第48話 神速の巨人

カサンドラが出してきたマスクはどれも個性的なものであった。


「これってマスクじゃないでしょ?」


リーシャは、どこからどう見てもブーメランパンツにしか見えないものをつまみ上げながら訊いた。


「頭にはかぶれますよ。なのでマスクです」

「かぶれれば良いってわけじゃないからね?」


「自分が変態だからって私まで変態に仕立て上げようとするな!」と心の中だけで叫びつつ、一番地味な黒い蝶を象ったマスクを拾い、顔に付けた。


「まあ、これでギリギリだけど――いいかな。それじゃあ、行ってくるわ」


そう言って、リーシャは討伐軍とガイアルドが戦っているところへと向かった。そこには満身創痍になりながら戦っているユーティア殿下と彼に回復や祝福をかけているアイリスの姿があった。


「貴様ら! この程度の実力で魔王様と戦おうというのか? ぐははは、やめておけ。その程度の力では死にに行くだけだ! 帰って父親にでも泣きついていろ!」

「黙れ! 俺たちはまだやれる! 俺の実力はこんなものではない! 本気になれば貴様なぞ一撃で葬り去ってくれるわ!」


状況としては、煽っているガイアルドとそれに屈せずに闘志を燃やす討伐軍というところなのだろう。しかし、ガイアルドは明らかに力不足である討伐軍に帰るように忠告するだけの良い人にしか見えなかった。一方のユーティア殿下は、ここまで死屍累々の状況にしておいて、「本気出せば勝てる」とか、明らかに「明日から本気出す」と言うダメな人と同じような雰囲気であった。


「ちょっと待った! ガイアルド、そこまでよ!」


すかさず、リーシャは彼らを庇うために間に降り立った――つもりだったが、位置がずれてユーティア殿下の頭の上に着地、そのまま地面にめり込ませつつ降り立った。


「何者だ……?! その気迫――なるほど、貴様が本物の勇者であったか! ふははは、危うく騙されるところだったぞ!」

「いや、勇者はそっち――。あれ? どこいった?!」

「いや、お前の足元にいるだろうが!」

「おっと、そう、こいつが勇者だ一応な! 私は強いけど勇者じゃない! 聖女でもない! ごくごく普通の通りすがりだ!」

「ふん、そんな雑魚が勇者のはずなかろう。俺を騙そうなどと思わぬことだ」

「弱くても勇者だ。まあ、貴様にとどめをさされて無残な有様だがな!」


そう言って、ユーティア殿下の亡骸(生きている)をアイリスの方に放り投げた。彼女はリーシャの意図を察したのか、すぐに治療に取り掛かった。


「とどめをさしたのはお前だろうが!」

「ふ、知らんな。そもそも、私はあくまで勇者の露払いとして雇われたに過ぎん。すなわち、お前ごときに勇者が出張る必要はないということだ!」

「まあいい、何と言っても貴様が強者であることには変わらんし、それに俺の勘がお前を勇者だと言っている――ここで死んでもらうぞ!」


そう言って、ガイアルドの姿が消えた、と思った次の瞬間には剣が振り下ろされていた。リーシャは反射的にナイフを目の前でクロスさせたおかげで、辛うじて受け止めた形となった。


「でかい図体して素早いわね」

「ふん、この程度造作もないわ。それ、吹き飛べ!」


振り下ろした剣に力がこめられ、リーシャは耐えきれずに後ろに飛び退いた。しかし、完全に勢いを殺し切れなかったため、吹き飛ばされたように地面に転がってしまった。


「貴様でも足りんな。貴様も出直してくるか? はっはっは!」

「ふんっ、さっきのは様子見だ! これからが本番だ!」


そうは言ったものの、ガイアルドは力も素早さもリーシャよりも高く、全く勝ち筋が見えない。ダメ元で銃器を作って至近距離でぶっ放すも、あっさりと回避されてしまった。


「ちっ、これでもダメか!」

「ふははは、もう打つ手なしか! 人間にしてはなかなかやるが、所詮はその程度か!」


まるで瞬間移動しているかのように左右に動きながら少しずつ近づいてくる。その次の瞬間には目の前に現れ、慌てて振り払おうとすると、次の瞬間には5mほど離れた位置にいた。前世の記憶を取り戻してから、苦戦らしい苦戦をしたことなかったリーシャにとって、初めて勝てないと思った相手であった。


「くそう、このままでは……。何か方法はないのか……」


どんな攻撃をしても掠ることすらしない。おそらく、以前やったように広範囲に巨大な金属の塊を落としたとしても、当たらないだろう。それどころか味方の方が巻き添えになる可能性の方が高かった。ガイアルドの方もリーシャでは攻撃が当たらないことが分かったのか、涼しい顔をして彼女の攻撃をかわすだけで、時々、思い出したかのように剣を彼女に向かって振り下ろすくらいであった。


明らかに侮られている――そんな状況にリーシャは絶望していた。ガイアルドからしてみれば、リーシャはいつでも殺せる相手である。しかし、リーシャの心が折れるまで彼が戦いを終わらせるつもりが無いことに気付いていたのだった。


前世においても人間離れした相手がいなかったわけではない、しかし、それでも相手は人間やそれに類する存在であった。どんなに素早くても動きは目に追えたし、多少力に劣っていても、攻撃を当てていけば、いつかは倒せるという確信があった。しかし、このガイアルドは動きを目で追うことも難しければ、攻撃を思うように当てることもできない。リーシャにとって、ガイアルドは前世も含めて理解の外にある相手である。それにより与えられる衝撃は現在の彼女をもってしても耐え難いものであった。


「うわぁぁぁぁ!」


耐え難い現実に、リーシャの心は壊れかけ始める。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、動きも精彩を欠いたやけくそなものとなっていた。その状態で闇雲に攻撃しても当たるはずもなく、ガイアルドの明らかに手加減したパンチを腹に受け、弾き飛ばされる。


いっそのこと、痛みで意識を飛ばしたいと思うほどの悔しさと無力感があれど、相応に鍛えられた心身は、その意識を手放すことを許さなかった。


「痛い……悔しい……」


弱々しい呟きを漏らす彼女の耳に、微かな声が聞こえた。


「あなたは力を得て運命を受け入れますか? それとも、力を捨てて、運命から目を背けますか?」


その声を聴いた彼女の意識は深い闇に落ちていった。

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