これがタダになる方法があるんです

「んん……」



 地図と睨めっこするも、何も解決していない。区画は合っているはずなのだ。実際には何にも役立っていないその自信と、人に聞くのが面倒だという選択を天秤にかけて、あたりを一周してみたものの成果はなく。


 セミルの書いた地図によれば、例の現像所兼写場はカナリー屋と同じ通りにあるらしい。線だけで描かれた地図の上では距離はわからない。考えているうちに、一本通りをズレたような気もしてくる。フェムに文字が読めたらどれだけ――それだ。


 ここは駅から近く人通りも多い。邪魔にならぬよう路地近くに寄り、小声でフェムに呼びかけた。



「フェム、アレイナが持っていた紙袋だ。鳥の絵だったか。同じものを持っている人間がいたら教えてくれ」



 言ってから、カナリー屋からワラワラと出てくる人間が皆その紙袋を持っていて、店の場所を知りたいという目的がちっとも達成されない可能性に気づいた。だが、フェムからはやる気が伝わってくる。既に散々迷った後だ。多少の追加は誤差だろう。


 早速、こちらに向かってくる一人に真っ白な輝きがくるくると纏わりついた。この輝きは俺の視覚の中だけに存在している。フェムが刺激を通じて俺に見せている幻だ。

 一向に光はそこから離れる様子なく、踊るように飛び回っている。わかっている。これは、幻に過ぎない。フェムは今俺の手の中にある。それでも――



「楽しそうだな、フェム」



 気を取り直して、対象を観察する。紙袋を持っているのだろう人間の魔素の光はそこそこに強い。ハルディアにはマヤのように極端に魔素の少ない人間はまずいないが、それでも防御の固そうな人間の方が声をかけるのに抵抗がないのは確かだ。認識阻害の外套があれば、こんなことを気にする必要はないのだが。


 このままだと、すれ違ってしまうな。足音からするに――木製の底のサンダルで、小柄で、おそらく女性だ。カナリー屋は観光客が行くような店ではないから、土地勘がある可能性も高い。魔素の流れに訓練慣れした様子はなく、ケンカを生業とするような者ではまずない。問題ない。いける、はずだ。



「すまないが……、んっ、すみません」


「わっ、えっと……ぅわ」



 よし! 立ち止まらせることができた。無視されたらどうしようかと思っていたのだ。


 女は、驚きを声にしてそのまま固まってしまった。当然だろう。こちらに歩いて来たのだから、俺のことは見えていたはずだが、内心はきっとこんな感じだ。「うわっ、一人でほっつき歩いてる従魔いるし?! なんでこっち見てんの? ヤバ、知らんぷりしとこ……」そこに俺が話しかけてくる。叫んで逃げないだけマシだ。


 ふー。落ち着け俺。よくない想像はいくらでもできるが、今この場においては何の意味もない。話せばなんとかなるはずだ、やればできる。よし。


 出来る限りの現代風の発音と柔らかい口調を心掛けつつ、セミルの書いた地図を見せて説明する。



「フォトスタジオ漣という店を探しています。このあたりだとは思う……のですが」


「んっ、ちょっと見せてくださいね」



 初めは互いにぎこちなかったが、なんとかなりそうだ。会話とは、取り合えずは害意が無いと、互いに安全を確認した上で行う情報通信なのだ。


 女にメモ用紙を見せると、すぐに答えがあった。



「あー、これ、カナリー屋の数件隣ぽい。近くだし、一緒に行きます?」


「……お願いします」


 小柄な女は「うん、いこいこ」と答えて軽快に動き出したものの、数歩歩いて足を止めた。


「えっと、どうしたら、いいのかな? 手を貸したりした方がいい?」


「ん、ああ。……お気遣いなく。魔素は見えるのですが、建物などはあまり」


「あー、生き物とか木とかは見えるんだ。へぇー」



 カラフに来てから気づいたことだが、大抵の人間はフェムを見て、俺の目が殆ど見えていないと判断するようだ。


 魔素が見えると言えば大体伝わるのもこの土地だからなのだろう。気が楽で助かる。ニナとイシュミルの街を歩いた時は、俺が人の多さや街に慣れていないのもあって腕を借りたが、この女の魔力なら見失うこともあるまい。


