おかえり

しゅう。

しっ。

髪を結ぼうとすると

ゴムが髪に擦れて

聞き取れるか取れないか程の音を立てた。

室内にいるときに僅かに聞こえる時もある

虫の合唱くらいの小さな音。


しっかりと髪は結った。

持ち物だってざっくりだが確認した。

昨日分の日記は書いた。


歩「……はぁー…さむ…。」


暖房を切った部屋は

乾燥しなくていいかもしれないが、

反面波のように寒さが雪崩れてくる。

神が扇子で仰いだのかという程

何もしていないのに冷気が舞い込んむ。

雪の季節はまだ遠いと思っていたが

思ったよりももうすぐらしい。

何せ今年ももう終わる。


今日は花奏が退院する日だ。

退院の時は流石に

親子の時間にしたいだろうという話が上がり、

みんなで集まるのは夜になった。

思えば最近夜の散歩に

高頻度では出掛けていないような。

それこそ花奏が入院している間は

何度も行ったけれど。

必要性が低くなってきたということだろう。

嬉しいことである反面、

何処か寂しい気が胸の中を濁す。


今まで色々な事があった。

この1ヶ月に起こったとは思えないほど

密度の高い1ヶ月だった。


花奏が事故に遭って、

一命を取り留めたと思えば

心的要因で気絶するほど痛みを訴えて。

怪しかった嶋原に話を聞けば

タイムリープなんていう

SFのような話が出てきて。

紙束で知らない11日と12日の

日記だって出て、

嶺に聞けば同じような状態でさ。

そこからヒントを得て

ハンバーグを作ろうと考え

病院に頭を下げにいって。

暴れる彼女を抱きしめて必死に

花奏のお陰でここに居ることを伝えて。


…そして、やっとの思いで

晴れて退院する事が決まった。


歩「……花奏の家寄るか。」


家を出る直前、

思い立って花奏に連絡をした。

丁度通り道だし

迎えも兼ねて行っていいか、と。


花奏が退院した祝いとして

みんなで集まって

パーティをすることになっていた。

場所は家が1番広いであろう美月の家。

私は年末も近くなっていることだし

これを機に実家へ帰るつもりだ。

その準備も終えている。

後は、まだ時間が早いので

少し待ってから家を出るだけ。


電車にこれから乗り

花奏や私、美月の家の方に

行くのだと思うと何だか感慨深くなる。

私の知る12日も確か

そのルートだったよな、と

記憶の中の地図を辿った。

ただ、学校に行く時もそのルートなので

別に今更思い出すことも

ないだろうと思う。

休みの日であるってことが

大きな違いなのだろうか。

それとも服装だろうか。


答えは出ないままに

時間の許す限りぼうっとしていると、

当たり前だが時間は

待ってくれることはなく、

あっという間に家を出なければ

いけない時間になってしまう。

慌てすぎることもないかと思い、

重いリュックを肩にかけ、

青いネックレスを首にかけて

家から1歩飛び出した。





***





歩「…。」


さすが12月の末。

外に出るだけで指先が冷える。

ましてや冬は体の芯まで冷やそうと

手足をこちらへ伸ばしてくる。


歩「…はー…。」


まだ息は白くなかった。

せっかち過ぎたみたい。


その後花奏と連絡がつき、

駅で待っててと言われ

今実際に待っているところだった。

暇だし家まで迎えに行こうかと思ったが

再度どうせ駅に行くことになるので

それは二度手間だろうと

花奏が言ってくれたので、

じゃあ遠慮なく、と駅で待つことにした。


電車を降りてすぐ目に付くのは

眩しいくらいの蛍光灯。

この時間でも既に暗闇が

目一杯に広がっていて、

その分蛍光灯の輝きが増して見える。


歩「…。」


殆どが改札から流れるように出て行く。

花奏が分かりやすいようにと

改札から出る手前の

コンビニの近くに突っ立っていた。

コンビニから出てくる人、

吸い込まれるように入って行く人。

それは様々で、

皆違う今日の1部を過ごしている。


珍しくスマホを弄らず

風景を楽しみながら待っていると

不意に長い長いポニーテールが

遠くに映る。

私は気づいたけれど、

花奏は気づいていなさそう。

私は身長が低いしきっと前にいる人々で

埋もれているんだろう。

そのまま観察するように眺めていると

改札を通る手前、

気づいたのかばっと片手を上げた。

まだ流るる人は多いのにも関わらず

私を見つけ出してくれるのだ。


返事をするように

私も片手を上げ返した。


花奏「ごめん、ちょっと遅れてもうた!」


歩「全然平気。まだ次の電車来てないし。」


花奏「ほんま?あーよかった。」


歩「ってか、あんた普通に歩いていいわけ?」


