第2話 デビュー前


 VTuberになる。言葉にするなら簡単だが、実現させるとなると果てしなく大変だ。……正確に言えば、なること自体は簡単だが、人気VTuberとなるのは難しい、なのだけど。

 なにせ現在は大VTuber時代。黎明期と違い、VTuberの総数は今や数え切れないほど。さらに毎日の如く新人がデビューしているのだから、視聴者という限られたパイの取り合いが酷いことになっている。

 特にキツいのが個人勢と呼ばれるVTuberだ。個人で初め、企業に所属せず、限られたリソースで必死にやりくりして動画を投稿する者たち。

 これが企業勢ならば、まだ先達であるVTuberたちが築いた導線がある。特に界隈で名の通った箱ならば、新人でもチャンネル登録者数が五桁、六桁なんてことも珍しくない。

 だが個人勢は違う。彼らはそうした導線がない。業界で武器となる繋がりがない。だから己の強みを理解し、動画のクオリティを磨き、横の繋がりを構築するなどして、自分のチャンネルの導線を死にものぐるいで構築していく。

 そこまでやってなお、チャンネル登録者数が一桁なんてザラ。誰もが必死に努力し、九割以上が成果を得られず、やがて未来を諦め消えていく。そんな正真正銘の修羅の世界が個人勢。


葛西︰もうすぐ時間ですね。ボタンさん、緊張していませんか?


──なので必然的に、俺が目指すのは企業勢だった。なにせ俺の目的は、推しの人気VTuberにダンジョン産の食材を振る舞うことだ。そのために必要なのは数字、具体的に言えばチャンネル登録者だ。

 俺の推しであるリーマンは、業界トップの箱である【ばーちかる】に所属する人気VTuber。チャンネル登録者数は50万オーバーという、業界の男性ライバーの中でも上位の人気を誇る雲上人。

 そんな相手と交流を持つのならば、こちらも相応の数字は必要だ。特に企業勢である以上、リターンが見込めなければ一考の余地すらないだろうさ。

 きっかけを確保するためにも、チャンネル登録者数は一万は欲しいところ。もちろんこれは最低ラインで、数字はあればあるだけいい。

 マトモなツテもない、配信者としての経験もない素人が、どうすれば数字を出せるのか。答えなんて簡単で、多少なりとも導線が存在する企業勢として活動するのがベスト。


山主︰大丈夫です。ご心配ありがとうございます

葛西︰いえいえ。私もマネージャーとして、最大限協力しますので。なにかあればすぐに仰ってください


 そう考えた俺は、半年前に直近でライバー募集していたいくつかの事務所にエントリーし、その中の一社にどうにか合格した。

 受かった事務所は【デンジラス】。業界としては中小クラスの比較的新しい箱で、所属しているライバーたちの抱える数字もそこまで高くはないというのが、VTuber沼の住人としての客観的な評価だったりする。

 だが全く問題ない導線ゼロと比べれば、チャンネル登録者数が五桁を超える先輩が複数所属している時点で破格も破格。完全な素人である俺を選んでくれた時点で、もう感謝しかないレベルだ。……無理だったら個人勢として修羅の道に挑むことになったので、本当に助かった。


山主︰雷火さんの方はどんな感じですか? ちょっと準備してるせいで、あんまり観れてないんですけど

葛西︰順調ですよ。上の方々もしっかり宣伝してくださっているので、設定していた同接ラインは越えてますね

山主︰それは良かった


 現在デビュー配信中の同期も、今のところは順調とのこと。確か設定されていたラインは四桁後半だったので、少なくとも5000人は越えていると思われる。デンジラス規模の事務所のデビュー配信と考えれば、確かに順調だと思う。

 あとはこの流れを俺が維持できればいいのだが……。この業界、男性ライバーというだけでデバフが掛かったりするので、なんとも言えないところなんだよなぁ。

 実際、俺のガワの名前でエゴサをかけてみたら、香ばしい呟きが多いこと多いこと。デンジラスは女性ライバーが多い、てか俺だけなので、ある意味では仕方ないことではあるんだけども。


葛西︰ボタンさん、気負いすぎる必要はありませんよ。あなたの好きなようにやってください。何があろうと、運営である私たちがついてますから

山主︰本当に大丈夫ですよー。そもそも素人な俺が採用された理由の大部分が、メンタルの強さにあるんですから。マイナス意見なんて気にしませんとも


 こんな感じのやり取りは何度目だろうか。いや、運営側からしたら気が気じゃないんだろうけどさ。

 デンジラスには苦い過去がある。かつて所属していた男性ライバーが、活動中に鬱になり自殺未遂を起こし、そのまま引退したという過去が。

 彼が鬱になった理由は、アンチによる誹謗中傷。女性ライバーに男の影がチラつくことを毛嫌いする層、俗にいうところのユニコーンが大暴れし、そこに騒ぎたいだけの愉快犯が便乗して大惨事が巻き起こった。

