第5話 瘴気の湖

 翌日、私はさっそく館の裏手にある湖へと向かった。

 館の裏手は表側の開けた街並みとは打って変わって鬱蒼とした森になっており、自然豊かな場所であったが、瘴気の影響からか鳥や動物の姿が見えないどころか、鳴き声すらも聞こえなかった。

 それだけでなく、微かではあったが周囲に異臭が漂っていた。


「この匂いは――うーん、何となく生ごみのような臭いね。何で自然豊かなこの場所で、こんな匂いがするのかしら」


 私は、この臭いの原因を探るために森の中を進んでいくと、突如、目の前の視界が開けて大きな湖が現れた。

 しかし、その現れた湖の湖面は赤黒く濁っており、さらには何とも言えない異臭を放っていて、私だけでなく同行した全員が湖を見て唖然としていた。

 私は前世において、これ以上に酷い――血と腐臭と死臭の漂う世界を生き抜いてきたこともあり、辛うじて耐えることができたが、マリアや護衛達は顔が青ざめていて、今にも倒れそうになっていた。


「う、こ、この臭いが瘴気ですか?」


 顔を青ざめさせ、息も絶え絶えになりながら、マリアが訊いてきた。


「いや、これは……いえ、まだ確証はありません。もう少し先に行ってみましょう」


 私は、この臭いに心当たりがあったが、確証がなかったため先に進むことを提案した。


「お、お待ちください、お嬢様。これが瘴気だとしたら――何の対策もなく浴びるのは危険です。いったん戻りましょう」

「そうですね……。皆さんも、これ以上先に進むのは難しそうですし……。一度、戻って対策を立てましょうか」


 しかし、他の人たちは臭いの酷さに限界のようだったので、仕方なく今日のところは戻ることにした。

 状況の確認をしただけで、解決の糸口も見えないまま、私たちが領主の屋敷まで戻ると、屋敷の前に嫌らしく笑う領主が立っていた。


「これはこれは、聖女様。もう解決されたのですか?」


 領主は、私たちが特に進展がないと思っているようで、嫌味たらしく訊いてきた。

 明らかに無理だと言い張って賠償金を分捕ろうと考えているのが見え見えだった。

 こういう奴に限って、賠償金を取っておきながら解決するまで拘束した上で報酬を払わないというのだから質が悪い。


「まだ調査は始まったばかりですわ。もっと調査を進めるつもりだったのですけれども、の用意してくださった護衛の方々が辛そうにしていたので、戻っただけですのよ。そもそも、領主様がケチって装備を用意していなかったから、私までわざわざ戻る羽目になったのですわ」


 私は「全て領主が悪い」という含みを持たせて反論した。

 途中まで領主は護衛達を睨んでいたが、私が反論し終わるころには私の方を顔を真っ赤にして睨んでいた。


「貴様が戻りたかっただけじゃないのか? それで、私の雇った護衛にケチをつけたんじゃないだろうな!」

「そんなわけありませんわ。私は先に進もうとしましたが、他の方が戻ろうと主張しましたのよ」

「それなら、お前の付き人も戻ろうとしたんじゃないか! やはり賠償……」

「おっと、その話はそこまでよ。確かに、私の付き人であるマリアも戻ることを主張しました。しかし、マリアだけであれば戻る必要はありませんでした。――こちらを見てください」


 そう言って、私は懐から透明な宝石の嵌め込まれたネックレスを取り出した。


「こちらが何かはお判りでしょう? これは浄化のネックレスです。これがあれば、例え瘴気にまみれた場所でも平気になるのですよ」

「馬鹿な! そんなものを用意する時間は無かったはずだ! 依頼内容を知ったのは昨日だろう?! そんなものを用意する時間があるとは思えん」

「そうでしょうか? そもそも、聖女の派遣を依頼したのは領主様でしょう? 聖女を派遣する必要のある依頼など、瘴気などの不浄の浄化に決まっているではないですか。であれば、最低でも一つは持っていても不思議ではないでしょう」

