図書館へ行こう

 セミルに連れられてきたそこは、どことなく懐かしい香りに満たされていた。先生の家の匂いと少し似ている。



「――こちら、利用証になります。カードもお返ししますね。代読サービスはご利用になりますか?」


「代読? いや、必要ない。セミル、読むよな?」


「えっ、はい。まぁ」


 受付の女に笑われた気がした。セミルは市役所でのことがよほど堪えているらしい。かまわん。腕一本ぶんの仕事はしてもらう。


 セミルを不当にこき使うつもりはないが、一人で知れることに限界を感じているのも確かだ。人間がいなければ知り得なかったことは数限りなくある。知る機会に限られた、狭い村でさえそうなのだ。


 ――知識と理解が弾を作る。セミルにはああ言ったが、俺もあまり人のことは言えたものではない。俺自身は学者でもなんでもなければ、正直、勉強も好きな方ではない。


 こうなれば、人間数千年の歴史、知と探究の積み重ねを使わせてもらうだけだ。


「でしたら、館内は基本的に会話禁止となっておりますので、談話室をご利用ください。それでは、ごゆっくりどうぞ」




 俺たちはカウンターを離れ、案内パネルの前にいた。

 セミルが小声で読み上げる。


「案内を見るとええと……大カテゴリで科学の下に、医学や生物学、術学もここだね」


「術学は科学なのか。鑑定アーティファクトがうわべなことに、余裕で気づいていると公言しているようなものだ」


「面白いよね。勢いで来たけど、何から調べればいいのか見当もつかない。とりあえず、その辺から見るから。最悪、僕が知りたい植物関係の本を借りられればいいし」



 館内は広い。街中の大きな建物の中では見えないものが多すぎると思っていたし、実際、駅や市役所はその通りだった。だが、ここは例外らしい。床や棚には木が使われている。何年経過したものかはわからないが、僅かでも魔素が残っているのは正直助かる。


 近づけば、魔素でくくられた空間の中を埋め尽くすように、天井まで高く本が詰まっているのだとフェムが伝えてくる。時々、触れて確かめていなければ、本棚がこちらに向かって倒れてくる錯覚に飲まれてしまいそうだ。


 極めて静かなこの場所では、足音だけでもかなりの情報が得られる。近くにいるセミルにも聞き取れないほど、小さくフェムに呼びかける。


「フェム、静かにできるか?」


 フェムが床にあたる感触が、若干変わったのが感じ取れた。試しにタッチすると、かなり音が小さい。フェムかしこい!


 フェムの成長に気を良くして、適当にその辺を見て回る。所々、俺にも見える背表紙が目につく。凝った装丁なのだろうか。使う素材によってはそういうこともあるだろう。紙自体に魔素が残っているものも数冊見える。セミルの言っていた、ラメを混ぜたインクのことを思い出す。


 見上げると、それらとは比べ物にならないほど、はっきりと見える一冊があった。なんだ、あれは。セミルの肩を叩いて捕まえ、耳元で伝える。



「おい、あれだ。わかるか? とんでもなく目立ってる。ベルウィック式魔眼検査表?」


「あー、あの小学校でやるやつ。梯子が必要だね。取ってくるよ」








 談話室に入った俺たちは、テーブルの上に本を広げた。セミルも何冊か持ってきたようだ。



「うぇっ、これ、定価14万グラン!? ひーーー。談話室は飲み物可らしいけど、怖いからやめとこ……」


 魔眼検査表を見て、セミルがびびり散らしている。確かに、14万グランは洒落にならない。本の価格には詳しくない。知っている範囲では、専門書でもせいぜい一万、数万となると総天然色の美術書くらいではないか。



