小津町花奏

小津町が学校から居なくなってから

実に3週間は過ぎた。

隙間隙間の時間に

小津町の姿が見えないのは

何となく寂しい気がしていたが、

それにも慣れてきたと思いたい。

その間にも学校は通常通りあり、

授業は勝手に進み、

いつもならぎりぎり理解していた内容は

全くついていけなくなった。


それから、時々胸の辺りが

異様に苦しくなって学校を屡々休んだ。

とはいえ、この3週間に2回ほどだろうか。

今まで皆勤賞だったことを思えば

相当な頻度で休んでいる。

担任の先生にも珍しいなと

それとなく心配された…のだと思う。

それに加えて、長束からは大層心配された。

長束はよく私の席に足を運ぶようになり、

授業のノートをちゃんととったかだとか

ご飯はしっかり食べてるか、

次の移動教室は何処か分かってるか、

毎晩よく眠れているかだとか。

母親のように気にかけては

私を元気づけるような言葉をかけ、

陸上部やらクラスの友人やらの元へ

そそくさと戻っていった。

…こんな言い方は癪だが、

小津町の代わりになっているようで

気持ち悪さが過った。


あの小津町の惨状を再度目の当たりしてから

5日ほど経ただろう。

経たが、心の傷は塞がるところを知らない。

心の傷なんて言えるほど

大それたものではないか。


歩「…。」


今日も1人で病院に向かい、

小津町のお見舞いへと来ていた。

扉の前で躊躇してしまい、

開く覚悟ができないまま。

…。

そのまま、隣の壁に背を寄せて

中に入ろうという気が起きるまで

待ってみようと思った。

そう、思った。

小津町の病室は個人の場所へと

いつの間にか移っていたのだ。

あれだけ何度も喚くことがあれば

そりゃあ周りの病人達へ

影響を及ぼしかねないか。

なんて思考へと辿り着く。


長束や嶺をはじめ

大体の人は少しずつ話せるように

なっているという。

私と嶋原を除いて。

嶋原に関しては僅かながら、

それこそひと言ふた言くらいなら

話せるらしいが、

その後やはり顔を顰めて

唸り声を上げたらしい。

ただ、気絶するほどではないと聞いた。


私と対面した時のみ、

小津町は気絶するほどに

ベッドの上で這い、のたうち回っていた。

私が何かをしたのだろうか。

距離は徐々に開いていった。

それでも、放っておくことはできずに

時々こうやって顔を出すよう試みている。

けれど、この行為は小津町を

疲弊させているのではないか。

そう思うと1歩を踏み出せないままでいた。

小津町を苦しめているのは

私であるような気がしていた。

今日は3回目。

もうそろそろあの惨状にも

慣れてしまいたいものだけど、

目の当たりにしてしまうと

固まって動けなくなるんだろうな。


歩「…っ。」


医師より伝った幻痛の話は

今も尚良くなる兆しはないらしい。

それどころか悪化していると聞いた。

…。

小津町はどうしちゃったのだろう。

何があったらそんな。

そんな。


歩「…はぁ。」


意図せずため息が漏れる。

病院の中でため息を吐くなんて

あまりよろしくはないんだろうけど、

今日ばかりは許して欲しかった。

気分が沈む、といえばいいのか。

晴れないままだった。

曇り空のまま、時に雨を降らせたまま

作物は日に当たれず腐っていくような。

そんな感覚に近しい。


「ため息ついてたら幸せ逃げちゃいますよ?」


歩「…。」


誰なのか。

視線を落としていたが

声の方向へと顔を向ける。

知らない声。

急に話しかけてくる人間。

4月当初の小津町が過ぎった。


「お見舞いですか?」


歩「…まぁ。」


「まじですか!うちもなんですよ。」


歩「…。」


どうやらぱっと全身を見る限り

私の通う高校と同じ高校らしい。

パーカーを着る等違いはあれど

制服が一緒だった。