 フェムも紙袋に執着したままだし。余程カナリー屋の袋が気になるのだろうか。アレイナに懐いていたしな。フェムにとってこの紙袋は、お気に入りのモノが出てくる魔法の袋なのかもしれない。


 街のざわめきに、ピュイピュイと鳥の囀りが混ざる。少しの間を置いて繰り返す。録音か何からしい。

 気を引かれて音のする方を見れば、人の腰ほどはある魔素を帯びた丸っこいものが二つ並んでいた。何かのオブジェか。目印に覚えておこうと、案内役の女に尋ねた。



「ここは?」


「ここがカナリー屋。ピヨピヨしてるから、わかりやすいよねぇ」


「なるほど、確かに」



 カナリー屋を後に数軒歩くと次第に何とも言えぬ強烈な香りが漂ってきた。入り口は開け放してあるのか、中にぎゅうぎゅうに人間が座っているのが見え、外には店に入り切らない人間が並んでいる。食事を供する店だとは思うのだが、何を食わせているのかまるでわからない。そこを過ぎると、通りの喧騒は一旦落ち着きを見せた。


 先を行く女が問う。



「枝持ちの魔物は、みんな魔素が見えるの?」


「おそらく違う……と思います。俺のこれは、単なる魔眼ではないかと」


 歩きながら答える。少し面白い。この人間は、俺が頑なにそう思っていたように、そういう魔物だから魔素が見えるのではないかと考えたわけだ。一方で俺は、説明の簡便さのために魔眼という概念を借りる。



「あー、そうなんだぁ。魔素が見える子、たまにいるもんねぇ。あ、ついたついた。ここ」


「助かった、ありがとう」


 安心のあまり素の口調が出てしまった俺に、女はいえいえと軽く返す。入り口に触れる。んー、これはガラスか。


「そこ、引き戸だよ。中はガラス張りのカウンターがあって、カメラとかいっぱい並んでる。いけそ?」


「ああ。なんとでもなる、と思う」



 見えないのは何とでもなるのだが、証明写真を撮るというのがどのようなことなのか想像もついていない俺にとって、店員とのやり取りの方が不安で仕方ない。


 そんな内心を隠して女と別れた後、俺はカラカラと引き戸を開けた。








「ぃらっしゃいませー」



 踏み込んだ瞬間、店員の声がかかった。耐えろ俺。俺は何も怪しくない、ただの客だ。


 ガラス張りのカウンターというだけあって、内部の構造に魔素は殆ど見えない。奥からは、何かが動く音が絶え間なく聞こえ、酢のような独特の匂いが流れてくる。見える範囲には人間が二人。一人は忙しなく歩いて奥の部屋に消えていった。声をかけてきた方がいる所がカウンターだろう。


 ぼんやりとした印象の赤色の魔素の流れが、きゅうっと鋭くなった。見るからに緊張している。クソッ、緊張しているのはこっちもなんだ。近づいて、恐る恐る話しかける。



「証明写真を撮りたい……のですが」


「はいよ、証明写真ね。寸法と枚数はどうします? 何に使うかで寸法が違うからね」


「職安に……ああ、そうだ」



 俺を追い立てたセミルが、いつもの万年筆で必要なものをメモしていたはずだ。伝言を添えてあると言っていたな。なになに……



 ――セミルです。ディーの所に僕の友人の従魔が行くのでよろ。六本枝でディーが驚くのが楽しみ。イルさんは光はあまり見えてないっぽいけど、魔素視があるんで、身体強化をかけてジェスチャーすると捗るはず。アピール用の写真はディーとベルのセンスで撮ってやって。ベルの気に入る素材だと思うから。

