第35話 アイリス
アイリスは迷っていた。前世の記憶からはかけ離れたストーリーになっているものの、ここまでユーティア殿下の好感度は十分に上がっているはずである。実際に、彼とは何度も二人の夜を過ごしているし、そこで毎回のように愛をささやかれている。ここまでの状況からすると、ユーティア殿下は自分に堕ちていると確信していたし、そうありたいと願っていた。しかし実際の彼は、いまだにライバルである偽聖女のリーシャにしつこく付きまとっているのである。
それに加えて、先日の体育祭決勝でのバトルを見たアイリスとしては、このまま殿下の好感度を上げて彼女の不興を買うべきではないと生存本能が告げていた。一方で、殿下と結ばれたいという欲求も時が経つほど高まっていき、現在のアイリスは進退窮まった状態であった。
「ユーティア殿下を諦めたくない。でも、このまま結ばれてしまったら殺されてしまうかも……」
愛を取るか、命を取るかの究極の2択。命がけの愛と言えば聞こえはいいだろう。しかし、前世で愛した人と結ばれたものの、病に倒れ、呆気なく死んだ彼女にとっては、命なき愛など意味はないと考えていた。だからこそ、主人公であるアイリスに転生した幸運を大事にしたかった。前世の知識があって、それに従えばユーティア殿下を幸せな結末を迎えられると、本のひと月前までは信じていた。
しかし、ひと月前の体育祭でリーシャの化け物じみた強さを目の当たりにして、この世界がゲームの中のことではなく、現実なのだと思い知らされたのである。ゲームではあれほど容易だったユーティア殿下の攻略とリーシャの追放劇だったが、現実を思い知らされた今となっては、不可能という名の壁によって阻まれた結末に思えた。
そんなことを延々と自室で悩んでいたアイリスの元にリーシャから手紙が届く。内容は「二人きりで話がしたい。ついては、明日の放課後に、校舎裏まで来て欲しい」というものであった。
「これは――果たし状?! まさか、殿下との関係がバレて……?」
とっくにリーシャは2人の関係は把握しているし、むしろ応援しているくらいなのだが、そのことを知らないアイリスは手紙の内容からありもしない殺意を感じとって恐怖に震えた。
「でも……、リーシャ様は学園内では温厚という噂もあるし、このまま悩んでいてもしかたない。闇討ちされて弁解もできないまま殺されるよりも、きちんと謝罪をした方が生き残れる可能性が高いかもしれない――行きたくないんだけど」
アイリスは、震えながらもリーシャにきちんと説明する決意を固めた。
そして、翌日の放課後。手紙に書いてある通りにアイリスは校舎裏まで行った。ここは人通りもほとんどなく、そのことが余計にアイリスを不安にさせた。
「あら、早いのね。待たせちゃって悪かったわ。それで――今日ここに呼んだのは、話をするためなんだけど、他の人にバレるとまずい内容なんだよね」
「……いったい何の話でしょうか?」
「まあ、落ち着いて。別に取って喰おうってわけじゃないんだから」
どうせ殿下の関係を理由に取って喰うつもりのくせに、とアイリスは心の中で毒づいていた。
「話って言うのは他でもないの。アイリスさん。あなた好きな人がいますよね? でも、あまり関係が進まなくて困っているとか?」
「えっ?!」
リーシャが事も無げに、アイリスの恋愛についての悩みを的確についたことで、自分の心臓が早鐘を打つのを感じていた。全身の毛穴が逆立ち、冷や汗が出る。「謝らなきゃ」という意識とは裏腹に、体は強張り立ったまま動けなくなっていた。
「それで、今日はアイリスさんの恋を応援するグッズを持ってきたんですよ」
そう言って、リーシャは傀儡の書を取り出して、アイリスに差し出した。それが何かを知っているリーシャにとっては気にならないものだったが、何もしらないアイリスにとって、それは不穏な気配を漂わせる呪われた本にしか見えなかった。
「あの……リーシャ様? この本って触っても大丈夫なんでしょうか?!」
「いや、私、今、本持ってるよね? 特に何もないよね?」
「あ、いや、それはリーシャ様だからかと」
「ノー、私、一般人よ? これスペシャルなアイテムだからちょっと見た目がアレかもだけど、効果は確実だからね」
「……わかりました。リーシャ様を信じます。リーシャ様が私を害するつもりなら、こんな回りくどい方法など不要ですものね」
「信頼してくれるのはありがたいんだけど……。信頼のされ方がありがたくない!」
戸惑いながらも、本を受け取ったアイリスはしげしげと本を見回したあと、開いてページをめくり始めた。
「リーシャ様。この本は?」
「これはね、伝説の光属性魔法の魔法書よ。この魔法に習熟することで、アイリスさんの恋は成就すること請け合いよ」
「魔法の方は、どうやって使えば?」
「恋の相手に掛けるだけで、相手はアイリスさんの望むとおりに動いてくれるわ」
「そんな簡単に……。でも、私なんかに渡していいんですか? リーシャ様にとっては不都合な結果になるかもしれませんよ?」
「そんなことはないわ。私はこの魔法が使えないし、アイリスさんなら絶対に役に立ててくれると確信しているの。その結果がどうであれ、私はあなたを責めることはしないつもりよ。心置きなく使ってちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
こうして、無事に本を渡したリーシャは上機嫌になって自分の家へと帰っていった。一方、本を手に入れたアイリスは魔法を習得するために、何度も読み返した。
「これがあれば、私と殿下が結ばれるはず! リーシャ様も責めないって言って下さったし、希望が見えてきたわ」
こうして、アイリスは諦めかけていたユーティア殿下への恋心をさらに燃え上がらせるのであった。
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