18回目の誕生日

歩「………あ。」


キッチンに足を運んでふと気づく。

パンなくなったんだった。

パンだけじゃなく

その他諸々の食品が尽きかけている。

生活費は残っているから

買いに行けば済む話なのだが、

どこかひもじい気持ちになった。

買い出しに行かなきゃ。

…とは思う。

だけどもう少し後でいいか。

体が動きたくないって言ってる。


ベッドに体を投げるように寝転ぶと

打ちどころが悪かったのか

肩にじいんと響いてきた。

普段ならこんな些細なことにも

僅かながら憤りを感じるが、

今はその気が起きない。

手足を投げ出す。

力が抜けている。


歩「………。」


今日はなんと

あっという間なことに14日。

それももう終わろうとしていた。

今や夜が窓辺まで寄り付いている。

宇宙の子供が舞い降りてきたような。


1日ってこんな短かったっけ。

普段はもっともっと

長くて飽き飽きしてしまう程なのに。

何にもない日が嫌いだった。

暇だから。

怠いから。

何もない日々の繰り返し。

そんなのつまらなかった。


だからといって自分で態々行動してまで

何かを変えたいだなんて思えなくて。

不謹慎極まりないが、

地震や台風といった非日常が

好きだと感じることが幾度となくあった。

しかし、それは身の安全が

保証されている場合のみ楽しめたのだ。


歩「……はぁ…。」


無駄なため息がひとつ、

がらりとした1人部屋に漏れた。


今日は学校がいつも通りあったが、

気が向かなくて行くのは辞めた。

今までいくら気が向かなくても

出席だけ取りに行ったのに、

その気すらも起きなかった。

何もやりたくなかった。

けれど、何かやっていないと

思い出すばかりだった。


歩「…。」


何かしていないと。

とは思うが体は鉛のように重く

油のように溶けていくよう。

お風呂くらいは入りたいが、

土曜あたりからさぼっている気がする。

気がするだけで1度くらいは

入っているのかもしれない。

どうだっただろう。

それとなく頭皮が擽ったい。

気持ち悪さで塗れている。


洗濯機の中に放り込まれた

大層湿気ったバスタオルの枚数でも

数えてみれば分かるだろうけど、

勿論ベッドに体は張り付いて

微塵も動きはしない。

背中に瞬間接着剤でも

塗りたくられたかの如く。


歩「………はぁ…。」


もう1度息を吐こうが

部屋に溜まるだけ。

幸せが逃げようが何だろうが知らないが

時間だけは私がどうすることも出来ず

只管に逃げていった。


意味もなくバタ足をしてみると、

布団が暴れ戯れだし

ぐしゃぐしゃになるだけ。


歩「……… そりゃそう…か。」


全てを諦めて足を動かすのを辞める。

最後の抵抗の意は

ここで息絶えてしまったようだ。


…。

眠れないにも関わらず目を閉じてみる。

普段は見ない夢とやらを

今日に限っては見るかもしれない。

出来るのであれば笑い転げるような夢がいい。

世界観が崩壊していて

意味が分からないようなものでもいい。

ただ、悲しくなる夢だけは辞めて欲しい。

今だけは辞めて欲しかった。


歩「…っ………。」


思い出すだけ損だよな。

自分の首を自ら掻っ切ってるも

同義じゃないか。

分かってる。

分かってんだよ。


…それでも。

思い出さずにはいられなかった。





°°°°°





歩「小津町っ!」


小津町は何故か突如方向を変え

古臭いぼろぼろの建物から

全速力で離れていった。

上に鞄を忘れたと言っていたのに

あいつは一体何をしてるんだか。

梨菜は梨菜で相当頭が

狂っていたようだけど、

それの相手をし過ぎたのか

小津町までどこかおかしくなってないか?


