中二病 vs 世界平和を狙う魔王

「行ったか……」


「助かった。イルさん、マジ、良プレイ。そっちから頼まれなかったら、僕が独断でやろうと考えてたくらい。天ぷらにしてない残りがあるし」



 マヤを見送り一通りの作業を終えたセミルが、休憩とばかりにテーブルにつく。部屋の掃除は昼から来る祖母とやるのだろう。

 彼の向かいに座り、静寂が訪れたラウンジに響きすぎないよう低く声を作った。



「冷凍モノより、生の方が効く。毎朝少しずつ混ぜろ。こっちじゃ魔力不足の子供にやることだ。俺の枝なら魔臓が自ら動くところまで持っていける。飯に対する解像度が低い女で助かった」


「ははっ。美味しければ正義って感じだよね、彼女。ちなみに食べれないものは確認してる。宗教で禁忌があったりするから。でも、マヤさんは食べれないものはないって」


 言われて、常識が足りなかったなと気づく。いや、セミルも食えないモノは聞いても魔物の枝を食えるかとは聞いていないのだから同罪だな。


「禁忌を守るような奴は、ハルディアには来ないだろうが。まぁ、一応、本人に続けるか確認はした方がいい」


「もちろん、そうする。はあぁ、疲れたあーー」



 言うなりセミルはテーブルに突っ伏した。お馴染みのポジション。緊張から解かれた青緑の魔素が、ゆうゆうと迸る。殆ど全身に魔素を行き渡らせる勢いだ。よっぽどだったんだな。


 セミルが片手を上げて手のひらで仰ぐ。



「ん、なんだ?」


「ジェスチャーが通じてない……イルさんって、あまり身振り手振りがないよね。それもそうか。イルさんと話す時はできるだけ魔素を回しておこうかな」


「確かに。盲点だった。見えないだけに」


 そんな自虐的な会話も、セミル相手なら苦にならない。セミルもずけずけと言ってくれる。それでいい。


「で、なんなんだ?」

「こっちに来て、顔を近づけて」

「ああ」


 テーブルに腕を乗せて、向かいに座るセミルに近づけば、俺の耳でやっと聞き取れるくらいの囁きが吐息と共に漏れ出してきた。


「落ち着かないってもんじゃないよ。イルさんと腕相撲しておいてよかった。あり得ない。あんな人間がいるんだ……」



 ハルディアでは、魔臓を欠く形質は遺伝的に淘汰されているし、魔臓さえあれば、どんなに魔力が弱くても必要最低限の防御力は早いうちに身につく。母体からの供給や食事療法で何とかなるからだ。


 ウサクの村でも何人かは、俺の恩恵を受けている。そういう理由で枝を人間に与えるのは、さほど嫌いではない。


 ハルディアに生まれて魔素に対して無防備な人間はまずいない。

 魔素が殆ど無い人間は西方のグレシー教国に多いが、連中はハルディアに好き好んで来はしない。マヤのような物好きを除いては。



「腕相撲しておいてよかった、か。逆ではないのだな。制御に自覚的になるからか?」


「そうそう。あの時さ、無防備な腕を前に、止まらない勢いで術が発動したやつ。今なら、威圧されてても自分の制御で止めれると思う」


「ほう……」


「今は弾の中身は一旦放っておいて、いつトリガーを引くか引かないかを、そう、自覚する練習? 術の発動と心構えを手順化しておくというか……」



 正直、関心していた。


 俺よりセミルの方が必要なことに気づいている。術者本人だからこその気づきもあるだろうが、俺の教え方は結論を急ぎすぎたと今更ながら思う。



「あの腕相撲は投げっぱなしすぎたな。生徒が自発的で助かった」


「投げられなかったら、今の場所にいないよ。でさ、安全装置は二つある。対象の魔素の支配域に踏み込んではならないという壁。もう一つは、自分の制御。前者が機能するかは、自分がどう思うかでなく相手の魔素ありきだ」


