高次視覚と魔眼と術・脳機能を紐解く

「……これは?」


「152。あとこっちに、これと同じ形が 6つ、だな」


「一瞥眼、数理眼、とかはひっかかりもしなかったし。魔素視と属性視は最後までやった。多分、イルさんまだまだ余裕あるよね?」


「そうだな。最後のやつの数分の一くらいの薄さでも、もっと小さい字でも読める」



 普段、僅かな魔素で周囲を把握せざるを得ない俺にとって、この検査表はあまりにも簡単すぎた。

 検査中からずっと気になっていたことを、セミルに尋ねる。



「疑問なんだが、属性視? が普通にいるのに、どうして迷宮連は属性鑑定のアーティファクトでボロ儲けできてるんだ?」


 本当にボロ儲けしているのかは定かではない。アーティファクトの数も限られているし、運用するのに経費もかかる。迷宮連もボランティアではない。

 そもそも迷宮連の資金は加盟国で分担しているし、それに比べればアーティファクトの使用料などたかが知れていそうだが、こういうのはイメージだ。軽いジョーク且つ、大衆的な不満のはけ口である。


 セミルは魔素視の検査表のうち、一番初めの頁を開いた。そこに書かれている内容を確かめながら俺に説明する。


「すごく少なくて、いても強度が低いんだと思う。右側の頁には、人口十万人当たりどのくらい魔眼持ちがいるか載ってる。えーと、魔素視だとちょっと見える強度の人も入れて十万人当たり500人。これは主要国の平均で、実際は地域で差があって、西方諸国はかなり少ない。ハルディアは結構多くて、十万人当たり1000人を超えてる」


「確かに、魔素が見えると伝えて、驚かれたことはないな。普通に、そういうものなのかと受け入れる奴ばかりだ」


「そうだね。この割合なら大きい学校だと、学年に一人か二人はいる感じだし。僕の体感だけど、インサナディアに限ればもっと多いかも。それが、属性視だとハルディアでも十万人当たり7~9人ってある」


 急に少ないな。んん? カラフィサールには人口50万人いるのではなかったか。


「それでもカラフに40人いる計算になるが……ああ、ちょっとだけ見える強度の奴が多いわけか」


「それもあるし、その全員が働ける年齢なわけじゃない。一番は、人口の多い西方諸国での発現率がほぼゼロなんだ。だから、あっちでは鑑定アーティファクト商売がやりたい放題なのかも」



 なるほどな。西方じゃ術を使える奴自体が極めて少ないと聞く。それはそれで、術を使える人間を排除するために鑑定アーティファクトが使われている――そういう可能性もあるだろう。ここハルディアのような魔国の人間は、安全という名目で入国を制限される国さえ中にはあるのだ。

 俺なんて一生、西側には行けないのかもしれない。俺の一生の長さによっては情勢が変わる可能性もあるが。


 まだ開かれたままの属性視の検査表を眺める。色分けされて塊が浮かび上がる様子は満開の花畑に似ている。

 ん? おかしくないか。魔素の色は個体の個性であって、属性とは何ら関係がない。意識して見る。一応、特性も異なる素材が使われてはいるな。術を行使していない素の魔素から得られる情報は限られるが、異なるということはわかる。

 なるほど、それで属性視はこんなに図が大きいのか。道理で簡単過ぎたわけだ。


 よくわからんが、まぁ、いいか。


 しかしこの著者、ベルウィックか。詳しくはないが、どことなく西方風の名前に聞こえる。この著者は何を思って魔眼持ちの少ない国でこれを作ったのだろう。そこには、知られることのない物語があるのかもしれん。


 そうだな、今聞いたことをメモしておくか。左手で手帳と万年筆を出し、左手でテーブルに置いて頁を広げてから、片手でキャップを緩めて口を使って外す。面倒だ。



「あれ? イルさん両利き?」


「いや、右利きだ。身体強化で運動精度を上げて、無理やり左手で書いている。かなり神経を使うので、普段遣いはできない。面倒この上ない」


「魔素制御、ヤバすぎ……」


「目で見てわかるからな。俺が見た限り、無意識にやってる人間もたまにいるぞ。身体強化は力を出すものという先入観があるからか、針仕事なんかで使っていても本人が気づいていない」



 ・ベルウィック式魔眼検査表 (定価14万グラン

 ・魔力能うんぬんで賞味期限がある

 ・小学校で調べる、一斉検査

 ・ベルウィック式で検査できるのは、一瞥眼、数理眼、記憶眼、魔素視、属性視

 ・検査できないものについても、簡単な判定法が書いてある(感情視、暗視、遠見など

 ・それぞれ10段階

 ・魔素視 十万人当たり500人 (主要国平均)十万人当たり1000人↑ (ハルディア)

 ・属性視 十万人当たり7~9人 (ハルディア)

 ・西方諸国は魔眼持ちが少ない、ハルディアは多い

 ・ベルウィックって西方の名前では?

