もっと、つよく、やれ

「ここからは、ちょっとズルをする。治癒属性などと呼ばれている特性が、他と根本的に何が違うか、セミルは理解してるか?」


「うーん……他人にかかる?」


「そうだ。正確に言えば、他の生物の魔素の支配下に干渉できる」



 生体コントロール系と他を、決定的に分けるのがこれだ。

 やって見せたほうが早い。無言で立ち上がり、セミルの腕を掴み、術を行使する。



「うわっ! あ、アレ?」


「どうだ?」


「一瞬ちょっとひやっとしたくらいで、全然……理屈では知ってたけど、いきなりやられるとビビるね」



 俺の攻撃とも言えない攻撃に、反射的に広がっていたセミルの魔素が、なんでもなかったじゃないか! とでも言いたげに収まってゆく。

 初々しいびびり具合が実に良い。席につき、続ける。



「さっきのは結構本気でかけている。それでもそんなものだ。普通の魔素は、他の生物に極めて干渉しにくい。身体強化をかけていれば、さらに弾ける。基本的にこの防御機構は自分自身の体でしか効果がないが、例外もある。血脈登録だ」


「あーー。なるほど。あれって、魔素が馴染みやすい素材を自分の魔素の支配下に置く、みたいな感じ?」


「理解がいいな。あれは馴染みやすいように前処理をしてあるらしいが……原理的に書き換えができないから、所持者の証明になる。ここだけの話、生体コントロール系なら、血脈登録を上書きできる可能性は全くのゼロではない」


 生体コントロール系の術者を国や迷宮連が管理しようとしているのは安全の為でもあるはずだ。


 よく今まで見つからなかったものだなと感心していると、セミルが声をあげつつ腰を浮かせた。脈動に焦りが見える。



「それで思い出した! 献血もヤバい」


「そうだな。本人から離れて時間の経った魔素は干渉力を失うから、輸血に使えないということは無い。だが、献血してすぐならどうか。血脈登録から想像するに、支配域に干渉するかどうかだけであればアーティファクト無しで判定できる。当然、検査している可能性はあるな」


「っぶねー。血液型も調べないようなクソ田舎で超健康優良児として育って助かった。ってことは、母さんや婆ちゃんは本当に雑属性なのかもなぁ……」


「下手に大怪我もできんな。さて……セミル、利き手はどっちだ?」


「えっ? 右だけど」



 右肘をテーブルにつき、セミルに右半身を向ける。



「手を組め。腕相撲の形だ」


「身体強化あり? なし? どっちにしても、勝てる気がしない!」


 腕を組んだセミルが勘違いしている。実際に腕相撲なら楽なんだが。


 そう思いつつ、程よく魔素を巡らせて身体強化をかけた。だが腕相撲はしない。セミルに目を合わせて、軽く威圧下におく。言うことを聞かせるためだ。少々強引だが仕方がない。


 低く、ゆっくりと言い聞かせる。



「いいか、セミルの特性は生体の細胞内の何かの反応を促進するものに見える。これ以上は俺の知識では掴めないが、イメージはしておけ。思うに、生体コントロールで一番の障壁は、相手と自分の間には壁がある、他者を傷つけてはならない、という先入観だ。今から、これを取っ払う」


「あ、ああ……わかった。細胞、細胞……」


 よし。程よく威圧が効いて、いい感じだ。彼の青緑色の輝きが、過度に緊張しすぎることもなく、集中を欠くこともなく、循環している。


「今から俺は、腕だけ身体強化の逆をやる。つまり、無防備になる。セミルがどんなに下手でも問題ない。本能で感じ取れるはずだ。三歳児でも術で干渉できるような状態だと」


 少々言葉を盛ったが、暗示のためだ。組んだ手のひらから、体温が伝わってくる。ひとことひとことを刻むように続ける。


「合図をしたら、俺の腕に全力で干渉しろ。反応のイメージだけして、実際にどんな効果が出るかは一切気にするな。始めたらまず、会話はできない。何が起きても、いいと言うまでやめるな。……いいか?」


