遊びたかったり悪戯したい精霊がなるのが魔剣で、魔剣の方が比較的誰にでも懐く、だったか。如何せん、精霊の言うことだからな。人間の間では異なる認識かも知れない。


 俺も詳しくはないが、百年引きこもりしてたから仕方ない。先生やカリルはフェムを聖剣だと知っていたが、当然のごとく秘密にするものだと考えていたようだ。本当に聖剣であれば、隠す必要などないのだがな。

 聖剣の所有者であることは隠す必要がないが、街中で露骨に剣を持ち歩けるかは別問題だ。フェムがこの姿であるのは、何かと都合がいい。


 何れにせよ、気づいたニナはなかなか凄いんじゃないか? これも妄想力の賜物か。



 見れば急に落ち着きを取り戻したニナが、すーはーすーはーと深呼吸している。


「すみません、あまりにも驚いて年甲斐もなく、はしゃぎ過ぎてしまいました。今日一日で一生分の神秘を味わった気分です。でも、まさか聖剣なんて、びっくりしない方がおかしいですよ」


「ふっ、剣じゃないけどな」



 目的の列車が来るまで、あと三十分を切っただろうか。イシュミルの駅はただの通過点であるはずなのに、もう少しだけここに留まれたら。どうしてか、そんな気持ちさえ沸き起こる。

 構内を行き交う人の光も、それぞれの人間のそんな一瞬の交差なのだと俯瞰すれば、俺とニナとフェムの時間を共に彩ってくれる。


 ここを離れてまだ見ぬ土地へ。期待というには曖昧すぎる、ただ変化を求める心緒の高まりがそこに混じりあう。吹抜けの窓を見上げ、改札の向こうから流れる響きと風が肌に触れたなら、いっそう鮮やかに沸き起こる。きっと、これが旅というものの匂いなのだ。

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