花奏「うん!だいぶ良くなってんで。流石に激しい運動は辞めろって言われてるけどな。」


歩「そっか。治り早いね?」


花奏「体だけは昔から丈夫やってん。」


歩「馬鹿は風邪ひかないってやつ?」


花奏「ほんまにそれなんよ。」


歩「あぁ、否定しないんだ?」


花奏「私より歩の方が馬鹿やからええかなって思ってん。」


歩「は?」


花奏「あはは、ごめんって。違うやん。」


歩「はいはい。固形のご飯は食べられそう?」


花奏「入院する前の半分くらいならいけるで!」


歩「そ。ま、なるべく安静にね。」


花奏「はーい。」


私よりも20cm程身長の高い花奏は

ゆるゆると私の隣へと位置付いた。

思ったよりも怪我の治りは早く、

思ったよりも昔のように

気軽に話しかけてくれた。

まるで日常が、何の変哲もなくて

つまらなすぎるくらい

普通の日がここにあった。


不意に、これまでの半分くらいなら

固形物を食すことができるという言葉に

疑問を抱いてしまった。

花奏の言うこれまでとは

一体いつの時間のことなのだろう。

それこそ、ループする前のことだろうか。

けれど、それを気にしてしまっては

目の前で緩やかに笑う花奏に対して

失礼な気がしていた。

彼女は忘れようと努力しているのだろう。

そんな中、今思案しなければ

ならないようなことではない。

私も今だけは考えなしでいよう。


慣れてしまっているから

中々気付きにくいけれど、

普通って、何もない日常って

物凄く幸せだったんだ。

幸せに浸って、浸り続けて

また慣れていって

忘れて行くんだろうな。


電車に揺られている間、

花奏は眠そうにこくりこくりと

うたた寝をしていた。

たった2駅分の時間なのに、と

内心驚く自分がいた。

座った瞬間、話していたが

嘘のように黙りこくったと思えば

既に目を閉じていた。


あまり眠れていなかったのだろうか。

それとも世に言う

沢山寝た時ほど眠くなる現象でも

起きているのだろうか。

私はショートスリーパーだから

その現象はあまり分からないけれど。

眠くなる、と言うよりは

気怠い、の方がしっくり来た。

うつらうつらとする花奏は

マスクをしているからか

より険しそうな顔を

しているようにも見える。


きっとまだ抜け出せてはいないんだろう。


歩「花奏。」


花奏「……んぅ…。」


歩「もうすぐ着くよ。」


花奏「…はや…。」


歩「そりゃそうでしょ。2駅なんだし。」


花奏「そっか…ふぁ…は…は…。」


夜眠れなかったの、とは聞けなかった。

聞かなかった。


久々の外、進んだ時間。

その中で過去に思いを馳せるのは

仕方のないことだと思う。

ことがことだったから、尚更。

だから昨晩はもしかしたら

いつもより多く深く

考えてしまったのかも知れない。

ただの予想にしか過ぎないけれど。


電車を降りて冷たい風に吹かれると

意識がはっきりし出したのか、

花奏は目をしっかりと開いていた。

見ている感じだと花奏は気楽そう。

いつもの道とは違い

迂回する方の道を通ろうと

駅を出てすぐに曲がると、

くい、と袖を引かれた。


花奏「どこ行くん?」


歩「え?」


花奏「美月の家こっちやろ?」


歩「時間あるし散歩。付き合って。」


花奏「それで遅れたら歩のせいやで。」


歩「ヒーローは遅れて登場するって言い訳しときゃいい。」


花奏「うわ、愛咲は絶対それにのるやん。」


歩「楽しそうじゃん。それでいこ。」


花奏「あえて遅れるのはやめーや?」


歩「うーん…ま、善処はする。」


歩、と名前を呼ばれたのは久しい気がした。

花奏は何かと私の名前を呼ぶことを

避けていたような気がする。

お互い名前で呼び合うのは

やっぱり心が擽ったかった。

私の隣へとひょいと足を運ぶ影がある。


この道を通ろうと思ったのは

勿論事故現場のある道を

通らないようにする為だった。

私でさえあの場所に行けば

思い出すことが多々ある。

花奏はきっと、私の比じゃない。


隣を歩く花奏が

私の考えに気づいているのかは

全くもって未知数だが、

付き合ってくれるのはありがたかった。

この辺りは元々地元だったこともあり

それとなく知ってはいた。

ここに厄介で怒りっぽい

おじさんが住んでいたことも、

小学生に人気の駄菓子屋があることも、

少し離れた先の長い階段の奥には

祠がしっぽりと佇んでいることだって

記憶の片隅に住んでいる。

小学生の頃に自転車を必死に漕いで

美月とこの辺りは駆け回った。

大体周辺2駅先あたりまでは

行っていたのではないだろうか。


花奏「夜にこうやって歩くの久しぶりやな。」