 彼がデビューするまで、デンジラスは女所帯だった。事務所としてアイドル売りをしていたのではなく、女性ライバーの方が単純に伸びやすいという理由で。

 新規参入したばかりの小さい事務所が、利益を確保できる見込みが高い方向に舵をきるのは当然のこと。最終的には男女が共存する箱を事務所の目的としていても、企業である以上は活動資金を稼ぐ必要があるわけで。

 なのでデンジラスとしては、比較的伸びるハードルの低い女性ライバーで数字を稼ぎつつ、余裕が出てきたら男性ライバーもぼちぼちデビューさせたかった。少なくとも、そういう予定だった。──それを一部の馬鹿たちが台無しにしたわけだ。


「アレは外野ですら胸糞悪くなる事件だっからなぁ……」


 女性ライバーが多い以上、そういう層が出てくるのは仕方ないことだと俺も思う。共感はせずとも納得はする。女所帯に男一人となれば、どうしても風当たりが強くなってしまうものだろう。

 問題だったのは、その手の連中が関係者の想像以上に濃かったことだ。……中小クラスの事務所に所属するライバーに、わざわざガチ恋するような奴らのアクの強さを見誤ったのは、運営側としても悔やんでも悔やみきれない部分だろう。

 絶え間ないお気持ちメッセージに、ストレートな誹謗中傷。人気も低迷し、根拠の無いデマまで拡散されたとなれば、大抵の人間は心が折れる。

 運営側も事態の収束には奔走していたようだが、設立して間もない中小事務所ではどうしてもマンパワーが足りず。ようやく準備が整い、法的措置の声明を出した頃に、彼は剃刀を手首に当ててしまっていた。……幸いにして彼は一命わ取り留めたそうだが、なんともやるせない一件だろうか。


葛西︰ボタンさんが、そういうことを気にしない方であるということは理解しています。それでも私たちは、二度と同じ轍を踏みたくはないんです

山主︰ええ。理解していますよ


 あの一件によって、デンジラスの大きな損害を被った。金銭的な損失はもちろんだが、なによりも『所属ライバーを守れなかった』という汚名がついてしまった。

 元々、デンジラスはVTuber業界に強い想いを抱いた者たちが立ち上げた事務所だ。だからこそ、この一件はとても堪えたことだろう。

 ファンは減り、収益も減り、ライバーを募集しても数は集まらない。地力のある大手ならともかく、中小クラスの事務所では大ダメージだ。

 だからこそ、デンジラスは俺を採用した。事務所の事情を理解し、その上で応募をしてきた俺を。配信経験のない素人ではあるが、代わりにダンジョンに潜り命のやり取りができるほどに図太い俺を採用した。


山主︰気楽にいきましょうよ。これは利害の一致です。素人であっても、目的のためにVTuberとして活動したい俺と、汚名を濯ぎたい運営サイド。お互いウィンウィンで、一緒に頑張っていこうじゃないですか

葛西︰……そうですね。すいません、マネージャーの私がフォローされるなんて

山主︰いえいえいえ。元VTuber沼の住人としては、マネさんが神経質になるのも分かりますからねー


 再び男性ライバーを雇うだけでも覚悟が必要だろうに、取り巻く状況はかつての一件よりも明らかに悪くなっているのだから、そりゃ神経質にもなるだろうさ。

 女所帯に男が一人。それをもう一度、過去にトラブルが起きているにも拘わらず、運営が再現しようとしているのだから。冷たい目を向けられるのは仕方ない。

 爆死する可能性が高い男性ライバーを、消耗中の事務所が複数雇えないという、どうしようもない理由があったとしても、世間からすれば関係ないのだ。

 それでもデンジラスは踏み切った。今後を見据えて、現段階で汚名を濯ぐために。そして再び、男女問わず活動できる事務所を目指すために。


「ふぅぅぅ……」


──つまり俺は、新人男性ライバー【山主ボタン】は、社運を賭けた一世一代の大博打というわけだ。推しに飯を振る舞うためという、馬鹿げた理由から踏み込んだVTuber業界だが、これはこれで悪くない。


「いやはや。燃えるじゃないの」


 スタート時点で向かい風。跳ねる見込みは薄く、それでいて責任重大。個人勢で完全なゼロから始めるよりはマシとはいえ、こっちもこっちで中々にハードモードかもしれん。……だがまあ、生憎と不安はない。いや正確に言えば、不安を抱く意味がない。

 だってこういうのは、まず。無理だと足を竦めていては、できるものもできやしない。


「──そんじゃ、いっちょ始めますか!」


 目的決めたら一直線。ついで大勢の未来を背負って、なりふり構わず突き進むのみ!!

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