ところどころ、小津町に対して

違和感はそれとなく感じていた。

だが、どこが違うと問われれば

何も答えられない。

強いて言うなれば体調が悪くて

前日嘔吐している…その程度。

強いてそれだけ。

私は何かを見落としていたのだろうか。


歩「待って、小津町!」


走り去るあいつに気づいてから

私も足をかけた階段を蹴り、

長い髪の揺れる背を追った。

追う。

追うけれど、小津町自身

何か思い出したことがあるだけであって

もし見失ったとしても連絡くらいするだろう。

そんな思考がどこかにある。

別にここで歩いたって

対して変わんないでしょ。


そう感じている裏腹に

ここであいつを野放しにしたら

何か良くない気がする、と

警鐘を鳴らす私もいる。

普段のあいつなら今こうやって

走り去ってしまう前に

何かひと言くらい言うだろう。

私を突き放すようなことを

あいつはしないだろう。

そうだろう。

前日のTwitterの動向を見ていても

やけに小津町に注意を向けるようにと

気をかけるものが多かった。


歩「……は…は……はっ…。」


運動部だったのは早3年も前。

鈍りに鈍った体は

昔ほど快く進むことはない。

身長や歩幅の面から

先に走り出したあいつに

追いつくのは半ば無理だろうと思っている。

それが行動に出ているのか、

焦って強張ったフォームから

段々と緩やかに走るようになり、

やがて息切れと同時に足を止めてしまった。


歩「は、はぁっ…はっ……あいつ速過ぎでしょ…。」


違和感を感じて額を拭うと

微々ながら湿り気を感じた。

小津町から借りたパーカーは

寝汗をかいた後のように

気持ち悪いタイプの温暖が

占拠し始めている。


そういえば嶋原を置いてきてしまった。

嶋原も嶋原で放っておいては

いけなさそうな雰囲気が

ぷんぷんと香っていたが大丈夫だろうか。

特に小津町に噛み付いては

食いちぎるような目つきをしていた。


歩「はぁっ……ふぅ…。」


歩いてもいいとはいえど

小津町の姿はもう見えなかった。

最後に姿を眩ました十字路まで

早歩きをすることにした。


嶋原の言っていたことを

信じているわけではない。

小津町が自殺しようとしているだなんて

急に何を言っているんだ。

事前に小津町から嶋原の様子がおかしく

何かしら虚言を口走るかもしれないとは

聞いていたけれどまさかここまでだなんて

思ってもいなかった。

だがつい先程

学校の最寄駅で嶋原が待機していて、

「小津町が死ぬかもしれない」

と鬼のような形相で伝えてくる姿は

嘘だとは思えなくて。

その勢いに乗せられて嶋原についていき

さっきまでいたおんぼろのマンションだか

アパートだかまで足を運んだ。


もしもの話。

小津町の言っていたことが嘘だとしたら。


…なんて、変な話か。

出来るなら小津町の言うことを

信用してあげたい。

どうして嶋原の話を信じないのかと

問われればそれは。

…それは。


…。

…今までの関係…だろうか。


歩「…?」


小さな十字路まで

歩みを進めたところ。

唐突な出来事だった。


そう。

…。

足を踏み切った時。


ぎー………が…っ…。


…遠く遠くで轟音をかき鳴らし

鈍い音を纏う何か。

…。

何の音?

事故…?