 相手の魔素ありき――つまり、完全に無防備な相手には、支配域に踏み込んではならないという忌避感は働かない。そもそもの支配域がないのだから。


「そうだな。俺がマヤを見て不安に駆られなかったのは、制御に絶対の自信があるからだ。だが、マヤが問題を起こさず旅行してきたのも事実だ」


「僕だけが何故ここまでビビったかって事だよね。一番は特性の違いかな。生体コントロールは、というか僕の魔素の特性が、他者を支配したがりだから」


「支配したがり……」



 セミルがテーブルから顔を上げて、俺に向き合う。



「……イルさん風に言えば、本能的にそういうものだとわかる」

「……なるほど。そりゃ反論できん」



 それだけ言って、セミルは再びパタリと突っ伏した。

 真似をして、突っ伏してみる。ふう。確かにこれはいい。出窓から緑を翳して降り注ぐ日差しが、程よく暖かい。


 それにしても、支配したがり、ときたか。

 同じように俺も顔を伏せたまま小声で囁く。聞こえなければ、身体強化を使うだろう。



「俺がこれを聞くのは卑怯だが、後悔はしてないか?」


「するわけがない。銃は元々あって、腕相撲をしたから存在に気づいたんだ。何も知らないでマヤさんに出会っていたら、手が滑って暴発が絶対に無いとは言い切れない」


 少しの間も置かず答えが返ってきた。その迷いの無さに、問いかけた俺の方が言葉に詰まる。


「……そうか。暴発事故は人知れぬ形で起きているのかもな」


「ま、安全装置が無くても、手に包丁を持ちながら人に向き合うのが落ち着かないってだけで、本当に包丁を刺すかは別でしょ」

 

「そりゃそうだ。それに、別に術でなくたって、他者を害する手段は山ほどある」



 セミルの軽さに合わせて、そうは言ったものの、これも詭弁かもしれない。全てを個々の制御と心構えだけでどうにかするなんてのは、取り得る現実的な手段ではあっても、同時に理想論に過ぎる。


 この地で厳しく銃器が規制されているように、魔国の人間が渡航できない国もある。マヤの国から見れば、セミルは凶器だ。勿論、俺も。

 だが、俺たちには術があるのがあまりにも当たり前だ。マヤのような人間にでも会わなければ、こんな事は考える機会もない。


 マヤが稀有な人間なのか、西側の人間でも「本当に包丁を刺すかは別」なことをすぐ理解できるのか。それは分からない――いや、簡単に済むなら渡航制限などとっくに無いだろう。まぁ、西側では物理的にも法制的にも術対策が足りないとか色々あるんだろうが。


 考えに耽る俺に、セミルが続ける。



「事故を聞かないのは、使い手が単純に少ないのもありそう。属性視並みじゃない? 下手したらもっと少ないかも。術による医療を受けられる場所も限られるし」


「そこまでか……」


「国や迷宮連は必死に術者を探し回ってる。安全のためでもあるんだろうけどさ。見つかれば特別コース行き。断る自由はあることに一応なってるけど、色々アレ」


「面倒な……」



 ようやく、セミルがありえないと繰り返していたのが本当の意味で理解できた気がする。正直、もう少し数もいるものだと。それこそ町医者くらいいるのかもと思っていた。

 危機感が足りていなかったと内心焦る俺に、語気を強めたセミルが追い打ちをかける。



「僕が、アレイナさんにも言わない理由がわかった? 僕はジュブナイルの主人公じゃないんだ。この伏線は一生回収されない。秘密を破ってどこかで活躍するとか、そんなの、物語の中だけだよ」


「ああ。俺も認識が甘かったな。それにしても、よく今まで見つからなかったものだ」


「うん。僕は魔国であるハルディアの、何かと大雑把なインサナディアの、その中でもウサクというクソ田舎で育ったのが運が良かった。ふふっ、これはイルさんもだね」


「……俺も」



 伏せた目の前には何も見えない。いや、テーブルに残る魔素がまばらに揺れている。ほぼ暗闇の中で、目を閉じて。静かに大きく息を吐く。


 雀のさえずりがはたと止んで、セミルの微かな息遣いが聞こえた。



「そうだな……全くだ。……ん?」



 認識の端に引っかかりを覚えて身を起こす。重い扉が音を立てて、来訪者を告げた。


 セミルが席から立って、呼びかける。



「アレイナさん!」


「おはようございます。……二人とも、何をやっていたのですか?」


 アレイナなら唇を読んでも驚かない。突っ伏していて正解だったな。見た目はアホだが。うーん、面倒だ。この対応はセミルに任せよう。


「魔素操作の訓練。瞑想みたいな? 僕は術が使えないから、せめて操作はと思って。イルさんに見てもらえるのは、正直インチキだよね」


「それは、素敵ですね。私も教えを請いたいくらいです」



 上手い。セミルは何も嘘をついていない。俺がアレイナに教えることはあまり無さそうだが。


 雑属性という俗語があるように、特性が不明なままなのはそこまで珍しくはない。わかりやすい属性の区分ではなかったアレイナだからこそ、なぜ鑑定アーティファクトを申請しないのか、とは言いにくいだろう。


