天ぷら蕎麦で腹ごしらえ

 一階への階段を登る。上から聞こえるのは、パチパチと弾けるような音。この出口はダイニングの奥に繋がっていたはずだ。



「上に誰かいる……いや、警戒の必要はないか。靴ではなく、つっかけか何かを履いてる。多分、一人だ。料理? しているらしい」


「あっ、ばぁちゃん来てるはず。イルさんのことは、ばぁちゃんも知ってるから、普通に出て大丈夫。地下について何か聞かれたら掃除を手伝ったとか適当に。アレイナさんは友人関係ってことで」


「了解しました。これからもこの関係を続けるのなら、何一つ嘘はないことになりますね」


 アレイナは平静に答えたが、その内心はどうだろうか。


 互いが友人だと思えば友人なのだ、とは村の猟師の言だったか。案外、そんなものかも知れない。俺たちは会って数日だが、この際深く考えるのはやめだ。


「ああ。アレイナ、すぐにでもそいつの元に行きたいだろうが、飯くらい食ったほうがいい。作戦もある。続きは上でだ」



 扉を開けると香ばしい香りが広がり、セミルに少し似た、だがもっと深い緑の光が見えた。歳を経た者らしい、ゆるやかで落ち着いた魔素の流れだ。


 すかさずアレイナが挨拶し手伝いを申し出るが、いいからいいからと席に着かされる。俺は初めからそのつもりもない。なんとか厨房になんとかだ。意味は知らないが。



「セミル。とても、あんたが連れてくるような女性には見えないね」


「うるさいな。どうせアレイナさんはイルさん繋がりだよ」


「そうかい、そうかい」


「……イルさんのほうが、納得されるのも気に食わねー」



 揚げ物の小気味よい音が二人の会話を彩った。セミルの祖母の手元に目をやれば、調理の熱を和らげるためか、魔素が走るのが見える。


 これも魔素操作の面白い所だ。生物の肉体のピークは若いうちにあるが、魔力と魔素操作は生涯に渡って成長する。歳を経た人間が、こうした魔素操作を行っているのはよく見かける。ほとんど無意識のものだろう。


 昼食の支度が終わるまでもう少し掛かりそうだ。いつもの手帳を出し、普段使っている方向とは逆側から新しい頁を開く。万年筆を添えてアレイナの前に差し出した。



「俺はまだ、住所不定だ。できれば、アレイナにこちらから連絡できる手段が欲しい。職場は流石に不味い。知り合いで電信がある家はないか?」


「そうですね。私はまだ新人ですので、寮住まいです。寮に電信がありますので、それで。寮といっても、規則は厳しくありませんし、伝言や取り次ぎを頼んでも詮索まではされません」


 そもそも、私とイルさんは友人同士ですし。そう呟きながら、アレイナはさらさらと手帳に書きつける。


 手帳を受け取り内容を確認する。住所と簡単な地図。それと電信の番号。名前。書類で見るような文字とは異なり、お手本的な達筆ではないのだろうが、独特の優雅さのある筆致だ。特に数字の斜めの線が、上下の並びから飛び出して、すっと伸びている所がなんとなく気に入った。


 今日の日付と。あとは、髪は金髪だったか。その下に書き加える。



「目の色は? ああ、特に深い意味はない。聞かないとわからないので、聞くようにしている。セミルにも聞いた」


「なるほど。目の色は水色です。イルさんは、その、記録魔だったりするのでしょうか」


 水色、と。水そのものには色が無いはずだが、水色と人や精霊は言う。ん、いや、水に色はあるのだったかな。まぁ、いいか。


「そういうわけではないが。俺もいい歳だし。記憶力にあまり自信がない」


「確かに、ご高齢ではありますけど。とても、そんな衰えがあるようには……」


「冗談だ、冗談。魔物ジョーク」



 あまりにアレイナが真剣に返すので、自分で冗談だと言う羽目になった。


 俺の寿命がどの程度あるのかは知らないが、そこそこあるだろう。数千年と続く迷宮だ。管理者とやらがちょくちょく代替わりしても効率が悪い。俺が生まれた理由を思えば、寿命自体はありそうだが。


