第2話 めんどくさい怪異


 つぐみは、寺の廊下の手すりを四つ足で駆け抜ける。


 動物的な運動神経でたどり着いたのは、北向きの陰気な部屋だった。


「におう……、におうぞ」


 音を立てて襖を開く。昼間でも暗い畳の部屋には、命あるものはいなかった。光を失った人形の目だけが、つぐみの方を向いている。


 西洋人形、ソフビ、ブリキ、ありとあらゆる人形が天井まで積み上げられていた。人形の山は部屋の半分を占めている。

 

 足を踏み入れるのを躊躇するのが常人だが、ツグミは違う。ずかずかと入り込み、下敷きになった人形の一つを手に取った。


 一見、ありふれた市松人形。二十センチ大の体に炎地色の着物、帯に櫛が挟まっている。顔は薄汚れていたが、それだけなら不自然はなかった。


 だが、頭髪の毛量が尋常でない。黒々とした髪が海藻のように、地面を覆い尽くしている。


 それどころか壁にまで髪は入り込み、ざわざわと不快な音を立てる。部屋が暗いのはこの髪のせいだ。


 人理を外れた怪異。つぐみの大好物だった。


「喰ろうてやるぞ。不味そうだが、背に腹は代えられん」


 つぐみの評が癪だったのか、人形の山は崩れはじめ、部屋の外に雪崩を打って進軍した。


 食事を宣言したつぐみが逆に飲み込まれる。中空へ押し上げられた。本体を見失ったまま、人形の嵐にもみくちゃにされる。


 小さな人形でもぶつかれば痛いし、けがもする。やられっぱなしではいられない。反撃する。人形かきわけ、一点を目指す。


「捕まえた!」


 先ほどの着物人形の髪の生え際を、しっかりと掴んだ。力を込めると、卵のように簡単に潰れた。


 飛んでくる人形の方向はバラバラだが、どれも髪がからんで操られていた。髪をたどれば本体にたどり着く。ツグミの見当は間違っていない。


 ただし、見当は外れることがある。ツグミはそれを忘れていた。


「なっ……!?」


 瓦屋根にツグミは激しく叩きつけられ、引きずられる。手足に髪が食い込み、出血。人形は本体ではなかった。髪は渦を巻きながら増え続け、寺の上空を漂う。


 わずかに残った青空に、ツグミは手を伸ばす。


 黒一色の視界がわずかに切り払われる。少しずつ、光がこぼれ、ツグミの鼻先を照らした。待ちこがれた光だ。


 髪がほどけ、ツグミの体が遊離する。境内の木にぶつかり、地面に落ちた。


「てめえはどうして食事になると見境がない」


 腰をかがめた頼雅が、ツグミの顔をのぞきこんだ。怒り心頭を通り越して諦観の情さえ漂う。


「団子一つしか食えなかった腹いせじゃ……、それだけのこと」


 気丈に振る舞うツグミに、頼雅は口の端を曲げた。


「そういうところがいけすかねえ。人間みたいで、めんどくせえ。へどが出る。怪異ってものはもっとわかりやすくなってもらわなきゃ困る。こいつみてえに!」


 頼雅は肩に担いでいた太刀で、襲ってきた髪を切り裂いた。漆黒の柄に、玲瓏とした輝きを放つ刀身が邪なるものを払う。


「ははっ! ならばわかりやすくしてみせろ。儂が食べやすいようにな!」


 つぐみは木を足場に跳躍した。

 

 網のように広がる毛玉に、弱点は見あたらない。だが、頼雅に攻撃を集中するあまり、ほころびが生じる。


 そこに目をつけた。薄くなった結び目につぐみ手を伸ばし、核を引きずり出す。


 次に目を開けた時には、狭い部屋にいた。ベッドが一つと、窓が一つ。ベッドには髪の長い女性が半身を起こして座っていた。傍らには点滴。


「髪を切ってくれる人をずっと待ってた」


 木製の櫛で髪を梳きながら、女性は言った。


 ツグミの手には鋏が握られている。不慣れな手つきで、彼女の心残りを断ち切った。



「その櫛が怪異の本体だったのか?」


 境内に戻ったつぐみは頼雅と肩を並べる。


「そのようだの。死に際に身なりを整えられなかったのが、心残りか。女というのはよくわからぬ」


 本堂の前に住職が待っていた。懐手をして、そわそわしている。それを見た頼雅は申し訳なくなった。


 創建千年近い寺が、見るも無惨に荒れ果てている。


「まあ、壊れたものは直せばいい。人の心はそうはいかないが」


 住職はツグミの頭に載った櫛を寂しげに見つめた。


「ともあれ、君らにけががなくて幸いだ。順序が逆になってしまって申し訳ない。あれは儂の手に負えなくてね。君の知見を聞ければと思ったのだが、さすがだね」


「いや……、あいつがいなかったら危なかったと思います。毒には毒でちょうどいい」


 ツグミはもう寺に興味を失い、山門に駆けだしている。怪異を喰う怪異は、早くも次の獲物に飢えていた。


「つぐみ君には屈託がない。それゆえ手に余ることもあるだろう。長い目で見守ってあげなさい」


 怪異と人間は基本的に相容れない。頼雅は恩師の言葉を苦々しく聞いた。


 

 帰りの電車内でもツグミは騒がしかった。


「なあなあ、頼政。儂の髪がさらさらになったとおもわんか!」


 扉によりかかって海を眺めていた頼政は冷たくあしらう。


「は? お前の髪なんて知るかよ」


「もっとよく見よ。さわって確認せよ。さあさあ!」


 しつこくせがまれても、頼雅は取り合わなかった。やがて騒ぎつかれのか、ツグミは寝てしまった。本当に屈託がない。


「ふん、髪がどうだってんだ」


 眠ったツグミの前髪を梳く。通りのいい柔毛が、指にからみついた。


 それから数週間、ツグミの髪は爆発的に伸びた。怪異の特性を消化するまで時間がかかったと思われる。


 住職が受け取った頼雅の名刺には、幽幻探偵社と記載されていた。

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