 期待通り、セミルはサクサクと話題を回した。


「アレイナさんの制服姿、初めて見たな。すげー、かっこいい。めちゃくちゃ、仕事できそう。今から勤務?」


「はい。早めに出てこちらに寄ったので、数分でしたら時間があります。イルさんの服の直しが全部仕上がったので、お届けに」


 それを聞いて俺も席を立ち、二人の元へ向かった。アレイナが手早く説明をして、俺に紙袋を手渡す。


「流石だ、裁縫の神。今回のこれは取引という体だが、今後直しを頼む時には対価を払う。俺たちは友人同士だ。そういう設定だからな、気楽に対等にだ」


「ええ。何かありましたら、気兼ねなく仰って下さい。あとは、ええと、引っ越し先は決まりました。先輩はあの持ち物の少なさなので、部屋はもう空いています。詳しくはデフネさんに聞いてもらえればと」


「そりゃいい。今日か明日にでも行く」


「では、これで」



 時間の余裕はないのだろう。会話は短く玄関先だけで終わり、アレイナが立ち去ろうとする。セミルがアレイナを追って、ドアの向こうに飛び出した。



「お仕事、頑張って!」


 セミルの呼びかけに、アレイナが立ち止まる。俺も何か声をかけるか。そうだな――


「大洋に輝きあれ」


 俺が唱えた句に、アレイナの小麦色の輝きがすっと、巡らされた。殆ど無意識の反応だろう。程よい緊張をもって姿勢を正し、アレイナが俺に返す。


「島々に永遠あれ」


 滑らかで凛々しい声。軽く礼をしたのち、アレイナが走ってゆく。



「やっべ。流石にサマになるなぁ」


「役所が開くまでまだ時間がある。瞑想の続きをしようか」



 さっきまでと同じように席につき、テーブルに腕を乗せて寄りかかる。なんだったか、そう、クソ田舎は平和だという話だ。



「セミルの、その……親戚は大丈夫なのか?」


「親戚は、大体、僕よりかなり魔力が弱い。僕はまぁ、軽い先祖返りみたいなものだから」


「なに? 耳の裏に毛が生えてるのか? それとも尻にアレが」


「ぷ、全然ちげぇ。尻て。ここ、ここ」



 セミルはずっと魔素を回していて、俺にも動きが見て取れる。フェムの助けでもふわっとしたシルエット程度は見えるのだが、魔素が巡っていると実感の伴い方がまるで違う。


 彼の指先は頭の後ろあたりを示していた。髪か何かに特徴があるのだろう。



「触っていいよ。触らないとわからないでしょ」


「そう、なのだが。こればかりは、なかなか心理的障壁が……」


「グズグスしないの。21歳でしょ。僕がいいって言ってるんだ」


「クソッ、そこまで言われたら、仕方ない」



 やられた。

 そこで21歳ネタを使われるとは。


 恐る恐る、セミルの頭に手を伸ばす。滑らかな髪が指の間を通る。先の方に辿ると、段々と硬い弾力のある感触が増えてゆく。髪より太い。しなやかにした葦のような。そこで一旦紐で結んである。長い。意外だ。



「てっきり、セミルの髪は短いものだと。まぁそれも今、意外だなと感じて、そこで初めて思い込みがあったことに気づいたという」


「イルさんは、もう少し人の容姿に興味を持ってもいいかもね。そこ、そこから先」


 さらに先を辿る。しなる太い軸の周りに櫛状の広がり。一方向には滑りが良いが、逆さに撫でるとなんとも言えぬ引っ掛かりがある。非常に細かい構造が無数に繰り返しているせいか。