「特殊な素材を使いまくっているんじゃないか?」


「多分そう。しかも推奨使用期限? があるみたいだ。十年」


「魔素が抜けるからか」


 セミルがぱらぱらと検査表をめくる。ところどころ俺にも見える頁があり、やたらと気が惹かれる。


「そうそう。えーと、表によって含まれる魔力能及びその半減期が異なるため、作成年からの年数に応じて補正表を参照すること、みたいに書いてある。でもこれは今年の版だから、細かいことは忘れてよさそうだ」


 魔力能か。日常生活では殆ど聞かない単語だ。魔素を放出する物質を魔力能と呼ぶ。

 例えば、俺の見ている体内の魔素の動きは、体内で魔力能が生成されたり運ばれている軌跡だ。魔素が光のように瞬時に観測されることからも想像できる通り、魔素自体がゆっくりと移動している訳ではない。


 したがって、厳密には魔素に晒されているだけの物質と、魔力能を含んでいる物質は異なる。生物由来の素材は大抵の場合、そのどちらでもあるので、学者でもない限りこれを使い分けることはまずない。


 もっと言えば、魔力と魔素という言葉の使い分けさえ、一般的にはいい加減だ。目でみて分かる俺でも、文脈で理解できるので別にいちいち突っ込む気はないし、誤用することもある。


 セミルが俺にも見えるよう、検査表を大きく広げた。彼の説明によれば、基本的に見開きで、向かって左側が検査のための絵や図、右側がその説明や補正表になっているらしい。



「左側は見えるやつと見えないやつがあるな。右側の文章? は読めん」


「これ、小学校でやるんだけど、右側は生徒から見えないようにするんだ。何が書いてあるか気になってた。見てみると、検査に必要なことが書いてあるだけで、ちょっとがっかり。最初の、注意事項の方が先生の裏事情が知れて面白いかも」


「注意事項?」


「生徒への伝え方とか。……魔眼の所持者は、自分が魔眼であることを自覚していないことが珍しくない。小学二年の学童に対して行われる検査では、魔眼と判定された者のうち、約6割が他者と自分の感覚の違いに気づいていなかったとの統計がある。魔眼を持たない者が他者に何故見えているのかを問わないように、魔眼を持つ者もそれを当然のものとして理解しているため、魔眼の発見は遅れがちである。このような背景から、一斉魔眼検査は有用かつ必要であろう。しかし、当人へ検査結果を伝える際には、周囲の大人が知覚の多様性を尊重していること、及び当人の理解度に合わせた柔軟な対応を望むものである」



 ……心当たりがありまくりだな。



「イルさん、めちゃくちゃ苦い顔してるけど。ちょっと長かった?」


「いや……、心当たりがありまくりで少し……俺は自分を魔眼だとは思っていなかった。そういう魔物で、魔物は生まれつき自分の能力を理解しているのだろうと。だから、人間に魔眼について聞いたことも殆どない。当然のものとして理解しているというのもそうだ。ここに来る前にも言ったが、直感的にわかるので疑う余地さえないという感覚になりがちだ」


 ため息一つついて、本音をこぼす。


「正直、今でも、魔眼なんていうのは属性と同じく、人間が利便性のために決めた分類で、俺は単にそういう魔物なのではないかと思っている」



 セミルは検査表をめくりながら、うーんと唸った。当人の理解度に合わせた柔軟な対応とやらを案じているのかもしれない。


「それはそれでいいと思う。違うものさしでも測っておく、ってだけじゃないかな。人間の使っているものさしで測って、人間の言う魔眼だと知っておけば、人間の社会では色々と有利だ。就職とか」


「就職だと!?」


 勢いづいて、椅子がガタッと鳴った。


「えっ、そこ? 食いついてくるの。魔眼は、履歴書に書ける技能だから。今ここで調べても、医療機関で調べたわけじゃないから非公式な結果だけど、嘘にはならないし」


「それでいい。調べるぞ、今すぐにだ!」



 俺は、図書館に来た当初の目的さえすっかり忘れて、セミルに命じた。セミルも当初の目的を忘れていたに違いない。

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