 ・魔素視、属性視は最後まで余裕、強度10↑



 こんなものか。慣れない左手で書いたので、えらい時間がかかった。気づけばセミルも新たな本を探しに行ったのか居ない。図の方しか見えないが、もう一度通しておこうと魔眼検査表をめくった。属性視の強度10のあとに、まだ頁がある。強度11でもあるのだろうか。あるならセミルが見ていそうなものだが。


 疑問に思って開くと、そこには普通に読める文字があった。どうやら、魔素視でしか見えないインクで印刷してあるようだ。

 頁を逆に戻って、魔素視の強度10の検査表を確かめる。さっきの謎の頁よりずっと濃い。謎の頁に戻る。薄い。強度10でもこれを読むのは難しいのではないだろうか。文字も小さい。時間が経って薄れたのか。いや、セミルは今年の版だと言っていた。


 ……内容を読む。





 ――求理眼


 極めて優れた魔素視を持ち、さらに魔素の理が見えるとされる魔眼。魔素を見分けることに特化された魔眼ともいわれ、魔素の色や形を感じるなど、副次的な能力を持つ例もある。


 研究者の間でその存在だけは広く知られているものの、確認されたうち2962年現在に存命中の所持者は20人に満たない。


 魔素の理がどのように認識及び自覚されているかは発現者により異なる。この点は属性視に類似しているが、より個人差が大きい。このことが当事者の主訴による求理眼の発見を難しくしている。


 これまでに確認された求理眼の多くは、その優れた魔素視の能力を手がかりとして発見されたものである。


 どうだろうか。これが読めているあなたには、もうわかっているはずだ。



 この頁は私のちょっとした戯れである。


 ほんの運命の巡りで、この検査表は世界各地で使われるに至った。


 科学者にあるまじき私的な感情により、私は強度10を超える検査表を組み込むことはしなかった。これは周知の事実であるので、高強度の魔素視を持つ者に、再検査を強いる国もあるだろう。


 それゆえに、こんなものは戯れなのだ。戯れに付き合ってくれた出版社及び製本所の皆にはお礼申し上げたい。


 もし、あなたもこの戯れに乗りたくなったのなら、是非私の所まで連絡を送って欲しい。



 ヘイミッシュ・ベルウィック






 俺は検査表をそっ閉じした。心当たりがありすぎる。20人なら結構いるようだし、八年前だから今はもっと多いかもしれないし、見つかってないやつが沢山いるに違いない。面倒だ。


 しかしまぁ、この遊び心には共感できる。嫌いではない。そうだな、ベルウィックさんの名前くらいはメモしておくか。



 ・著者はヘイミッシュ・ベルウィック

 ・求理眼(アレ



 これでよし。埋まったメモをみて満足感に浸っていると、セミルが戻ってきた。図書館で走るのはどうなんだ。俺のいるテーブルに来るなり、本をドンと置いて、自信満々に報告する。



「イルさん! 多分、理由、わかった」


「……理由?」


「イルさんが術苦手な理由! 魔眼が関係あるのかもとアタリをつけて探してきたのに。イルさんはメモ書きに夢中だし。もしかして、忘れてた? ここへ来た目的」



 もく、てき?

 そういえば、そんな理由で来たんだったな。



「いや、全然覚えてる、まるっきし覚えてる。ありがとう、セミル」


「はぁ。この本。『高次視覚と魔眼と術・脳機能を紐解く』ぶっちゃけ内容は難しすぎなんだけど、序盤の歴史とか書いてあるとこに、えげつなく印象的な実験があって。結論を言うと、高度な魔眼を持っているほど術を使うのが難しくなるってある」


「ほう。えげつないとは?」


 本のタイトルだけで、だいたい予想できてしまったが、セミルも説明したそうなので聞いてみる。


「……魔眼持ちの目を潰して、潰しただけでは魔素が入るから、視神経も傷つけて、何年か経つと術の行使が上手くなる……というのが経験的に知られていて。魔眼に使われていた脳領域が術に使われるようになるのが理由。脳領域は、何処を怪我したら術や魔眼が使えなくなってが判明してみたいな」



 まぁ、予想通りだな。知覚と脳の関係についてのごく基礎的な知識はあったが、俺が知っていたのはあくまで通常の視覚のみの話だ。術と魔眼で同じ脳領域を使うとは知らなかった。しかし何故そんな進化をしたのだろう。考えても仕方ないことか。


