第8話 ~変わる日常~


 夜の闇が終わり、無事にまた朝を迎えた。

 目が覚め、思考が戻ってくるといつものように夜での感覚が戻ってくる。昨夜の<<夜の存在>>を壊した時の感触が・・・・アレに触れてしまったという嫌悪感が全身に走る。

「・・ぐ・・ごほ・・・っ!」

 現実的感覚はなくても、精神的な気持ち悪さが呼び起され、それに肉体が反応する。身体の中身が逆蠕動を起こして、ひっくり返りそうな感覚。来ると分かっていなければ確実に吐いてしまう。

「・・はあっ・・・・初めての・・・・時は・・・・・吐いて・・・・・白い目で見られたからな・・・・・・」

 どうにか呼吸を整え、気持ちを落ち着けようとするが、全身に感じる不快さに暴れそうになってしまう。身体をずたずたに引き裂いてしまいたくなる。それにただひたすら耐える。

 どれくらいそうしていたか、布団の上で暫く苦しみに悶えていると、それは引いていく。代わって、入れ替わるようにして正反対の感覚が全身へと走る。

「あ、せん・・・ぱい・・・・?」

 それは萌先輩に抱きしめられていた感覚だった。

 誰よりも、何よりも優しくて暖かい・・・・かけがえのない感覚だ。それに意識を向けると、昨夜の眠っている時の記憶が夢のように、おぼろげながら浮かび上がる。

 自分を優しく包み込んでくれた。

 言葉と態度で労わってくれた。

 夜が明けるまで、ずっと抱きしめて、温もりを与え続けてくれていた・・・・。とても温かみに溢れた優しい表情を浮かべ、こんな自分を見守ってくれていた。

「・・・ほんと、なんで先輩はこんなに優しいんだろうな・・・・・」

 朝から布団の中で流してしまうものがあった。

 どこにも生き場のない自分にとって、萌先輩からの温もりはたった一つの心の支えだった。もしも萌先輩がいなければ、もう俺は一瞬たりとも生きていられないと自覚している。先輩がいなくなったら、もう正気ではいられない。

「こんなふざけた世界に・・・・どうしてこんなに優しい人がいるんだろう?」

 萌先輩だけはこんな世界から救われて欲しい。先輩だけは守りたい。だから、俺はまだ終わる訳にはいかない。

「・・・起きないとな」

 そうしてまた、今日を生きる覚悟を決める。




「おはようございます」

「先生、おはようございます」

 学校の敷地内へと入れば、あいさつをかけてくる教師がいるので、必然全員があいさつをすることになる。一応、俺たちがいる高校は進学校ということで、そういうところもアピールしたいのだろう。

「お、相心(あいしん)君。おはようございます」

 中年の男子教員が、門をくぐった俺にも挨拶をしてくる。俺はこの呼ばれ方が大嫌いだが、教師という目上の存在に対しては、大人しくそれを受け入れないといけなかった。それに、俺は特待生ということもあって、色々と教師の注目を浴びてしまう。

「おはようございます、先生」

「それにしても君は学力は優秀だが、もう少し元気があった方がいいんじゃないか? 文武両道ともいうだろう? 何か運動の部活でも入らないか?」

 うるさい黙れと、そう言いたい。他人のこういう干渉が大嫌いだ。

「中国語だと文武双全というらしいですね」

「ほう・・・そうなのか?」

「ええ」

 そういって適当に場から逃げようとするが、教員はなおもしつこく話しかけてくる。

「けれど、頭でっかちというのもよくない。健全な精神は健全な肉体に宿るという、ならば身体を鍛えることも勉強にとって必要なことではないかね?」

 ああ~、こいつまじでめんどくさい。俺は入学から<<夜の存在>>のことで疲れているというのに、こんなくだらないことで疲れさせないでくれよ。

 頭を悩ませる俺の横から、一人の女性が教員へとあいさつをかける。

「・・・角田(かどた)先生。おはようございます」

「おっ?! おおっ! 久清(きゅうせい)さんじゃないか! 君から挨拶してくれるなんて、珍しいじゃないか!」

 それは萌先輩だった。普段から先輩はあまり人と会話しないということで有名だった。例えそれが教師だとしても、萌先輩であればお咎めはなかった。何せ、萌先輩はこの辺りでは知らない者はいないというくらい有名な存在の娘。まあ、漫画とかでよくある、親が権力者というやつだ。しかも、それでとてつもなく美人なんだから、本当に漫画のようなものだと思う。

「・・・そうでしたか? 教室へと急ぐので、これで失礼します。健君も急いでくださいね? 朝のテストには遅れないようにしてください」

 そういうと先輩は優雅に歩きだし、俺の横を通り過ぎる時にそっと小さな声で囁く。


「少しは大丈夫そうで何よりです」


 そんな小さな心遣いが嬉しかった。

「は、はい! 急いで教室へと向かいます!」

 いつまでも先輩の後ろ姿を眺めるわけにはいかないので、慌てて自分の教室へと向かった。角田先生が俺へと声をかけてくることは、もちろんなかった。萌先輩のおかげだった。

 教室へとつけば自分の席について、鞄を降ろして今日使う教科書を机の中へと入れていく。筆記用具は机の上へと置き、朝のテストの確認をざっとする。

「えーっと、今日は数学だからこの間の授業内容が・・・・」

 ノートを開いて数字やアルファベットとの格闘を始める。

 昨日図書室で勉強していた奴ら以上に俺は無駄なことをしている。だから、勉強に関しては気づけば優秀と呼ばれるくらいの実力を持っていた。

 ある時から、時間があれば教科書や問題集ばかりやっていたので、自然とこういう風になってしまった。そういうと嫌味な奴だと思われるだろうが、結局は俺にはそれ以外の選択肢がなかった。ただそれだけだった。だから、今は昔みたいに遊んだりすることはほとんどなくなってしまった。遊ぶ楽しみ方を忘れてしまった。

「・・・・」

 頭の中身を整理し、欠けたところは補い、理論を補強していく。おかげでテストは特に問題なく終わらし、授業へとスムーズに入っていった。そうして、午前中の授業が終わり、昼休みを告げる鐘がなる。

「はい、じゃあこの時間はこれまで」

 日直の掛け声でいつものお約束を行い、無事に休み時間へと入ればすぐに人が動き出す。

 教室内で友達と食べる者。食堂へと行って食べる者。売店で人気のパンを狙って全力で早歩きをする者(走るのは厳禁のため)

 皆それぞれの思惑に従って動き出す。

「健はまたコンビニか?」

 クラスで会話をするくらいに親しい存在が話しかけてくる。勉強はできても、人の名前を覚えるのはどうしてか苦手だった。

「ああ、そのほうが楽だろ?」

「たまには学校の飯も食ってみたらどうだ? ここの学校のは結構いけるぞ?」

「あ~、面倒くさいからいいや。待ってまで食べるくらいなら、初めから買って来たやつを食べる方が時間の使い方としても合理的だろ?」

 俺は面倒臭いから、いつも来る途中のコンビニで買って来た奴を食べる。

 鞄から昼食を取り出す。

「まあ、そうだが・・・たまには無駄な時間を過ごすのも悪くないぞ?」

「・・・そうだな、いつかは食べてみようと思うさ。それより、早くいかないとヤバくないか?」

「あ! そうだ! やっべ~っ!」

 慌てて全力で早歩きをして教室から出ていく。

「ははっ・・・そこまでして走らないのは、さすがに尊敬に値するな」

 そんなクラスメイトを見送り、俺はいつものように一人で食事をしようとした。


 その時だった。

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