「って…ここにいたらそりゃお見舞いですよねー。」


歩「…。」


「同じ高校?先輩ですかね?」


歩「…3年。」


「先輩だぁ!うち1年なんですよ。」


歩「そう。」


「そうなんですよ!あそーだ。お名前聞いてもいいですか?」


ぐいぐいくる後輩は

小津町ほどではないが身長が高く、

いつもの通りだが側から見れば

この知らない人の方が年上に見えるだろう。

病院はいつになく静かな気がした。

…目の前のこの人間が

長束並みに煩いからだろうか。

初対面早々煩いとは失礼かもとは思ったが

小津町やその他大勢に対して

何度も感じてきたものだと思い出して、

いいか、の3文字で片付けられた。


歩「……三門歩です。」


湊「三門先輩ね!りょーかいです、覚えました。うちは高田湊っていいます。よろしくお願いします!」


歩「…ん。」


煩い。

そのひと言に尽きた。

だが、どう頑張っても

小津町の影がちらつく。

似ているとでも思ったのか。


湊「三門先輩は入らないんですか?」


歩「…まだ入る気になれなくて。」


湊「そうでしたかー。もしかして花奏ちゃんがよく会いに行ってる人ですか?」


歩「え?」


湊「時々休み時間になったらすらーっとどっかいくんですよ。後から聞きゃあ友達のところに行ってたって言うから、先輩のとこかなーって思って。」


歩「……そう…多分。」


湊「多分てー。自信持ってくださいよ。」


歩「てかあんたって小津町とどういう関係なの?」


湊「うち、同じクラスで仲良くしてもらってる身ですね。」


歩「あぁ…同じクラスなんだ。」


高田という人は気さくに

話しかけてきてくれるはいいものの、

扉の奥にいる小津町に

聞こえてしまっていないか

不安が湧き上がる。

それとなく視線が扉へと

移っていることに気がついた。

人間って不便だ。

意図せずとも体は動いてしまうもの。


湊「あ、入ります?」


歩「いや…だから、入る気になれないって。」


湊「えー、よければ一緒に行きましょうよー。の方が花奏ちゃんも喜びますって!」


歩「…小津町が眠ってたら入る。」


湊「普通逆じゃないですか?」


歩「…とりあえずあんたが先入って。」


湊「はーい。んじゃ、お先に失礼します。」


無知ってきっと幸せなんだろうな。

小津町の友人の高田と話してて

よりそう思わざるを得なかった。

起きてる時に会った方が

喜んでくれる、か。

そうだったら良かったな。


高田は私と違って何も躊躇することなく

軽くノックをして

お邪魔しまーすと間伸びした声を掛けて

室内へと入っていった。

刹那、しんと病院内が

静まり返ったような錯覚に陥る。

今なら1滴水が滴ったとしても

聞こえてきそうだった。

森の奥よりも海の底よりも

今、ここは静寂に優しく包まれている。

扉の隣に佇む私は誰もいない田舎へと

迷い込んでしまった時のような

負の感情に支配されてゆく。


歩「……はぁ。」


何してるんだろう、私。

小津町に負担がかかるかもと思うなら

そもそもここに来なければ

いいんじゃないか。

そしたら小津町だって

気が楽になるのではないか。

…。

…何が正解なんだか。


また考えすぎてしまう状態になる直前、

からからと勢いよく隣の扉が開いた。

音が聞こえるのは久しぶりな気がして、

驚いて肩がびくっと震え上がる。

扉から出てきたのは

間違いなく高田だった。


湊「花奏ちゃん、寝てますよ。」


歩「…本当?」


湊「がちです。」


歩「…実は起きてて、無理矢理合わせようとかしてるんじゃ」


湊「どんだけ信用ないんですかー。」


歩「初対面だし。」


湊「うち、流石にそこまで悪い人間じゃないんで!」


ふんと鼻を鳴らして

誇らしげに口にしていた。

良くも悪くも素直すぎる人だという

