第6話
その流水に触れると、とても暖かかった。自分が知っている涙とは全然違っていた。冷たくて、苦しくて、孤独で、空虚な涙とは正反対だった。
「・・・・」
それにつられて、俺も涙を流してしまう。悲しくて、冷たい象徴でしかなかったそれが、嬉しくて、暖かいものでもあるということを実感した。それに対する反応だと思った。
夜の世界で、二人して同じ涙を流しあう。
知っている者が誰もいない世界で、誰にも知られずに、二人きりで涙を流していく。
「ほら、健は純粋でしょう? いま、わたしが流している感情に染まったんですよ」
「俺は・・・」
自分の感情がよく分からなかった。これ以上それを感じてしまうと、何かが壊れてしまいそうだったから、先輩の頬から手を引く。すると、すぐに涙は止まった。
「私は、流れる涙はそのままにしておきたいんです。そうすれば、そのうち止まるんですよ。我慢なんてしなくていいんです・・・・しちゃ、ダメなんです」
「俺には・・・よく分からない。先輩の様にはなれない」
「そうですか・・・でも、それはそれでいいんです。だって、健は健なんですから」
止まっていた足をまた動かす。そこからは特に会話はなく、闇に染まった見慣れた町を進んでいく。
今日———実際は昨日———の放課後に図書室で話し合った場所へと向かっていた。そこは町はずれにある山だった。
これまで町の中心部や、駅周辺をうろつくと<<夜の存在>>との遭遇率が高い傾向があった。つまり、普段から人が多い所に行くと、出会ってしまうのではないかと考えた。
実際、先輩と合流してから人通りの少ない所を通っていくと、奴らと出会うことはなかった。こうして特に問題もないまま、道路以外何もない寂しい山のふもとまでたどり着く。もちろん、こんな夜中であれば交通量なんてものは皆無だった。
「・・・どうやら考えが当たっていた感じかな?」
「そう・・・ですかね?」
お互い半信半疑なため、顔を見合わせる。普段なら見られない雰囲気を先輩はしていた。
首を少し傾け、髪の毛がさらさらと揺れる。その状態のまま口元に手を当て、しばし先輩は考え込む。
俺は先輩の邪魔にならないように口を閉じ、周囲への警戒を強める。
この一ヶ月は周辺の散策をしていたおかげで<<夜の存在>>との戦いばかり・・・・その成果なのか、じっとしていれば奴らの雰囲気をある程度感じ取れるようになっていた。この経験と感覚を生かして、今は先輩の身を守ることだけに専念する。
そして少しの時が過ぎ、先輩が口を開く。
「まだ確実とは言えませんが、一応こういった場所だと安全と思ってよいかもしれませんね」
「そうだと助かります」
「そうですね・・・健の状態が心配なので、今夜はここで大人しくして・・・・」
「!!」
「健・・・? どうかしましたか?」
「いえ、どうも山から車が降りてくるみたいですね。道路の端によりましょう」
「ええ、そうしましょう」
曲がり角からの襲撃に備え、道路の真ん中を歩いていたので隅っこへとよける。念のため先輩の前に出て、警戒は怠らないようにする。
「・・・大丈夫ですよ」
「念のためです」
そこを深夜でがらがらの道路をいいことに、車が普段では出せない猛スピードと爆音で、何事もなく走り去っていった。
「ほら、大丈夫でしょう? 守ってくれるのは嬉しいですけど、なんでもかんでも警戒すると、疲れてしまいますよ?」
「それで先輩を守れるのならば構いません。むしろ、気を緩めたせいで先輩が傷つくことが俺は嫌です」
「そうですか・・・では、今夜はここでのんびりとしましょう」
「えっ?」
「さっきも言ったように、健・・・貴方の状態が心配なんです」
全てを見透かしたかのように先輩が、悲しいのか苦しいのか辛いのか・・・・とにかく暗い感情の眼差しで見てくる。
「俺なら別に・・・・」
そんな先輩を見上げ、暗い感情を払拭しようと言葉を続けようとするも、それは許されなかった。
「『暗き闇夜に、安らぎの場、現れる』」
紡がれた言霊から生じた光が、俺と先輩を包み込む。大きくない光の膜の中、明るい世界で先輩がゆっくりと、上品にその場へと座り込む。そして、俺を見上げると座るようにと目が訴えていた。大人しく先輩に従い、向かい合う様にして俺も座ると、先輩が口を開いた。