「……わかった。いける」



 閉め切った部屋の中、カーテンの向こうから、鳥のさえずりが遠く聞こえる。

 部屋に満ちる緑と、かすかなバラの香りが、集中力を高めてゆく。



(フェム、ちょっと休憩しててくれ)



 俺はフェムを消した。ここからは少しの余裕もない。


 ひとつ。深く息を吸って吐いた。慎重に右腕のみ魔素を引かせる。支配下から外す。生物の防御本能とは逆の、本来ありえない状態だ。受け入れまいと身体が拒否するのを強引かつ繊細に制御する。極度の集中で、視野が狭くなったように感じられ、喉が乾く。


 同時に、右腕以外には可能な限り強く魔素を巡らせて、身体強化を維持。セミルの制御が失敗して、他の部位に術をかけられる危険性があるからだ。

 これはかなり危険な行為だ。セミルはまだ、自分の術が何なのか理解していない。俺にどんな結果を及ぼすか予測できない。右腕以外にかけられることは、絶対に防がなければならない。


 本来、身体強化でも殆ど弾けない生体コントロールを防御するのだ。セミルが恐らく接触型の術者であることと、暴力的な魔力差だけが頼りだ。


 魔素の支配下から外れた右腕が、完全に闇に溶ける。

 フェムの助けもなく、目の前には、セミルの青緑色の循環しか見えない。


 ――何も、問題はない。



「……よし。やれ」



 セミルは無言だった。だが、感覚はすぐに来た。熱い!


 制御は悪くない。時々、散ってはいるが、防御できている。よし。右腕に集中してきた。いける。ゆっくりと、右腕に魔素を戻してゆく。気づかせないように、少しずつ、少しずつだ。


 腕が焼けるように熱いが、何が起きているのかは俺には見えない。都合がいい。

 ああ、何も問題はない。


 額を伝わる汗に視界が霞み、青緑色の輝きが歪む。涙か。そうではなく、現実として、この絡みつく青緑の炎の見せたゆらめきか。


 セミルが何か言っている。



「……イル、さん、それ」


「と、めるな。止めたら、殴る」



 握っているはずの、右腕の感触が消えている。

 ただ、ただ、熱い。


 沈みかけた思考の隅、僅かに確保された安全地帯で、見定める。俺にセミルの目は見えない。関係ない。目を見るのは、威圧を効率よく通す手段でしかない。


 ああ、いい。勢いを増す、青緑の侵食がもたらすのは、この危うさの中から滲み出す期待と確信。


 腕から正面へと視線を上げ、真っ直ぐに余裕の笑みで語りかける。



「……まだまだ、だ。もっと、つよく、やれ」


「ヒッ、う……」



 セミルの声が、恐怖に揺れた。だが、右腕への干渉は止まっていない。

 いいぞ、意外と根性がある。


 まだだ。右腕への魔素は六割は戻した、はずだ。予想していたより難しい。腕の感覚がこれほど飛ぶとは。熱さしかない。ひたすらに、目で見て制御する。


 声はない。ただ、熱さだけが、ある。互いの吐息が聞こえる。徐々に戻されてゆく右腕の支配に妨げられることなく、青緑の暴風が俺の腕の中を荒らしてゆく。


 湧き上がり、螺旋を巻いて、奔る。輝きの先端は波をなして腕を喰い尽くす。強く、強く、重なり溶け合い、視界を焼く波濤は白く――



「……っつ、……いい、その調子、だ」



 大体、原点まで戻したか。このまま、魔素を右腕に集めて、ここからは身体強化をかける。細かい制御の要らない、単純な力比べだ。余裕ができる。



「いい、感じだ。ここからは力比べだ。もう、通らないとなるところまで続けろ」


「……はい!」



 普通に返事が来た。さっきは目を合わせて、威圧がガチで入ってしまったのだと今更気づく。もう威圧をかけなくても、能動的に干渉を行使できているようだ。

 互いに、まだ楽しめる余裕はある。そう簡単に終わらせはしない。



 んん、どうだろう……そろそろか?

 もうちょっと、いけないか?



 おい、まだ、やれるだろう?