歩「外の空気美味しい?」


花奏「病院に比べちゃ何倍も。」


歩「やっぱそうなんだ。」


花奏「室内30日超えの軟禁は息が詰まる。」


歩「あんたは外好きそうだしね。」


花奏「見た目だけや。結構室内にいる方やで。」


歩「あー…それも分かる。大型の室内犬だけど散歩好きみたいな。」


花奏「その例えは喜んでええもんなん?」


歩「あくまでイメージだから。」


花奏「そんなイメージあったんや。」


歩「少なくとも犬か猫かなら犬でしょ。」


花奏「猫ではないな。」


歩「ほら。」


花奏「歩は…うーん、猫っぼい。」


歩「気まぐれだから?」


花奏「自覚あるんや。」


歩「それなりには。」


花奏「なーんや、何か見透かされてるようで悔しいわ。」


声からむすっとしているのが分かる。

この、何も生まないような会話を

ずっと待ち望んでいたのかもしれない。


昼とはがらりと変わるこの景色。

空には都会に埋もれた星空。

風は心地よく体を射て、

次第にじんわりと包み出す。

花奏のポニーテールが

ゆわゆわと優雅に揺れていた。


歩「髪伸びたね。」


花奏「そんな分かる?」


歩「何となく。」


花奏「そうなんや。」


何だか素っ気ない返事が返ってくる。

本人はあまり納得がいっていないのか

髪の毛を手元に手繰り寄せ眺め出した。

昔、枝毛を探すと言い

集中していた小学生の頃の

美月の姿勢とそっくり。


花奏「…髪、切ろうと思ってるんよね。」


歩「へー、どれくらい?」


花奏「4月の頃の歩くらい。」


歩「え?」


4月の頃。

何となく記憶にはある。

結べないくらい、

なんなら肩につくかつかないかくらいの

短さだったと思う。


歩「そしたらポニテ出来なくなるけど…いいの?」


花奏は肩をすくめて

髪の束を強かに握った。

指先が赤くなっていて

冷えているであろうことが

簡単に予想できる。


花奏「もうええんよ。縛られたくない。」


歩「…そっか。花奏が考えて決めたことだし良いと思う。」


花奏「ほんま?」


歩「ん。ほんま。」


花奏「えー、リピートしただけやん。」


歩「ほんまほんま。」


花奏「絶対思ってないやつや。」


暗い雰囲気を逃す為かな、

無意識のうちに明るくしようと

ふざけている私がいた。

これから花奏のお帰りパーティだというのに

こんなところで湿気っていたら

しょうもないから。


歩き続けると、いつもの道とは違い

ぐるっと回り道をして美月の家まで辿り着く。

インターホンを押すと、

何かを準備していたのか

箸を持ったままの長束が迎え入れてくれた。

時間こそぎりぎり遅れはしなかったが

既にみんな集まっていて。

その中には勿論嶋原の姿もあったが、

花奏は依然として柔らかく微笑み続けていた。


程々の広さを持つ

立派な木で出来た長机が

いくつか並べられており、

誰かが…きっと長束や関場が

持ち寄ったであろうお菓子が隅に、

中央には美月の家の方で

用意してくれたであろう見るからに豪勢で

涎の滴りそうなご飯が並んでいた。

なんだか私と美月が出会った時を

不覚にも思い出してしまう。


他にも、誰が持ち寄ったのか分からない

細々としたおかずが

皆に均等に分けられている。

さっきまで長束は、この取り分ける作業を

していたのかもしれない。


美月「いらっしゃい。外寒いでしょ。」


歩「ここが異常にあったかい。」


美月「温めておいたの。夜は冷えるからってお手伝いさんも気を遣ってくれたわ。」


梨菜「おおー、流石ご令嬢。」


美月「家がお寺ってだけだから。」


波流「こんな広い部屋借りちゃってよかったの?」


美月「ここはそんなに広くない方よ。少しばかり狭いけれど許してちょうだい。」


羽澄「十分広いです!」


愛咲「おーい、そこの唐揚げとってくれー。」


麗香「先輩は相変わらず横入りが得意けぇ。」


愛咲「非常識極まりねーじゃねーか!」


麗香「実際の横入りじゃなくて話の横入りけぇ。」


愛咲「それなら毎日してるぞ?」


羽澄「これはもう手遅れでありますね…。」


愛咲「何っ、うち病気なのか!?」


美月「ほら、お皿貸して。」


歩「いいよ。私やる。」


愛咲「頼んだー!」


来て早々こんなに煩いとは

思ってもいなかった。

けれど、この煩さは嫌いじゃない。

居心地はそこそこによかった。


そういえば私は

何も持ち寄っていないことに気づくも、

美月や長束を中心に

「今日のパーティは

花奏のお帰りと私へのお疲れ様を

兼ねてのものだから一切気にするな」

と言ってくれた。

なんなら金輪際気にするなと

