希望
それから数日は瞬く間に過ぎていった。
日々は溶ける様に過ぎていった。
時間がさらさらに溶けていた。
気がつけばお通夜が終わって
家に帰ってきていた。
もう夕方なんだ。
何してたんだっけ。
何を話したっけ。
何も覚えてないや。
…あぁ、でも1つ。
美月が棺に泣きついて離れなかったことだけ
妙に脳裏にこびり付いている。
もう陽は傾きかけている気がする。
曇っているせいで分かりづらいけれど。
父さんはもう仕事に行き、
今日は浅い夜には帰ってくるのだそう。
また、1人だった。
花奏「……。」
交通事故だったと聞いた。
歩は実家に帰る途中美月と出会し、
2人で家の方向へと歩いた。
きっと小学生時代の通学路とかを通って
懐かしいね、なんて話していただろう。
横断歩道で信号が青になるのを
待っていた時に事件は起きた。
運転手はスマホを車の床に落とし、
それを拾おうとして視線を動かしたところ
ハンドルを切る手が不安定になり
そのまま歩達の元へ突っ込んだ。
歩は美月を突き飛ばして
彼女はそのまま車の餌食に、
美月は突き飛ばされた時の怪我以外はなく。
だから美月は自分のせいだと
咽んでいたらしい。
花奏「…。」
そういえば、最近歩と話してないや。
連絡も取ってない。
どうしてだろう。
少しの間疎遠になってた気がする。
それもそうか。
昨日から学校は普段と変わりなく
いつも通りあったものの
私は今日含め2日間休んでいた。
父さんが連絡してくれてたみたいだけど
私はそれすら気づかず
ずっと布団に潜り歯を噛み締め
眠ろうにも何故か眠れず
数日を過ごしていた。
いつもなら疲れてすぐ眠れるはずなのに。
勉強、しなきゃな。
最近してない。
また遅れをとるのは嫌だな。
そういえば歩に
化学を教えるって約束したんだっけ。
いつなら都合が合うんやろ。
頭痛はもうせず熱もひいているのに
腕は重いままだった。
徐に、数日ぶりにスマホへと手を伸ばす。
LINEを開くと夥しい数の通知数。
個人からもみんなとのグループLINEも
煩いほどに話し散らかしていた。
読む気になれなくて閉じようとするも、
1番下で数字を光らせる名前に
吸い寄せられるように魅入ってしまう。
花奏「…あ。」
私と彼女の…歩との連絡は
私が体調を崩した日で綺麗に途絶えている。
歩とのチャットを開くと、
私の体調を心配する旨のものが数個と
あと電話が来てた。
何となく折り返してみる。
今はもう学校の時間は終わり
放課後のはずだから、きっと大丈夫。
電話独特のコール音。
とぅるるる、とぅるるる。
虚しく響くだけ。
勉強中だったのかな。
いつものように図書室にいるのかも。
あの日も…先週あたりも
過去問を借りに図書室へ行くって
言ってたもんね。
少ししたら、きっと、すぐに。
…すぐに。
…。
ただし、コール音は延々と続くだけだった。
繋がれ、繋がれと願った刹那
ぷつっという音がする。
嬉々とした。
歩が電話に出たんだって、そう思って。
だけれど。
『ただいま電話に出ることができません。』
と、知らない声が突きつけてきた。
…そっか。
と、ひと言だけ頭の中で溢れた。
改めてチャットを見返してみる。
私が熱で倒れてた時の彼女の言葉を。
歩『熱出たんだって?大丈夫?』
歩『今美月と会った。あんたの家私の実家と近かったよね?』
歩『今から美月と家まで行くから。きつかったら私達が来てもそのまま寝てて。』
私はこれに気づかず
呑気に眠ったままいたのだ。
花奏「………ぁ…あぁ…。」
歩は、歩は。
ここまでこようとして、たんだ。
いつから彼女とは
ここまで距離が縮まったんだっけ。
いつから心配してくれるようになったっけ?
いつから休日でも会うような
仲になったんだっけ…?