印象が根付いてゆく。

小津町の性格からして極端に悪い人間とは

連まなさそうな気はする。

高田ではなく小津町を信用しているだけ。

そう自分に言い聞かせた。


歩「…そ。」


湊「ほら、早く。起きちゃう前に。」


歩「…。」


高田にまんまと乗せられ

恐る恐る扉の先へと足を踏み入れる。

1人部屋になったからか

広さには余裕があった。

ベッドの隣には今までなかったはずのパック。

栄養を補給するような用途だった覚えがある。

点滴だっけ。

ちらと見えた小津町の体には

いくつかチューブが

増えているような気がした。


湊「花奏ちゃん、来たよー。」


歩「絶対起こさないで。」


湊「そんなに嫌なんですか?」


歩「…嫌というよりかは…小津町のためだから。」


湊「そうなんですか。」


前にあった時よりも更に痛々しくなった姿。

見るのも辛くなるほどだったが、

迫り上がってくる何かをぐっと堪えて

小津町の近くに腰を据えた。


小津町は眉を顰めたまま

寝息を立てて眠っているようで。

寝ている時でさえ休息はないのかと

心苦しくなっていく。

私は小津町ではないのに

その視点に立ったみたく

苦しみの臨場感が伝わってきた。


湊「ありゃ、しわっしわな顔してる。」


歩「…。」


湊「やな夢でも見てるのかな。」


能天気そうな声に一瞬

極彩色の憤りの影がちらつくが、

こんなところで怒っていても

仕方がないと半ば諦めた。

例えばの話だ。

幼稚園児程の無知な子供が

蟻を殺したからと言って

怒号を浴びせるなんて理不尽だろう。

だいぶオーバーな例えだが、

私の感情はきっとこれに近い。

沈めてなかったことにするのが

正解だろうな。


歩「お見舞い来るの、今日が初めて?」


湊「はい。すんごく遅くなっちゃった。」


歩「…。」


湊「怪我はだいぶよくなってるって聞いて、今ならあんま迷惑にならないかと思ったんです。」


歩「…そう。」


湊「先輩は何回か来てるんですか?」


歩「2、3回来てる。」


湊「そっかぁ。どう?体調良くなってそう?」


歩「…怪我の回復は順調らしいよ。」


湊「んー、良かった。」


高田はひと通り話し切ったのか

鞄の中をへと手を突っ込み、

何かを取り出した。

それはどこにでもあるような抹茶オレ。

スーパーや自動販売機などで

何度か見たことがある物。

最近甘い物は飲まなくなったために

久々に近くで見たような。


湊「あい、花奏ちゃん。約束の品だよー。」


歩「え、自分が飲む用じゃないの?」


湊「うん。渡す用です。」


歩「流石に入院中には飲めなさそうだけど。」


湊「ほんのちょびっとでも口つけられたらいいなーって思って。ま、駄目だったら駄目でまた奢ります。」


歩「奢り?」


湊「いつか奢ってーって言われたんですよ。」


小津町の事を見やる高田の視線は

今までになく寂寥に染まっていた。

後悔で満ちているようにも見える。

物静かな視線が優しく射るように

小津町を眺め続けた。


あぁ。

この高田って人にとっても

きっと小津町は大切な人だったんだ。


なんて光の筋が1本

頭に通った感覚がした。


湊「抹茶オレがいいなって言ってたから。」


歩「……そう。」


湊「…ちょっとだけ自分語りしていいですか?」


歩「…?」


湊「うざかったら辞めるんで。」


歩「…お好きに。」


湊「ありがとうございます!」


高田が威勢よくそう言っていても

小津町は辛そうな顔をしたまま

目を覚ますことはなかった。

相当深く眠っているのかもしれない。

寧ろ今まで眠れていなかったのだろうか。

それならゆっくり寝てほしい。


高田はこほんとひとつ小さく咳払いすると

座り直して姿勢を正し、

小津町の方を向きながら静かに口を開いた。


