第3話 くせもの


 暗がりの部屋で、つぐみは息をひそめる。


 頭に毛布を被り、姿勢は低く。まさに闇にうごめくあやかしだ。


 アイランドキッチンの脇で止まり、冷蔵庫を開く。冷気を顔に浴びながら、底にあるアイスに手を伸ばす。


(くくく。カーペンダッツのココアミルク味があるのは調査済みよ。これだから深夜の冷蔵庫漁りはやめられぬ)


 獲物に手を伸ばそうとしたまさにその瞬間、明かりがついた。狼狽えるつぐみ。

 

「な、なに奴!? くせ者じゃ」


「くせ者はお前だろうが。なにしてた。怒らないから言ってみろ」


 盗人を取り押さえた頼雅が、寛大な態度を取る。つぐみは目を泳がせながら釈明に追われる。


「ア、アイスが盗まれていないか、確認をの。しておった。本当じゃ! 嘘はついておらぬ」


 未遂で終わったのをいいことに、つぐみは空とぼけた。頼雅は興味を失ったようで、冷蔵庫からミネラルウォーターを取る。モノトーンでまとめられた家具が冷たい光を反射する。アナログの置き時計は、深夜一時半を指していた。


 二人はこのマンションの一室で暮らしている。


「儂も飲みたい」


「お前は水道水でも飲んどけ。ん……?」

 

 水を激しく奪いあっていた手が同時に止まる。同じ方向に目を向けるタイミングもぴったりだ。


「今なんか音がしなかったか、つぐみ」


「奇遇だの。誰かが我が領域に踏み込んだようじゃ。返り討ちにしてくれる」

 

 水をがぶ飲みしながら、つぐみは歩きだした。


 玄関に人が倒れている。髪は金髪、白のスーツに尖った革靴を履いている。うつ伏せで顔は見えないが、日本人ばなれした長身を有していた。


「ほれ、くせものがやってきたではないか」


 つぐみは得意になった。頼雅が男を担いで部屋に上げ、黒のソファーに寝かせる。彼は頼雅より少し若い。薔薇色の頬をし、苦しげに胸を上下させていた。


「おい、起きねえか」


 ぶっきらぼうな頼雅の呼びかけに、男は頭を押さえて起きあがる。まだ反応は鈍かったが、柔和で品のある顔立ちをしている。頼雅が武士なら彼は西洋の騎士のようだった。 


「あー……、社長だあ……、なにしてんの? こんなとこで」


「ここは俺の家だ。てめえ、また酔ってんのか」


「飲むのが仕事だからね」

 

 男の呼気からは酒の臭いがしていた。つぐみは部屋の隅で口を閉ざしている。 


「あれが鵺の子か。かわいい顔してんじゃん。一緒に飲む?」


「儂は酒が嫌いじゃ。くせものめ。はよ出ていけよ。あとアイス食べたら殺すからな」


 冷蔵庫を背に、つぐみは威嚇する。男はほがらかな笑い声を立てた。


「お前はもう寝てろ。俺はこいつと話がある」


 頼雅に促され、つぐみは渋々リビングを離れる。それを待って、二人は話を再開する。頼雅はウイスキーをロックで飲んだ。


「で、なんでうちにいんだ。クソヤロウ」


「寂しいこと言うなよ。僕と社長の仲じゃないの」


 なれなれしく肩を抱く男を、頼雅は払いのける。


「どうせ女がらみだろ。うちを避難所に使うな」


「客商売に恨みつらみはつきものってね。ほんと助かってます。いやー、待ち伏せされて参った」


 彼の名前は星野宮蓮次。表の職業はホスト。きらびやかな不夜城に勤める白騎士。対価と引き替えに女性に夢を与える仕事だ。


 ただし、依存性があるので深みにはまる客が少なくない。粘着されたり、逆恨みされたり、危険な目に遭う因果な商売。しかも、今回が初めてではなかった。


「遊び方を知らないお嬢さん方が多くて困るよ。で、つぐみちゃんだっけ。あの子はどうなの?」


「あれはそういう扱いしなくていいんだよ。せっかくだ。仕事の話をしてもいいか」


「はいはい、裏の話ね。聞きますよ。聞き上手だからね、僕」


 蓮次のウインクにげんなりしながら、頼雅は書類をテーブルに置いた。

 

 頼雅は探偵社の代表だ。社名は幽玄探偵社。従業員は数名だが、怪異に関する調査を専門に行なっている。

 

 蓮次は頼雅に見いだされ、探偵社のエージェントの一人になった。といっても、ゴミ捨て場で寝ていたところ、怪異に襲われ、助けられたに過ぎない。以来、ホストの傍ら探偵社を手伝っている。


「お前には、とある病院に潜入してもらう」


「わかった。看護士さんを口説く役だね。任せてもらうよ」


 頼雅は悩ましい表情でグラスを握っている。


「そんな暇があると思わねえがな。お前の姉さんが入院してる病院だぞ」


 それを聞いた男は、ウイスキーを一気に飲み干した。グラスを叩きつけるように置く。


「持って回った言い方すんなよ。どうでもいいけど、そういうのって関係者に任せないもんじゃない?」


「普通はな。だが、肉親の命となりゃ気合いは入るだろ。死にものぐるいでやれ」


 威圧するようにすごんだが頼雅だったが、間もなく酔いつぶれて寝た。酒にはあまり耐性がない。


「やれやれ。上からせっつかれて焦ってんのかな。責任のある立場って大変だね」


 蓮次は他人事のように受け止める。その軽薄な態度からわかる通り、どちらの仕事にも熱が足りないようだ。


 手持ちぶさたになった彼は我が者顔で部屋を歩き、冷蔵庫に目を止めた。ツグミがけなげに守りたかったものがそこにある。


 約束が守られていると信じたつぐみは、布団にくるまり熟睡していた。 


 無垢な寝顔を肴に、カップアイスを頬張る。


「お代は先にもらわないと落ち着かなくてね。言われたことはやりますよ。気は進まないけど」

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