カフェでトーク

 出発まで、まだ時間がある。あれからいくつも店を巡り買い物を済ませた俺たちは、駅近くのカフェで時間を潰していた。


 聞き慣れないが穏やかな音楽が流れ、店の外ではそこかしこに人が行き来している。比較的目立たない席をニナは選んでくれたようだが、こんな店に来たのも人の多さも初めてな俺には居心地が悪かった。


 近くの席に人が居なさそうなのを確かめてから、ニナに向かって肩をすぼめてささやく。



「めちゃくちゃ落ち着かないんだが」


「何の問題もないですよ。時々見られたりはしましたけど、こっちにやましいことは無いんです。見てる方だって、珍しいから見てるだけです。実際、絡まれたりしなかったでしょ」


「見られるのは、ま、仕方ない。絡まれなかったのは、俺が怖いからじゃないのか?」


「そういうわけじゃないと思いますけどね……」



 コソコソと話しているとニナが注文したものが運ばれてきた。自分の分は丸投げだ。


「イルさんには、かき氷を。シロップはお口に合わないかもなので別にしてもらいました。イルさんから向かって右手前にシロップ、右奥にスプーン。かき氷には柑橘類が何種類も散りばめられてます」


「気が利くな。ニナは何を?」


 向かいから流れてくる香りは悪くないものだ。しかしこれは……



「ふわふわのパンケーキです! 蜂蜜とバターたっぷりです!」



 蜂蜜と聞いてビクッとしたのが顔に出ていたのだろう、ニナが早口で言い訳する。


「蜂蜜が嫌いだと仰ってましたけど、香りに騙されてってことは口に入れなければ大丈夫かなと。どうしてもパンケーキが食べたくて。村じゃろくなお店がないですし、家で作ってもなんか違うしで」


「まぁ確かに、口に入れなければ問題はない。旨いか?」


「おいしいですー」


 夢心地にニナは答える。余程食べたかったのか。俺も手を付けない理由はない。かき氷をスプーンですくって口にする。


「……旨い。氷が。いい水を使っている。この果物も香りがいい」


「氷がお好きなんです?」


「氷は鉱物だからな」


 好物ではなくて鉱物のことなのだが、ニナに通じたかどうかは不明だ。

 しばし、かき氷に夢中になる。夢中になったつもりで気を紛らわせているともいう。



「さっきの話ですけど。絡まれなかったのは、イルさんが怖いからじゃないかっていう」


「ああ」


「まず第一にタグで従魔だと分かるので、普通の人は絡んではこないです。この理由はイルさんのことを思うと、少し複雑な気持ちにもなるんですけど……」


 ニナが言葉を選んでくれたのが俺にも理解できた。


「従魔の飼い主は大抵はお偉いさんだ。お偉いさんに絡みたくないから従魔に絡まないだけだ。そういうことだろう?」


「そこまで知ってるなら逆に気が楽です。都合の良い方に取れば、ハッタリがきく、とも言えますね」



 楽観的すぎるな。だが、変に湿っぽくなるよりは気楽だ。


 従魔の扱いについては色々と聞いている。契約術が施された従魔には、自由意思があるかも怪しい例もあると。


 未登録であることの危険を犯してでも、先生が十五年間にも渡って俺を登録をしなかったのは、契約術で縛りたくなかったからだ。だから特級を取得できるまで待つしかなかった。後になって知ったことだが。


 正直、この仕組みは問題だらけだが、そう思うのは俺自身がこうして思考できる魔物だからだろうか。



「次に、怖がられてるというのではという点です。イルさんって、自分で自分の見た目をどこまで把握してます?」


 そこからか。難しい問題だ。俺からすれば鏡は人を映さず、触れれば形は知れるとはいえ、魔素以外の色はわからない。


 色の名前の多くは、精霊たちから教わった。精霊は、自分や仲間の魔素の色を知っている。例えば精霊が「わたしの色は菫色なの」と言うとき、菫という花はきっと、俺がその精霊に見る光と似た色をしているのだろう。