湊「うち、高校入学の時に上京してきたんですよ。それまですんごく狭い町で暮らしてて。」


歩「…。」


湊「んで、都会の高校ってまじで何もかも違くってびっくりしたんですよ。友達出来るかなーとか危ない人にくっつかれないかなーとか不安ばかり。」


高田に限っては友達が出来ないなんてことは

なさそうだとは思うけれど。

でも、やはりこんな雰囲気の高田でさえ

知っている人が誰もいない土地は

緊張して不安でいっぱいになるらしい。

私とは違って人懐っこそうだから

人との対立は少なそうだけど

そうでもなかったのだろうか。

それは分からない。

その人の人生なのだから。


湊「でも、入学式の時に見つけたんですよ。花奏ちゃんのこと。」


歩「知り合いだったの?」


湊「いーや、全然。入試の面接前に見かけただけです。かっこいいポニテ高身長女子がいるーって!受験の時声かけらんなくて後悔してたんですよ!」


歩「あぁ…それで入学後に会ったんだ。」


湊「そう!んで、うちから話しかけたんです。」


病室内に飛び込む光の粒らのせいか、

高田の目がぱぁっと

一気に光を吸収したように

きらきらと輝いた気がした。

相当嬉しかったんだなと言わずもがな分かる。


湊「クラスも同じだったし絶対仲良くなるんだーって息巻いてました!」


歩「そんな出会いだったんだ。」


湊「うん!んで、花奏ちゃん方言話すじゃないですか。」


歩「あー…そうだね。」


湊「うち、元々関西にいたのでさぁらに親近感湧いちゃって。もう大変だったんですよ!」


確か方言は元々喋る気はなかったはず。

私との出会いをきっかけに

話すようになったんだっけ。

だからきっと似非なんだろうけど、

それでも高田の心には刺さったらしい。

同じ方言を話す人がいたら

嬉しいのはどことなく分かる。

私だってこれでも元々

転勤族の人間だったし。

それが嫌になって今では

1人暮らしをしているけども。

幼い頃は引っ越すたびに

その地方の方言に慣れようと努力したものだ。

小学生の後半以降は

その努力をする必要さえなくなったが。


同じ方言を話す人がいるというのは、

海外旅行に行って日本語が

通じる人に出会うのと

同じくらいの感情の昂りがある。

同じ境遇にいれる感覚。

それが堪らなく嬉しかった記憶があった。


湊「…ってな感じで、うちにとって花奏ちゃんって地元以外での初めての大切な友達なんですよ。」


歩「……そう。」


湊「だから早く元気になってほしいな。」


歩「……。」


そうだね。

すらっとその言葉が出てこなかったのは

私が小津町の思想の一部を

知りかけているからだろうか。

それとも。

それとも、この純粋無垢な塊に

染色されるのが嫌だったのか。


湊「…よし。うちはそろそろ帰ろうかな。」


歩「もう?」


湊「はい。長居しても気が散っちゃってよく寝れないだろうし。ほら、うちって煩いんで!」


歩「…それは確かにね。」


湊「もー!肯定しないでくださいよー!」


身振り手振りで怒っているらしいことは

それとなく伝わっては来るのだが、

声色と合っていなくて

あまり怒っていないように聞こえる。

じゃあと言い鞄を背負う高田は

なんだか逞しく見えた。


その時。

布の擦れる音と共に

久々とも言える通常の音が舞った。


花奏「……んぅ…。」


湊「花奏ちゃん?」


歩「…っ!」


私がここにいては駄目だ。

また惨状へと成り果ててしまう。

瞬時に判断したのか、

鞄を背負うことも忘れ扉へと一直進した。


湊「え、先輩?」


歩「私が来てることは一切話さないで。あと、何かあったらすぐナースコールを押して。」


湊「へ?は、はい。」


私の物凄い剣幕にたじろいだのか

返事はワンテンポ遅く返ってきた。

慌てて部屋から飛び出し

音の鳴らぬよう静かに閉める。

そう。

私はここには来てなかった。