 この二日間で色々と書き付けた手帳をぱらぱらとめくる。



「衰えがあるわけではないが、俺は元々、人間への興味が薄い。こうも長く生きていればなおのことだ。……そうだな、これは。楽しく生きるための、俺なりの、工夫、だろうか」


「……楽しく生きるための工夫」



 飯の準備ができたらしい。配膳に来たセミルが雰囲気をぶち壊した。


「アレイナさん。さっきの地下室でもそうだけど、イルさんのちょくちょく出る古風な発音と、人間離れした容姿に飲まれすぎ。発音は年寄りだからだし、人間離れしてるのは魔物だから当たり前。今のを分かりやすく言えば、人間を覚えるのは苦手だから、覚えておかないと面倒になりそうな奴と使えそうな奴はメモしておこう。このくらいの意味」


「……あのなぁ」


 俺の不満を無視して、セミルがテーブルに器を並べた。文句は言いたいが、それほど間違ってもいないのが何ともだ。


 手帳を埋めようと思い立ったのは、ニナと喫茶店で過ごしていた時か。ほんの思いつきだから、いつまで続くかはわからない。



「で、アレイナさん、蕎麦は食べれる? アレルギーとかない? 先に聞いておくべきだったけど、ばあちゃんがもう作り始めてたからさ」


 これも今朝の味噌汁と同じく、魔素の残る器だ。触れると、竹で固く編まれている。村では様々な用途に、この手のざるを使っていた。


「はい、お蕎麦は好きです。あの、突然お邪魔したにも関わらず、お昼までご馳走してくださって……ありがとうございます」


「うん。そんなに固くならないで。友達の家に遊びにきた、くらいのノリでいい。そういう設定だし。イルさんもさ、見えないものあったら聞いて。できるだけ、見えそうな器を使ったつもり」



 なるほど、それでか。俺だけつゆの器が違うようだ。正直、見える見えないより、左手一本で食わないといけないのが面倒だ。まだ全く、右手が使える気がしない。アレイナは隣で上品に蕎麦をすすり始めた。


「あーー。そうだった。イルさん、多少食べ散らかしても片付けるから気にしないでいいよ」


「ああ。助かる。丸一日経っているが、思ったよりも回復が遅い。まぁ、確実に治ってはいる」


「とても香ばしくて、美味しいお蕎麦です。イルさんでも丸一日治らない怪我なんてあるのですか? 魔獣の回復力は、私達としては対策を練るほどなのですけど」



 蕎麦を口に含む。麺類には苦手な印象があったが、意外といける。もしかすると、小麦粉が苦手なだけな可能性はあるか。もっと薬味を増やせば食べやすくなる気がする。


「俺は多分、そこまで回復力に優れてはいない。セミル、ネギもっとくれ。あとこのなんか、辛い葉っぱ。これがあるとかなり食べやすい。普通に旨い」


 ほいほいとセミルが葉っぱを俺の器に追加した。魔素がよく乗っているのは、採れたてだからか。


「その辛い葉っぱは金蓮花。ここで採れたやつ。蕎麦の薬味にすると旨いんだ。イルさんの普通に旨い、は多分かなりの褒め言葉のはず。刺し身のツマに夢中になってたし、好きだよね。薬味系」


「だな。シソとかな」


「天ぷらも食べてみて。塩でもつゆでも」


 アレイナの疑問がそれとなく流された。地下室でもセミルは自分の術のことを話していなかった。俺が考えていた以上に、生体コントロール系の特性を国側の人間に知られるのが面倒なのだろう。



「そういう、ものなんですか。あっ、この天ぷら、なんでしょう。白身魚のような食感で、エビのような風味で、ほどよい脂がのった充実感もあって……なんといいますか、とても贅沢な味がします。こんなに美味しいのに、大きくて食べごたえもあって。そういえば、この天ぷらを揚げられていたお祖母様はどちらへ?」