 それと、今年も海キャンプ行く? 行くならイルさんも連れて行きたい。ディーとベルの空いてる日を見繕っておいてよ。



「……素材、とは」


 はぁ。まぁ、いいか。実際俺の取り扱い説明書としては、そつなく書けていると言わざるを得ない。海云々も気になるが。



「ここに書いてある通りで。セミルからの伝言も」


 面倒になった俺はそう言って、店員の男に紙を渡した。店員はうんうんと内容を確かめる。セミルを信用しきっていたが、今になって若干不安になってくる。


 店員がカウンターに少し身を乗り出して距離を詰める。視線が苦しい。少しも気が抜けない。



「セミルの友達なんだ、なるほどね。従魔のお客様なんてクワタロー以来だし、枝持ちと話したなんて生まれて初めてですよ」


 クワタローって誰だよ。うきうきと語る店員に若干引き気味になる。にしても、友達か。悪くは無い。


「……まぁ、実際珍しいので」


「しかも六本。ふぅぅー、すごいね。 迷宮の管理者をやってらしてるんです?」


「ん、いや……今はフリーだ。無職、そう。無職だな」


「無職」



 大抵の人間は枝を見て俺を管理者だと考えるようだ。六本は枝持ちとしては多い方だが管理者としては最低条件に近い。そもそも、管理者が迷宮の外に気楽に出歩けるものだとは思えない。


 人間が管理者に抱く印象には、未だ理解が及んでいない。迷宮譚やらの影響で妙な期待があるように見受けられる。特に若い世代においては。

 ニナ風に例えればエルフ枠なのだろう。やたらと恐れられるよりは、まぁマシだ。


 ともかく――



「無職だからして、就職に写真が必要な訳だ。全部で料金はいくらかかる?」


「ええと、4かける3センチの履歴書サイズを四枚。これは、四枚一組で1500グラン。それと大判で全身写真をお任せでとある。うーん……」


「何か問題が?」


 店員は「見本を出すから待ってね」と断り、後ろを漁るとすぐに戻ってきた。板のようなものを何枚か手渡して説明を始める。


「就職活動でアピール用の写真をつけたいならキャビネ版……うん、それだね。そのくらいの大きさが欲しいです。普通こういうのはモデルさんや服飾業界の人が撮ることが多いんだけど」


 硬い厚紙の枠だ。写真がはめ込まれているのだろう枠の内側をなぞる。大きめの便箋の半分くらいか。俺の手帳よりはずっと大きい。


「結構、大きいな。写真の事は全くわからないが、いい値段がするのでは?」


「そうだね、セミルのよしみ価格で安くしても、ん〜、5000グランかかります。出来上がりの大きさよりもフィルム代と撮影と現像の技術料ですね。大きいフィルムで撮って高画質にするし、メイクやセット、ポージングまでこだわって撮影するからね」



 5000グラン!


 予想外の出費だ。いや、撮影云々を考えたら安いくらいなのだろう。就職のためにこれほど金が飛んでいくとは。そもそも、これは本当に必要なのか? セミルが言うからには意味がありそうだが。


 片手を顔にかざしてあからさまに悩みのポーズを取っている俺に、店員がここぞと手を叩いて切り出した。



「そこで、なんと、これがタダになる方法があるんです!」


「……とても、怪しいが、聞きたい」


「店の表のショーウィンドウに見本の写真が飾ってあります。それで、君の写真を引き伸ばして……」



 言いながら店員が両手に身体強化をかけ、人差し指と親指で直角を作り、小さい四角から大きな四角になるよう動かしてゆく。

 言いたいことはわかる。引き伸ばしの意味も。その大きさも。



「……引き伸ばして?」


「額にいれてウィンドウに飾ります。集客用ですね。ご協力頂けるなら、無料にしますよ」



 俺は即答した。



「5000グラン払う。証明写真と合わせて6500か。払うので、普通に宜しくお願いします」

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