まずは服です
峠を越えたあと、ビークたちは生き返ったようによく走り、昼過ぎにはイシュミルに到着した。この街で支度をして駅から汽車に乗り先の街を目指す予定だ。
ニナはスイカとメロンを市場に卸した後、荷車と騎獣を厩舎に預ける。やり取りを聞くに、なかなか慣れているようだ。イシュミルにはよく来ると見える。
そうして今、商店街の入り口で、俺とニナは言い合っていた。
「街でその格好は怪しさ満点でダメです!」
「だが、フードを被っていれば、よくよく見なければ魔物だとは気づかれないだろう?」
「その外套、みるからに怪しいからよくよく見ますよ。大体、今、七月ですよ? どこのアサシンのコスプレですか」
「なにかこう、うまい具合に隠してなぁなぁで……」
「隠す隠す言う割には、どう見ても魔物な足は出しっぱなしですし。頭隠してなんとか? 村とは違うんですから。何のための従魔登録ですか。えいっ!」
「……くっ、やめっ」
何度かやり合った後、とうとうニナは俺のフードをムリヤリ下ろしてしまった。久しぶりに外気に晒された首周りの感触が、なんとも頼りない。
「不味くないか? というか既に視線を感じるんだが」
「視線を感じるとか、そんななんかの達人みたいな能力、イルさんにないでしょ。私が見てても気づいていなかったし。気のせいです気のせい」
気のせいって。あと、色々酷い。
「あのですね、珍しいだけで怪しくない人と、普通だけどとても怪しい人、どっちが危険ですか?」
「それは、そうなんだが……いや、そうじゃない。俺が昔、どんな扱いをされていたか、知っているだろうに」
ニナに思わず納得させられそうになり、語気を強めて反論する。
「そういう人は、魔物にも色々いるって、まだ知らないだけです。私は小さい頃から、イルさんを知ってましたから……」
小さい頃から? あまり覚えが無い。村の連中を思い出そうとして、ふと疑問が浮かんだ。
「ちょっと聞くんだが、ニナの家族は俺の同行に反対しなかったのか?」
「えっ?」
「その、女一人と魔物を二人きりにするとか、不安になるのが親の感覚じゃないのか?」
「全然。それどころか、先生とイルさんに宜しくねって送り出されました。イルさんは、どんな扱いをされたかなんて言いましたけど、イルさんのこと、ちゃんと見てる人は結構いますよ」
「……まぁ、そんなものか」
理解している。
全てが敵でなかったことは。
十五年前、ウサク周辺を地震が襲った。俺と精霊たちがいたのは閉ざされた最奥。地形の変動により地上と繋がったそこに人間は乗り込んできた。あの時、初めて見た人間という生き物は、事故の原因を俺に求めた。
過去の記録を鑑みれば、数ある魔物の中でも、魔枝を持ち知性ある魔物は特に警戒に値する。よって彼らには安全のために俺を拘束する正当な理由があった。飢えた猛獣の前で何もしないことは死を意味するように、彼らの常識に照らして、それが正解だった。
理解できてしまうだけに、如何なる感情としても消化できない。怒りにもならない。嫌いにもなれない。許す許さないではないのだ。そこにあるのは徹底的な無関心だけだ。
元々、全てが敵ではなかった。時が過ぎれば、俺を認める奴も増えた。人は変わる。そうして俺は、あの村に生かされていたのだろう。
知っている。全て、過去のことなのだと。元々、恨みも怒りもない。今更、何を思うことがあるというのか。なのに、理解と意思を無視して、記憶の一片は壊れたからくりのごとく自傷を繰り返す。優しいはずの言葉が、寒気のように突き刺さる。
ちゃんと見ている人が結構いる?
低く吐き捨てるように吐息が溢れる。
擦り切れるほど繰り返した、石を投げ、怯える人々の声が蘇る。とうの昔に過ぎたことだというのに、今も声は俺の身を強張らせる。
いつの間にか、立ち止まっていた。
汚い感情をニナに見せるのが面倒でうつむいて。出掛かった声を噛み締める。
こんなものは、記憶の誤作動に過ぎない。
目を閉じて数秒。すぐに平静を取り戻す。
足を止めた俺たちを、雑踏のざわめきが飲み込んでゆく。
「……イルさん?」
「いや、何でもない。行こう」
だが、ニナは動かない。少しの間。ニナの淡い光が脈動して、大きく揺れた。湿った空気を振り切ってニナは叫ぶ。
「そういう所ですよ! この際だから言います。そんな顔して、何でもないわけないじゃないですか。言いたくないなら聞きませんけど。そのかわり、私も言いたいこと言います」
ニナは俺の前に立ち塞がり、ふんす! と息継ぎした。その迫力に思わず半歩下がってしまう。
「特級を取得されるまで、イルさんは未登録でしたよね。お聞きしたところ、特別に先生の監視下という扱いだったみたいですけど。でも、何年も未登録でいるのは、周囲の協力と理解がなければ難しいはずです。闇ルートの従魔って知ってます? 今、何で、そうなってないかわかってます?