「その天ぷらの素材が、結構痛みやすくてさ。宿泊客が来るまで全部は持ちそうもないし。なのに大量にあるから、これはいけないと天ぷらを沢山揚げたみたい。さっき、おすそ分けしに行くと外に持っていったよ」


「……セミル、まさか、これは」



 件の天ぷらなら既に口に入れてしまった。俺が肉をあまり食べないのは、他者の魔素の支配域が残る感覚に敏感だからだ。味は嫌いではない。魚も同じだが、肉よりも味が好みなので、あまり気にせず食べている。


 この天ぷらは、全くその感覚がなかった。

 ただただ、純粋に旨味が感じられ、これほど食べやすい肉があるのかと驚いた。


 箸を止めて確かめる。高熱の油による調理で幾分か飛んでしまっているものの、よくよく見れば食べかけの天ぷらの断面から覗く魔素は見慣れた色。


 当たり前だ。



 ――これは他者ではない。



 セミルが楽しげに答える。



「うん。普通に旨そうに食べてたよね。イルさんの魔枝の天ぷら」








 天ぷら蕎麦を食べ終えた後、俺たちは一階のラウンジに移動し、作戦を練ることにした。ここはやはり落ち着く。様々な緑の香りと豊富な魔素は、どこかウサクの村を思い起こさせる。



「味はエビだった……俺は、魚屋で売られる存在」


「普通の魔枝も十分に美味しいのですけど、あれほど贅沢な味のものは初めてです。あの天ぷらが魔枝だとは、すぐに気が付きませんでした。流石に格が違うと言いましょうか。イルさんがどんな存在なのか、よくわかります」


「魔枝は山のエビと呼ぶ人もいるね。アレイナさんの贅沢な味という表現はすごく的確だ。まだちょっと、口の中で味を惜しんでる。イルさんも結局何枚も食べてたじゃないか」



 そうなのだ。味の旨さに勝る理由が無かったのだ。というか、アレイナはそこで納得するのか……

 テーブルに肘を付き、頭を抱え、顔を背けながら吐き捨てる。



「……有益なエネルギーの再利用と言ってくれ」


「意味わからんし。落とした枝だし色も変わってないし、ルール違反はしてないし」


「落とした枝て。まぁ、似たようなものか。色を変えた枝でない限り、どうということはないな」


 春の魔枝狩りは、魔獣が自発的に落としたものか、古くなった枝だけを採る。群れを乱さないためでもある。魔獣の枝は殆ど一本、稀に二本の個体がいる程度。乱獲しては彼らが群れを維持できなくなる。



 アレイナが真剣に問いかける。


「では、色を変えた魔枝を人間が食べたなら……」


「他者の魔素の支配域の強いものを口にすること自体、抵抗を感じる者がいる。通常の食肉なら然程でもないが、色を変えた枝の魔素は極めて濃い。その精神的な障壁を超えたとしても、肉体にどう影響が出るのか、俺は知らない」


 だが、それは食べた者が人間である場合だ。


「アレイナ、そいつが魔物であることを信じろ。人間なら耐えられないかもしれない。だが魔物なら耐えられる……この場合は魔獣かもしれんが」


「魔物、ですか……。私は……」


 うつむき、小声になったアレイナの言葉が途切れる。簡単なことだと思うのだがな。


「アレイナが本当に望むのは何だ? そいつが人間であることか? 違うだろう。まぁ、確かに、まっとうな人間である方が、この世界で生きるのは楽だろうが。ああ、先に言っておくが、これは魔物ジョークな」


「出たよ、魔物ジョーク。アレイナさん、はい、お茶。冷たいのがよかったらイルさんに冷やしてもらって。イルさんにはこっち」



 重々しい空気を入れ替えるように、お茶が差し出される。セミルとのくだらないやりとり。

 アレイナがはっとして顔をあげた。続いたその声に、もう迷いはない。



「そう、でした。フツーに暮らしていけるのなら、楽しい……。私が一番に望むのは、先輩が、迷宮の支配から解放されること。普通に暮らしていける、平穏を手に入れること。作戦を、始めましょう」

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