地下室は雰囲気がいい

 向かいの女は、さも客です、という風に澄ましていた。特に差し障りのない挨拶と会話。この一階の、緑に囲まれた雰囲気もあって実に和やかだ。ああ、見た目だけならな。



「素敵な宿ですね。若い女性観光客が好みそうです。この柚子フロートも、とても爽やかで美味しい。先輩とですと、なかなかこういうお店は行けないので……」


「おい、セミル! こいつからは金を取っていいからな。というか取れ」


「はいはい。柚子フロート、550グランね。イルさんはこう言ってるけど、ごゆっくりどうぞ」


 小規模ながら、喫茶店のようなメニューもあるらしい。一階のテーブルは本来このような用途に使うのだろう。この女、アレイナは閉店中に来たわけだが。柚子フロートとやらに夢中のアレイナに、問いかける。


「で、何をしに来たんだ。ここを知っていたのは、道を確認するのに地図を見せたのだから、仕方ないとしてもだ。それだけで来るとか、普通ではない。俺を追って階段を飛び降りたと聞いた時から、怪しいと思っていたが……」


 せっかくいい感じで昼寝していたのに、また暑くなってしまう。


 ズルズルと椅子を一脚、隣に引っ張ってくる。その上に投げやりにタライを置き、程よく水を凍らせてから魔枝を突っ込んだ。ああ、落ち着く。

 いや、あまり落ち着かない。一挙一動をアレイナに見られている気がするのだ。



「魔物のことが知りたいのです。契約術で縛られていない、知性のある魔物の話を聞きたいのです」


 そう答えたアレイナは、初めて俺に声をかけた時と同じく、真面目さの塊に見える。どうにも、一時の悪ふざけや好奇心だけで動いている様子ではない。好奇心を馬鹿にするつもりはないが。


 一瞬だけアレイナに目を合わせ、逸らす。この、圧というか熱心さというか――要するに、面倒。



「理由は? 契約術で縛られていない、という条件なら、確かに俺をアテにするのが手っ取り早いだろうが……」


 暫しの沈黙。

 タライをかき混ぜる水の音と、外の街路樹の騒めき。遠くからは、とぎれとぎれに夏の虫の声。そこに俺の嘆息が混じる。


 契約術絡みとなると、大っぴらにできない話もあるのかもしれない。こいつは、こう見えても騎士団の所属だ。一般人が得られるよりも多くの情報を元々得ているはずなのだ。何処と繋がっているのか、知れたものではない。


「言いにくいことなのか? 正直、アレイナは俺から見て、一般人よりはるかに危険だ。理由は説明する必要もないよな? そこの所が納得できない限り、俺から話せることはあまりない」


 あまりにアレイナがうじうじしているので、また軽く威圧でもかけてやりたくなる。が、流石にこれは自分で言わせないと意味がない。どうなんだ? と再び問えば、ようやくアレイナは決意を声にした。



「……ある人を救うためです。国とは、一切関係ありません。私の個人的な願いです。この目的のためなら、軍としてはグレーゾーンの行為さえ覚悟の上です」


「願い、か」



 タライの水よりは興味が湧いた。顔を上げて、テーブルの向こうの小麦色の流れを見る。

 アレイナの魔素の巡りに、不自然さはない。まぁ、俺の目は嘘発見器としてはあまり使えないのだが。


 どうしたものか。信用するしない以前に、面白そうだからいいか。ようは、多少の危険があっても、面白さがリスクと面倒臭さを上回れば動くに値する。


 期待を隠さず口角を上げる俺に、アレイナは提案した。



「ですから……、イルさん。取引をしませんか? 私は、軍で知り得る迷宮と魔物の情報を。イルさんには、縛られていないからこそ話せる情報があるはずです。互いに、情報交換をしませんか?」


 取引、ね。この女、俺の扱い方が上手いじゃないか。


「面白い。そういうことなら、気軽に情報交換しようか。ちなみに、あのセミルも秘密仲間だから巻き込んでしまっていい。な、セミル?」



 声をあげて、奥にいるセミルに呼びかける。秘密のある者同士、情報を安易にばら撒くのは互いの首を締める。問題ないだろう。俺から話せることはあまりないから、実の所、アレイナが一番リスクを背負っている気がするが。まぁ、いいか。







「少し埃っぽいが、涼しいな」


「この地下室で、隣の自宅と繋がっているんだ。なんでこんな造りになっているかは僕もよく知らないけど。たぶん、戦時中のなんやかんやで」


「カラフの古い建物にはよくある構造ですね。ここが一番、盗聴の危険がなさそうです。迷宮連の監視は、せいぜい、イルさんの場所を確認して定時連絡をしているくらいではないかと。盗聴系の術の使い手は限られますし、軍で把握している範囲でも地下室内までとなると……」