「もう、ムリ! ヤバイって、イルさんそれ、早く!」








 カーテンを戻し、窓も全て開ける。髪がそよぎ、まだ熱気の残る肌が乾いた空気にすうと冷やされてゆく。心地よい。いい仕事をして、最高の気分だ。汗をかいた後のアイスティーも実に旨い。



「……始める前は、よくわかっていなかったんだ。終わったら、色々わかってしまった。ありえない。なんて、危険なことをさせるんだ。ありえない。まるで、童貞を奪われてしまった気分だ」


 セミルはテーブルに突っ伏していた。ピクリともしない。あと、その例えはどうなんだ。童貞を奪われるという歳でもないだろうに。


「普通にやったら、おそらく一年はかけて修行するのが、三十分もかからずに終わっただろ? 答え合わせだ。何がわかったか言ってみろ」


「他者を傷つけてはならないという先入観を取っ払うとイルさんは言った。危険すぎるだろ。なのに、雰囲気でゴリ押された。

 始まったら、右腕が餌のように見えた。そのせいで、いとも簡単に術が発動した。吸い付くように右腕に行ったから良かったけど、脳とかに飛んでたらどうするんだ。ありえない。怖い。

 途中でヤバい威圧をかけられて死ぬかと。そのあとイルさんの右腕が強くなってきたのに、それでも干渉できている万能感に、僕は、酔いしれそうになって、うわああああーーーー」



 セミルの叫びを味わいながら、窓の外を眺めた。平和だ。


 まぁ、ちょっと荒療治すぎたか?


 だが、想像以上の結果だ。俺は生体コントロールを自分で持っている訳では無いので、今回知れたこともある。他者の魔素の支配下に干渉すると万能感があるとは知らなかった。後半、セミルがやたら元気に返事をしたのは威圧を外したからかと思っていたが、おそらく万能感のせいだろう。


 右腕は――中までこんがり。どのような作用が及んだのかは不明だ。セミルにもおそらく説明できないだろう。ひたすらに干渉することに主眼を置かせたためだ。神経までやられたのか、感覚がない。セミルが気を失いそうになるほど目も当てられない状態だったので、ひとまず隠すように手当はした。



「僕が、それを治せれば良かったけど、無理だ。今の状態がどうなっているかと、治すにはどういう過程があるか。化学的なこととか、生物のこととか、理解してないとダメなんだ。壊すのは、何も知らなくてもできるのに……」


「……そうだな」



 子供が知らずに生体コントロールを他者に行使して悲惨な事態になった、といった話は聞いたことがない。俺が知らないだけで、あるかもしれないが。生物の持つ、他者の魔素の支配下に干渉できない、したくない、という生得的な歯止めは、かなり強固なのが想像できる。


 知識によらない術もある。人間の子供が自発的に術を使うように、動物や魔獣にも術を使うものがいる。セミルが植物に無意識に行使していた術もそうだろう。

 そのような術は、本人にリスクがないものであることが殆どだ。


 少し都合が良すぎるようにも思えるが、そうでもなければ生物はまともに繁栄できない。腹の中で子が燃えてしまうようでは子孫を残せない。気の遠くなる年月をかけて、淘汰された結果なのだ。



 ――だが、術の深奥は、知識と理解をもって行使するところにある。



「勉強しろ、セミル。気が向いたらでいい。今のおまえは、手元にある銃に気づいて引き金の引き方を覚えただけだ。知識と理解が弾を作る」



 銃を手にさせた責任は、多少は俺にあるかもしれないが……まぁ、なるようになるか。


 腰掛けていた出窓から降りて、セミルの突っ伏している側へと歩く。セミルが鼻をすする音が、静かな部屋に響いた。椅子を引き、彼の向かいに座ると、動かないセミルに言い聞かせる。



「腕は問題ない。医者にかかる必要もない。俺は、人間よりも傷の治りが早い……おそらく、二日もあれば済む。初めからこのつもりだった」


 もとより腕は犠牲にするつもりだった。綺麗な切り傷なら一分もかからず塞がる俺にとって、今回のこれはかなりの重傷だが、時間さえかければ回復することは経験からして確かだ。



「起きろ。市役所に行くぞ、セミル」


「今から、ですか……」


「当たり前だ。なんのために腕一本犠牲にしたと思っているんだ。俺は、住民台帳カードを手に入れるぞ」

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