「ぐぬぬ。だったら、それを使えばよかったではないか! 何をノコノコと戻ってきておるのだ!」

「私の話を聞いていました? マリアだけであれば、戻る必要はなかったと。領主様の用意してくださった護衛の方のために戻ったのですよ」


 私は領主の鳥頭っぷりに呆れながら諭すように言った。

 領主の顔は真っ赤になり、さらにそれを超えて白くなっていった。


「ふん! 口だけは達者な聖女だな。わかった、護衛の分はこちらで用意しておく。それでいいな!」

「当然ですよ。それと、私が達者なのは口だけではありませんからね」


 内心「勝った」と思いつつ、領主に微笑みかけた。

 それを見た領主は、そろそろ頭が爆発するのではないかと思われるほど、怒り狂っているようだった。

 ぷりぷりと怒りながら、館の中へ戻ろうとする領主に、私はもう一つ話をすることにした。


「それと、湖の浄化するにあたって、おそらく原因がわかったので、そちらも対処しようと思いますが、かまいませんか?」

「何を言っているのだ! 当然だろう。湖をきれいにしただけで終わりにするなどという中途半端は許さんぞ!」

「わかりました。対処すると領主様の方にも若干の影響が出ると思うのですが、大丈夫でしょうか?」

「そんなことを言って脅しても無駄だ! しっかり完全に対処してしまえばよいではないか!」


 私は、あまりにも傲慢な物言いに、呆れつつも言質を取れたことに安堵した。


「わかりました。では、こちらの誓約書にサインをお願いします」


 誓約書を差し出すと、ひったくる様にしてサインを書いてから投げてよこした。


「それで満足か? それじゃあ、とっとと解決しろよ!」


 そう言って、本当に屋敷の中に入って行ってしまった。

 私たちも執事の案内に従って、領主の屋敷で一晩過ごすのだった。


 翌日、浄化のネックレスが護衛分そろったとのことで、昼過ぎに領主の屋敷を出発した。

 機嫌を損ねた領主はもはや見送りにすら出てこなかった。

 何とも器の小さい男であるが、そんな人間のことを気にしている暇はないので、私たちは早速、昨日の所まで戻ってきた。


「相変わらず酷い臭いだわ。今日はみんな浄化のネックレスで大丈夫みたいだし、奥に行くわよ」


 私は他の人たちの顔色を窺ってみたが、浄化のネックレスのおかげで具合が悪い人はいなそうであった。


「お嬢様は使われなくてよろしいのですか?」

「慣れているから大丈夫よ。もっと酷いところにいたこともあるくらいだからね」


 マリアも、それ以上はまずいと思ったらしく、話はそこで切り上げられた。

 私たちは湖に沿ってさらに森の奥へと向かっていった。


「湖面は相変わらず赤黒いけど――臭いは幾分かマシになってきたわね。あ、みんなはネックレス外しちゃダメよ。マシとは言え、一般人にはまだまだきついはずだからね」


 そして、私たちはさらに奥へと進んでいく。

 湖の一番奥、屋敷とは反対側に着くと、先ほどまでの臭いはほとんど無くなっていた。


「うーん、この辺りも湖面は赤黒いわね。でも臭いはほとんどしなくなっているから、ネックレスは外しても大丈夫よ」


 恐る恐るネックレスを外すマリアと護衛達だったが、外しても臭いがほとんどしないことに驚いていた。


「本当です。臭いがほとんどしませんね」


 マリアの言葉に護衛達も頷いていた。


「これは瘴気などではありませんわ。湖の水に栄養が増えすぎて、微生物が大量に発生して色が付いてしまったのですよ」

「ビセイブツ? ですか。それは一体……」

「目に見えない生き物がいるんだけど、それが大量に出てくると、その生き物の色に湖の水が変わってしまうの。染料みたなものよ。普段はバケツに染料1滴分くらいしかいないのだけど、今はバケツに染料がコップ一杯分くらい入っているような感じね」

「なるほど……。ですが、ビセイブツとやらが原因であれば、あの匂いは何でしょうか?」

「あれは微生物の原因となった餌が発している匂いだったのよ。この辺は餌の発生源から離れているから、微生物に餌が全部食べられてしまって臭いがなくなってしまっているということよ」

「なるほど――ということは、原因は領主の屋敷でしょうか?」


 マリアが真実に近づいてきたことに、私は嬉しくなって微笑みながら頷いた。


「そうよ、だからアイツに、誓約書にサインするように言ったのよ」

「なるほど、でも何で領主の屋敷なのでしょうか?」

「そのヒントは一昨日の晩餐よ。毎日のように、大量の料理、しかも栄養豊富なたんぱく質や脂肪が含まれた料理の残りなんかを湖に捨てていたら、あっという間に汚染されてしまうわ」

「なるほど、タンパクシツとかシボーはわかりませんが、こってりしたものを湖に捨てていたことが原因だということですね」

「そうよ、それを解消するために、これから魔法で浄化するのよ」


 そう言って、私は自分の鞄から大量の魔石と魔力ポーションを取り出す。

 これらはいわゆる魔力補充用で、ポーションの方は飲むことで一瞬で魔力を回復させ、魔石は近くで砕くことによって、魔力の自然回復速度を大幅に上昇させる効果がある。


「さあさあ、皆さんも鞄の中のポーションと魔石をこの辺りに置いてくださいね。それとマリア、サポートよろしく」

「かしこまりました、お嬢様」


 全員がポーションと魔石を近くに置き、マリアの準備が整ったところで、私は呪文を唱え始めた。


「――鉱石生成クリエイトマテリアル――粉砕グラインド――成型フォーミング


 マリアが魔石を砕きつつ、ポーションを手渡してくる。

 それを次々と受け取っては飲み干し、魔法を使い続けた。

 そして、湖が浮かび上がった――正しくは、私の作り出した高台にある窪みに入る様に構成したのである。

 具体的には、土台を作り、その周囲に柱を作って少しずつ積み重ねていき、まるで湖全体が浮かび上がったかのように見えたのである。

 そして、その土台には細かい土や砂が大量に敷き詰めており、湖の中の不純物を濾過して、元の湖に戻しているのである。


「これでよし、と。あとは2時間ほど待てば、湖の水は濾過されて全部流れ落ちるわ」


 そして、待つこと2時間、無事に不純物が濾過されて澄み切った水によって満たされた湖ができていた。


「完成ね。そのまま壊すと不純物が湖に入っちゃうから、圧縮して森の中に捨てましょうか。みんなはちゃんとネックレスを付けておいてね。――圧縮コンプレッション


 再び魔法を使うと、濾過に使った土台は直径10mくらいのヘドロの塊となって、私たちの前に鎮座していた。

 湖の不浄を全て寄せ集めたような塊は、湖畔で嗅いだものの数百倍の悪臭となって漂っていた。

 そして、その悪臭を放つ物体を消そうと魔法を使おうとしたとき、その塊が動き始めた。


「なっ、これは一体どういうこと?!」


 私自身、前世の記憶に引っ張られていて失念していたが、この世界は魔法がある世界である。

 であれば、科学で説明が付かない魔法生物が生まれたとしてもおかしくなかった。

 そう、私の目の前には、この世のすべての不浄を寄せ集めたような巨大な生き物が蠢いていた。

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