 あくまで私の得られる情報の範囲ですが、とアレイナは付け加えた。


 壁際には、ちょうどいい感じに古い木箱が積み置かれている。俺たちはそれぞれ適当に腰掛けた。



「そうだな。盗聴のアーティファクトのようなものが仮にあるとしても、何か動作していれば俺に見えるはずだ。今のところ、不自然なものは何も見ていない」


 というか、俺が監視されているのは確定なのだな。まぁ、それもそうか。気にしてもキリがない。木箱の一つにタライを置き、水をかき回しながら気を紛らわせる。


「イルさん、本当に盗聴を心配してる? ノリを見るに秘密の話をするのに雰囲気が欲しかっただけに思えるんだよなぁ」


「バレてたか。正直ちょっと楽しくなっていた」


「何となくわかってきたけど、イルさんって見た目に反して俗っぽい所、あるっていうか。それにしてもタライ、気に入りすぎでしょ……」


「俺をなんだと思っているんだ。タライは、フェムが水を好きだからな」



 フェムについても、ここに降りてくる途中、二人に話した。聖剣と聞いても、セミルにはあまり驚いた様子がなかった。フェムを出したり消したり、セミルの前で何度も普通にやっていたし、図書館でにょきにょきと先端の形が変わっていたことに気づいて、何らかのアーティファクトだとは思っていたと。意外と目ざとい。


 聖剣はその性質上、他者から奪うことは不可能だ。伝承の通りなら、この星の裏側まで持って行かれても呼び戻せる。所持が知れたとしても、手の出しようがない。したがって、俺もあまり隠す気がない。


 聖剣と聞いて、アレイナもなんだかんだでフェムに興味があるようだ。



「フェムさんには、意識があるのですよね?」


「ああ。なんとなく、感じ取れる。フェム、好きな形を作ってみろ」



 フェムの魔素の特性は、水の操作だ。これは俺の特性と極めて相性がいい。

 タライの水を好きに操作させてみる。発動の一瞬、フェムの魔素が水へと巡る。どのような操作を行ったのかまでは、追いかけることができない。


 二人がタライに寄ってくる。多分、何かできているはずだ。



「俺には見えない。何の形かわかるか?」


「なんだろう。薄くて丸いものが数枚?」

「うーん、切った人参でしょうか」



 いや、アレイナのそれはないと思うぞ。仕方ないので、フェムの作ったものを凍らせて指でつまんでみる。おや……これは。馴染み深い大きさと厚さだ。


「ああ、これは500グラン硬貨だ。フェム、かしこいな。お金のことを教えたのをちゃんと覚えていたんだな!」


「ちょっと意味わからない。イルさん何やってんの? しかもすきな形でお金って……それでいいのかよ!」


「金は大事だろうが」



 セミルにはフェムのすごさが理解できないのだ。

 フェムをよしよししていると、アレイナが紙袋をがさごそし始めた。そういや何か持ってきていたな。



「そうですね。お金も大事ですが……ちょうど、カナリー屋に寄った帰りでしたので。こういうのが沢山あります」


「そうだ。カナリー屋だ。その鳥のマーク。カラフに母さんがくると必ず行くんだけど、付き合うと三時間くらいかかるんだ。あそこはヤバイ」


「ふふ、カナリー屋、夢のような場所です。見て回るだけでも時間がかかりますよね。このくらいの長さでしょうか。ああ、ハサミがありませんね……」


「アレイナさん、ちょっと貸して。そういうのは、イルさんにやってもらえばいい」



 俺そっちのけで話が進行している。そもそもなんのために地下室に来たのだ。こいつら。


 二人を放っておいてフェムをよしよししていると、その手をセミルに突かれた。あからさまに不機嫌に答える。



「何だ?」


 手渡されたのは、何か平たい紐。


「イルさん、そこ、切って。身体強化で。得意でしょ」


 よくわからんが、得意と言われて悪い気はしない。爪に魔素を回してサクッと切る。で、それをどうするんだ?


 おい、アレイナ、フェムに何をしようとしている。フェムもなんで、なされるがままなんだ。おい。


「ありがとうございます。フェムさんも女の子ですから、こういうのが好きなのではないでしょうか。こうして、結んで、ほら、かわいい!」


「ぷぷっ、ぷ……ぷ」



 フェムに触れると、なめらかな材質のリボンが巻かれ、やたらひらひらした形に結ばれていた。セミル、てめぇ……。


 流石に知っている。こういうのは、人間の女が好むものだ。

 フェムが受け入れている以上、アレイナの行為は否定する気になれない。笑いを堪えるセミルは置いておき、アレイナに向き直り、努めて真面目に言う。



「アレイナ。フェムを個として扱ってくれるのは非常に嬉しいが……その、だな。これを持つ俺の気持ちも少し考えてほしい」


 しかも、全く本題が進んでいない。

 はぁ。何しに来たんだ。本当に。


 そんな俺の困惑とは裏腹に、フェムから伝わってくるのは楽しさと、これは――穏やかで満ち足りた感覚。



 参ったな。フェムに無理やり背中を押され、渋々、アレイナへとフェムを手渡す。


「……仕方がない。いい感じに目立たなくしてくれ」


 フェムは俺の一部でもある。手を離れても、アレイナに触れられているのが伝わってくる。


 こんな無駄な時間も、悪くはないのかもしれない。フェムが懐いたのなら俺も少しは気を許そうか。そんな余裕さえ、ふつふつと湧き起こる。


 まずは――



「それで、何から話せばいい? 人間が興味ありそうなのは、やはり管理者のことか?」

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