 何故か呼び出しに抵抗しているフェムのことを思う。フェムの色は柔らかな白だ。



 全ては相対的で何も確かなことがない。俺が赤だと認識しているものを、人も同様に認識しているかは不確かだ。精霊と人間と俺の知覚が、どれだけ類似しているかも不明だ。さらに個人差もある。村にも肉の焼け具合が見分けにくいという人間がいた。俺にもうまく判断がつかないが。


 だが、仮に知覚の特性が異なったとしても、異なり方に一貫性があるのならば、色の呼び名はある範囲では一致するものが多くなるであろう。異なり方に一貫性があるかどうかは、同じ物理法則の元にいるという理由である程度は信用できる。物理法則に対して、何の秩序もない知覚や認知が、使い物になるとは到底思えないからだ。


 美醜の概念はもう少しややこしい。うまくやれば、輪郭は捉えられる。細いとか太いとか、そういう感覚は普通にある。だが、全世界共通の物理法則と違い、美醜の基準は個人の好みや文化で変わる。


 盲人には指で触れて美人かどうか感じ取れる奴もいるらしいが、俺の場合、中途半端に見えているし、人には文字通り殆ど触れてこなかった。加えて、人間への興味の薄さが、他者と認識を共有することの難しさに拍車をかける。


 どう答えるべきか。かき氷をグサグサしていると、ニナはあっさりと言った。



「多分、難しく考えすぎですね。人の感じ方なんて幅があるので、わからなかったら聞いてみればいいんですよ。あとそんなにしてると、かき氷が水になっちゃいますよ」


「聞けなかったからな……長い間、面倒で人を避けていたし。まぁ、今となっては俺の勝手な思い込みが殆どだとわかるのだが」


 先生には聞けただろうが。容姿という概念自体が希薄となれば、当然、人に聞く動機も乏しくなる。結局、自分の見た目をどこまで把握しているのかという問いには、よくわからないとしか答えようがない。


 こっそりとかき氷を再度凍らせる。ざらめ雪のようになったが、却っていい感じだ。



「私から見た印象で良ければ、お話ししますけど」


 こんな機会はあまりない。少し怖さもあるが、ここは聞くしかないと答える。

 よしきた、とばかりにニナは語り出した。



「そうですねー。肌の色は確かに珍しいですけど、南の方にはもっと濃い色の肌の人がいます。灰色っぽいけど、清潔な服装をしていれば不気味というよりクールな印象です」


 遠回しに、ボロい格好をしていると死人のようだと言われた気がする。ニナの弾む声は続く。



「髪は元々いろんな色の人がいて、好き勝手に染める人もよくいますし。イルさんのは青みのある、灰? 銀っていうのかな。今はやりの派手な色ではないですけど、貝殻の裏みたいに角度で少し色が変わるのが綺麗だなって」


「そうか。髪はまぁ、確かにとやかく言われたことはない。目立たないのも都合がいい。頭を隠してたのは髪じゃなくてツノな」


 耳の上あたりを触れると、斜め後ろに向かって生えるツノがある。ギリギリ握り拳に収まってしまう程度の大きさだが、ツノの生えた普通の人間はいない。


「ツノも別に振り回して凶器〜!って感じじゃないですし、髪飾りみたいな感覚です。だいたいのツノのある動物って、でっかいツノ生えてますからね。街にはもっと凶悪な髪型の人がいて」


 ニナはわちゃわちゃと動きながらでっかいツノと凶悪な髪型とやらを強調した。あいにく、身体強化をかけてもらわなければ、どのような身振りをしたのか俺にはよく見えないのだが、ニナの声色が豊かなのもあって楽しげなのはわかる。


