二章 世界平和は就職から

*魔国に行ったら異世界でした

 このばら亭は、ボクの国でB&Bと呼ばれるタイプの宿に似ている。無駄に気取った所がなくてボクの好みだ。慣れないはずのベッドも、子供の頃に田舎の祖母の家で過ごした夏休みの夜を思い出すようで、期待と安心が絶妙な配分で混じりあい、不思議とボクを深い眠りに誘ってくれた。


 この季節の日が昇るのは早い。まだ眠たい目をもさもさと擦りながら、窓を開けて通りを見渡せば、野菜を積んだビークの引く荷車が宿の前を通り過ぎる所だった。


 これもハルディアに来て驚いたことだ。ボクの国では余程の田舎にでも行かなければ、騎獣の引く車なんて走っていない。しかも馬でなくてビークだなんて! ビークは迷宮の支配を受けないだけで半分魔物みたいなものだと聞いていたのに、ここではなんだか普通の動物扱いだ。

 ビークは鳥のくせにころころと硬く丸いフンをまとめてするので、フンの処理が馬よりも楽なのだとタクシーの御者が言っていた。確かに、街に馬糞臭さはない。


 ハルディアはボクにとって驚きの連続だ。


 ハルディアに旅行すると決心した時、ボクは周囲に大反対された。実家を出てからは既に長く、親には最後まで秘密だった。ハルディア語がわかる人を探したり、本を取り寄せて学ぶのもにも苦心した。でも絶対に後悔はしたくなかったから、こっそりと貯金と計画を積み重ねて、ボクはこの一人旅を実行するに至ったのだ。


 西方の国々でのハルディアの印象は良いものではない。特にマスコミに踊らされがちな年配の大人はそうだ。ボクの両親も数年前から政治的主義を拗らせてしまって、本人たちは何を言われても、それに気づきそうもないのがなかなかにつらい。彼らにしてみれば、ボクが異端なんだ。


 興味の無さと文化の違いと物理的な距離がかけ合わさって、勝手な偏見はいくらでも大きくなる。やれ、ろくな宗教がなく自然崇拝をしているとか、魔獣が野放しだとか、危険な民族主義のゲリラがいるだとか。


 なによりも、ハルディア列島を含む大東洋の島々に住む者たちは、純粋な人間ではない――ほぼ全ての住民が身体強化を行えるほどの魔力を持ち、半数以上は術を扱える、忌まわしい力を持つ亜人なのだと人は言うのだ。


 確かに、その一部は嘘ではなかった。この北の土地、インサナディアは特にそうだ。カラフィサールの駅に降り立った時の衝撃と言ったら!


 十分に近代化された優美なプラットフォームに降り立つ人々は、色とりどりの頭をしていて。よくよく見れば人間にはないはずの特徴を持つ者もときおり目に入る。そのギャップにボクは頭がおかしくなりそうだった。


 噂されるような野蛮人の国なんかじゃない。確かに時代遅れな所はあるけれど、清潔で文明的で。なのになんてファンタスティックなのだろう。


 純血に拘る連中に、この素晴らしさはわかりっこない。それも仕方ない。魔物の血はボクたちにとって恐ろしいものだから。一度混ざった魔物の血は、そうそう消えない。薄くなっても呪いのように子孫に影響を及ぼすのだ。


 あんな国でも先進国を名乗り、一応は迷宮連の加盟国だ。どんな血の人間でも基本的人権はあり、建前上は亜人差別は無いことになっている。でも、現実は違う。少しでも人間と異なる形質があれば結婚、ましてや子を作ることは許されない。そんな慣習と常識はとてつもなく根強い。


 強い魔力を持って生まれた者は保護という名目の元、マジョリティの安心のために管理下に置かれている。人生の節目節目で様々な障壁があると噂に聞く。

 混ざったものを消し去ることは困難だから、国レベルで余程の変化がない限りは排除し続けるんだろうなって、ボクの中の現実主義者は考える。


 それが、この土地ではまるで逆だ。何もかも混ざって、純粋な人間はいない。でも、彼らはそれが人間だと思っているんだ。


 特に大きく特徴がある者を先祖返りというらしいけど、ボクから見たら先祖返りを自称しない人にもなんかしらあったりで驚く。


 例えば、この宿のセミルさん。ぱっと見は気のいいお兄さんって感じの普通の人。ピュッと伸ばした後ろ髪を束ねてあるんだけど、そこにはなんか、飾り羽みたいにひらひらしたものが混ざってる。気になって聞いてみたら「そういう髪質だからね」で済まされてボクは訳がわからない。

 「緑や青の髪の人をわざわざ先祖返りとは呼ばないでしょ。何処からが先祖返りなのかなんて、皆考えてはいないですしね」と言われて、わかったようなわからないような。確かに、駅にはすごい色のすごい髪型の人もいた。アレって染めてるんじゃないの?! って更に驚きだよ。


 それに、眼鏡をかけてる人が殆どいないのも。聞けば、近視や遠視なら、かなりが無意識レベルの身体強化で補正されるからだそうだ。何それ羨ましい。

 体育とかどうしてるんだろう。ハルディア周辺の諸国は西方で行われる競技大会への参加が殆ど禁止されているし、一般の人の運動能力がどのくらいあるのか考えると少し怖い。


 ――そうだ。

 ボクはこの土地では弱い存在なんだ。


 舞い上がらないようにしないと。どんなに優しく見えても、ここの人たちは獣にもなれるんだ。


 おちつこう、おちつこう。朝の空気の中、深呼吸して、再び周囲を見渡す。



(あれっ、隣の窓が開いた?)