直後、叫び声が耳に届く。

想像を絶するような金切り声。

何かを失ったような、そんな音。

何事だ。

こんな近くで事故があるなんて

なんだかついていない。

そう思いながらも、

小津町も見失っていたし

嶋原は放置できてしまったからか、

投げやりな気持ちで野次馬と化しに

行ってやろうと足の向きを変える。


この性格の悪い轟音に

誰かしらは関わっているのだ。

非日常の1部分に触れる。

その奇怪な感覚が妙に

背中を痺れさせて行くのだ。

1歩1歩着実に近づいてゆく。

野次馬が増えてゆく。

進むたびに、だんだんと。


「もしもし。…はい。……救急ですー」


電話をしている人がいた。

警察に、だろうか。

考えるのは容易に辞め、

ただ見たりスマホを構えたりするだけの

人間らをかき分けて進んでく。

住宅街の中で少しだけ大きな交差点。

周りの家から出てきたのか、

エプロンをつけたままの女性や

学校から帰ってすぐのの高校生、

飾らない普段着の男性など様々。

皆の視線の先。


歩「……っ!?」


頭の凹んだ車。

凄惨な赤。

急ブレーキの後。

咲いた肉片。

転がったままの人体。

ぼさぼさの髪。

長い髪。


関節は変な方向に曲がってた。

遠くからでもわかる。

肘だか膝だかが逆の方向に曲がってた。


歩「…………ぇ…?」


喉の奥が痰でくっつき

うまく呼吸ができない。

言葉だってあり得ないほど掠れている。

呟きは形にもならずガヤに掻き消された。

あれ。

私って見知らぬ人が起こしたであろう

非日常を揶揄うように

楽しみにしてここに来たんじゃ

なかったっけ。


1歩。

また、1歩。


彼女の元へ。

小津町だろう、元へ。


ぱっ、と。

不意に腕を掴まれた。

腕を引かれた。

異常な止めようにふらりとよたつくも

足を地につけ、血につけ耐える。


「ちょっと、近づかないほうが」


歩「……離して。」


腕に精一杯、今入る力全てを使い

気味悪い手を振り解く。

知らない人に触られるのは

気持ち悪くて仕方なかった。

元より誰かに触れられるのは

とてつもなく嫌いだ。

例え家族だろうと小津町だろうと

嫌いなことは嫌いだった。


掠れてひと言さえ出なかった癖に

今だけこんなにはっきりと憎く出る。


人が前に立ちはだからなくなった時。

その全貌は私の呼吸を

一瞬止めるには十分過ぎた。

息を呑んだ。

息を呑むってこういうことか。

なんて現実から離れたくて

どうでもいいことに気づきを得る。


歩「……小津町……。」


近くに寄っても返事はない。

どうしてそんな。

そんな、ぼろぼろなの。


いつもだったら尾を振っているような

屈託のない笑顔で

私に嫌というほど構ってくるのに。


歩「……小津町……ねぇ。」


状況が理解出来ないまま

珍しく私から話しかけながら

近くに寄ってしゃがんだ。

周りの人間は私の事を

噂しているのか知らないが

延々とざわつき続けている。

その間にもじわじわと

靴底へ真っ黒な液体が侵攻してきていた。


右半身が酷く損傷していて、

流血が何処からか

わからないが止まらない。

余った左手を。

多くの傷を抱えた左手を徐に握った。

かくかくと痙攣している。

粘度の低い液体をびっしりと塗ったくって。

擦り傷だらけの手を、手を握って。


歩「……ねぇ、今日体調悪かったんだから…」


だから。

…何だ?