 凶悪な髪型について想像していると、ニナが頭を触ってきた。何をするんだ。クソッ、引っ張るな。



「ツノ取れませんね。本物なんですねこれ」


「本物だから困ってるんだろ。取れたらどうするつもりだったんだ」


「持ち帰って、村のイルカイ様の祠に納めるのが良さそうです。ご利益は、家内安全安産祈願で。あっ、耳の形も違いますよね。エルフ好きな人からしたら好物なやつです」


 はぁ。俺にはそんなありがたい能力はない。にしても、エルフか。


「エルフは大迷宮時代に滅んだんだろ。急速な自然環境の変化について行けなかったとか、病原菌が持ち込まれたとか」


「むぅ、そうですけど……」


「生き残りを探して大陸を冒険するヤツもいるらしいがな。この時代に未開の不思議なんてどれだけ残ってるんだか」


「ううん、イルさんはわかってないです! 滅んだからですよー。純血のエルフは滅びましたけど、その血は私たちの中に息づいているんです。ロマン!ファンタジー!ってエルフ好きは結構多いんです。ティーン向けの小説や中学校あたりじゃ男女問わず人気の話題です」



 なんかテンション上がったなコイツ。自分がエルフ好きなだけなんじゃないか?

 ティーン向けか。当然、学校に行ったことはない。小説は読めんし。


 ニナは「イルさん自身が未開の不思議なのに自分でそれを言います?」なんて呟いている。都会から見たあの村の扱いが不安になってくるな。


「にしたってエルフと俺は関係ない」


「やけにつっかかりますね。アレですよ。印象の問題? 最近の若い子は長耳と言えば鬼とかよりエルフなので、長耳に怖いみたいな印象は持ちにくいんじゃないかなと」


 印象、ね。そういうものなのだろうか。魔物のイメージは、エルフというよりは鬼とかそっち系だろうに。



 俺は何だろうな。精霊の話や迷宮譚から想像するに、俺のような枝持ち――それもそこそこの本数を持つ魔物は形態の個体差が激しい。量産型というよりは何らかの役割を担っていたり、迷宮の管理者であったり。いずれにせよ、俺はあまり強い魔物ではない。いるだけで周囲が燃えるとか精神構造が人間と異なりすぎる魔物だと、人に混ざって生きるのも難しくなるし、ある意味では幸運ともいえる。


 昔は、残り少ない迷宮から魔物を連れ出して戦争に使おうとしたり、まぁ色々あったらしい。迷宮の外に出ている魔物を、俺は自分の他に知らない。従魔の登録番号が通しなら、戦後だけで最低でも万はいるのだろう。どれだけ生きているかは不明だが。



「……あれ? そういえば、イルさんっておいくつなんです?」


 思いついた、とばかりにニナの話題は横道に跳ねた。さっきの話のどこに年齢が気になる要素があったのだろう。まぁ、あったような気もする。別に隠すことではないし答えるか。


「歳? 121。面倒なので切り捨てして21で良い」


「ひゃく、百?! 何となくせいぜい一回り上かなーと思ってましたし、21なら確かに二つ年上なんですけど、百もサバよみ……」


 驚くニナに、はぁと息をついてツッコミを入れる。


「よく考えろ。本当に21なら、俺は三大迷宮の出身ということになる。そんなのがその辺ウロウロしてるわけ無いだろうが」


「確かに、言われてみればそうですね……」



 三大迷宮というのは、大迷宮時代に滅ばなかったかその後生まれるかして、今でも生き残っている迷宮だ。三つしか無いのに何故三大なのかは知らん。

 極めて厳しく管理されているから、そこから出てきたフリーの魔物がいるなどそうそう有り得ん。研究所とかにはいるのかもしれないが。


 ニナが地元の歴史をまじめに勉強していて注意深ければ、121でもかなり若いことに気づいたはずだが、特に突っ込まれなかった。説明が省けて楽だ。


 と言っても深い過去があるわけもなく。俺が気づいた時には既に迷宮は朽ちかけており、その奥深くで百年と少し、精霊達と食っちゃ寝の引きこもりをしていただけだ。本来の年齢は異なる可能性もあるが、数えられる分としては嘘ではない。