 姿は見えないが、今まさに板戸を外に開け放った所だ。隣に客がいたのだ。ボクは窓に身を乗り出して恐る恐る、けれどできる限りの元気の良さでハルディア語で呼びかけた。



「おはようございます!」


「んん? ……ああ、おはよう」


 返ってきたのは男性の声だ。低く乾いた、少しぶっきらぼうな感じの。

 ボクが昨晩チェックインしたのは遅かったから、多分入れ違いみたいな感じでまだ顔を合わせていないのだ。どんな人だろう。



 足取りも軽く洗面所に向かい、身だしなみを整える。軽く手早くメイクをして、鏡に映る見慣れた顔を確かめた。


 普通の中の普通って感じ。くすんだ焦げ茶の髪。所々に赤毛が混ざる。同じような茶色の瞳。美人でもないし不細工でもない。幼い頃はクソガキと呼ばれた、少年臭さの抜けない目つき。肌の綺麗さにはちょっと自信がある。

 旅立つ前に、髪はばっさりと短くした。可愛らしさに乏しいと自分でも思うけれど、異国の旅先で男に媚を売っていると思われるのも危険に違いない。きっと、このくらいでちょうどいい。


 散々、女らしくしろ、と言われた反動かもしれない。この旅を機に、生まれ変わりたという願望の現れかもしれない。



(よしっ。今日も一日満喫するぞっ)



 ボクは扉を開けて廊下へと踏み出した。偶然を期待して向こうをみれば、やっぱり! 隣の部屋の人も今出てきたみたいだ。


 背が高いな。それに、



「……ぁ、え」



 ボクは声を失った。隣の部屋の人は人じゃなかった。


 褐色というよりは灰色の肌。ほんのりと色付いた銀の髪、銀の睫毛。長く尖った耳。そこまでなら、学生時代に親に隠れて読んだ、ちょっとえっちな小説のダークエルフみたいで。けれどそれだけではなくて、黒光りするツノに、同じ色の爪。緩く背中の開けられた服からはよくわからないものが幾つも生えている。何、これ。視線が自然とその根元まで誘導されてしまう。大きな鱗のような構造が身体を覆っているのが服の隙間から見えて、ボクは震えて後ろに倒れ込みそうになった。一歩後ずさって、なんとか耐える。でも、声が出ない。


 どうしたら、どうしたらいい。

 感じたこともない重圧の中で、何故か頭の隅だけは冷静で、目の前の人じゃない人を観察している。


 胸の上で何か揺れている。これは、知ってる。迷宮連のパンフレットで見た。従魔標だ。そうだ、この国では従魔が普通に施設の外にいるんだ。でも、こんな。従魔ってことはやっぱり人ではなくて魔物で、魔物が宿に泊まって、どゆこと? やっぱり意味がわからない。



「あぅ……」


 ボクの意志とは関係なく、片膝の力が抜けた。反動で顔を見上げる。


 目が合った。明るいアンバーの瞳は困惑に満ちてボクを見つめて……いや、見てはいるけれど見つめてはいない。ボクの……ドコを見ているんだろ。何か、違和感。


 薄い唇が動いて、窓から聞こえたのと同じ声がした。



「……っと、人、だよな?」


「はい。ボクは人間です」


 何を答えているんだ。こんなアホな会話はハルディア語の教科書にもない。でも、基本的な文型だから、すぐに答えることができた。全くもって、そういう問題じゃないけど。



「ちょっと失礼……」


 そう断って、彼は屈んでボクに手を伸ばしてきた。あうう。近い、近いよ。逃げ出すことも出来ずに固まっているボクの、肩と腕に、ふわりと長い指の先が触れる。


「……なるほど。認識阻害の衣服を身につけているわけではない。魔臓不全か。魔盲ではないから、何もしないで威圧が素通しなのか。困ったな。動けそうか?」


 わからない単語が幾つかあった。でも何か、彼なりに納得したみたいに見える。最後の問いかけはボクにも理解できた。



「できない、です。すみません」


「セミルを呼んでもいいが、そうだな。すぐ戻るから待ってろ」


 言って、彼は自分の部屋に一旦戻っていった。その時、ボクは彼が手にしているものに気づいた。白く細くとても長い杖。そういうことか。ここまでの、ちぐはぐなやりとりの理由にようやく思い当たったのだ。



(それにしても、人か? なんて聞くかな。魔物だから?)



 向こうの扉が開いて、彼が戻ってきた。


 黒くて丈の長い季節外れの外套を着ている。フードまで被って、どこかのアサシンのコスプレみたいでとても怪しい。なのに妙にサマになっていて、やっぱり意味がわからない。



「どうだ、動けそうか? 手を貸そう」


 え、いや、なんで着替えて来たらボクが動けるようになると思うの? 意味が……ん?


「アレ? 動く。動くできます!」


 なんでだよ!

 意味がわからないけど、ボクは彼の手を取ると、そのまま滑らかに立ち上がった。



「どうせ一緒に飯を食うからな。じゃ、下に降りるか」


 ボクは疑問で一杯になりながら、彼の後をついていった。何もなかったように足が動く。


 ああ、ハルディアは本当に驚くことばかりだ。

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