第5話 Lung of coral(前編)


 入り口に現れた男が制止した。星野宮蓮次だ。これまでの余裕をかなぐり捨て、逆上する様子にツグミはほくそ笑む。


「ほう。こいつはお前の大事な女らしいな。来たかいがあるというもの」


「意外と狡猾な子だったんだね。これだから怪異は。甘い顔したのがよくなかったか。その人に触れてみろ。頭を吹きとばすぞ」


 遠慮のない殺気が、ツグミを襲う。危険を感じるほどではないが、ベッドから離れる。


「その女は病気なのか」


「ああ。ずっと眠り続けているよ。なにか気づいたことはあるか」


 ツグミは天井を見上げ、息を継ぐ。蓮次のすがるような様子に興味を引かれた。


「この部屋からは波濤の音がする。それに、あの女からは怪異の臭いがするぞ。アイスの前に話をきかせろ」


 談話室に二人は移動した。テーブルが三つ。壁際の自販機が静かなうなりを立てている。ツグミが物欲しそうにしていると、ジュースを買ってくれた。


「彼女は僕の姉だ。もう半年になるかな。出先で倒れてそれっきりさ」


 姉弟は早くに両親を亡くしており、姉が弟の母親代わりだった。彼女は高校を卒業後に、働き家計を支えた。


「働き過ぎたと思って、自分を責めた時期もあった。社長と出会って原因がわかったけど、どうすることもできない」


「原因がわかっておるなら話は早いではないか。なぜ頼雅は動こうとせん」


「原因はわかっても、対処のしようがないんだ。彼女の肺は、珊瑚に侵されている」


 紺碧と紅蓮のコントラストの花が、肺を燃え上がらせる。珊瑚の怪異が取り付き、肺の機能を衰弱させているのだ。レントゲンには写らないため、原因は不明とされてきた。


「社長が言うには人間の命の源は別の宇宙から来たんだってさ。物質としての生命を得たのがたまたま僕らだった。反対に怪異は時間にも空間にも縛られない。どこにでもいて、どこにもいない」


 ツグミは聞いているのかいないのか、無心でジュースを飲んでいる。 


「ああ、ごめん。君からすれば人間の方こそ侵入者みたいなものなんだよね。時間と空間を持ち歩く人間の方が、君らには奇異に映るんだろう。だから気になって牽かれ合うんだ。磁石みたいに、あるいは君と社長みたいに」


「儂は珊瑚の化け物とは違う」


 はっきりした口調でつぐみは否定した。怪異にとってはそれぞれが異端にして正統。同一視されるのは耐えがたい。


「僕からすれば同じさ。社長には悪いけど歩み寄れる気がしないね」

 

「儂もお前が嫌いじゃ。アイス盗んだし、嘘つきだ。でもジュースを買ってくれた。少しだけ許してやる」


 緊張していた男の顔がわずかにゆるんだ。


「社長に聞いたことがある。君は怪異を食べるんだろ。珊瑚は食事に含まれるかな」


「さてはそれを期待して儂を誘導したな。お前は食えぬが、珊瑚は食えぬことはない。ただし、成功したらお前は一生、儂にアイスを貢ぐのだ」


 ツグミに屈託がない。自分に得があると見れば、どこまでも貪欲になれる。


 契約を履行するため病室に戻ると、理にそぐわない場面が現れる。


 女性看護士が眠っている姉の首に手をかけている。命を守るはずの両手が、冷徹な凶器と化していた。

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