第40話 温泉街

温泉の街クサッツは、街全体が大規模な入浴施設のようであった。街には無料で入れる足湯だけでなく、あちこちで温泉を飲むための蛇口が設けられていた。それだけでなく、街の至る所で湯の花が舞っていて、提灯によるほのかな明るさも相まって幻想的な光景を作り出していた。リーシャにとっては前世でも見たことのある風景ではあったが、ほのかな懐かしさから心が落ち着いてくるのを実感していた。


「綺麗な風景ね。さすが温泉の街というだけはあるわね」

「そうですね、お嬢様。街に入るところで既に宿の手配は済ませておりますので、早速参りましょうか」


この街は観光が主体の街なだけあり、街の入り口で飲食店や宿の予約を行うことができるようになっていた。それだけではなく、訪れた観光客が安心できるように案内も非常に充実していた。


リーシャとマリアはさっそく宿にチェックインをして、浴衣に着替えて温泉へと行くことにした。この街では宿にも温泉があるが、宿泊者は街の中のどの温泉であっても、自由に入ることができるようになっており、お金持ちであれば1か月くらい滞在する人も少なくはないらしい。


リーシャたちは、早速おすすめの温泉に行った。その温泉はただの温泉ではなく、日替わりで花びらを散らしており、花の香りを一緒に楽しむことができるとのことである。服を脱いで浴室に入ると、身体が湯気とともに花の香りに包まれた。そのまま、温泉に入ると、花の香りと共に温泉の温かさが身体にしみわたってきた。


「さすが温泉の街ね。王国にも温泉があったけど、クオリティが違うわ」


そんなことを大声で言いながら温泉を堪能していると、先に入っていた女性が振り向いて声をかけてきた。


「あら? リーシャさんじゃありませんか。お久しぶりです」

「え? ミラベルさん?! なんでここにいるんですか?」


その女性は攻略対象の一人、宰相の息子であるロナルド・コバルトジュピターの婚約者、ミラベル・アクアマーキュリーであった。微かにウェーブがかった青く長い髪で青い瞳のお人形さんのような女性である。今は温泉ということもあり、その長い髪は頭の上でまとめられていた。


「リーシャさんのお陰なんですよ。前々から行ってみたいと思っていたのですが、五大貴族でも当主以外が国境を越えるのは難しかったのですが、リーシャ様が国境の衛兵を大人しくさせてくれたおかげで、無事にやって来れました!」

「え? いや、クリスマスパーティーは?」

「ああ、それはリーシャ様が国外追放されましたでしょう? せっかくなので、私とサーシャさんは婚約者がアイリス嬢に浮気しているという事実をつきつけて婚約破棄させたのですわ。婚約破棄私は、傷心した心を癒すために、ここに療養に行くと父に手紙を残してやってきたわけですの。そうしたら、偶然にもリーシャさんも同じ方向に向かっているじゃありませんか。ということで、便乗させてもらったおかげで、面倒な国境越えもスムーズにできましたのよ」

「さ、さいですか……」


流石は商売を得意とするアクアマーキュリー家である。器の大きさに感心しながら、彼女の慎ましやかな背と胸をチラリと見てしまった。


「ちょっと! どこ見てるのよ! いいじゃない、小さくたって!」

「いやいや、何も言ってませんよ? それに器が大きいなぁ、って感心してたんです」

「それで――器と違って背丈と胸が小さいとでも言いたいの?!」

「あ、いやまあ。そんなことは……」

「やっぱり、そんなこと考えてたんじゃない! 失礼しちゃうわ!」


気に障ったのか、頬を膨らませながら浴室から出て行ってしまった。リーシャは怒らせてしまったな、と気にする――などということもなく温泉をじっくりと堪能したのだった。温泉を堪能して満足したリーシャは休憩所でミラベルがちょこんと座っていた。彼女はリーシャが出てきたのを見ると、また頬を膨らませて近づいてきた。


「もうっ、少しは私のことも気にしなさいよ!」

「いやあ、せっかく温泉来たんだし、堪能しないといけないじゃない? まあ、これをあげるから機嫌直してよ」


そう言って、リーシャは茶色く白濁した液体の入った瓶をミラベルに差し出した。


「な、なによこれ?! 気色悪い色なんだけど!」

「いやいや、温泉の後は、これ一択でしょ! コーヒー牛乳よ」

「飲んでも平気なのね? ま、まあ、じゃあいただくわ」


そう言って、彼女はコーヒー牛乳を受け取った。


「そうそう、これを飲むときはね、足を肩幅に開いて、右手を腰に、左手で瓶を持って、くいっと一気に飲み干すのよ!」

「そうだったのね。教えてくれてありがとう!」


そう言って、彼女はリーシャの真似をしてコーヒー牛乳を飲み干した。


「あまーい! なかなか美味しいわね。でも……こんな飲み方している人、他にいないんだけど……」

「これは極東の島に伝わる伝説の飲み方だからね。この辺だと知っている人がいないんだよ……たぶん」

「ふ、ふーん。まあ、美味しかったから大目に見てあげるわ」


満足げに頷いた彼女を微笑ましく見守っていると、マリアが話しかけてきた。


「お嬢様……、あまり幼気な子供を揶揄うのはおやめくださいませ」

「揶揄ってはいないわよ。事実だしね」

「ちょっと、子供って何よ?! 私はこれでも成人してるんだから!」


そうして、再び頬を膨らませるミラベルだった。


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