手は痙攣し続けている。

生きている。

そうだ。

小津町は生きてる。


歩「…っ!」


ふと現実に引き戻され、

はっとして温めていた手を離す。

そうだ。

何やってるんだ。

小津町は死ぬわけじゃない。

しっかりしろ。

出来る事をしろ。


応急手当ては出来ない。

知識がない。

出血を止めようにも

骨が折れているであろうせいで

無闇に触れることは出来ない。


ふと。

遠くに揺れるサイドテール。


梨菜「…っ!?」


それを気に留めることなく

小津町から少し距離を取り

鞄の中からスマホを出す。

震える手で、救急の電話番号を押した。

どうして震えてんだろ。

…。

…そっか。

そりゃ、私にも怖いことぐらいあるか。


『はい。火事ですか、救急ですかー』


救急であること、大雑把な住所、

それから問われた事を早口で答えて行く。

早くしてくれ。

じゃないと小津町が、小津町が死んでしまう。


焦りと不安の渦に取り巻かれながらも

何とか通話を終え

「すぐ向かいます」の言葉を聞いた時には

安心が滲んだのか知らないが

その場で座り込んでしまった。

力が抜けた。

ほんとにあるんだ、そんな事。

部活をしていた当時は

疲れて力が入らないということは

何度かあった。

ただ、今回は疲れていない。

なのに力が抜けた。

初めてだった。


と、と、と足音が

近づいてきた。

私の元に影が落ちていて。

そして何かと思えば嶋原が

私を責め立てるような目つきで見下していた。


梨菜「………何で…こうなってるの。」


歩「…。」


梨菜「ねえ、歩ちゃんっ!」


歩「…見ての通り事故でしょ。」


梨菜「もう戻せないんだよ!」


歩「何言ってるわけ。悪いけどあんたの相手は今出来ない。」


梨菜「花奏ちゃんが死んじゃったら、もう」


歩「死なない。」


梨菜「そんなはずない。」


歩「…何決めつけてんの。」


梨菜「言ったじゃん。花奏ちゃんは自殺するって。」


歩「自殺じゃない。事故でしょうが。」


梨菜「自殺だよ。死ぬの。」


嶋原は全てを知っていたかのように、

将又全てを諦めているかのように

私に上からぽつぽつと

か細い妄想を降らせてくる。

どうして小津町が死んだと言えるのだ。

その断定的な物言いに

信じられないほど腹が立った。

だけど、ここで逆上したって

ただの子供の喧嘩にしかならない。

理性的じゃない。

何も生まない。

今私に出来る事を、

小津町をが助かる確率を

ほんの少しでもあげなきゃ。


歩「……今くらい小津町の事、信じてあげたらどうなの。」


そうひと言呟きを

酷く冷えたコンクリートの上に溢し、

足にぐっと力を入れて

ふらりとその場に立った。

あぁ、力が入りづらい。

関節がかくかくとしている。


歩「救急車が通りやすいように道を開けてください!」


久々にこんな大声を出した。

喉をこれでもかと震わせて

周囲の人らを誘導する。

事故を起こした本人も

私の行動を見たからか

一緒になって誘導をしていた。

事故を起こした人も

はじめこそは恐れ慄き

動くことすらままならなかったが、

自分に出来ることをしようと

した結果だろうか、

必死になって声をかける。

…きっとただの善意ではなく

慰謝料諸々お金の面で

気になっているだけかもしれない。

そうだとしても轢き逃げせず、

1分1秒でも小津町を早く

救急車に運べるよう

動いてくれたのは助かった。

嶋原は遠くから野次馬と一緒になり

こちらを観察するかのごとく

じっと見つめているだけだった。





°°°°°





あの嶋原の冷たい視線。

何をどうやったら

あんな目つきができるのか。


歩「………っ…。」


その後、小津町は集中治療室へと入れられ

無事一命は取り留めたそうだ。

奇跡と言っても過言ではなかったらしい。

骨が重要な血管だか

臓器だかに刺さってしまい

出血がうんたらと言っていたっけ。

それは私の妄想だっけ。

当時の私は気が気でなくて

医師の説明など何ひとつ聞いていなかった。

小津町の親御さんは

現在出張中というのは知っていたので

すぐには向かえなかっただろう。


今頃流石に会えたのかな。

どうなのか私は知る由もない。


歩「……ふぅ…。」


大きく息を吸おうと

吐き出されるのは浅い息、

そして時々大きなため息。


嶋原は死ぬって言っていた。

小津町は自殺で死ぬ、と。

そんなの嘘だ。

現に小津町は事故に遭い大怪我をしたが

間違いなく生きている。

小津町は生きている。

生きたのだ。

あの絶望的な状況から

何とか命を抱えて生きてくれたのだ。


歩「………よかった…。」


よかった。

そのひと言で瞼がゆっくりと

熱を帯びて行く。

嶋原の言動全てに納得いかないし

憤りばかりが募っていくが、

今はそんな事放っておこう。

今は、小津町が生きていたことを