「寝て下さい」
「寝てる暇なんてないですよね?」
「構いません。ずっと散策で戦っていたのですから、たまには休む必要もあります。だから、今夜はゆっくりと眠ってください」
「そもそも、この世界で眠ることができるんですか? じゃなくて! そんなことをしている間に、奴らに襲われたらどうするんですか?」
「襲われてもいいようにこの光の膜を作りました。健ならこの膜が安全だと理解できるはずです」
確かに今まで出会った奴らの力であれば、おそらく大型でもこの光は壊すことができない。それくらいの強度を、この光は保っていた。だけど、それだけの強さを今夜の終わりまで使い続けるということは当然・・・・
「待ってください! そんなことをすれば、萌先輩の疲労が半端じゃないはずです! 強い力の継続使用は、身体にも強い負担をかける。そういっていたのは萌先輩ですよ?!」
生まれつき身体が弱いと、そう言っていた先輩に負担をかけたくない。だからこそ俺は、奴らとの戦いは可能な限り一人で対処していた。どうしても一人では勝てないと悟った時だけ、自分の無力に後悔しながらも、先輩の力をかりて『討伐』をしていた。そもそも先輩の役割は『救済』であって、傷ついた存在を癒すことが本来の使命だ。その使命に支障がでるほどの力はダメだと、先輩も理解しているはずだ。なのに—————
「私のことはいいんです」
「よくありません! 俺の休息なんかよりも先輩の身体の方が————」
「健」
決して大きくない声。そのはずなのに俺は黙るしかなかった。先輩の静かな気迫が、有無を言わさずに俺の言葉をしめる。
「もう少し自分を優先してください」
「それでも俺は————」
なんとか声を上げるも、先輩は黙ってそれを聞くことはなかった。
「こんな状況でも、私のことを考えてくれているのは嬉しいです。でも、もう限界でしょう? ずっと満足に眠れていない中で、貴方は頑張っています。いいえ、頑張り過ぎています。だからこそ、そんな貴方に今夜くらいはゆっくりと休んで欲しいんです」
先輩の手が伸びてきて、俺の頭を撫でていく。それはまるでわが子を褒める母親のような・・・・そんな優しさの込められた行為のような気がした。
「だけど・・・・俺には頑張ることくらいしか・・・・・・」
「頑張って、疲れたら休む。それでいいんです。私はずっと貴方に守られてきたのですから、たまには私に貴方を守らせてください。それに、貴方が倒れたら誰が私を守ってくれるのですか?」
先輩にそこまで言われると、もう何も言えなくなってしまう。
「とはいえ、流石に寝転がれるほどではないので・・・・窮屈で寝心地もよくないですが、そこはご容赦ください」
そう言うや、先輩が隣りにぴったりと身体をつけてきた。
「せ、せんぱい・・・?」
「私の肩に頭を載せて、そうして寝て下さい。もたれかかるものがないと、寝にくいでしょう?」
「それだったら普通に壁にもたれて・・・」
「だめです。それだと固すぎます。本当ならお布団で眠ってもらうのがよいのですが、今夜は私の肩で我慢してください」
「いや、流石にそれは・・・」
「つべこべ言わずに寝てください」
拒否権などはもうなかった。このまま平行線になって先輩を疲れさすくらいなら、大人しく甘えさせてもらおうと思った。
「わかりました。その・・・・失礼します」
「ええ、どうぞ」
そっと先輩の肩に頭を寄せる。何かにもたれかかり、身体が・・・・心が楽になる。
もたれた俺へと、今度は寝かしつけるように先輩は頭を撫でてくれる。そうして優しい言葉がかけられる。
「おやすみなさい・・・健」
「あ・・・っ」
それは今や遠くなっていた言葉だった。本来ならば当たり前であったはずのその言葉がとても懐かしくて、おもわず感極まってしまう。
「・・・はい、おやすみなさい。萌先輩・・・・」
瞼を閉じれば熱いものが零れ落ち、先輩の暖かい心地よさですぐに眠気はやってきた。
こうして、久しぶりに心が弛緩する感覚を・・・・眠ったという感覚を味わいながら、今夜の闇は過ぎていった。
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