初級術学

「鍵は閉めたか?」


「全部確認した。休業中の札を出して、カーテンも閉めた」


「じゃ、始めるか」



 俺とセミルは向かい合って席についた。閉め切った部屋は、とても静かだ。自分が暑さに鈍いのを忘れて、大丈夫だったかと今更気づいたが、七月上旬の朝だ。まぁなんとかなるだろう。


 セミルが紅茶を淹れる。ポットからことことと音をたてて茶が注がれた。



「まず、そうだな。さっきも言ったが、変に気を使い合うのは面倒だ。村でのことは気にしてもいない。正直、村の人間にそこまで興味がなかった」


「なら、なぜ?」


「他に頼めそうな人がいない、というセミルの判断が理にかなっているからだ。初めに知った俺に頼むのは最もリスクが低い。なにより、今の俺は、セミルに興味がある」


「興味、ですか」


「……ふっ、こんな珍しい特性をもった奴に興味を持たないほうが難しいだろう?」



 セミルはぴくっとした後、固まったように無言になった。


 おや? この反応は……萎縮させてしまったのが、魔素の巡りから見て取れる。あの階段飛び降り騎士、アレイナだったか。あいつをおちょくったのを思い出す。



「やめるか?」


「イルさんが、これからめちゃくちゃ悪いことしますねって顔で笑うから、ビビっただけ! 全然やめないので、よろしくお願いします」


 勢いよく頭を下げた彼を見て、これからするめちゃくちゃ悪いことについて目論む。……いけるな。よし。

 かしこまった雰囲気は苦手だ。あくまでも軽い調子で持ちかける。



「好奇心は重要だ。俺は好奇心を満たす、セミルは術を教わる。対等な取引だ。何も気にすることはない。まぁ、気になるなら、このあと市役所に付き合ってくれると助かるが……どうにも、大きい建物の中は俺に見えるものが少なくて困る」


「よろこんで! 住民台帳カード取るのは、役所の人に話が通じないとちょっと大変かもだけど、それが終われば、市内ではいろんな手続きがカードで済むし。あとはラクラクだね」


「……助かる」



 よし! 助かった。なんでも一人でやるつもりだったが、だんだん人に頼るのが楽になってきてしまったな。根本的に俺は面倒くさがりだ。俺は住民台帳カードを取る、セミルは術を教わる、これで良い。


 テーブルに両肘をつき、手を組んで一息おく。さて、どこから始めようか。



「普通は術や属性をどこで教わるんだ?」


「まず、家族。で、学校でも基本はやる。属性は、自発的に術を使いだした時にわかる奴が殆どかな。迷宮連のアーティファクトで鑑定もできるけど、金がかかるし予約から何ヶ月とかで一般家庭には縁がない」


「大体、そんなものか」


「うん。うちは雑属性だからって、術関係は親からも教えてもらえなくて全然」


 セミルが属性を他人から指摘されなかったことから想像すると、他人の属性を見るだけで判別できる人間は極めて少なそうだ。いや、そもそもだ。迷宮連が属性鑑定のアーティファクトでボロい商売ができているということは、そういうことだ。


「代々、本当にそう思ってるかもしれないがな。今の話を聞く限り、属性が見えるのも、あまり大っぴらにしないほうが良さそうだ」


「自分を雑属性だと思っている連中が、わんさか押し寄せてくるだろうね……」


「うんざりだな」



 セミルの言葉を借りればありえない。彼が高給取りになる好機を捨ててでも、属性を公にしないのと同じことだ。我々は平穏を望むのだ。


 これで、俺たちは秘密を共有したことになる。なんとも、楽しい気分だ。さっきまでは本当に好奇心くらいしかなかったが、セミルに少し親しみが湧いた。


 問題ないな。本題に入るか。


 セミルの淹れてくれた紅茶を手にする。まだまだ熱く、いい香りだ。指をさし、注意を引いてから、一気に凍らせる。パシッと微かな音をたてて、湯気を立ち昇らせていた液体は氷となった。


 カップが温度変化で割れなくて助かった。少し焦ったのは内緒だ。



「見ての通り、俺は氷属性だ。珍しくもない。だが、この属性というのは、術の表面的な見え方でしかない。魔素にはより多様な特性がある。例えば、俺の魔素の特性は、物質の構成の乱雑さを減らし、静かにさせる、とでもいえばよいだろうか。俺は、この魔素の特性を漠然と見ている。ここまではいいか?」


「たぶん。物理の話だよね?」


「その通り。今、こう説明したのは、俺にそこまでの知識しかないからだ。もし、物理学者が俺と同じ目を持っていれば、もう少し効率的に術を使えるはずだ。人間もそれに気づいていて、利便性から属性で呼んでいるだけに思えるが」