いくら振り返ってみても
境界線が分からない。
いつの間にか、歩は近くにいた。
いつもいつも遠くに感じてたのに。
罵倒されるし毒は沢山吐かれるし、
私といるのは嫌なんだろうなって
ずっと勝手に決めつけてた。
私とは居づらいんだろうなって。
でも違った。
距離をとっていたのは
私の方だったのかもしれない。
踏み出せずに、全てを信頼出来ずに
1歩引いて接していたのは
私だったのかもしれない。
花奏「…っ。」
返事を今更返してみる。
見ているかな。
期待、してしまうの。
花奏『もう大丈夫。』
…治ったよ。
頭痛も何もないよ。
体だってどこも痛くないよ。
辛くないよ。
吐き気だってないんだよ。
もう熱だって下がったよ。
心の中では沢山の言葉が、
溢れるほどの言葉が湧くのに
口からはひと言も出てこなかった。
空気が足りないな。
…。
…。
花奏「……大丈夫…や………ない…。」
頭痛はない。
熱だってない。
なのに辛い。
痛い。
心が今までにないほど痛い。
ほろりと落ちたのは言葉だけじゃなかった。
頬を伝ってぼろぼろと流れていた。
花奏「…だい…じょうぶや、ない…よぉ…っ。」
ほろほろ。
言葉も涙も痛みさえも
漸く表に出たと思えば留まるところを知らず。
意図していないのに溢れてしまう。
まるであの日みたいだ。
もう戻れないあの日のよう。
私の過去を全て吐露したのち、
歩がよく頑張ったと言ってくれた時のよう。
けれど、違いがあった。
私は今、1人だった。
歩とのLINEに既読がつくことはない。
電話にだって出ることはない。
分かってる。
分かってたんだよ。
ずっと、3日前からずっと。
あの時霊安室で歩に会ってから
ずっと分かってはいたの。
認めたくなかった。
認めたくなかった。
歩がいないなんて信じられなかった。
学校に行っても歩だけいないのが
心底嫌だった。
歩ともう話せないなんて
嘘だと思っていた。
逃げたかった。
忘れたかった。
信じたくなかった。
たった今、本当に歩がいなくなった事に
気がついてしまったような。
もういないんだって実感してしまって。
花奏「…なん………っ…なん、でっ…。」
何故歩じゃなきゃいけなかったのか。
どうして。
まだ話したかった。
まだ遊びたかった。
まだご飯一緒に食べたり
お泊まりしたりしたかった。
一緒に居たかった。
まだ一緒に。
毎日後悔無く生きていたつもりが
後悔しかなかったことに気がついた。
日々の幸せに気づけなかった。
花奏「歩…あ、ゅっ…。」
不意にもういない彼女の名前を呼ぶ。
涙に呑まれて声は霞み、
嗚咽が止まらないせいか
目の前が更に曇ってゆく。
大丈夫じゃないよ。
歩。
***
気が晴れるまで泣こうと思ったが
涙なんて枯れて嗚咽だけが居残り続けた。
泣きたいのにもう泣けないよと、
もう泣いても仕方がないよと
言われているようだった。
こびりついた涙の跡を拭い、
スマホの電源を落とす。
花奏「…。」
もう、歩はいないんだ。
それを受け止めようとしても
受け止められないまま。
何か歩がいたという
…いや、歩がいるという痕跡を
見つけたくて仕方がなくなった。
まだこの場にいると信じたいらしい私の頭。
その考えに突き動かされ、
引き出しの中を覗いていた。
古い木の匂いが鼻をつつく。
なんだろう、ヒノキっぽい気もする。
湿気にやられたのか
年老いた匂いのする棚から
懐かしいとさえ思う紙束を取り出す。
それには宝探しの時の
宝として入っていたものだった。
抽象的すぎてよく分からないものから
座標、住所、そして
「伊瀬谷真帆路は生きている」の文字。
歩の家は最後に行こう。
まずは海の方に行こうかな。
それから何度か一緒に行った図書館。
学校には…気が向かないな。
1番一緒にいた時間が長い場所のはずなのに
他の誰かにその場所が何も思うことなく
踏まれていると思うと不思議な感覚に陥った。
私にとっては思い出の場所でも
誰かからすれば踏んでも蹴っても
なんとも思わないただの場所。
場所に思い出が宿っていないのだ。
今はきっと、それを不快に感じてしまうから。
それから…宝探しの時
歩とこの住所のところを
一応見に行ってみようって
話して行ったんだっけ。
そこにも行こう。
懐かしいな。
記された住所に行ったのはその日以来だから
半年は経っているだろう。
スマホは置き、水とかお金とか
必要なものをリュックに詰め、
突き動かされるままに外へ出た。
花奏「…。」
外はあり得ないくらい赤くて
人は家へと向かう頃。
今から海に行っても真っ暗かな、
