第9話 スタンピード

「鬱だ……」


自分が諸悪の根源であったと知っただけでなく、毎日のように目の前に書類がうず高く積まれる現状に、私の心は一週間と経たずに限界を迎えようとしていた。

ユリア嬢に手紙を送って様子を窺おうともしたが、彼女からの返事は以前とは打って変わって素っ気ないものだった。

魔王の手先として動いている以上、聡明な彼女は手紙であっても迂闊なことは書けないことを理解しているはずである。

あるいは心優しい彼女は私も含めて周囲の人たちを巻き込みたくないと思っているのかもしれない。

そう思いながら目の前の書類の山を見ると、私の浅はかな行為であったと自己嫌悪に陥っていた。


リーシャは数日の間、部屋に閉じこもっていた。その間、ユリア嬢に手紙を送ったりもしたが、その返事は以前とは打って変わってつれないものだった。すでに魔王の手先となってしまった彼女のことを考えれば当然と言えば当然だろう。彼女もリーシャのことが嫌いになったから素っ気なくしているのではなく、自分の事情に巻き込みたくないと思って素っ気なくしているのだとわかるだけに、余計にもどかしさを感じた。


「よし、これ以上、私は人を殺さないようにしますわ! ……できるだけね。善処する感じで!」


私は不殺の決意してみたが、やはり仕方ない場面もあるよね、と想像したことでお茶を濁す感じになってしまった。

私の決意表明を隣で聞いていたマリアも、徐々に尻すぼみになったことにより、ついには私のことをジト目で見るようになってしまった。


「自信満々に宣言しておきながら、そんな物騒なものを持ち歩くんですね」

「どこで襲われるかわからないからね。護身のためよ」

「それって狙撃用ですよね? 襲われるというより気づかれる前に使う武器なのではないでしょうか。そもそも、お嬢様には魔法がありますので、ご不要かと思われますが……」

「確かにこれは護身には不向きな武器ではあるわね。しかし、優秀なスナイパーはライフルで突撃するのよ。」

「お嬢様は何を目指しているのでしょうか……」

「マリアは勘違いをしているわ。スナイパーがライフルを持つんじゃないの。ライフルを持つからスナイパーになるのよ」


私は前世の知識を元にスナイパーの何たるかを熱く語ったが、マリアには理解できない内容だったらしく冷めた目で見られてしまった。

そんなくだらないやり取りをしていると、執事のクリスが部屋にやってきた。


「リーシャお嬢様、スカーレットマーズ公爵の使いの者がいらっしゃっておりまして……。火急の件とのことです。いかがなさいますか?」

「わかったわ。すぐに参ります」


先日、ゲスリア公爵を思わず殺してしまったので、正直なところ会うのは気が引けた。

しかし、これはゲームの強制力であり自分が悪いわけではないと考え、一通り準備をして応接間へと向かった。

そこには一人の騎士風の男がソファに座っており、私が応接間に入るとすぐに立ち上がって敬礼をした。


「お待たせいたしまして申し訳ございません。インディゴムーン公爵家、長女リーシャと申します」

「ご丁寧な挨拶痛み入ります。私はスカーレットマーズ公爵家、私設騎士団長ジョン・ドゥと申します」

「それでは早速お話を伺いたいと思います。おかけになってください」


席に座るように促すとジョンは遠慮がちにソファに腰を下ろした。

それを見て、私も向かいのソファに座る。

彼は一息つくと深刻な表情をして私の顔色を窺っていた。


「それで……どのようなご用件でしょうか?」


彼は律儀にも目上である私の言葉を待っているようだったので、話をするように促した。


「先日のことなのですが、当家の当主が極秘にアイネスという街に行き、会談を行う予定だったのです。しかし、途中で謎の襲撃に遭いまして、その日は行くことがかないませんでした。後日、再び向かうことも検討したのですが、当主の具合がすぐれないため、聖女見習いのリーシャ様に代理をお願いしようと思い参った次第なのですが……」


そこまで話して言葉に詰まったようだったので、私は静かに頷いた。

それを見て、彼も話を続ける。


「これより先は他言無用でお願いしたいのですが、今回の会談の目的はアイネスの街の近くにあるダンジョンで大氾濫スタンピードの兆候があったので、その対応策について協議するためのものでした」

「え?! 私を暗殺するための悪だくみじゃなかったんですか?!」

「公爵様も政務に携わる人間ですので、多少は後ろ暗いところもありますが……。決して誰かを暗殺するような方ではありませんよ。先日、リーシャ様が同じように襲撃されたと伺っておりますが、おそらく犯人は同一人物なんじゃないかと考えております」


私を襲った人物とゲスリア公爵を襲った人物が同じ、と言うのがあり得ないことを私は知っていた。

しかし、それを知っていることにより疑われる可能性があったため、私は黙っておくことにした。


「えーと、少し話が逸れましたが、大氾濫の規模などはある程度の見通しが立っており、D級以下1000体ほど、C級300体ほど、B級50体ほど、A級20体ほどと見ております。ただ、それに加えてS級が1体出現する可能性があるらしく、それを見越した戦力を投入するかどうかの決定に難航しているのです」


A級までのモンスターでも上位のモンスターは強いことは強いのだが、それでも人の力で対処できる程度の強さとなっている。

しかし、S級以上は話が別で、例えば広範囲に毒をまき散らしたり、姿を視認できなくなるほど高速で移動したりといった、いわゆるギミックのような能力を持っているため、熟練の兵士であっても数百人単位の部隊でようやく勝負になるかという話になる。


