12 後悔の後始末


「いやあ、まったくあん時はどうなることかと思ったよ。だってこいつときたらさー」

「あ、ひどい! 自分のことを棚に上げてまたそんなこと言ってー。課長! 森田くんが最低なんですけどっ」


 ガヤガヤと話し声の絶えない賑やかな店内に、グラスのぶつかる音と笑い声が響く。

 プロジェクトは無事大成功を収め上からの評価も上々、ようやく重圧から解放されてプロジェクトメンバー全員が快活な顔で行きつけの居酒屋でようやくの休息を楽しんでいた。


 すっかり飲み過ぎてほてった顔を冷まそうと、店の外に出る。金曜の夜とあって、通りにはあちこちにスーツ姿の集団やカップルの姿が見える。どの顔も緊張感なく緩んで楽しそうだ。


「うわっ。この時間になるとまださすがに冷えますね。灯里さん、寒くないんですか?」


 同じく酔いを冷まそうと店を出てきた桐野が、隣に並んだ。


「私は飲みすぎて暑いくらい。久々にこんなに飲んだよ。プロジェクトが終わるまでは飲み会もお預けだったしね。程々にしないとヤバそう」

「俺もです。他の奴らも適当なところで帰さないと、送るのが大変そうですよ」


 店内から聞こえるメンバーの聞き慣れた楽しげな声に顔を見合わせ、ふふふと笑い合う。


「桐野くんは来年あたり、大きなプロジェクトに抜擢されるかもね。きっと忙しくなるよ」

「そうですかね。だったら嬉しいですけど。一日も早く、灯里さんに追いつきたいので」


 桐野がなぜ自分をそんなに買ってくれているのかはわからないが、仕事の頑張りを認めてくれるのは正直嬉しい。少しこそばゆくもあるけれど。そしていつの間にか、まるで最初からそうだったかのように名前呼びが定着していた。


「きっと桐野くんならあっという間に上に行くよ。仕事できるもん。おかん並に気が利くし、努力も惜しまないし」


 桐野が元々優秀なのは事実だけれど、それにあぐらをかかず努力を怠らないのを知っている。常に自分のベストを探ろうと努力し続けているから、色々なことに気がつくしすぐに行動に移せるのだ。簡単に見えて、そうできることじゃない。


「おかんって……。真似してるだけですよ、別に」

「真似って、誰の? 課長?」


 桐野のようなタイプが同じ部内にいただろうか、と首を傾げる。そんな私に桐野が苦笑する。


「ほんと自分のことはよく見えてないんですね。……灯里さんですよ、仕事でもそれ以外でも僕がずっと追いかけているのは。灯里さんの真似です」


 そう言われても、ピンとこない。桐野のように気が利くタイプではないし、どちらかといえば自分のことしか見えずに突っ走ってばかりな気がする。


「皆あなたに引っ張られてここまできたんですよ。灯里さんはあきらめないから。結構不屈でしょ。でもそれは意味のない根性論とかじゃなくて、ちゃんと色々な想定を常にしてあるからいざ追い込まれても打開策を見つけられるんです。その鮮やかさとしなやかさは、灯里さんの一番の武器だと思います」


 手放しで褒められて、せっかく冷めたほてりがまた戻ってくる。


「あ、ありがとう……? 自分ではよくわからないけど、そうだとしたら嬉しいよ。すごく。もっと頑張ろうって思えるし、少しだけ自信を持っても良いのかなとか思うし」

「ふっ……。少しだけ、ですか? ほんっと灯里さんらしいですね」


 二人の間に、一瞬の静寂が落ちる。でも不思議とそれが心地よい。


「……灯里さん、前に動物園に誘ったの覚えてます? あれ、やっぱりもう一度申し込んでもいいですか。頑張ったご褒美に、灯里さんとドライブがしたいです」


 顔を覗き込むようにして、桐野が身をかがめる。顔を近づけられて、顔に一層熱がこもる。


 動物園に誘われたのはもちろん覚えている。急がないから、今は忘れていいと言われたことも。でもようやくプロジェクトも終わった今、桐野への返事も保留のままでいるわけにはいかない。


「……うん。行こっか、動物園。今度の連休なんてどう? 天気予報も晴れになってたし」


 桐野の顔がぱっと明るくなる。その子どものような嬉しそうな顔に胸がドキリ、と跳ねた。


  


