獣は、そのままで美しい
「ディー、振られたね」
「店の為に挑戦しただけです。そういうベルはどう?」
「私の仕事、あまりなかった。髪を整えて魔枝を磨いたくらい。グレシー教の教えは受け入れ難いけど、迷宮の管理者は人を陥れる為に美しい姿をしているというのは信じてもいい」
準備が済むのを写場の隅にある椅子で待つ。数メートル先で二人がガチャガチャと何かを弄りながら小声で話しているが、全て筒抜けだった。
ベルと呼ばれている女は、客の着付けや化粧をするのが仕事のようだ。他人に触れるのに慣れているせいか、魔物の俺相手でも淡々としていた。
人間に魔枝の手入れをしてもらうなど初めての経験で、俺の方が落ち着かなかったくらいだ。途中から気持ちよくなって寝落ちしそうではあったが。
「魔枝を? ベルは度胸があるなぁ」
「単なる、構造への興味。顔は人間を陥れるための擬似餌。首から下は人間に似せず生存能力に寄せる。多分そういう設計思想。珍しい。でも、意欲的」
ベルは訥々と俺について語る。その隠さぬ好奇心に、不思議と悪い気はしなかった。観察行為は仕事の質を高めるための探求心からなのだろうと期待したからだ。
それに、面白い見方だ。人間を陥れる気は無いが。
記録に残る管理者の多くは人間に良く似ている。管理者が倒されたら事実上の終わりなのだから、人間と接触した時に取引に発展できるような見た目である方が、迷宮の延命に有利だ。
ウサクの迷宮が俺をこう作った理由は知る術もない。良く言えば彼女の言うように意欲的、悪く言えばコスト削減か。恐らく単に多様性のために、迷宮の方針には幅があるのかと思う。
二人の会話は続く。店員――というかカメラマンであったディーが手を止めた。
「設計思想……それは、迷宮の?」
「そう。全部私の勝手な想像。だけど、彼の魅力は身体の機能美。これは確か。身体の線が出る、この服を選んだ人はわかってる」
「ほーん。なるほどね。ベルは彼をどう撮りたいか、もう見えていそうだね」
「ええ。それを今から、本人に説明」
ベルがつかつかと歩いてくる。俺の側で止まると、平板に言った。
「というわけ」
「というわけって。さっきの会話は聞かれているのが前提か」
「そう。人間でも身体強化を使えば聞こえるのに、魔物が聞いていない訳がない。それに、あなたの場合、耳が動く。見ればバレバレ」
思わず自分の耳に触れて確かめたものの、意識している限りは動くこともない。そんなにバレバレだったのだろうか。俺の事を好き勝手に観察していたのはベルの方だというのに、なんとも気まずくなる。
この女は何というか、猟師なんかとはまた違った方向で狙うのが仕事なのだ。目がいい。視力ではなく、観察力の意味で。
参ったな。そう苦笑しながら打ち明ける。
「正直、俺には何もわからない。出来た写真を見ることさえできないんだ。全面的に、二人の仕事を信用している」
「んっ、任せられた。まず、説明。ここに触って」
ベルは数歩下がるとしゃがみ込み、魔素を回した指で床を差した。俺も同じように触れてみる。分厚いざらざらした紙のような何かだ。
「これは、背景紙。今回使うのは明るい灰色。向こうの壁の天井から垂れ下がって、ここまで敷かれてる。この上に立って撮影する」
「ふむ……」
「かなり丈夫。でも硬い靴で歩くと傷がつく。だから靴底を綺麗にしたり、フェルトを貼って養生する。あなたの場合……どうするのがいい?」
ベルは一瞬考えている素振りを見せたものの、あっさりと俺に聞いてきた。俺の蹄の裏がどうなっているか、彼女は知らないし、そこも含めてこれを触らせたわけか。その話し方は投げやりに聞こえて、考え方には配慮がある。
「万一もある。蹄の裏にそれを貼るで」
「わかった。椅子に座って足を出して」
初めからそうするつもりで道具を準備していたのだろう。ベルはすぐに作業を始めた。柔らかい布で丁寧に俺の足を拭く。すうっと冷たい感触。酒精の香りがふわりと立ち込めた。
「油分が残っていると、両面テープがうまくつかない。だから酒精で拭く。両面テープは終わったら綺麗に剥がれる」
「なるほど。靴とはだいぶ違うだろうし難しかったりしないか?」
「全然。ハイヒールより、簡単。……できた。次、こっち」