微妙に明るいかな。
そんな心で電車に揺られ
ぼんやり外を眺める。
思えば学校に行く時も出かける時も
いつでもスマホを持っていだっけ。
記憶を頼りに電車に乗り降りするのは
もしかしたら初めてのことかもしれない。
みんなに何かあった時に
すぐ気づけるように。
そう思って柄でもなくずっと
持ち歩いていたんだっけ。
夏明けにSNSであれほど嫌なことがあっても
それ以上にみんなに異常が起きた時
早く知れる方がいいと思って。
そんな柵から解かれたのか
今はこうしなきゃいけないなんていう
固定観念が消え去っていて、
幾分か気持ちは楽だった。
花奏「………あ…。」
1つ駅が通り過ぎる。
この電車は急行とかだったのかなと
今更ながらに気付く。
そんな中歩みたいな人が
通り過ぎた駅のホームにいた気がして
はっとするももう過去のこと。
事実を確認することはできなかった。
今から追えば辿り着けるだろうか。
会えるだろうか。
そんな発作的な衝動に駆られ、
私は次止まる駅で降り
各停に乗って戻っていた。
彼女の影だろうと追いたくなるほど
今は寂しさで一杯で
優しさに飢えていた。
私が泣いていようと吐いていようと
歩は心配すら出来ない。
隣にもいない。
いてくれない。
それを思い起こすたびに
喉の奥がこんこんとして
引っ掛かりを感じるも
涙腺が緩むことはなかった。
会いたいだけだった。
各停で戻り、御目当ての駅で降りる。
名前は聞いたことがあるような気もするも
降りたことはない駅で。
名前のない恐怖に
手を広げられていると漸く知った。
そこでうろうろと不審に
周りを見渡したり探したりするも
勿論見当たらない。
当たり前だ。
そう、当たり前。
花奏「……歩…。」
いつしか名前を呼ぶのが癖になっていた。
出逢ってすぐの頃は
同い年とはいえ私の方が
低学年だった為歩さんって呼んで。
そして夏休み後のあの苦しかった一件以降
歩からさん付けなしでいいって言われて。
嬉しいことこの上なかった。
それが嬉しすぎたからか、
一件を終えて1週間は
気が緩めば今歩は何をしてるだろうと
考えた気さえしてくる。
それくらい嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
花奏「…。」
海に行こう。
ちゃんと辿り着こう。
そう思ってまた元の進行方向へ進む
電車に乗り込む。
もう外は見まいと目を伏せ、
ぐらりぐらりと揺られされて。
ぱっと、急に周りが明るくなる。
何かと思えば日差しだった。
音楽もかからず人が話す言葉もなく、
電車は静かに進むのみ。
人工の音は轟々と車輪が擦れる音、
電車が呼吸してる音だけ。
向かいにはスマホをいじっている
中年の女性がいた。
不意にその女性は顔を上げたが、
またすぐにスマホへと視線を移す。
私のことなど見ていない。
見えていないのかもしれない。
そしてまた辺りは暗くなってゆく。
ビルなどに塞がれた光らは
今はどこで浮遊してるんだろう。
花奏「…。」
…。
…。
…気づいた時には海にいた。
仄暗さの中で灯している赤は
もう海の遠く向こうで沈みかけていた。
これが沈めば一気に真っ暗だろう。
仄暗いなんて比ではないはず。
周りには観光客なんてほぼおらず、
多分この近所に住んでいるであろう人々が
ぽつぽつといるだけだった。
宝探し初日。
その日は歩は来なかったんだよね。
当時歩と美月は仲が物凄く悪くて、
美月がここに来るからという理由もあり
来てなかった覚えがある。
今じゃ仲良くなり、
一緒に歩いて私の家にまで
来ようとするくらいになった。
仲直り出来てよかったって
部外者ながらそう思う。
花奏「秋になったな。」
つい最近まで4月で、
高校生活のやり直しは
始まったばかりのはずがいつの間にか
11月と対面していた。
そして私は18歳になって、
歩は今日18歳になって。
…。
…そっか。
今日誕生日やね、歩。
砂の上に徐に座り、
ずっと動いている海を眺める。
絶え間なく動く彼らから
時間は戻らずずっと前に進んでいると
暗示されているような不快感を手渡された。
受け取りたくないな。
花奏「…誕生日おめでと……。」
ぽろ、と砂が服から落ちる。
その場を思い切り立っていた私は
逃げるように次の場所へと向かった。
また電車を乗り継ぎ着いたのは
私の家と歩の家の間くらいに位置する
顔見知りの図書館だった。
時々休日はここで勉強したっけ。
初め歩は学校まで行くと言ってくれたが
そうなると歩側の移動の負担が大きい。