そういうことにしてほしい。

小津町の元には来なかった。

…。

そういうことに。


歩「…っ。」


扉を背にしゃがみ込み、緩く膝を抱えた。

私、何やってんだろ。

小津町から逃げるようなことをして

何がしたいんだろう。

何で私は小津町に会いに来てるんだ。

ここに来たって本人をのたうち回らせて

苦しませるだけじゃないのか。

…。

…それでも、何か力になれればと思って

ここに来る足を止められなかった。

何かひと言でもいい。

小津町を救う方法の鍵が見つかれば。


私の考えは甘かった。

私の姿を見ただけで気絶するほど

幻痛に苦しむ小津町が

話なんて出来るはずもなかったんだ。

それどころか、原因はまだ聞いてないが

点滴を打つようになっている。

悪化している。

それは言わずもがな理解した。

確かに怪我は良くなっている。

だが、精神面は良くなる見込みはない。

今のところ、方法が見つからない。

文句のひとつさえ言わせてくれない。


歩「……どうしたらいいわけ。」


また行き場のない怒りが

腹の底から沸々と

限りがないままに湧いてくる。


この怒りは無力な自分に対してだと

前々から分かっている。

今の私は小津町に対して

何もしてあげられない。

力になってあげられない。

それ以前に事故前に

何も気づくことが出来なかった。

私は勝手に小津町には

頼ってもらえるって過信してた。

信じてた。

別に裏切られたとは思っていない。

けれど、何をそんなに1人で

抱え込んでいるのか話して欲しかった。

私の、嘘ではない感情だ。

その抱えているものを半分、

私にも分けて欲しかった。


この考えは流石に重たいものだろう。

それでも、それ程までに

私の中で小津町の存在は大きくなっていた。

今更気づいた。


私は後悔してたんだ。

ずっと悪態をついていたこと、

適当に遇らっていたこと、

雑な言葉ばかり手向けたこと、

傷つけるような言動しかしてなかったこと。

そして。





°°°°°





花奏「教えてくれるまで帰さへんで?」


歩「馬鹿。早く離して。」


花奏「嫌や!だって名前知りたいんやもん。」


歩「今後関わることないでしょうが。」


花奏「ある!ってか私から関わる!」


歩「はぁ?馬鹿言ってる暇あったら別のことしたら。」


花奏「する事ないから今こうしてんねん。」


歩「暇人。」


花奏「言い返せへんなそれは。」


歩「負けを認めたなら早く解く、ほら。」


花奏「それとこれとは別や!」


歩「近くで大声出すな煩い。」


花奏「取り柄や、しゃーないやろ。」


歩「前はこんな煩くなかったでしょうが。」


花奏「いい意味で変わったって言ってや。」


歩「物はいいようかって。」


花奏「あー、今すんごい嫌な顔したやろー。」


歩「ずっと嫌なんだけど?」


花奏「もう頑固やなあ。はよ教えてくれれば離す言うてんのに。」


歩「頑固なのはどっち。あんたが離せばいいでしょうが。」


花奏「名前で呼んでや、名前。花奏って、ほら。」


歩「要望多すぎ却下、うざいから。」


花奏「そー言わんで。私はここ譲る気ないで。」





°°°°°





4月当初から言われ続けた

名前で呼んでという願い。





°°°°°





歩「んじゃ。」


花奏「なぁ歩。」



---



花奏「花奏って呼んでや。」



---



歩「煩い小津町。」



---



歩「また。」


花奏「ちぇー。…うん、またな!」





°°°°°





1度も名前で呼ぶことなく

今日まで至っていた。


沢山の後悔。

数えきれないほど沢山の後悔が今、

堆く積もっていることに気づいた。


歩「………か…なで…っ…。」


私、素直になれなかった。

素直に話せば良かった。