ベルが向こうへ数歩。立ち止まり片手に巡らせた魔素の流れに、セミルとのやり取りを思い出した。この手振りは知っている――こちらに来い、という意味だ。
俺に見えるように魔素を回せば捗ると、セミルがメモに書いていたからか。
声色や魔臓まわりの魔素の流れや鼓動、フェムが見せる明暗から、俺は十分に情報を得ている。それは時に多弁に言語に依らない情報を伝えてくれる。だが、人間にとって身振り手振りというのは、俺が考えているよりも意味があるらしい。
「ここに来て立つ。暑いのは照明。十分に離れてるから大丈夫。でも、近寄って触ったら火傷するから気をつけて」
踏み出せば、確かに暑い。というより熱い。見えなくとも、近くに熱源があるとわかる熱さなのだ。その中を注意深く歩いてベルの元へ。カメラマンであるディーの方を向く。
ベルが俺の正面にまわり、全身に魔素を巡らせる。ディーのものに何処となく似た、深く揺らめく橙の輝き。秘めた力強さを感じるが、その操作は辿々しい。
「こんな感じにしたい……疲れた。魔素操作は苦手」
十秒も経たないうちに首を振って、ベルは魔素の流れを元に戻した。
どちらかといえば、ベルが魔素操作を苦手とすることよりも、俺が人の姿勢や動きで表現される印象に対して、高い解像度を持たないことが障壁に思える。
手間を掛けさせた詫びが口から出かけたが、今求められているのはそれではないと黙って飲み込んだ。
見たものを無駄にはしたくない。記憶が薄れる前に頭の中で再構成し、動きに落とし込んでみる。
ベルが軽く俺に触れつつ、言葉にする。
「足を肩幅より少し大きく広げる。もうちょっと。……左足に体重を殆ど乗せて。左足が垂直に近づくけど、完全には垂直にしない。んっ、そのくらい。つま先はごく僅かに内側へ。右脚は横に投げ出すように。膝は曲げないで脚は真っ直ぐ!」
いい緊張感だ。俺は武道もスポーツも嗜んだことはないが、身体を思うように操作する楽しさは原始的なものだと感じる。これもおそらく、そういう種類の心地よさなのだ。
「大事なのは、骨盤と肩の角度。これをジグザグにするのが、美しくかっこいいポーズの基本。今、左に体重をかけているから、左の腰が上がってる。これを意識。
左手を腰に添える。そのまま、左肩を後ろに右肩を前に迫り出すように。右手は下ろす。右肩が上がる」
言われた通りやってみるが、上半身の窮屈さに下半身が疎かになりそうだ。前半の注意点を思い出しつつ、身体強化を薄く全身に回した。体性感覚と調整とフィードバックのサイクルの効率化は、地味ではあるが身体強化の基本であり真骨頂だ。
「んっ、すごい良くなった。スジがいい。胴を捻るときは、お尻をあげて肩甲骨を狭めるように胸を張って。そうすれば、お腹が引っ込む。その感じ!」
あまり感情のこもらない話し方だったベルが、興奮を隠さずに声を高くした。いや、彼女の浮き足立つ魔素が見えているのは俺だけなのだから、本人に興奮している自覚は無いのかもしれない。
そんな彼女を見ていると、俺もどことなく誇らしくなる。これもポージングとやらの効果か。
ベルが脇へさがりつつ、更に指示を飛ばす。
「首と顔は真っ直ぐ。顎を少し上げて。そう! ディーに威圧をかけるくらいの気持ちで向こうを見つめて!」
「って、おい! でも、すごくいいっ」
ターゲットにされたディーが焦りつつ返す。
本当に威圧をかけたら、ディーは仕事にならないだろう。だが、伝えたいことは理解した。これはゴリラにした演技と同じなのだ。しかも言う通りにしているだけなので、あの晩ほど恥ずかしくはない。一日経って思い出したら、恥ずかしさで転がるのかも知れないが。
ディーの通る声が響く。
「ポラ切ります! っ、にー、いち、ドン」
続いて、思ったよりも控えめなシャッター音。ポラって何? ドンって何? 疑問で一杯の俺にディーが説明する。
「今の感じを覚えておいてね。数分かかるから、一旦楽にしてください」
「了解。ポラってのは?」
「すぐ結果が見れる代わりに画質があんま良くない写真だね。これで構図や色々を確認する。すぐと言っても二分くらいかかるんだけど」
「試し撃ちみたいなものか。ドンっていうのは?」
「えっ?」
「ん?」
何か変なことを聞いてしまったのだろうか?