 百年、ずっと地上に出る気が起きなかったのは不自然だ。外の世界を知った今となってはそれがよくわかる。

 精霊たちを捨て置くのが辛かったというのもかなりあるが――あの場所が、安住の地なのだという意識が俺には漠然とあった。事故が起きるあの日まで。


 死にかけの迷宮と俺を繋ぐそれは弱く微かなものだったが、確かにあれは迷宮の支配だった。人間が踏み込んできたあの時、本当の意味で迷宮は死に、精霊たちは消え、俺は制約から開放されたのだろう。



 カフェに流れる音楽と人々の話し声、緩い風に入り混じった甘く香ばしい香りが、俺を過去から現実に引き戻す。


 人間との出会いは不幸な事故だったが、今この俺は――あの事故がなければ有り得ない世界線にいる。

 俺は、あの日がなかった世界線を、決して望んではいない。そう思う自分は、あの瞬間がなければ存在していないのだ。


 過去と今を思考の中でないまぜにするのに合わせ、器の中身をかき回し続ける。

 とっくにかき氷はほとんど水になっていた。再び凍らせて氷をガリガリと齧る。蜜柑ぽい何か入り氷だ。甘さで喉が渇くこともなく水の味は澄んで、果物の香りが心地よい。



「冷凍庫いらずですね……」


「実の所、術はあまり得意ではない。この程度だから凍らせられるというだけで、冷凍庫の代わりにはならん。次は何だ。どこを見ている?」


「歯を見ていたんです。牙があるなって」


 指で自分の歯に触れてみる。


「牙? 犬歯のことか。人間にも犬歯はあるはずだが」


「あってもそんなに長くないんです。でも、イルさんのも大きく口を開けないと目立たないですね。それに耳も牙も、先祖返りで長くなる人がいますし」


「村にも、結構居たんだったか」


「イルさんも知ってると思いますけど、猟師のカリルさん。あの人すごく耳が良くて、耳の裏に毛が生えてるんですよね。他にも……」



 殆どが知らない名だった。聞けば小さいツノが生えたり、尾が生える先祖返りもあるらしい。


 ニナが名を挙げたカリルは、そこそこ交流のあった人間だ。猟師という人種はどことなく話しやすかった。俺に人間の姿形への興味がないせいで、彼が変わった耳を持っていたとは知ることがなかったが。


 人に混じった血がエルフだけであるなら、これほど多様な形質は現れない。迷宮の魔物にはいかなる目的か、人間と交配する機能を持つものがいる。話に聞く大迷宮時代のカオスっぷりなら、魔物の血が流れてる奴がいても全く不思議はない。


 何処からが魔物で何処からが人間なのか。


 魔物混ざりと呼ばれる者たちがいる。精神や習性に魔物の影響が出た人間をそう呼んで区別するのだ。人間にとって魔物か人間かを決めるのは、見た目よりも精神性なのか。その理屈だと、俺はそこそこ人間でもあるように思えるが――


 まぁ、何処で線引きしようと俺は魔物だ。それは変わらない。



「異形への寛容さは国や地域で異なると聞く。このあたりは、魔獣と共存する風習が残っているし、おおらかなのかもな。俺への反応も、魔物であることや見た目ではなく、あの事故がらみの誤解が大きかった。そう、思えなくもない……」


 そうですそうです! とニナが力強く相槌を打った。


「ツノや蹄があったり、肌が灰色だったりは多分あまり関係ないんですよ。真面目に事故の時を想像してみると、イルさんが枝持ち……何本でしたっけ?」


「――六本」


「ろく! それは流石に警戒されちゃいますよね。六本は迷宮譚だと中堅くらいですけど、現実で会うのはまた別ですし。それに、父から聞いた話だと、その……」



 ニナが何か言い辛そうに、言葉を濁す。まぁ、あの出会いだ。面と向かって俺には言い難いことも当然あるだろう。不器用なりにあくまで軽く、ニナに語りかける。


「警戒するのは当然だし、どんな感情を持たれたとしても不思議はない。もう昔の話だ。ニナが重みに感じることもないさ」


「……いえ、そうではなくて、あの、その時のイルさんが、すっ、素っ裸で丸出しで唸っていたので、話が通じない獣かもしれないと、めちゃくちゃ警戒したと……す、すみません!」