いくら定期圏内とはいえ、
電車は疲れるものだ。
何しろ朝や晩は乗る人が多く、
座れないことも屡々あったと記憶している。
そこでお互い妥協案というか、
譲れるところは譲って
家同士の真ん中あたりにある
図書館にしようって言ったんだよね。
自転車が何台か止まっていて、
まだ数人いるんだなってこと分かる。
辺りは真っ暗で、
車のヘッドライトや弱った街灯だけが
私の足元の頼りだった。
花奏「…。」
次の場所へ行こう。
そう思った時には足は動いていて、
図書館の灯りを背に進んでいた。
考えることがないのは辛かった。
こんな感触は、感情は
なんとも久しぶりだった。
手元や周りには何にもなくなって
消えてしまいたくなるような、
そんな感覚。
あの時と一緒だ。
お母さんが死んだ時と一緒。
真帆路先輩が死んだ時と、一緒。
いつだっけ。
夏辺りだろうか。
お母さんの前で手を合わせた時に
ふと思ったんだ。
大切な人ばかり居なくなっていった。
消えていったって。
また、私は失った。
失っていた。
でも懲りずにまた欲しいと、
頼れる人が近くに、隣にいて欲しいと
願ってしまうのだ。
どうして学ばないんだろうか。
どうして諦めきれないんだろうか。
どうして私の周りでばかり。
どうして私じゃないの。
そんな卑屈な考えが私の頭を
食っていくのが目に見えた。
花奏「………ぁ…。」
ありえないほど細い息が
喉を通り抜けた頃。
もう、嫌だなと
…もう、全てをやめてしまいたいなと
自暴自棄が過った時、
次の目的の場所に着いていた。
廃れたマンションのような見た目をした建物。
多分3階建くらいだろう。
ぼろぼろに崩れている部分もあって、
月明かりや人工の光が
建物内を照らしていた。
確か天井はなかった覚えがある。
なんていうんだろう、
建設途中に辞めてしまったかのような見た目、
そしてそのまま風化していったような。
立ち入り禁止の文字は半年ほど前には
張ってあったはずが、
今じゃ何もなく誰でもいつでも
入れるようになっていた。
誰かが剥がしたのだろうか。
子供らが遊びで入ったとして、
その時に建物が崩れでもしたら大変だろう。
夜に見るこの建立物は
いかにも幽霊の出そうな雰囲気を纏っていた。
けれど、たった今幽霊云々より怖い思いを
感じている私からすれば
この情景に対し怖いなんて
これっぽっちも湧かなかった。
人間ではなくなってしまったみたいだった。
すっぽり抜け落ちていることに
違和感はあるものの、
取り戻し方が分からなかった。
花奏「…石だらけ…やな…。」
不法侵入だろうと思うが、
断りを入れず建物へと入っていく。
あの4月の時と同様に。
扉さえなく、そのまま階段を上がる。
階段は全てセメントで
埋めていたのか知らないが、
ひびは入りつつも崩れまではしなかった。
建物も一部崩れているだけであって
大部分はひび割れで済んでいる。
壁の穴から一直線で光が入っていた。
花奏「………と、おい…な。」
なんだろう。
何故その言葉が浮かんだのか分からないが、
そう呟いている私がいた。
それから最上階まで階段で上がる。
エレベーターの設備らしきものはなく、
床、壁、階段だけの大変質素な場所だった。
最上階に上がり終えると、満天の星。
月光が薄ぼんやりと空気を撫でる。
非現実かと見紛う程の景色の良さに
思わず大の字に寝転がりたくなった。
…が。
花奏「…なんや……あれ。」
最上階の真ん中には、
半年ほど前にはなかったはずの
卵型に近い物体があった。
しかも割と大きめで2畳くらいは
易々と占めるのではないだろうか。
見た目はごつごつとしていて、
機械部分が丸出しになっている。
つぎはぎをしたのか、
綺麗な鉄1枚というわけではなく
夥しい数の小さいスクラップ板を
繋ぎ合わせたような感じだった。
その1部は扉なのかなんなのか
空いたままで、不時着したかの如く
少し斜めになっているのがわかった。
中からはぼんやりと赤い光が照っている。
花奏「前はなかったよな…?」
もしかしたら6月くらいから
あったのかもしれないし、
つい最近現れたものなのかもしれない。
現れたも何も、ここらに住む人が
プラモデルを組み立てるのに
いい場所だと案じて
ここを使っているだけかもしれない。
そう考えるとそう見えてしまう。
なんだ、ただの趣味の宝庫かって。
恐る恐る近くまで行って観察してみる。
何かのプラモデルなのだろうか。
元ネタがなんなのかは一切わからないけれど
よく作られているのは分かる。
自分で材料を1から集めたのかな。