もっと楽しいって感情を

前に押し出してみればよかった。

名前を呼べばよかった。


そしたら小津町の笑った顔が

沢山見れたのかもしれない。

困った顔をする回数が

減っていたのかもしれない。

今、こんなに小津町が苦しむことは

なかったのかもしれない。

全てはたらればの話だ。

どれだけ今考えを練っても仕方がないのに

際限なく奥底から溢れてくる。


初めてこんなに後悔した。

初めてだった。


歩「………っ…花奏…。」


譫言のような言葉が

口から滑り落ちた。


突如、背にある扉の奥から

呻き声が聞こえ出す。

はっとして身に鞭を打ち扉を開いた。

高田しか居なかったのにも関わらず

この状態になってしまうのかと

絶望にも近い黒色が染む。

冷や汗がぐっしょりと背中を濡らす。

手にも汗が滲み、

強く握ると潰れた音がした。


高田は目を見開きながら硬直しており、

胸に手を当てて

息を呑んでいるのが分かった。

触れようとでもしたのだろうか。

急いで部屋に入り、

慣れたようにナースコールを押した。


看護師には迷惑かけてばかりだ。

私がいる時に限りこの情景。

そろそろ出禁になるだろうな。


花奏「はぁ゛っ…いづっ、ぁあぁああぁっ…ゔあぁ゛あぁっ…!?」


歩「…っ。」


花奏「あ゛ぁ゛あぁ゛あぁっっ!」


酷く暴れるものだから

点滴の線が外れそうになっている。

私はただただ見下ろすように

小津町を…花奏を、

視界に入れるしかなかった。

隣では高田が何も言わずに

息を殺して看護師を待っていた。


花奏「はぁ゛……ぁ…はぁ゛…っ!」


歩「……ごめんね…花奏…。」


花奏「ぁ゛あぅ…ゔあぁあぁぁっ…ぁゔあ゛っ…!」


歩「…絶対助けるから。」


湊「…!」


助ける。

その表現が正しいのか判断は出来ない。

いつか花奏が前のように笑って

念願だった高校生活を送れるように、

私が出来ることをするしかない。

それしかない。


沸々と湧き上がっていた怒りは

いつの間にか決意へと成り代わっていた。


歩「看護師が来たら出ようか。」


湊「……うちは残ります。」


歩「邪魔になるでしょうが。」


湊「じゃあ部屋の隅っこにいます。」


歩「何で。」


湊「…1人にしたら寂しいじゃないですか。」


高田の言うことは

いまいちぴんと来なかったが、

花奏のこの変わり果てた現状を受け止め

見届けると言う強い意志が見受けられた。

…なら、私もいるしかないと

道順は不明瞭ながらこの結論に辿り着く。


悶え苦しむ花奏に

声もかけられないままに見つめる。

そしてもし、私のこの決意が、

願いが現実になったら

更に何を望むのか思考が巡る。

今この時に考えることではないと

重々理解はしているつもりだが、

頭は危険を察知したのか

現実離れしたことばかり

考えようとするのだ。


そうだな。

もし花奏が元気になったら

またどうでもいい話をしに

クラスまで来て欲しい。

夜ご飯だって一緒に食べたい。

また遊びにだって行きたい。

受験が終わっても図書館に寄って

勉強するのもいいな。

…あぁ。

何だか花奏の事が

大好きみたいな言い方じゃないか。

なんか…何で言えばいいんだろう。

うざい…だろうか。

むかつく、だろうか。


歩「……待ってて。」


私をこんなに悩ませるようにさせたのは

花奏だ、花奏のせいだ。

私をこんなにも変えたのだ。

変えたなら責任を取って。

信頼させるだけさせといて

急に突き放すってないよ。

花奏。

私、今あんたの名前を呼んでるんだけど。

名前だよ。

苗字じゃなくてちゃんと名前を呼んでんの。

呼んでるんだよ。

気づいて、花奏。


感情は乗り物に乗っているかの如く

うねりを繰り返して

落ち着くところを知らない。

そうしている間に看護師や医師が駆けつけ

