穿いているから安心しろ

 それからニナは、俺を連れ回しての店巡りを開始した。服を買う金はどこからと思って止めようとしたが、身支度の資金も手間賃も、全部込みで先生に頼まれていたらしい。なんてことだ。確かにあの村に選べるほどの服屋は無さそうだし、いざ街に来ても、俺に服を選べる気はしない。どう足掻いても、今はニナに任せるしか無い。


 ニナ曰く「予算の関係もありますし、どっちみち極端にモ〜ドな服とか買えませんからね。普通な感じで行きますよ、安心安全です」とのこと。信用しているぞ。


 フェムはまだ出てくる気が無いようだ。初めは戸惑いがあったが、そうした方が街を歩くには効率的だと納得して、今は半歩前をゆくニナの腕を掴んでいる。


 ここイシュミルは大きな街ではないが、港町だけあって様々な土地のものが集まる。道を歩けば異国情緒漂う香りが時折流れてくる。


 首からかけたタグのお陰か、何も問題は起きていない。決して、問題が起きるのを期待していた訳では無いが、肩透かしを食らったのも事実だ。田舎では一生で一度見るかどうかの珍しさでも、従魔に関する知識はあるということなのだろう。



「イルさんには意外と、きっちりめのも似合うと思うんですよねー。あっ……」


 揚々として前を歩くニナの歩みが止まった。見れば植木だろうか、背の低い植物が植えられている。建物に使われている木材には僅かながら魔素が残っており、かろうじて扉らしきものが見えた。村とは違い、この街の建材には魔素があまり含まれていない。俺にはかなり捉えにくかった。


 ウサクの村で使われる木材は、伐採から十年経っても魔素が残っているほど魔力が強かった。外輪山の木々にも魔素が溢れていた。温泉にも魔素が含まれていた。外輪山とその内側の魔素が濃いのだろうか。カルデラの形成や地層、あるいは火山であるトヤナーク山とも関係ありそうだが、あいにく、俺にそのあたりの知識はない。


 ずっとあの中にいたから気づかなかっただけで、あの土地は魔素に恵まれていた。俺がそんな考えにふけっている間、なにやら見ていたニナも店に入ることを決めたようだ。



「うん。こういう路線もかなりありかも。ここ、入りますね」


 ニナが開けたドアに導かれ店に入る。続く俺がドアを閉めると、来客を知らせるものか、頭上で幾つもの金属を打ち合わせる澄んだ音が鳴った。一歩踏み入れば、そこには木を燻したような香りが立ち込めている。



「いらっしゃいませー」


 ちゃりちゃりと軽い音を立てて、奥から店員が出てくる。店員がかき分けた何か、珠のれんだろう、その端が揺れるのが見えて、のれんの石なんかに輝石を使うのか、と変な所で感心する。

 風鈴が高く涼しげに響き、その音に引かれてあたりを見れば、のれんの端と似たような飾り付けがいくつも風に揺れていた。


 従魔である俺はせいぜいニナの護衛か何かに見えるだろうか。実際の所、護衛どころか誘導されているのは俺の方なのだが。


 ――堂々としてりゃいいんです。


 ニナの言葉が思い起こされ、せめて態度だけは毅然としていようと背筋を伸ばす。


 案の定、店員はニナが服を探している前提で会話を始めた。流暢なハルディア語だが、独特の抑揚が残る。外国の人間がいるというのは本当らしい。そんな、他愛もないことの一つ一つが新鮮で、こうして街を連れまわされても飽きることがない。


 ニナが俺の服を求めていることを伝えると彼女は「まぁ」と一言驚いたが、専門家としての意地だろうか。それからはとても楽しげにニナとやりとりしている。


 この店では大陸の服を扱っているらしい。ニナと店員が選んでいるのは袍というもので、近年こちらでも体型がきれいに見えるからと女性に人気がある、などと説明された。男性用のものはあまり売れないために、質の割にお手頃になっているようだ。



「これなんかどうでしょう。色は白で、裾に薄群青の刺繍が控えめに入っています。もちろん普段着も買いますが、一着はこういうのもあった方がいいです」


「ああ、うん?」


「それにこれ、イルさんに絶対似合いそうです。ふふふ、ふふ……」


「っ、おい!」



 ニナの発する異様な圧に負け、試着室へと押しやられる。一人で着れますよねと聞かれ、思わず馬鹿にするなと答えたが、不慣れな服だ、正直それ程自信はない。幸い、服の構造は簡単で迷うことはなさそうだ。