 全体としてひらひらとしている。そのひらひらの端を摘んで捻ると、櫛を裂くように割れた。しまったかと撫でて揃えれば、あっさりと元に戻る。


 んん、これは――



「わかった?」


「待て。形は違うが、知ってるものだとは思う。最近似たものをどこかで……ふわふわの生き物で、ああ。ビークだ。鳥だ鳥、羽根か!」


「正解」



 触り心地が楽しくてクセになる。ビークはすぐに嫌がったが、セミルはおとなしい。


「……気に入った。一本くれ」


「えっ。まぁ、いいか。長いやつを適当に一本切っていいよ。人の髪を欲しがるの、ちょっとキモって感じあるけど。イルさんのそれは単純に好奇心だろうし」


 俺の枝を天ぷらにしておいて、それを言うのか。あの言い分だと、殻も保存されてそうなのに。



 目を凝らせば、羽根の軸に若干の魔素が見える。これまでも見えてはいたと思うが、触れて理解して、初めて構造が意識にのぼったのだ。


 特に魔素が残る一本を選んで、身体強化をかけた爪で丁寧に折った。30センチはあるな。羽根のように軽い、という慣用句を体感する。宙で振ると強い空気の抵抗を感じた。


 この構造は、確かに宙を掴む為のものだ。セミルの遥か祖先は、空を飛ぶ魔物だったのだろうか。生きた迷宮なら、空を飛ぶ魔物を満足させるほどに、広い空間があったのだろうか。そうでなければ、満足できない故に地上を目指して、人と交わったのかもしれない。



「そんな風にしていると、なんだか、子供みたいだ」


「そうか。言葉で知っていても、というのが多いからな。ものを知らないという意味では、俺は子供並みだ」


 羽根を振る。空気を切る音が二人だけの部屋に響く。会話が止まる。テーブルの下でセミルの脚に自分の脚を当てると、すぐにやり返してくる。無意味な戯れ。


 セミルが再び腕に顔を埋めた。本当に小さな呟きが聞こえてくる。



「――もし、ハルディアが戦争になって、何もかも壊されてさ、護るものがもう、自分自身と荒れ果てた土地しかない。なんてなったら」


 急に何をと思い、羽根で遊ぶ手を止めて黙って耳を傾けた。


「僕は対生物特化の殺戮機械にでもなろうか。そんな気持ちが、僕の中に微塵も無いと言えば嘘になる。けどこんなのはさ、中学二年生にしても杜撰な妄想なんだ。

 現実は、正規の訓練を受けて近代兵器を使った方がいいし、そもそも僕が生きている間に総動員がかかるような戦争なんて無いだろうし、起きて欲しくない」


「……俺が生きている間には?」


「なんて意地悪な質問なんだ! 僕はイルさんに長生きして欲しいけど、そうすればそのうちに戦争が起きる確率は上がるじゃないか。酷い二律背反だよ」



 まぁ、意地悪のつもりで聞いたからな。少し悪ふざけが過ぎたか。だが、悪ふざけを止めるつもりはない。


 椅子から立ち上がりセミルの肩を叩いて起こして、こちらを見ているだろうことを確かめた。左手にフェム、右手にセミルの羽根。両腕を広げて胸を張り、努めて尊大に言い放つ。



「ふっ。俺のとこしえの命と事なき世、もろとも願うがいい」


「……世界平和を狙う魔王かよ。魔王役をやるなら、二倍は枝の本数が欲しいね」



 ノリが悪い。チッと舌打ちをして、セミルの頭を小突いた。どうしてか戯れたくなるのだ。この青緑色の主張が、途切れることなく流れているからか。


 軽く笑って、セミルが続ける。


「願うだけなら当然。マヤさんに検閲の抜け方を教えたのも、平和な変化を願う私欲の現れだ。ただ、僕は、それが千年単位で続くと思えるほど夢想家でもないんだ」


「千年か。善処しよう。術は……そうだな。独学が困難であるなら、壊す方で活かすのもアリかもしれん。それもまた、現実的だ」



 知識と理解が弾を作る、確かに俺はそう言ったが――



「うん。弾の種類は適当でいい。狙いと引き金を引くタイミングさえ正確なら。そういう使い方もあるかも」


「そうだな。俺も今、同じことを考えていた。例えば――」


「選択性を持たせられるなら畑の中のヨトウムシだけ殺せたり、魚が取り放題。射程があるなら熊の心臓を止めてもいい。やべ、つよくね?」


 おそらくセミル自身、冗談だと自覚して言っているだろう。俺は鼻で笑って返した。


「非接触で行使できる術は限られている。射程を伸ばせる術は更に限られている。植物に話しかける時にも触れていただろう? そうでなければ右腕を犠牲になんて考えやしない。散ったやつなら魔力差で防げる見立てがあった。因みに、フェムの術が遠隔で発動して見えるのは、俺とフェムが互いに媒介になっているからだ」