 俺の場合、さらにフェムが送る刺激も脳が処理しなければならない。それも関係している可能性がある。



「大体わかった。似たような話を知っていたから、理解はしやすい。やはり、俺にとってはこれが自然な状態なわけだ。人間のいう魔眼を俺にあてはめるのなら、だが」


「まだそこ、こだわる? もう魔眼でいいでしょ。履歴書に書けるし」


「そう言われると弱いな。職探しは重要だ」


 職探しの事を思うと、この半日のドタバタで忘れかけていた現実に引き戻される。まぁ、確実に進んではいるのだ。住民台帳カードと口座は手に入れたし。


 気づけば結構な時間が過ぎていた。傾いた日差しが談話室の奥まで浅く届いて、片肘をついて傾けた首筋へ穏やかに熱を伝えてくる。

 

「……魔眼持ちの目を潰して、というのは魔眼狩りか。昔の。その本にあるように魔眼の本当の機能は脳にある。目を移植しようが能力は得られない。それで脳の機能が解明されるのだから皮肉なものだ」



 こんな話を口にすれば、自然と、声も低くなる。


 今の時代は平和だ。科学の発展により様々なことが判明し、魔眼をえぐってもなんの意味もないと知られている。魔眼狩りに遭うこともない。さらに科学が発展すれば、脳をえぐろうとする者が現れるのだろうか。そうなるまでに、人の倫理がそれに追いつけば良いのだが。


 人間の倫理は人間を守る。だが、契約術のことを思うと、魔物の俺はあまり楽観的にもなれん。とはいえ、当面は深く考えず楽しく生きたい。


 俺の深刻さが伝わってしまったのか、セミルの青緑色の輝きも、どこか繊細に見えた。



「……医学ってそういうところ、あるよなって。何かの犠牲の上に成り立ってる」



 そう口にした彼が、何を気にしているのかは、人の機微に鈍くとも流石に気づく。


「腕のことなら数日で治る。勉強も、本当なら何年もかけて専門の機関で学ぶものだろう。すぐに何かできるようになる、都合のいい話なんてない。勉強しろとは言ったが、学びたいものを学びたい時だけでいいんだ」


 思いを言葉にしようとすればするほど、自分の身勝手さが浮き彫りになる。だが、俺にそれを隠せるほどの器用さはない。


 うつむいて、低く。感情のふるいから溢れた言葉を集めて紡ぐ。


「俺はただ……セミルには力があるのだと教えたかった。身勝手だが、それだけだ。だから、気にするな」


「大丈夫。気にし過ぎなのは、イルさんの方だよ。僕は、これでも結構わくわくしているんだ。どうする? この本は借りていくかい?」



 帰ってきた声は明るく軽く。声のする方、眩しいものを見るように顔を上げれば、談話室の高い窓の向こうには星の魔素を散らした海。人間が天の川と呼ぶそれを遮ってセミルのシルエットが浮かぶ。


 んっ、と一声入れてセミルが背伸びをする。瞬間、巡らされた魔素が輪を作った腕を描いた。星々の輝きに、おおらかに迸る青緑色の光跡が溶け合う。


 さらっと受け流されたのだ。そう気づいて、はっとする。俺は、彼を繊細だと思い込んで、自分を正当化しようとしていたのだと。こういう時、人の間では何が正解なのか。面倒だ。少しも理解できる気がしない。



 ――私は自分を正当化するために、おまえの立場の弱さを利用した、そう思ってくれてもかまわない


 先生の言葉が思い出される。先生が、俺を保護したときも、こんな思いだったのだろうか。先生と俺の関係を解決したのは、身も蓋もないが長い時間だ。時間だけが唯一の答えではない。逆に、たった数分の間違いが一生の決裂となることもあるだろう。だが、セミルとは、初めて話してからまだ二日だ。それに、今は俺に友好的に見える。


 問題ない。俺はまだ、誰も傷つけていない。違う。多少は傷つけているだろうし、それは仕方ない。生きる上で誰も傷つけないで済む、傷つけられないで済むなどと、都合のいい思考回路をしているつもりもないが、致命的な失敗は犯していないはずだ。


 いや、そうじゃない。こういう時まず大事なのは……会話のキャッチボールか。……この本とは『高次視覚と魔眼と術・脳機能を紐解く』の事だよな。検査表は禁帯出だったし。



「いや、いい。代読させるのが気まずいというより、理由がわかったからだ。十分に有り難かった。カードも、魔眼のことも。今日一日で……」



 言い淀む俺に、セミルは笑いかける。



「うん。イルさんの言葉を借りれば、いい取引だったよね。僕も借りる本を決めたし、あとは買い物して帰ろっか」



 足取りを軽くするセミルに導かれ、図書館を後にする。俺たちは、仕事帰りの客で賑わう商店街へと繰り出した。

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