◇◇◇◇



 動物園デートの前々日。私は駅前のカフェで拓人を待っていた。先に進むために、きちんと不毛な恋にけじめをつけたおきたかった。付き合っている間には伝えられなかった思いを、お互いにきちんと消化するために。


「久しぶり、でもないか。この間は本当に迷惑をかけた。ごめん。今日は来てくれてありがとう」


 スーツ姿ではない拓人を見るのは久しぶりだった。付き合っている間は仕事帰りに会うことがほとんどで休日は別々に過ごすことが多くなっていたから。ラフな格好の拓人は、スーツ姿よりも少し幼く見えて出会った頃を思い出した。


「ううん、私もちゃんと最後に話をしておきたかったから。……彼女とはその後どう?」


 運ばれてきたコーヒーの香りが、鼻先をくすぐる。


「元々俺に興味が合ったわけじゃなかったし、社内でも彼女の行き過ぎた行動が噂になってさ。父親の勧めで知り合いの会社で働くことにしたらしい。婚約破棄されて自暴自棄になってたんだろうな。社内でも捨てられたって結構噂になってあのまま会社に残るのは、どのみちきつかっただろうし」

「浮気したなんて疑ってごめん。拓人、嘘を言ってたわけじゃなかったんだね。なのに私、最後に殴っちゃって……、本当にごめんなさい」


 誤解を招くような行動が元とはいえ、拓人の言い分を言い訳と決めつけて信じようとしなかったのは私だ。その上暴力まで振るったなんて、釈明のしようもない。


「いや、元はと言えば自分でまいた種だから。……俺さ、お前を試したんだと思う。自覚があったわけじゃないけど」


 拓人はぽつりぽつり、と自分の中にずっと隠し続けてきた気持ちを話し出した。自分の感情や思いを表現するのが得意ではない拓人にとって、それはきっと覚悟のいることだったろう。


「俺の親さ、俺が六才の時に離婚してるんだ。父親も母親も完全に冷めてて、俺をどちらが引き取るかでしばらく双方の家を行ったりきたりしてた時期があるんだ。なんかその時に分かったんだよ、俺はどちらにも選ばれないんだなってさ」


 まだ子どもだった拓人は、表面上は親らしく振る舞う父親と母親の心が自分の方を向いていないことに早々に気づいたらしい。母親はすでに次の再婚相手との関係で頭がいっぱいで、父親は仕事にしか関心がなく、最終的には母方の祖父母の元で育ったのだという。


「父親も母親も養育費は惜しまなかったし、祖父母も俺をかわいがってくれたからパッと見幸せに見えたと思う。でも両親からは俺への関心も愛情も微塵も感じたことはなかったし、ああ俺は誰にも必要とされないし誰にも選ばれないんだなって、気がついたら冷めた目で世の中を見てた」

「……だから結婚にも希望が持てなかったの? どうせいつか気持ちは冷めるって」


 拓人が結婚を望まなかった気持ちがわかる気がする。結婚も子どもをもうけることも、家族そのものに対する信頼感とか安心感といったものが持てないまま、大人になってしまったのだろう。


「まあ、なんとなく結婚とか永遠の愛を誓うとか信じられなくて。そんなのただの綺麗事だろって。でもさ、灯里は普通の家庭の子だろ。きっと永遠の愛とか家族団らんの幸せみたいなのを信じてるんだろうなって。そういうのを描いて俺にも求めているんだろうなと思うとさ。自分との違いがあまりに大きすぎて、自信がなかったんだ」


 確かに私の家は良くも悪くも普通だった。両親の仲が悪くなった時期もなんとなく感じていたし、それでもなんだかんだうまく収まってそれなりに穏やかな家族の愛情を感じながら育ってきたと思う。特別家族とか結婚というものに憧れるわけでもなく、かといって失望もしていない。ごく普通の。


「灯里が結婚したらずっと一緒にいられるんじゃないかって言い出した時、思ったんだ。俺にはそういう普通を望まれても無理だって。だから、灯里が結婚なんてしなくても俺と一緒にいるだけで満足してくれたらいいのになって思ってた。でもきっといつか灯里はそれに不安を感じて離れていくんだろうと思ったら、一緒にいるのが苦しくなった」


 拓人は自嘲気味に笑った。


「だから、お前に何か不満があったからとか本気で好きじゃなかったから結婚を拒否したわけじゃない。俺の問題なんだ。それだけ、伝えておきたくて」


 拓人はすっかり冷めてしまったコーヒーを、ぐいと飲み干した。


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