 クソッ、丸出し言うな。仕方ないだろう、あの頃の俺は無知で――クソッ。今は服着てるんだから許せ。


 迷宮譚には知性ある魔物の優美な服装と所作が描かれていると聞いて、格差を感じたものだ。まともな迷宮に生まれていたら、俺も服くらい着ていたはずだ。


 頭を抱えた指の間からニナをちらちらと見れば、無言になった彼女とは裏腹に、魔素の巡りは多弁に興奮を示している。



「服は大事なんだな……」


「そう、ですね。本当に」



 微妙な空気の中、ニナもこちらをちらちらと見ているのを感じる。


 俺の首から下、服に隠れた身体は人間とかなり異なる。ニナはそのあたりのことを聞いてはこない。襟で隠れていても、うなじを見ればそこから甲殻が続いているのがわかるはずだ。


 俺にしてみれば、魔枝を見せるのは丸出しとは全く異なり恥ずかしくはないのだが。人間の女性なりのデリカシーというやつだろうか。



「……そうだな、見た目への拒絶は思っているよりも無いのかもしれない」


「ですね! 伝わって良かったです」



 俺が納得を示せば、ニナが満足を滲ませて応える。


 改めて思えば。人間が恐怖心と好奇心、そして寛容さをも同時に持ちうることは、十五年間で学んでいた。俺が、ここぞと直視していなかっただけで。



「あとは……人間がよく気にするのは目の色、だったか。どう見える?」


「ん~、色は蜂み……金色かな。人間でも時々見かける色ですね。瞳孔が縦長で猫みたいです。近くで見るとわかるけど、離れると影に入ったりしてそんなには」


 落ち着きを取り戻したニナの光は穏やかで、緊張感の欠片も見えない。俺に対するこの余裕はどこから来ているのだろう。

 偏見の無さか、個人的な好意か、好奇心で全てを薙ぎ倒しているのか。正直、判断がつかない。


「猫か。蛇みたいだとも言われたな。人間だと、魔眼持ちは変わった目をしていることもあると聞いたが」


「魔眼! 魔眼も中学生定番の話題ですよ。魔眼はエルフと違って今でもたまーにいますよね。魔素が見える人もいますし。イルさんのそれも魔眼なのでは?」


「なくはないが、見えるべきものが見えないからな。単に、こういう魔物なのだと俺は考えている。それに魔眼というのも、人間が作った区分けに過ぎない。俺に当てはまるかは、どうだろうな」



 精霊や人間に見えるものが俺には見えない。俺は、ニナの髪の色も目の色も知らない。こんなものが魔眼なのだろうか。人の魔眼も、通常の視力を失うものではなかったはずだ。


 かき氷の器の中をスプーンでからからと回す。そこにあったはずの抵抗はなく、硬い食器の感触だけが返ってきた。もう、無いか。手を止めた間。ふと、浮かんだ疑問を口にする。



「……ニナの目は何色なんだ?」



 ニナの手元でカチャリ、と食器が音を立てた。



「どうした?」


「え、あ、イルさんが私の見た目を聞いてきたのが意外で」


「そんなにか? 確かに、聞いたことはないな。ニナ以外でも。俺は、自分の目の色さえ先生に教えられるまで知らなかった。他人の目の色も髪の色も、興味を持ったことが……ないな」