「S級が出るかどうかわからない、っていうところが問題ね。予想が外れたら領主の負担が恐ろしいことになるからなぁ」


予想が外れて過剰戦力を投入してしまったり、大氾濫を抑えきれなかったりすると、その分の予算が王国から支援されなくなるのである。


「まさに、そこが問題となっているのです。王国も全部終わってから『この予算要らなかったよね。この分は返納してください』なんて平然と言うからね」

「そうそう、やる前から要らないかどうか分かるかっ、ていうのにね」

「しかも、失敗しようものなら『あ、失敗ですか。それじゃあ全額返納してください』だからね」

「ホントに後付けで難癖付けてくるから困るんだよね。それじゃあ、お前らがヤレ、って言いたいけど、あいつら『私たちは予算を適切に分配するのが仕事ですから』とか言うし」

「成功の約束されたことに必要最低限の予算を割り振るのなんて、別にサルでもできるわ、って感じですよね」

「いやいや、それはサルに失礼ですわ」


私たちは大氾濫の話をしていたはずなのだが……。いつの間にか、王国財務部の悪口になっていた。


「脱線しちゃいましたけど、大氾濫をどうするかですよね」

「はい、もっと言えばS級をどうするかですね」


この件、難航しているのは「S級が出るかわからない」という一点に尽きるのは明確だった。

他の聖女見習いでは厳しいかもしれないが、私の魔法をうまく使えばS級でもなんとかなるのではないかと思っていた。


「それなんですが……S級は出ない想定で行きましょう。もしS級が出たら、私が対処する方向で行けるのではないかと」

「正気ですか? S級のモンスターはS級の冒険者パーティーでやっと互角というレベルなんですよ?! 危険すぎる!」

「おそらく大丈夫でしょう。こう見えて、私は盗賊団を壊滅させたこともあるんですよ」


私は自信満々に告げると、彼は神妙な顔をして呟いていた。


「聖女見習い……盗賊団……壊滅……もしや、あの噂は本当に……?!」

「どうかなさいましたか?」

「いえ……。わかりました、リーシャ様が、そう仰られるのでしたらお任せいたしましょう」


先ほどとは打って変わって、彼は柔和な表情で頷いた


「しかし、公爵様を襲撃した暴漢を恨んだこともありましたが、ここまできれいにまとまってしまうと、逆に感謝してしまいますね。おっと、不謹慎でした。このことは内密にお願いします」

「ええ、もちろんですわ。こちらこそ、あまり触れてほしくない話題ですので。おほほほほ」


私は心の中で冷や汗をかきながら愛想笑いを浮かべた。


「あと、大氾濫に対抗するために、聖女見習いの方にご同行いただくのですが、リーシャ様がいらっしゃるのでしたら。不要ですね」

「えーっと、聖女見習いって、何かすることがあるんでしょうか?」

「もちろんです。負傷者の治療は元より、王都の結界ほどではありませんが、ダンジョンに浄化結界を張っていただくのですよ」

「えーと、浄化結界と言うと、光属性魔法のですか?」

「もちろんです。聖女見習いの基本技能と言ったところでしょうか」


確かに、この国の聖女は光属性なので、基本的に全員使えるはずなのだが、私は実際には地属性のため使えないのだ。

仕方なく、咄嗟に私はごまかすことにした。


「えーと、私は確かに聖女見習いです。しかし、今回の件ではS級モンスターと戦わないといけません。そうなると、結界のお手伝いはできなくなりますので、聖女見習いは別に用意をお願いします」

「えぇ?! 結界なんてS級モンスターと戦いながら片手間でできないんですか?」


何を言っているんだ、このクソ野郎は。


「何を言っているんだ、このクソ野郎は」

「え?!」

「あ、いえ。さすがに無理でございますわ。おほほほ」


平然と酷使しようとしてきたジョンに思わず本音が漏れてしまったので、慌てて取り繕った。

どうやら、彼も気のせいだったと思ったらしく、不思議そうな顔をしていたが、そのまま話を続けた。


「では、聖女見習いの人数は……そのままで。S級はリーシャ様が討伐されるということでよろしいですね」

「はい、もちろん報酬はいただきますけどね」

「……ちっ、強欲聖女め……」


どうやら、彼も本音が漏れてしまったようだ。

しかし、私は聞こえないふりをして、話を続ける。


「それはそうと……。この規模の大氾濫に聖女見習いを送るのは何故でしょうか?王妃様、いえ、現聖女様が対応すればよいかと思うのですが」

「それは不可能ですね。ご存じないかもしれませんが、王妃様、いわゆる聖女様は王都の結界の維持のためにコアに1日3回魔力を注がねばなりません」

「それは大変ですね」

「それに加えて、要人との会談や、後継者作り、さらには書類の承認なども行いますので、朝から晩まで暇がないのです」


予想以上の忙しさに、私は気になっていることを聞いてみることにした。


「えーと、休みは週1とかですか?」

「休みなんてあるわけないじゃないですか。結界やモンスターに休みなんてないんですよ。おまけに会談はよほどの緊急事態でなければ1年待ちですからね」


予想以上の酷使っぷりに、私は眩暈がした。


「それでよく身体が持ちますね」

「専属の治癒士がおりますので、問題ありません。なんなら食事や睡眠も不要です」

「もしかして、聖女様が若くして亡くなる方が多いのって……」

「あまりにも多忙で力尽きる、なんて言われていますけど、検証されていませんから。まあ、そんなわけで雑務的なところは聖女見習いの人がやることになるんです」

「いやいや、絶対に過労死でしょう?」

「回復は治癒士が行っているので、過労と言うわけではないはずなんですよね。リーシャ様は第一王子の婚約者ですし、最も聖女に近いのですから、頑張って長くお勤めしてくださいね」


私は、この瞬間に聖女にならないように全力を尽くすことを誓うのであった。

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