特級の認定だってそうです。先生が何年にも渡って沢山の仕事をされたのは当然、イルさんにも色々あったと思うんですが、それだけじゃなくて他にも調査が入ってるんです。うちにも迷宮連の調査員が何度か来たんですよ!」
「……っ」
「まだまだあります。ずっと昔から何度も挨拶してたのに、まともに返してくれたことは殆どないですよね。話しかけられたらサッと逃げて。
会話が苦手なら、聞くだけでもいいんです。会話したくないなら、断ればいいんです。それを何なんですか、なんでもかんでも下手な認識阻害でやり過ごそうとして。
お隣のエリちゃんだってイルさんのことカッコいいって言ってたのに。イルさんから他人を知ろうとしたこと、どれだけありますか?」
「……ぅ」
「イルさんみたいな魔物もいるし、逆に飢えた野犬みたいな人間もいるんです。人間にも色々いるし、好みだって色々だから全部と関わるなんて無理だし、そんな必要ないんです。
でも、自分を見てくれる人のことを都合よく無視するのは、クールでもなんでもなくて格好悪いです!」
ニナの息は荒く、鼓動は激しく、まばゆく輝いて一回り大きく見えた。それは怒りの生理的反応に似ていたが、淀むことなく何処までも澄んでいる。
魔力は弱いはずなのに、その魔素が放つ光は酷く眩しく感じられ、目を背けそうになる。
――背けるのか?
たった今、言われたことじゃないか。俺は、それをまた、無視しようと――
「ふっ、はは。くっ……」
笑いが止まらない。こんな、光の中で育ってきた奴に何がわかる。そう、壁を作り無視するのは確かに簡単だ。傷つくこともなく、暗闇でぬくぬくしていられる。
ああ確かに、格好つけてるようで格好悪いかもしれん。
急に笑い出した俺を恐れたのか、あれだけ力強かったニナの輝きはしゅんと小さくなった。
「……こんな小娘に何がわかる、って思われてそうです」
大体その通りだ。小娘とは思わなかったが。
十五年前、地上に出てきた俺は酷く無知だった。百年と少し引きこもっていた間、精神的な成長があったかは怪しい。俺の精神年齢が、ニナより低いということも十分に起こり得るのではないか。
長く生きている奴が偉いという主義には全く同意できないが、人生の先達の言うことには一理あるかもしれん。
「くくっ、いや、あながち間違いでもないな。すまん、何がわかるとは思ったが、ニナを笑ったわけじゃない」
「思ったんですか。私も少し言い過ぎました。イルさんのことを気にかけていたので。イルさんは知らなかったでしょうし、それはもういいですけど」
いいのか。……そうか。そうだよな。過去があっての俺たちだが、あまり過去に拘っても互いに面倒だ。南の空を見上げる。ウサクの村も、あの大きな山も、先生もこの向こうか。若干、方角に自信がないが。
俺の根本は急に変わりはしない。それでも、ひとまず相手に敵意がないと見做せるなら、理性的に対処はできる。
ニナに敵意がないことなど、ずっと昔から知れたはずだが。まぁ、単に個として気にしていなかった。それだけだ。ここで彼女を無視しては、さらに面倒になる。方針が決まれば、もはや自虐的な笑いは湧いてこなかった。ニナに向き合い、目を背けず言葉にする。
「ニナとは、今日一日になるが、逃げないで話そう。話せることなら。それで、早速頼りにしたいんだが……」
「はい、もちろん!」
「……この、魔物の俺が街を歩くにはどうしたらいい?」
それを聞いてニナはやっと本題に入れますね! とぴょんと跳ねた。自然に溢れた魔素の流れが彼女の四肢を迸り、ビシッと止まった。決めポーズでもしていそうだ。
本題から逸れたのは……まぁ、俺もか。
「まずは服です! 犯罪者じゃないんだから堂々としてりゃいいんです。そのためには、清潔さ、流行を程よく意識したお洒落、見た目は大事なんです。行きますよ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます