あなたの願い
1日1日があっという間に過ぎていく。
気づいた時には既に
あの事故から1ヶ月ほどが経った。
無情にも私たちを無理矢理
戻れないところまで連れて行く時間。
それに抗うことは出来なかった。
歩「…。」
何をしよう。
側から見れば幸せであろう思考の呟きを
四面の壁に吸わせる。
昨日は冷静になれずに
とりあえず家まで辿った。
その間の記憶はほぼなく、
唯一覚えていることといえば
電車の中で赤ちゃんが
泣いていたことくらいだ。
家に着くや否やご飯を食べることも忘れ
ベッドへと大の字で寝転がり、
やることや考えることは沢山あるのに
寝入ってしまった。
普段は2、3時間眠ればいいものの、
昨日は5時間程も眠っていて、
起きた時には体を締め付けるような
怠さに襲われた。
歩「………。」
花奏は私を助ける為に
11日と12日を繰り返していた。
耐え切れなくなったのか
自殺しようと試みていたが
嶋原が阻止し続けていた。
しかし、花奏がタイムマシンを
壊したことで巻き戻し不可となり、
今ある未来が選ばざれるを得なかった。
花奏は未来を知っていたから
12日に無理にでも買い物に
行きたかったのだろう。
未来を知っていたからこそ
15日にあの予約投稿ツイートを残した。
当日には私の誕生日を
祝えないだろうと思っていたから。
それは、花奏自身死ぬ予定だったから。
そして何の変哲もないくらい
普通の日が来ますようにというのは
今まで散々私が死ぬ未来を
見てきたから…だろう。
なら今、花奏が苦しんでいるのは何故。
私は生きているのに。
勿論私の知り得ないあったはずの
過去、未来が関係しているとは
分かっている。
歩「………何で…。」
謎が謎を呼んでくる。
もう不可解なんていらない。
花奏を助けられる方法を、答えを知りたい。
そう、どれだけ嘆いても
答えをくれる誰かなんていなかった。
神様でさえも見放した模様。
私がどうにかするしかなさそうだった。
時計を見ると既に12時を回っている。
くうぅ、と刹那、腹が空腹を訴えた。
そうか。
そういえば何時間もご飯を食べていない。
たまにあるのだ。
空腹を忘れ、何かに没頭するわけでもなく
時間が過ぎていることが。
思えば15、6時間は
食べていないなんてこともざらにある。
今回もその一環だった。
歩「……どうしよ…。」
ぽつり。
独り言が彷徨い出していた。
このままこの何もない部屋で
ぼうっとしていても仕方がない。
そう思い立った私は
すぐさま家を出る準備をしていた。
元より鞄の中身が
前日のままだったため、
する用意といえば身だしなみを
整える程度で済んだ。
家から1歩踏み出す直前、
部屋の中を見渡した。
しんと静まり返る部屋。
1人暮らし、ワンルーム。
温める必要のない床。
随分と空虚で青い部屋だった。
***
歩「…。」
改めて花奏のいる部屋の
扉前にくると緊張か恐怖か
将又別のものなのかが
背筋を震わせにきていた。
そのせいで心臓は
何キロも走った後のように
どくどくと昂り続けている。
何度も惨状を目の当たりにした。
私が原因であるということは
間違い無いのだ。
また花奏が限りなく延々と
苦しみ続ける姿を
見届けなければならないと思うと
後1歩、この1歩が踏み出せなかった。
今日で4回目か。
この前は高田と出会ったんだっけ。
高田はあの日以来
花奏の元に顔を出しているのだろうか。
それともお見舞いに来るのは
辞めてしまっただろうか。
それは今後私が知る余地は
一切ないだろうな。
高田とは今後関わる事はないと感じていた。
他の人だってそうだ。
1回偶々会って話しただけでは
今後も関係を持つとは思えない。
花奏ともそうだった。
初めて会った時は
どうせ関わりなんてないし
今後も持つことはないから
好き勝手言ってもいいか、程度の考えで。
それが今ではこんな
大切な存在になった。
歩「………変なの。」
自分でも自分が1番よく分からなかった。
不可解同然だ。
…。
歯を食いしばる。
力を入れて、思いっきり食いしばって。
そしてこれ以上は強く出来ないくらいに
力を入れた後、ふっと脱力する。
歩「………よし…。」
大丈夫。
そう言い聞かせるしかなかった。
大丈夫だなんてまやかしの言葉にしか過ぎず、
大丈夫という人間ほど
大丈夫ではないなんてことは
とっくに知っていた。
それは花奏から学んだ事だった。
ぎゅっと手に力を込め、
緩んだ体を引き締める。
からから。
微弱ながら扉を開いた時の音が鳴る。
歩「…っ。」
怖いのかもしれない。
1人だからだろうか。
…誰かが隣に居たとしても
怖いことには変わりなかっただろう。
足音をなるべく立てないように
花奏のいるベッドに近づいた。
近くまで行って見てみると
目を閉じている。
どうやら眠っているらしい。
花奏「…。」
歩「…花奏。」
花奏は眉間に皺を寄せながらも
布団を肩まで被り
静かに寝息を立てていた。
すう、すうと一定リズムで空気を切る。
点滴は当たり前のように外れておらず、
前見た時よりも顔が少し
ほっそりとしている気がする。
たった2、3日しか空けていないはずが、
1ヶ月程度ここに足を運んで
いなかったような奇妙な感覚に陥る。
だが、いざここに来ると
記憶は鮮明に蘇ってきて、
さっき起こったことのように
ありありと思い出された。
歩「…。」
近くにあった椅子に座り、
花奏を観察しても
時々唸り声を上げるだけ。
歩「…まだ、12日にいるの?」
花奏「…。」
歩「……。」
私の問いかけは虚しくも
この1人部屋に染みるだけ。
1人部屋っていいなと言われるけど
いざ暮らしてみると案外
空っぽだなって思う。
それはきっと病室も同じ。
白の中、両手を広げる花が
棚の上に飾られていた。
目を引く花々は半分ほど
枯れ始めてしまっている。
そういえば前来た時もあったっけ。
あの時は高田も居たからか
あまり周りは見れていなかったな。
つん、と突くと
不安定にゆらゆら揺れたが、
花弁が踊り舞い落ちることはなかった。
歩「……嶋原から聞いた。」
花奏「…。」
歩「…助けてくれたんでしょ?」
花奏「…。」
返事はあるはずもない。
眠っているんだから。
それでも、今は眠ってくれていて
助かったのかもしれない。
思えばタイムリープの話を聞いてから
花奏の元を訪れたのは
初めてのことだった。
花奏のことを見ると見る程
なんだか見方が変わっていくような。
学年は下とは言えど私と同い年。
身長も高いから花奏の方が
側からすれば年上に見える。
これまでに様々なことを、
それこそ母親や親しい人の死を、
凄惨ないじめを乗り越えていたからこそ
私よりもしっかりとした人間だと思ってた。
強い人だと思ってた。
けど、実際は誰よりも繊細で優しくて。
自分が沢山苦しんできたからこそ
人の痛みを分かってあげられる人。
歩「あんたのお陰で私、今生きてるよ。」
花奏に手を伸ばしてみるも、
自分が何をしようとしたのか
明確でないことに気づき、
そっと自分の膝へと戻していった。
頭でも撫でようとしたのか。
私らしくない。
そういえば時に花奏は
私の頭を撫でていたっけ。
多分癖なのだろう。
犬やら猫やらを撫でる時と
同じような手つきだったのを思い出す。
けど、私はいつも薙ぎ払ってた。
触られるのって嫌いだから。
手も嫌、頭なんてもってのほか。
べたべたしてくるなんて
反吐が出るほど気持ち悪い。
そんなやつと関係なんか持ちたくない。
…そう、昔は思ってた。
いつからか、花奏なら別に
嫌いじゃないって思ってたっけ。
嫌いではないけど苦手だから
結局薙ぎ払うんだけど。
歩「………。」
自分の掌をじっと見つめると
相変わらず皺があった。
生命線、その他の線いろいろ。
血色はいい。
私は、間違いなく生きている。
歩「…前、高田って人来てたの覚えてる?」
花奏「…。」
歩「クラスの友達なんだってね。うるさいけどいい人そうじゃん。」
花奏「…。」
歩「…。」
上手いこと言葉が紡がれず
詰まってばかり。
ただの独り言。
会話にさえならない。
改めてタイムリープの話を
思い返してみる。
こんな状態になってまで
私を助けたかったのか、と
信じられないままでいた。
助けたかったのか、それとも。
°°°°°
梨菜『花奏ちゃんは確実に死を望んでたよ。』
°°°°°
…。
…死にたかったのか。
自殺したら偶々私が生き残って
偶々私が現場に行って、
偶々花奏は生きながらえた
だけだった、としたら。
だとしたら、
花奏の望みは叶わなかったのだろうか。
別に元から私を救うことなんて
眼中になかったのではないか。
…。
…元からではないか。
嶋原の口ぶりを見るに
私を救う為に繰り返していた、
巻き戻していたと言っていた。
事実は分からないまま、
事故から1ヶ月もの時間が過ぎた。
戻ることの出来ない現実がそこにはあった。
戻る事ができるなら
私だって戻りたい。
戻ってあの事故をなかったことにしたい。
綺麗な明日を見たい。
事故の前に何が苦痛だったのか
話を聞いて寄り添ってあげたかった。
…聞いたとしてもきっと
花奏のことだから話さないと思うけど、
それでも。
…それでも、力になりたかった。
気づいてあげたかった。
歩「…戻りたいだなんて不謹慎だよね。」
花奏「…。」
ぎゅっと自分の手を握りしめると
手汗がじんわりと滲み出し、
不快感が渋滞した。
出来ることをと考える度、
花奏の願いを思い出していた。
死を望んでいる、と言った嶋原の言葉が
漂流しているのだ。
際限なく脳の海に流れ彷徨っている。
私に出来ること。
…花奏の願いを叶えること…。
ふと過ってしまった邪念に
背筋はみるみるうちに凍っていく。
今、私何を考えた?
歩「…っ!」
脳裏から引き剥がすように
頭をぶんぶんと振る。
振るけれど、離れてくれることはない。
爪のようにぴったりと肌に馴染み、
ピンセットで剥がさない限り
くっついてまま。
命を終えたい人に対して
生きてなんていうのは酷だろうか。
こんなに苦しんで生きているよりも
いっそ、いっそのこと
楽にしてあげた方が
花奏の為になるんじゃないか。
食事を摂っていないのも
そういうことなんじゃないの?
歩「…っ……もう…っ…。」
やめて、やめてほしい。
やめてくれ。
頭が2つに分離してしまったように
考えが対立し鬩ぎ合っている。
違う。
私は花奏を助けたいだけ。
助けたいだけ…。
助ける…んだろ。
そう。
助けて、そしてまたあの
眩しくて鬱陶しいくらいの笑顔を
見るんでしょ。
そうだ。
私は花奏が今までのように
笑って過ごせる事が
出来るようになればそれでいい。
それ以上は、今は望まない。
歩「…早く元気になってね。」
花奏からは沢山の奇抜な時間を、
1人では絶対になかった未来を貰った。
花奏の言動はいつも突飛で
それに加えて強引だなって
思うことは常にあった。
でも小津町にされたことの中で
本気で嫌って思うのはひとつもなかった。
私の思う幸せな日々。
それこそご飯が美味しい、
空が綺麗、よく眠れた、沢山話せた。
そんなくだらないありきたりな幸せ。
それ以上に私はきっと。
私は、小津町と居れるだけで幸せだ。
忘れちゃいけない事なのに
ついつい失念していた。
私はいつからか
花奏にこうも変えられていたらしい。
境界線は水彩絵の具のように
滲みきって認識は出来ないが、
比べると確かに変わっていたのだ。
出来ること。
それはきっと花奏を極力
苦しませないことだろう。
ならば、何かしら方法が思いつくまで
あまりお見舞いに来ない方が
いいのではないだろうか。
それはそれで寂しい気もするが、
少しでも花奏が心安らかな
時間を過ごせるのであれば本望か。
心の中で何かを断ち切らなければ
ならないような思いをしていると
自覚してしまった。
歩「………また、ちゃんと来るから。」
今度は頭を撫でようなんて邪念も起きず
そのまま部屋を後にした。
そういえば、高田の持ってきていた抹茶は
飲む事が出来たのだろうか。
飲めなければまた今度奢ると
高田は言っていたっけ。
それほどまでに大切な約束だったのかと
改めて感じながら廊下を歩く。
時々患者の方とすれ違うのだが、
人によっては会釈したりしなかったり。
…。
出来ること、という単語に
執着しすぎているのかな。
視野を広げられるよう
少し冷静になれる時間を
作った方がいいのかもしれない。
ふと思えば目は疲れからか
腫れている気がするし
歯の食いしばりをしすぎているせいで
そろそろ頭痛がひき起こってもおかしくない。
自分を労ろう。
自分が万全な状態でなければ
人を助けるなんてもってのほかだ。
廊下を曲がりエレベーターで
降りようとしたところ丁度開いてくれた。
すると、1人の姿。
するすると降りるかと思ったが、
顔を見ればどうやら
そうはなりそうになかった。
一瞬だけ、衝撃のあまりか
互いにぽかんとしてしまう。
歩「…あれ。」
羽澄「おおー、歩じゃありませんかー!」
歩「待って煩い煩い。」
羽澄「あはは、失礼しました!」
関場はエレベーターから
跳ねるように降りると、
表向きか根っからなのか
分からないような笑みを浮かべて
ととんと何故かつま先を鳴らした。
癖なのだろうか。
歩「あんたも花奏んとこ?」
羽澄「勿論!もう帰るんですか?」
歩「うん。今花奏寝ててさ、起きる前には出とこうと思って。」
羽澄「そうでしたか…。」
歩「ん。また何かあったらよろしく。」
羽澄「はい、了解であります!」
歩「関場も無理せずね。」
羽澄「それは羽澄のセリフでありますよ。」
真剣なのか否か。
半ば柔らかみを持って話すものだから
どっちだか分からなかったが、
気遣ってくれていることには
変わりなさそうだった。
去年とは全く違った環境。
それもこれも全て、
憎むべき不可解のせいだろう。
…せい、と言うべきか
おかげ、と言うべきか。
憎いは憎いが花奏の件や美月との仲直り、
他然りこの不可解がなければ
そもそも何も変わらなかったのだ。
アンビバレンスな心を抱えたまま
今日も終わっていくのだ。
明日が理不尽に迎えに来るんだ。
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