固まっている俺たちを見て、ベルが若干の呆れを滲ませつつ言った。
「ドンに特に意味はない。ディーがいつも使ってる謎の掛け声。普通は、さんにーいち、ハイ! とか」
「そ、そう。特に意味はないね……」
試し撃ちの写真ができたと聞いて覗き込む。写真の種類が違えば、俺に見える素材が使われているのではないかと期待したが、残念。何も見えなかった。まぁ、見えたところで分かるかどうかは別だ。形の印象くらいならとは思う。
二人の会話を聞く限り、かなりいい感じらしい。人にこのような反応をさせるものであるなら、きっと悪くはない。
ディーは照明の調整へ。俺も元の場所に戻る。ベルは俺の後ろで魔枝を手に取りつつ、んーーと唸っている。
「……魔枝を動かせない?」
「動かせはする。ただ、こう、小指と薬指が一緒に動いてしまうくらいの自由度だが」
「なら動かそう。右脚の方に、少しなびいて巻き込む感じにして、こう」
ベルが魔枝を持ち上げて捻り、ぱっと離した。そういう感じに動かして止めて欲しい、ということか。簡単に言ってくれるな。
もぞもぞと魔枝を動かしてみるも、しかめっ面になりかける。
「……難しくないか?」
「できてる、できてる、頑張って。角度を変える魔枝の面のところどころに光があたって、浮かび上がるエッジがきれい。たまらない」
たまらないと言われて、笑みを隠せなくなる。そこまで言われたらやるしかないな。魔物は魔枝を誉められるのが嬉しいのだ。多分。少なくとも俺は、顔を褒められるよりも、はるかに嬉しい。
魔枝に言うことを聞かせる練習をしていると、準備を終えたディーが俺に確認してきた。
「本当なら何度か試し撮りするんですが、慣れないと疲れるだろうし、出来るなら次で決めたいですね。行ける確信もあるし。
君からの要望は何かない? 気になることでも。その通りにできるとは限らないけど、納得がいくように説明はしたいね」
「特には……」
俺が口出しする点など、何もないだろう。そう思い、反射的に答えたものの。何かが欠けている感覚はずっとあったのだ。そう――
「いや、要望はある。できるなら、フェム――杖と一緒に。床は傷つけないようにさせる」
「……させる?」
聞き返すディーに頷いて、椅子に立て掛けておいたフェムを手元に呼び戻した。瞬時に、馴染んだ感覚が蘇る。驚きの声を上げる二人に、フェムを紹介する。
「フェムは俺の最も古い友であり、俺の一部でもある。どうだ、先端は丸く滑らかになっているだろう?」
「ちょ、ちょっと待って……」
「最高。ディーは驚きすぎ。管理者なら、アーティファクトくらい持っていて不思議はない」
オーバーアクションで驚くディーと、淡々としたベルのメリハリがなんとも楽しい。そんな二人を何処か好ましく感じながら、フェムと共に姿勢を作り上げてゆく。
ベルがそこに触れて、フェムの角度や服のめくれ具合を微調整する。
「左手に軽く握って。斜め後ろに下ろす。んっ、そうそう。脚のラインと交差していい緊張感。じゃ、最終確認。脚、腰、肩、腕、顎の角度。それに魔枝――」
これまでの指示を一つ一つ。聞き返すまでもなく、身体が覚えていた。
部分と部分を繋げて、力の流れとする。身体強化で緻密に制御された肉体が、一つの理想的な形へ研ぎ澄まされてゆくのを自覚する。大きく張り詰めた脚からも、弧を描いて伸びる脊椎からも。
一度、目を閉じる。
照明の熱さに照らされても、迸る魔素の実感ははっきりと体内にあった。深く息を吐く。魔素の細波を重ねて合わせて幾重にも。爪の先にまでそれが届くのを感覚の内に確かめると、俺はゆっくりと瞼を開いた。
ベルの声が広い写場に反響する。
「色気や主張は足さない。機能美と強さ。例えるなら獣。獣はメッセージを持たない。獣は、そのままで美しい」
そうだ、今の俺も、新月の夜に来た魔獣だ。
俺の思考が斜め上に走り出した瞬間、合図もなくシャッターの切られた音が響いた。
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