睡眠薬だか鎮静剤だか

よく分からない液体の入った注射器を打つ。

すると暫くはまだ叫んだ後、

緩やかにその声は萎んでいき

やがてころりと眠りについてしまった。

何気に初めて静かになる瞬間を見届けたな。

気絶こそしなかったものの

中々に酷く暴れていたと思う。

看護師からは

「またお前か」

と攻撃する程の鋭い視線が

向けられたような気がした。

確かにそう感じても仕方ないよな。

だって私がいる時のみ

こんな大変なことになるんだから。


その後、医師から話があると聞き

場所を変えて私にのみ

花奏の現状を伝えられた。

高田は席を外すと言って

どこかへ姿を消した。

現在、花奏はまともに食事が

出来ていないそうだった。

そのため点滴で補ってはいるものの

今後もこのままでいるわけにもいかない。

だが、幻痛の原因がひとつも掴めない。

精神科等の先生にも事情を伝え

2度ほどカウンセリングを

受けているらしいが黙秘。

ひと言すらも喋らず終いには

過呼吸や幻痛に耐えきれず気絶。

医師も首を捻っているらしい。

…といった状態だという。


過去の記憶の中に

大きな釣り針があって

それに引っかかり続けて

いるのだろうということは

容易に想像が出来てしまった。

それは、彼女の母親や先輩の死、

凄絶ないじめともまた違った何かのはずだ。


歩「……。」


ひと通り終わった後、

花奏の部屋の扉越しにまたねと伝え

病院の外に出てみると、

なんと高田が自動販売機の隣に佇んでいた。

高田はスマホを弄ることも

本を読むこともなく

ただただ地面に広々と敷き詰められた

コンクリートを眺めていて。


歩「…待ってたんだ。」


湊「あ、先輩。…えへへ、何だかぼんやりしちゃって。」


歩「……そりゃそうなるよね。」


湊「うち、初めて見ました。…あんな顔してる花奏ちゃんのこと…。」


歩「…。」


先程初めて対面した時は

煩い人としか思ってなかったが、

あの時間を経て高田は

芯のある人かもしれないと思った。

初めて見たにもかかわらず

見届けると言ってその場に居続けたのだ。

私は出来なかった。

逃げるように部屋を出たんだと思う。

当時私もパニックになってしまって

あまり覚えていないのだが、

寝静まった花奏を見た記憶はなかった。


高田は柄でもなく声を落として

しんみりと形容出来ない感情に

沈んでいくようで。


湊「…何があったんですか。」


空気が震えると同時に届くその言葉。

何があったのか。

それは、何があったら

あんなに叫んで苦しむのか

…と言うことだろう。

実際にあったのは事故だけだ。

それだけだ。

だけ、と言うには大きすぎるけれど。

でも、花奏は事故に遭った。

それ以外ならば当日は体調が悪かった。

それしかないのだ。

私の知り得る情報はたったこれくらいだけ。


湊「…。」


歩「…私も知りたい。」


湊「……。」


歩「…出来るなら、私だって知りたかった。」


喉奥から絞り出した声は

自分でも驚く程掠れ切っていて

風に乗って飛んでいきそうだった。

それでも高田には届いたのか

悔しそうに唇を噛み俯くだけで。

痛いくらいにその気持ちが分かるからこそ

何も言うことが出来なかった。

自分と高田を重ねてしまった。

私自身長束らから貰う言葉に

細やかな違和感を感じていたのだ。

今何も言えなかったのは

その経験があったからだろう。

薄情だと思われてもいい。

何も言わないのが正解だと感じた。


今日も変わらず朝日は昇り

変わらず陽は落ちていく。

変わらず明日は来るのに

進んでいるとは微塵も思えなかった。

でも、1歩だけでも進むために

私に出来ることを。

出来ることを。

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