 袖を通してみるものの、魔枝を収める余裕が無いことに気づいた。俺の魔枝は菱形の甲殻を連ねたもので、背に六本。伸ばしきると膝下を超える。

 せっかく選んでもらった服を戻すのも面倒だ。背にある魔杖の鞘に意識を向け、可能な限り折りたたんで引き込む。慣れないが、これで人間の服でもなんとかなるか。


 村ではほとんど認識阻害の外套の裾の長さで隠れていたとはいえ、俺が枝持ちであることは知られていたはずだ。思案していると、仕切りの向こうからニナの声がした。



「あっ……そうでした。枝持ちのイルさんが着れるかどうか、うっかりしてました。きつかったら、無理をしないでも」


「ああ、いや、なんとかなりそうだ。枝は畳めるし。こういう人間の服は着たことがないから、俺も多少興味がある」


「そうなんですか? 良かったです。……外套の下、普段は何を着ていたんです?」


 若干声の低くなったニナの問いを、俺は無言でやり過ごした。

 魔枝があってもゆるめの服は着られるが、外套の下はこの季節だと殆ど裸――多分、これは人間の感覚だとまずい。


 にしても、自分で言っておいて人間の服という言葉もおかしなものだ。魔物の服など、この世界のどこに売っているというのか。



 この服には揃いの下がある。これは……確かめるまでもなく無理だな。


「下はきつい。無理に足を通せば破いてしまう」


「……普段は何を?」


「まぁ、色々。今穿いているのは、途中から横で綴じる形にしてある。膝の甲殻が引っかかるから、膝上で。とにかく、穿いているから安心しろ」


「穿いているならいいんです! あとは見て判断しましょう」


 なんとか納得させられたか。作ってもらうにも着るにも一手間かかるが、割り切った構造の方が服が傷まず気が楽だ。


 村では面倒で外套の下は裸ということも珍しくなかった。人間は上着で隠れていても穿いているか穿いていないかにとかく拘るので、今日は気を使ってちゃんと穿いてきたのだ。


 一通り不備がないのを確認して、俺は仕切りを開けた。



「……どうだ? どこかおかしくはないか?」



 あいにく、俺には服というものがろくに見えず、見えたとしても元引きこもりだ。お洒落の感覚もない。ニナの反応に若干不安になる。



「すごい、似合ってて、かっこいい、です……」



 ニナの精神年齢が下がった気がした。


 格好いいと言われたことはあまりない。村では、服を用意するのも見た目を指摘されるのも面倒で、例の外套で雑に隠していた。


 ニナは先生の所に手伝いで出入りしていたし、会話はあまりなかったものの俺と面識もある。まぁ、慣れはするだろう。隣のなんとかちゃんも格好いいと言っていたんだったか。話せばそういう言葉をかけられる機会もあったのかもしれない。



「そうか。少しタイト過ぎる気もしたが、生地が滑らかで意外と動きやすい」


 軽く動いてみる。膝上まで届く深いスリットが片側に空いているが、裾は脛が隠れる程に長く、極端な体勢を取らない限り乱れそうにない。適度に動きに追従してくれるので、甲殻を引っ掛けて生地を痛めることもすぐにはなさそうだ。



 ニナが身を屈めて、俺の膝あたりを覗き込む。


「なるほどなるほどー。確かに膝周りがこうだと細身のものは足を通せないですね。んー、足の裏を見せてもらっても?」


「別に良いが、何か?」


「靴はどうしようかなと思って。おー、いい感じに手入れされてますね」


 蹄の手入れは密かな拘りだ。そこに気づくとはなかなか良い目をしているではないか。


「靴は必要ない」


「ですね。減りすぎてはいないですし、蹄の角度も良い感じ。ヤギの削蹄には私、ちょっと自信アリです」


「ヤギ……」


 形は似ているのかもしれないが、なんだか納得いかん。そういや、ニナの父は村の削蹄師だったな。思えば俺の数少ない私物の一つであるお気に入りのヤスリも、彼から貰ったものだ。



 ニナは立ち上がると二、三歩引いて、俺の全体を確認し始めた。


「うーん、この服だと、下手にヒラヒラしたものを下に穿くよりこのままの方がシュッとして良さそうです。甲殻もこういう鎧だと思えば、そう、ファンタジーぽいし黒くてかっこいいのでアリ! アリです! それにですね、」


「よくわからんが、アリならいい」



 何やら解説を続けるニナに雑に納得を示しておいた。正直な所、人前ではあまり甲殻を出したくない。物々しい印象を与えることは自覚している。まぁ、足ならいいか。


 会計に向かうと、店員まで揃ってとてもお似合いです、などと言ってくる。反論の材料もなく、なされるがままだ。ニナにこのまま着ていくのを勧められ、大人しく従うことにした。

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