 俺は見ているものに、何々属性のような名付けはしていないが、物理学者に頼めば多少はマシな命名ができるだろう。俺の目は知識を得られるわけではないので、知っている範囲でしか理解できない。


 少しの間、会話が止まる。これまでの経験上、この程度の知識は共有されているはずだ。特に目新しい考え方というわけでもない。

 何やら考えていたらしいセミルが、カップをカチリと置いて答えた。



「うーん、どうだろ……鑑定アーティファクトが曲者なんだ。あれの結果が、なんとか属性、で出るし。教科書にも大体それが載ってる。昔から使ってるから今更なかなか変えられないみたいな?」


「まぁ、確かに。俺も氷属性で通じるならと使うし」


「でも、術が使えても属性に当てはまらない人もちょくちょくいるし、鑑定アーティファクトの設計がそうなっているだけってほうが納得はいくよね」


 アーティファクトの設計など、誰がやったのか謎だが。便宜的なものだと、人間もわかってはいる感じか。


 爪を引っ掛けて、カップの中で氷をくるっと回す。カップを手で温めておいたのもあり、あっさりと氷は外れた。氷を齧りながら、術の根本について言語化を試みる。


 それを見たセミルが、あわててポットを手にした。



「紅茶、淹れなおすけど?」


「いや、いい。氷が旨い。設計がそうなっているだけ、というのはいい線だろうな」


 氷を端からガリガリと齧って飲み込む。セミルが小さく「うわ」と漏らしたが、魔石に比べれば氷など脆いものだ。空になったカップを弄びながら、伝える言葉を選んでゆく。


「だが、術に熟達するなら属性ではなく、本当の魔素の特性を知らなければ遠回りだ。そして、自分の魔素が世界にどう影響しているのか、対象を深く理解することだ。セミルなら植物に詳しくなる必要がある。はっきり言って、術の使い方というのはそこに尽きる。実の所、教えるもクソもない」


「ええーー。そんな、身も蓋もない。術の塾とか金取って何教えてるんだって話。学校でも、イメージや知識が大事というところまではやるけどさ」


 反応を見るに、何か近道があると多少の期待はあったのだろう。だが、結局は普通の勉強をちゃんとやれという話だ。その辺は、俺もあまり人のことを言えないが。


 正直、多くの人間は物理に詳しくなれば術が上手くなるはずだ。



「簡単な物理法則なら誰でも知っている。みな、知識を活かして術を使っているはずなんだ。雷属性は近代から使い手が目立ってきた。電気というものが広く知られたからだ。

 そうだな……例えば、時間に関係する魔素は存在するかもしれない。だが、物理学が時間とは何かを解明して、ある程度は理解してる奴が使い手にならないと、世に出てこない、ということになる」


「はぁーー。もう物理学者や生物学者が、術の専門家になればいいのに」



 お手上げだという風にのけぞって、セミルは言い放った。


 その気持ちは、俺にもよくわかる。今、雑属性だと思いこんでいる奴も、超すごい物理学者になれば、瞬間移動するかもしれないのだ。多分、現代物理学は、そこまで進んでいなかったはずだが――どうだろう、自信がない。化学や数学も、本人の特性と一致すれば面白いことになるはずだ。考えればキリがない。



「イルさんが勉強しまくれば、いろいろ解決する気も……」


「やめろ。そんなに勉強したくない。真面目な話、この目では、普通に印刷された本を読めないから面倒だ」


「ああーー。世の中うまく噛み合わない!」



 能力のある者が、最大限に努力すべきなんて法はない。学者達が術の専門家になるかは彼らに任せられているように、俺が何もかも学ぶ必要もない。個が世界に及ぼす影響など、たかが知れている。共同体を破壊せずに何かを動かすには、無数の人間の意思や文化の変化と適応、加えて金と時間が必要だ。


 よほど革命的な発見をすれば、あとは放っておいても世に影響は及ぶのかもしれないが、そんな努力もしたくなければ、時の人になるのはもっと御免だ。魔物の俺がアカデミックな方面にコネクションを持つ困難さなど、考えるだけでうんざりする。


 そもそも、少々特殊な目を持っているくらいで何とかなるとは思えん。現代の学生レベルの知識でさえ、理解していない事が山のようにあるというのに。


 まぁ、このやりとりも、無数の変化のうちの塵ごとき一つなのかもしれない。だとして、何かする度にそんなことを考えるのは窮屈で面倒だ。なにより、俺の柄ではない。


 投げやりにいうセミルの言葉にも、彼自身がその特性を公にしない現実を含めた、諦めとおおらかさが感じられる。正直、こういう人間の方が俺も気が楽でいい。


 これから、めちゃくちゃ悪いことをするのにも期待が募るというものだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る