素直に喜びたい。


いつからか小津町の存在は

私の中で大きくなっていた。

1番初めて会った時、

それこそ2年前のこの頃は

とてつもなく暗いやつだと思った。

けど、同時にふと私を見てるようで

放っておけなくなって声をかけた。

今年4月に会った時はとてつもなく煩く

馴れ馴れしいやつだと思った。

正直嫌いなタイプだった。

近づくなと言っても近づき

大型犬が尾を振るように話してくるし、

どれだけ文句だの悪口だの吐いても

気に留めずさらっと受け流す。

何をしても無駄なのかと

憂鬱な気分になる事も

少なくなかった。


友達を作らないと決めていた。

だから絶対小津町を

近くに寄らせないようにしたかった。

なのに、どれだけ抵抗の意を示しても

小津町は気にせず、

それか気にしないふりをして

私の側に寄り無邪気に名前を呼ぶ。

いつからか小津町が

隣にいるのが普通になった。


だからこそ、事故の現場を見た時

小津町が居なくなってしまうかもと

今まで感じたことのない程

膨大な不安が押し寄せた。


歩「……。」


天井に向かって手を伸ばす。

遠近法のせいで

天にくっつくLEDライトを

鷲掴みしているように見える。


私は仕方なく小津町の側に

居るつもりだった。

逆だったんだ。

私から小津町の隣へと

歩み寄ろうとしていたんだ。

実際、小津町が入院して以降

LINEもTwitterも何も動いていない

静かな日常にぎこちなさを感じる。

だから、学校に行っても

小津町だけが居ない中

何事もなかったように繰り返される

何もない日常が気持ち悪くて今日は休んだ。

休んだところで得るものはなく、

学校に行ったところで

癒えるものはなかったはず。

…。

受け入れ難いが、

これが寂しいという感情なのだろう。


歩「…………はぁ…馬鹿馬鹿し。」


最後に再度ため息を吐いた後、

思い立ったように上体を

ベッドから引き剥がす。

何かしていれば気が紛れるかもしれない。

何かしていないと

また思い出して思い耽って

気持ち悪い回想をし出すかもしれない。

そんな自分が気持ち悪い。

過去を思い出してめそめそしている

自分こそが1番気持ち悪い。


その場から離れたくなり

冷たいラグに足の裏を着き、

溜まった洗い物をする事にした。

この季節は、まだ水で何とか凌げるが

12月以降はお湯を使わないと

掌が悲惨な程冷えるだろう。

冷水は私の掌をするすると滑り、

シンクにとぼとぼと落ちて行く。

お皿を洗うはずが蛇口を僅かに開いて

手を差し出すだけ。


歩「……馬鹿…。」


何がしたいんだろ。

どうした。

どうしちゃったの、私。


小津町は確かに事故に遭った。

でも、確かに助かった。

そう。

助かったのに。

なのに、この胸に残る

複雑に絡む違和感はなんだろう。

もやもやしているのは何故だろう。

昨日の嶋原の異様なツイート、

そして周りの人の異様なまでの心配の数々。

まるで嶋原を崇拝しているかのように、

根から信用しているように。

…。

知っていたかのように。


いつもと違う。

私から何か大切なひとピースが

抜け落ちてしまったようだった。


歩「…………わっかんな…。」


きゅっと音を立てて蛇口を閉めると

恐ろしく無音が襲ってくる。

身が震える思いがする。

体の芯から冷やされてやがて凍てついてゆく。

そんな感覚に陥っていく。


床が何も敷かれていない

フローリングだからか

足が徐々に冷えていった。

それに怯えたわけではないが

近くにかけてあったタオルで

手を簡単に拭き、何をする事もなく

リビングに戻って行く。

足どころではなく手まで

ひんやりとしてしまった。

温めたい。


歩「…。」


ふと自分の手を見てみる。

皺がいくつか刻まれた歳相応の自分の手。

1人暮らしやバイトをするようになってから

少しずつ荒れていったから

保湿するようになった小さな手。

小津町の手を自分で握った嘘のようなこの手。

あの時、何故自分から

小津町に触れに行ったのか甚だ疑問だった。

スキンシップは嫌いだ。

触られるのが嫌いだ。

触るのだって勿論しない。

するとしても叩くくらい。


手ぐせか否か、マネキンの頭に

被せられたウィッグを手櫛すると

手入れが行き届いていないのか

2本だけ髪の毛が抜けた。

今、何かカット等の練習を

したいとは全く思えない。

髪に関しては受験を決めた

夏あたりから一切触れることは無くなった。

そんなのでは鈍ってしまう。

部活を辞めた後のように

体はどんどん忘れてしまう。

なのに忘れた事にすら気づかず

まだ出来る気で居る。


徐に鋏を取り出してみたが

心の中で気味の悪い感触が

轟々を音を立てて渦巻くものだから

不気味になって手中から放した。


歩「…あ。」


ふと部屋に飾られた置き時計に目をやると

ゆうに日付は越しており、