 ニナは俺の目を金色と表したが、先生は琥珀色だと言っていた。


 精霊達は自分自身のことはよく話しても、俺については全然だったからな。服のことも精霊は何も指摘してこなかったくらいだし。


 裸族百年の重みに、遠い目になる。



「そんな落ち込まなくても。これから興味を持てば。ちなみに、私の目の色は紺色です。髪も黒っぽいし地味ですね」


「ちょっと昔に意識を飛ばしていただけで、落ち込んではいない。紺色か。……聞いておいて悪いが、まだあまりうまく容姿を想像できない。そのかわり地味とも感じないが」


「地味なのが少しコンプレックスだったので、そう言われると得した気分です」



 そういう捉え方もあるか。面白い。


 かき氷はとっくに空だ。所在なく器の隣を辿って、シロップがあったのだと思い出す。――これか。スプーンの先につけて恐る恐る舐める。口の中に広がるねっとりとした感触。喉をつたわる焼けるような不快感。あ、これ、ダメなやつだ。


 声にならずひどくむせる。すぐさま水を手に取り、口に流し込んだ。

 驚いて身を乗り出してきたニナを手で制する。


「えっ、ちょっと、大丈夫ですか?」


「俺は蜂蜜とシロップで死ぬ男……水が旨い。……ふう」


「何言ってるんですか。本当に死因になったら洒落にならないですから、本当に危ないものは把握しておいて下さい。全然大丈夫そうですけど」


「……大丈夫だ。喉が焼けるだけで、腹に入れば全部同じだ」


 人間の食べ物に付き合うと、そこそこ苦労するが、まぁ死ぬことはない。それに旨いものもある。


 水を飲んで落ち着き、今まで挙げられた点を脳内で並べ立ててみる。俺の容姿はそれほど怖くもないし、そこまで目立ちもしない、のか?



「まだ、何か気になることはあるか?」


「うーん。気になること、あっ。その……私が割と目立つな思ってる点が一つあって、多分イルさんはそれに気づいてないか気にしてなさそうなんですよね」


 何だそれは。めちゃくちゃ気になる。 俺が知らないだけで、顔に変なものが付いてるとか、絶対に嫌なんだが。



「言え! 今すぐ教えてくれ。気にしないから、気にせず言え!」


「いやそれ、絶対気にしますよね」


「そこまで言われたら気になるだろうが!」


 話が噛み合ってるようで、噛み合ってない。



「これは良い悪いってより、職場によっては指摘される可能性があるので、そういう意味でいうんですけど。なのであまり深刻にならないで下さいね? 」


「……はい」


「爪ですね。爪」



 爪?

 別にそこまで長くもないし、手入れもしていて形も普通なはずだ。何が問題なんだ?


 目の前に手をかざす。魔素を回すと、その流れで形がぼんやりと見えた。手に甲殻はなく、人間のものとほぼ同じはずだ。若干指が長い気もするが、個人差の範囲だろう。


 俺自身の魔素の色は、ほんの少し紫よりの、白に近い薄い青だ。ニナの選んだ服の刺繍の色が、薄群青だったか。薄群青という色は知らないが、言葉の響きからしてこのような色かもしれない。


 自分の手を眺めて、首を傾げる。



「イルさんの爪、黒いんです。ツノや甲殻と同じ色ですね」


「黒い……。つまり爪は普通は黒くなくて、黒いと問題がある?」


「人間の爪は半透明で、下の肉の色が透けているから黒くはないです。爪に色を塗ってお洒落する人は沢山いますが、その殆どは女性なのと、食品を扱ったりする仕事では爪に色を塗るのは敬遠されることが多いです。それと、指というのは結構目の行く部位なんです。だから、爪にお洒落する人がいるんですけどね」


 あれだけ隠さないことを恐れたのに、今まで俺が気にしていなくて、逆に気にされることがあるとは。世の中は難しい。



「どうすればいい?」



 バン!とテーブルを叩いた音がして、ニナが迫ってきたのがわかった。



「簡単です。そんなこと、とやかく言われない職場に就職すればいいんです!」



 思わず、顔を背けて空を仰ぎ見、ため息をついた。自信満々に言ってくれる。

 そもそも、俺が就職できるんだろうか。そこからだろうに。


 先が思いやられた。

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