釘を刺されたほどだ。

私も花奏もこれには笑うしかなかった。


愛咲「てかよぉ、あれしなきゃ始まんなくね?」


羽澄「お?何ですか!」


愛咲「乾杯だよ乾杯ーっ!」


長束は本当に場を

賑やかにさせるのが上手い。

じゃんじゃんとコップに飲み物を注いだ後、

皆はコップを手にじっと待った。

変な気分だ。

私が人に囲まれて

こんなことをしているなんて。

それもこれも全部、

隣にいる花奏のお陰だった。

私は花奏のお陰で

随分と変わってしまったらしい。

でも、それは嫌な変わり方じゃなかった。


愛咲「こほん。では!」


…素直じゃないな。

この変わり方は好きだった。

今日だけはそういう言い回しをしておこう。


愛咲「花奏の退院とぉー、あと遅めのクリスマス会を兼ねてー、乾杯ーっ!」


乾杯と口々に言うものだから

周囲にまでじんわりと

暖かい色が滲んでいく。


それからは大層賑やかだった。

基本私の近くに花奏や美月がいて、

美月と遊留、嶋原らで

多分楽しげに話を広げており、

長束や嶺、関場で

盛大にコントを繰り広げている。

それを見て私は呆れつつも笑って。

長束に関してはみんなへ均等に絡みに行き、

否、だる絡みをしに行っては

嬉しそうに追い返されていった。

よく嶺や関場は長束を飼い慣らせるなと

何度尊敬しただろうか。


帰りのホームルームが終わった時よりも

煩いであろうこの場をぼんやり眺め、

ふと隣を見やると花奏と目があった。

何だかぽかんとしていて、

夢から覚めた時のような顔をしている。


歩「…?どうかした?」


花奏「…んー…さっき髪の話したやん?」


歩「え?うん。」


花奏「…髪、歩に切ってほしい。」


歩「私でいいの?見習いもいいとこだけど。」


花奏「歩がいい。」


歩「そ。じゃあ請け負おう。」


花奏「お金は払うで。」


歩「いらないいらない。そんなお友達料みたいなことしないから。」


花奏「…ええん?」


歩「いいの。」


花奏「ごめんな。」


歩「そこはありがとうでいいんだよ。」


花奏「……うん、ありがとうな。」


花奏は少し困ったように声を詰まらせて、

けれど蕾が日に照らされたように

儚げに笑って言っていた。


あの乗り越えた日以降、

花奏とは退院前に何度か話した。

その中で気づいたことがある。

今日はそんなに多くはないけれど

明らかに謝る回数が増えたのだ。

それが今の花奏の全てを

物語っているような感覚がしていて

胸が痛んだけれど、

今は楽しむことだけを考えていよう。

…。

…あぁ。

でもこれ以上考えなしになるその前に、

どうしても伝えなきゃいけないことがある。


歩「花奏。」


花奏「んー?」


歩「ありがとう。それから…おかえり。」


花奏「…うん、ただいま。」


今日は12月26日。

11月12日からは1か月半程経過していた。

何もない日常は常に隣にいたのに、

いつしか見失っていて。

そして失って初めて気づいた。


花奏が隣にいるのは

当たり前じゃないってことに気がついた。


私だってこんな簡単なことに

気づかないなんて

馬鹿だったな。


そういえば、と不意に文句を

ひとつ伝えていなかったことを思い出した。

あの誕生日の祝われ方なんて

嬉しいはずがないと言っていなかった。

けれど、今でなくていいはずだ。

また今度、こうして思い出した時に

さらっと口に出すことにしよう。

そして、祝い直してとでも言っておこう。


それからはみんなでどんちゃん騒ぎで。

だが、誰ひとりとして

花奏の傷には触れなかった。

触れないように配慮して

話題を振っていたんだと思う。

中途、長束は小さい子の面倒を

見なければならないと言って

退出することになり、

それを機に解散する運びとなった。

長束は、自分が抜けても

好きな時間まで続けてくれと

酷く申し訳なさそうにしたけれど、

私は受験もあるしきりがいいと

嶺がフォローを入れたことで、

少しは納得したらしい。


長束は柄にもなく思い詰めたように

嶺や皆にお礼を言って颯爽と

駅の方へ消えていった。

珍しい、とは思ったが、

その後美月に話しかけられたことで

考えていたことなんて

ふわっと姿を眩ました。


側にはいつもの体温。

頼り甲斐のある、でも少々華奢な背中。

私はこれからも花奏と関わりを持っていたい。

いつからかそんな思いが芽を出していた。


これからも、花奏の隣に居られますように。

そんな明日を待ち望んだ。






明日を待ち望む 終

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