15日が迎えに来ていた。


本当は先週末の12日は

実家に帰る予定だった。

それが、小津町と過ごしたり

事故が起こったりした兼ね合いで、

帰省するのは辞めてしまった。

実家に帰ったところで

祝われても寧ろ心がついていかず

辛いまであった為に

これでよかったんじゃないかと思う。

だって祝われる側の私が

ずっと辛気臭い顔してんの。

家族だって心配するし

祝うに祝いづらいでしょ。

場の雰囲気を崩す一択だったから

事が落ち着いてから帰ると親には伝えた。

事情諸々を把握したようで、

いつでも帰っておいでと、

それからちゃんとご飯は食べるようにと

LINEが送られてきていたっけ。


歩「………ん…と。」


引き寄せられるように

学校に持っていき使っていた

鞄のチャックを引く。

明日学校に行く気になったのか。

それとも当日のまま

何も変わっていない鞄にさえ

縋りたくなってしまったのか。

チャックを越した中は

本当に12日のままだった。


そういえば教科書の類も

そのまま持ち運んでいたんだった。

学校に寄って実家に行って、

そしてこの家に帰る。

というルートを辿ろうとしていた。

よくよく見てみると、

小津町の家で洗わせてもらった

水筒やお弁当箱が転がっている。

教えてもらった化学の問題集。

あ。

今日だったっけ。

化学で実験があんのって。

せっかくプリントを埋めたのに

無駄になってしまった。

長束に見せてもらうか。

…いや、あいつは受験が終わっているし

真面目にノートを取っているのか

定かじゃないな。


歩「…?」


お弁当や水筒、教科書を

徐々に退けていると

何か見覚えのない袋が顔を出す。

暗くてよく見えない。

何かお菓子の袋をずっと入れっぱなしに

していたのだろうか。

嫌な予感がする。

匂いや虫の発生源になっていなければいいが。


恐る恐る鞄を電球の真下に置き、

チャックを最大限に開いて

光を底まで浸透させる。

すると、お土産屋で見るような

小さい紙袋がくしゃくしゃになりながらも

そこに存在していた。


歩「何これ。」


毎日学校に持っていっていたが

こんなのあったっけ。

気づかなかった。

自分で買ったような記憶はないし

かと言って貰った記憶もない。


歩「……あれ。」


テープは1度剥がされたのか

それとも元より粘着力が弱かったのか

簡単に剥がれてしまった。

何なのだろう。

恨みの篭った小さい人形とかだったら

どうしようね。

しょうもない事が頭を過る中、

紙袋を外部から思うがままに押してみるも

硬い感触のみが肌を潰す。

何ひとつ予想がつかないままに

紙袋をひっくり返し、掌へ広げてみる。


歩「……わっ…。」


落ちてきたのは随分と綺麗に

青を反射した装飾品。

鎖がついている。

紙袋を机の上に置き、

鎖を持って宙吊りにしてみると、

長さ的にネックレスだという事が判明した。


歩「……青…。」


綺麗。

惑星か星か知らないが

小さな飾りがくっついている。

青というアクセントはあるが

飾りの大きさが小さいだけあって

バランスは取れている気がする。

アクセサリーやファッションの類は

欠片も分からないから

適当に言っているだけだが、

とりあえず感性に馴染むのは

自分でも分かった。


ネックレスを緩く握り、

紙袋内にはもう他に何も入っていないか

確認のためにもう1度

掌の上でひっくり返す。

かさかさ、と摩られる音が

している気がする。


歩「…ん?」


と思えばひらりと

1枚の紙切れが降ってきた。

付箋ではないか手紙でもなく、

ただ1枚の紙を1度純粋に折っただけ。

何だ。

見知らぬ誰かからの

電話番号でも書いてあるのだろうか。

木曜や金曜に私が居ない合間を狙って

これを鞄に入れたとか。

そう思うと綺麗だったネックレスは

どんどん不気味さを増して行く。

この紙は見てもいいものだろうか。

…まあ、見るだけただか。

好奇心にあっさりと負け、

躊躇なく紙を開いた。


中には。


歩「……っ!?」


中には、

「誕生日おめでとう」

の文字。

見たことのある筆跡。

答えを合わせをするように

「花奏」

と、名前が残されている。


……。

…何。


なにこれ。


歩「………っ…。」


何でこんなとこにあるわけ?

何で。

何で?


プレゼントを貰ったことは

勿論とんでもなく嬉しい。

誰も見ていないのだから

声を少しばかりあげて

喜びたいくらいに嬉しかった。

だが、それを阻んだのは

全てを知っていたかのような

小津町の行動だった。


まるで15日の今日に

小津町は自分が自由の身ではないと

悟っていたみたいじゃないか。

15日は学校があるのだから

その時に渡せばいいものを、

こんな形で渡すなんて

今日になる前に事故に遭うと

予知していたみたいじゃないか?