「容赦ねぇー。わかってるんだよそんなことは。冗談にガチで返しちゃうの、マジ、イルさんって感じ」


「冗談なのは、わかっていたが?」


「はぁーー。まぁ、がん細胞を狙い撃ちみたいのはアリかも。どっちにしても医療寄りになると学ぶのも実行するのも難しいし、僕たちの思いつくことはもう実行されてると思った方がいい。せいぜいできてタケの駆除だ。魔素操作の訓練だけは地道にやっておこうかな」



 囁くのをやめて、大きくセミルは伸びをした。ずっと魔素は回したままだ。身体強化まではいかない、ギリギリのあたりか。実に滑らかで、この持続性は中々のものに見える。アレイナの魔素制御はインパクトの瞬間に精度を極める方向性で、セミルのこれは逆だ。軽負荷の出力をずっと続けるような。


 今のところ、その持続力は俺との会話を円滑にするくらいにしか役立っていなさそうだが、こんなひとときを生み出せるなら、それも悪くない。



「今何時だ?」


「九時ちょっと。職業案内所? それとも旧ゴリラ宅?」


 壁の時計を見てセミルが答えてくれる。旧ゴリラ宅で暮らし始めたら、俺にも見えるように細工した時計が欲しい所だ。


「正直な所、旧ゴリラ宅に行って新生活の準備にワクワクしたいが、現実的には職安に行かなければ……」


「世界平和は就職からだよ。ガンバレ」



 席から立ち上がったセミルに、ぽんと肩を叩かれる。クソッ、セミルが言うと何でも簡単そうに聞こえてくるから困る。


 職安に行ったら、自分で調べるものだと聞いていた。要するに、紙に書かれたものを漁らないとならないわけで、人の手を借りなければ困難だ。

 ばら亭はもう営業中だし、セミルには頼めない。それにいい加減、一人でなんとかしなくてはとも思う。図書館で代読が必要か聞かれたように、職員に頼めそうではあるが。


 羽を手元で回しながら悩む。そんな俺を見てセミルが嘆息した。



「はぁーーー。また、21歳で弄られたいの? イルさんのそれはさ、市役所の時にも大家さんの家でも思ったけど、視覚的な問題より、人見知りというか。一対一なら気を許した相手には饒舌になれるけど、人が増えると置き物になるタイプ」


「……はい」


 厳しい。全く否定できず、さらに小さくなる。セミルがしょうがないなぁと言って助け舟を出した。


「職安であれこれ調べた方が手早くはあるけど、最悪、登録して帰ってくるだけでもいいんだ」


「登録だけ? それ、もっと詳しく」


「履歴書と必要事項を登録しておくと採用側から連絡が来る仕組みがあるんだ。特に、特殊技能がある場合に強い」



 なに?

 それならなんとかなりそうだ。俺はがばっと顔を上げた。



「術はどうなんだ?」


「諺にもある通り、氷属性は就職で強い。でも使い手もすごく多い。温める、冷やす、流体操作、自己強化。この系統で術が使える全体の半数以上。だからわざわざイルさんを採用しなくてもと言えば、うん……」


「魔力があっても出力がしょぼいしな。魚屋はナシでいきたいし」


 セミルは顔を逸らしつつ語尾を濁したが、まぁ、そうだろう。氷属性は多いから、不利のある俺を採用する積極的理由はない。


 となると――



「特殊技能……か。人間ではないのと通常の視覚が無いという面倒を利点が上回るような仕事があるかだな」


「高強度の魔眼と、クソ強い身体強化と……あと、顔がいい」


「は?」


「この辺をウリに書いておくといいね。うん。証明写真の他に、アピール用のも欲しいな。マヤさんに紹介しようと思ってた現像所に、写場もあるからまずそこに行こう。初日に着てた服を着て行きなよ。ほら、万年筆貸して。地図書くから」



 は?


 セミルに椅子を引かれ、無理やり立たされる。不意に衝撃が背中に走り、テーブルに手をついて踏み留まった。酷い。身体強化の無駄遣いだ。何を!



「いいから、着替えてこい。ほら、さっさと動く!」



 文句を言う隙もない。別人みたいな低い声で叱られて、俺は客室へと向かう階段に押し込まれた。

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