そういうことを考えている時だけ
歩の事を忘れらていたことに
私は気づかないまま。
花奏「…へぇ。」
赤い光は動かなかったため
誰もいないと勝手に断定し
中をちらと見てみる。
赤い光は近くで見ると
思ったほど赤くはなく、
オレンジといった方が妥当だった。
キャンプとかで使われていそうな、
常夜灯を強くしたような感じで。
中には機械のみで構成された
机なのか操舵室的な何かなのか
分からないスペースがあり、
1人用だろうほどの狭さだった。
椅子などはなく、
ただその台のスペースだけ。
背中側にも多くの動線が剥き出しになっていて
一件何の用途かまるで見当もつかない。
一目で中全体を見れることから
思った通り人はいないことは理解した。
音もしない。
しんとしている。
無音。
無音が聞こえるの。
それが心地よくて不気味だった。
…中に入れるのだろうか。
どうだろう。
もし、人の創作物だったら。
そう考えると流石に辞めておいた方がいいか。
倫理観が警鐘を鳴らした時、
とあるものが目についた。
花奏「…?」
メモ用紙を繋げて、
A4サイズくらいにしてある紙が
その奇妙な物体の中に貼り付けてあった。
黄ばんでいるような…。
光が、紙を仄かに照らす。
そこに浮かび上がる
油性ペンで書かれたような文字列。
花奏「…っ!?」
『小津町花奏』
しっかりとそこに記されてあった。
ぞっとして1歩退くも
うまく足が動いてくれない。
違う。
これは誰かの趣味で
造り上げられたものなんかじゃない。
違った。
これは意図的に私に向けて造られた何か。
それこそ不可解な出来事の一環。
まだ終わっていなかったんだ。
ここ1ヶ月は何もなかったものだから
安心し切っていたのかもしれない。
逃げたくなった。
助けを呼びたくなった。
けれどスマホも何も持っていない今じゃ
どうすることもできない。
声を上げたくても震えてしまって、
掠れてしまって声が、出ない。
怖いって漸く思えた。
この不可解からは逃げていいのだろうか。
見なかったことにしていいのだろうか。
そしたら…もしかしたら、
消えてしまうことだって出来るのだろうか。
でも、愛咲の時みたく
また戻ってきてしまうのだろうか。
…それは…嫌だなと。
物静かに呟いていた。
頭ではしっかり答えが出ていた。
花奏「…っ。」
固唾を飲み込む。
怖い。
…が、気になってしまう。
人間の好奇心とは困ったもので。
この機械は私に
無縁のものではないと知った今、
触れないわけにもいかなかった。
…使命感、だろうか。
それともただの欲だろうか。
中に入ると、例のさっき見えた紙。
『小津町花奏』。
そして台のスペースに付属した
小さな電光掲示板のような物には
『00202211111025』。
ぱっと見何の数字なのか
まるでピンとこない。
台の上にはまた紙があり、
飛ばないようにとセロハンテープで
上が止められていた。
近未来的なのかアナログ的なのか。
その紙には
『三門歩の生きる未来を』
…と。
……ひと言、だけ。
…そして、注意書き。
『操作パネルにある白いボタンを押せば
指定の日時まで戻ります。
その他部品、ボタン等を押すと
2度と機能しなくなります。
ご了承ください。』
…。
…。
…。
花奏「……歩…?」
状況が読み込めず、
ただ彼女の名前を呼んでしまう。
歩が生きている未来…?
指定の日時まで戻る…。
…タイムリープ…って言うんだっけ。
……。
…。
生きている、未来。
…。
花奏「…。」
また、一緒にいられる…?
また話せる…?
また笑い合える…の…?
…嘘…だろうけど、
信じたくて仕方なかった。
何ひとつ理解できていない。
けれど夢を見ずにはいられなかった。
歩の助かる未来を、
歩が生きている未来を見たい。
隣にいて欲しい。
隣にいたい。
それだけ。
たったそれだけの願い。
大切な人を失いたくない。
それだけ。
停止していた体に鞭を打ち、
迷わず白いボタンへと手のひらを這わせる。
そう。
迷いなどなく。
冷たい。
ずっと野晒しだったもんね。
じんわりと私の熱が無機物へと染む。
浸む。
花奏「……歩…待っててな…。」
絶対に助ける。
そう考えは移り変わっていた。
悲観的なんてものは消え去り
希望に溢れていたの。
助けられるって。
今を、未来を変えられるって知ったから。
くしゅ、と。
固いもの同士が擦れる音と共に
オレンジの光や黄ばんだ紙は滲み、
やがてー
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