そういえばあの土曜日。

小津町は体調が悪いながらに

出かけると言って譲らなかったあの日。

買いたいものがあると言って

ただひとつの店だけ寄った。

そこは確かアクセサリー屋だったっけ。

安静にしてろと言っても

絶対に出かけるんだと言い張り、

聞いてくれなかったんだった。

1度寝てからにしようと言うと

妥協してくれたのか

その案は呑んでくれた。

そこまでして行きたかったのか、と、

どうしてそこまでして

買い物に出たいのか、と、

後日でもいいんじゃないか、と。

…不思議に思っていた。

違和感がもろ、もろと

殻を剥いで中身が見えて行く。


歩「……小津町…っ。」


小津町の影を追いたくて

慌ててスマホを手に取りLINEを開く。

その間もネックレスは

片手に温められたまま。

当たり前だが小津町から

LINEのメッセージはひとつも

更新されていない。

最後にやりとりをした日から

動くことはなかった。


知っていた。

分かってた。

今の小津町の容態では

スマホなんて触る余裕すらないことを。


次にTwitterを開く。

皆が好き勝手に文字を飛ばす空。

タイムラインでは最近呟いた人が分かる。

愛咲や羽澄をはじめ数人はいつものように

アカウントが動いていた。

気の向くままフォロー欄から

小津町の名前を探し出し、

静かに…震える手で押した。

何も変わっていない。

知っている。


歩「…?」


知っていたはず。

何も変わっていないって。


…何も変わっていないはずだった。

のに。


12日の午後4時24分に

「ばいばい」

のツイート。

そして、15日になった瞬間に


歩「……っ!」


白い画面に浮かぶ文字を、

指でなぞって慎重に読んだ。




「誕生日おめでとう

この日私はもう祝えないと思う

だから予約投稿だけど許してほしい


歩に何の変哲もなくて

つまらなすぎるくらい

普通の明日が来ますように」




歩「…ぁ……あぁっ…。」


知ってたんだ。

小津町は、意図的にこの言葉を残した。

予約投稿までして私に残した。


思えば、小津町が事故に遭った時間って

午後4時半頃じゃなかったっけ?


歩「……ば、か…馬鹿、馬鹿…っ!」


知ってた。

小津町は全部知ってた。

この日は祝えないと、知っていた。

まるでもうこの世には

いないかのような言い方。

もしかしたら嶋原の言う通り

自殺しようとしていたのかもしれない。

小津町の言う、嶋原関連のことは

全て全て嘘で

固められていたのかもしれない。


小津町はあの日、

自ら車に轢かれに行ったのかもしれない。

嫌な予感な止まるところを知らず

溢れて溢れて、溢れていく。


非常に腹が立った。

腹が立つ。

腹が立つ。

周りを頼れなかった

小津町へと憤りが積もる。

それ以上に、この小津町への

違和感に気づけなかった私自身に腹が立った。


気づけなかった。

私が気づいてあげなきゃいけなかったのに

前日も一緒にいといて

違和感は感じるだけで終わらせて。

気づけなかった。

思えば小津町の目は

笑っていなかったじゃないか。

体調が悪かったのは大いにあるだろう。

それでも、それだけじゃなく

言葉では言い表し難いが、

濁りきった水のような、

光が差そうと誘おうと受け入れないような。

そんな凄みがあったではないか。


歩「馬鹿、馬鹿…馬鹿……だ…。」


私は、小津町の力になれなかったのだ。

もしかしたら、最後に小津町の家に

泊まったあの日の行動全てSOSの意が

あったのではないか。

空想は始まると終わりがない。

広がるだけ。


実際、どうだったのだろう。

小津町が自殺しようとしていた。

その事実が妙なほど

信憑性を増してくる。


歩「………っ…ごめん…。」


ネックレスを胸元に寄せ

ぎゅっときつく握り抱き締める。

小津町は死んでいたかもしれない。

生きていて良かった。

なのに、気持ちは晴れてくれない。

こんな誕生日の祝われ方なんて

これっぽっちも嬉しくない。

嬉しくない。

…。


歩「………っ。」


言葉に詰まったまま

ネックレスを抱き締め

時間が過ぎるのを待った。

喜怒哀楽の混ざった感情は

足場のないごみ屋敷程に汚く、

堆く積もっていく。


今日は11月15日。

この誕生日で私は18歳になった。

小津町と同じ年齢になったのだった。

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