第4話 アイス泥棒を追え
頼雅の朝は、キッチンに立つことから始まる。
ツグミの朝は、冷蔵庫のつまみ食いから始まる。だが、知らなくても良いこともある。
冷蔵庫からアイスが消えた。
ツグミの絶望は言うまでもない。へなへなと床に腰を下ろす。
「頼雅! アイスがないぞ!」
「知るか。自分でちゃんと管理しとけ」
同居人はお弁当の仕込みに忙しく、けんもほろろに冷たい。
ツグミは、昨夜のくせものにすぐさま思い至る。彼も煙のごとく消えうせていた。
(あやつ! やはり約束を破ったな。殺す……)
一時、激情に駆られたが、冷静になる。
(殺したところでアイスは返ってこない。それなら考えがある)
ツグミは執念深かった。人間が思っている以上に知恵も回る。
事務所に行くため、服を着替える。シャツにショートパンツ、サスペンダー、ロングコートにキャスケットを被った。
探偵社の事務所は駅チカの雑居ビルにあり、普段は閑散としている。足で稼ぐ仕事のため、従業員全員が揃うことはまずない。
幸い、ツグミの獲物は応接室のソファーでのんきに寝ていた。長い足を伸ばして、寝息を立てている。星野宮蓮次というらしい。
ツグミは掃除をするふりをして、彼の挙動を逐一観察していた。
「僕のファンクラブに入るかい? ツグミちゃん」
蓮次は上半身を起こしてにやにや笑う。端正な顔立ちが子供のようにツグミは真顔で側の椅子に座った。
「お前、なにしに来てるんだ。働かないなら頼雅に言いつけるぞ」
「おおこわ。僕は夜型だからさあ。充電期間なわけよ。時期が来たらちゃんと……」
彼のスマホが着信を告げると、宣言通り行動は早かった。
「話の途中だけど、デートの時間だ。またね」
キャメル色のジャケットを羽織り、蓮次は颯爽と事務所を出ていった。ツグミも後をつける。頼雅はその動きに気づいたが、なにも言わなかった。
蓮次はタクシーを捕まえ、みるみる離れていく。
「待ってろ! アイス泥棒!」
ツグミはアスファルトを踏みつけ、猛烈な勢いで追跡を開始した。徒歩で。
「はあ……、はあ、やっとついたぞ」
手の甲で汗を拭い、白い壁に手をつく。たどりついたのは小さな市民病院だった。
(アイス泥棒を殺すことなど造作もない。儂は賢いからな。奴の弱みを握って恒久的なアイス製造機にしてやるわ)
ツグミは目論見通りの進行に胸を高鳴らせる。
入り口で息を整えていると、若い看護士が近づいてきた。少しやつれていたが、目は澄んでやさしそうな印象を与える。
「あら、そんなところでどうしたの? だれかのお見舞い?」
彼女は腰を屈めてツグミに目線を合わせる。
「まあ、そんなとこじゃ。ん……?」
ツグミは看護士の右手に目を留めた。人差し指の腹が、ぱっくりと切れていた。鋭い刃物で切られたように赤い肉の断面が見えている。
「あ、もう行かないと。病棟はそっちの突き当たりを右よ」
彼女はツグミの身分を確かめずに行ってしまった。子供だからと油断したのだろう。
後ろ姿を目で追ったが、指に傷などなかった。ツグミは少し気になったが、男の行方を探すことを優先する。
静かな廊下を、ツグミの足音が反響する。人の息づかいさえ聞こえない。打ち捨てられた場所のように寒々しい。
不慣れなツグミは手当たり次第に病室をのぞくが、蓮次は見つからない。病人たちは、回復の兆しを待ちながら体を休めている。
特にツグミの注意を引くものはない。ただ一人を除いて。
女性が深く寝入っている。黒みがかった金髪が左右に垂れていた。人工呼吸器をつけている。胸はほとんど動かず、息をしているのかも怪しい。痛々しいほど痩せ細った二の腕。引き寄せられるツグミ。
それを遮ったのは、男の鋭い声だった。
「そこから一歩も動くな」
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