13 不毛な恋の終わり方


 人がまばらだった店内には、いつのまにか客が増えていた。まもなくランチタイムが始まるせいだろう。


 がやがやと賑やかさを増していく店内で、私たちはしばし無言のまま向かい合った。まるで私たちが座っている席だけが賑やかな世界の中で遮断されて、別の時間を漂っているようだった。


 私は、拓人に選ばれなかったことにずっと執着していた。どうして私ではだめなのか、何が足りないのかとぐるぐる考えては自分に自信を失い、それでもどこかあきらめきれないまま拓人のそばにい続けた。いつか選んでくれる日がくるかもしれないと、心の片隅にほんのりと小さな希望を抱きながら。

 けれどそんな日がくるどころか、拓人との心の距離は離れていくばかりだった。むしろ拓人の本心を知ることが怖くて、決定的に拒絶されることを恐れて腫れ物に触るように接するようになっていた。


 でもそれは恋の寿命を縮めるばかりで、傷は深くなるばかりだった。どうしてこんなに自分がみじめな気持ちにさいなまれるのか、選ばれなかった人間はどうやって自分に自信を取り戻していけばいいのかひたすらに考える日々だった。 


「うまくならないな。三十年近く生きてきたのに、人と向き合うのも自分と向き合うのも」

「……本当だね。私も下手なまま。失敗ばかりで、今もどうすればいいのかさっぱり」


 私たちは、自分に呆れつつ顔を見合わせて笑った。


「でも私、三島さんを見て思ったの。誰かに自分の自信のなさや不安を取り除いてほしいってゆだねているうちは、ちっとも楽にならないし満たされないんだって」


『どうして私は選ばれなかったの! 私はずっと好きだったのに。好きだったから、私を選んでほしかったのに』


 そう言って彼女は泣いた。

 彼女は、他の誰でもない婚約者に自分の価値を存在を認めて選んでほしくて努力してきたのだ。それなのに自分は選ばれなかった。自分の好意さえ相手に伝わっていなかった。それは彼女が、プライドゆえか自分の思いを伝えることを恐れていたからかもしれない。


 真っ直ぐに伝えれば歪まずに受け止めてもらえたかもしれない思いも、臆病さやプライドが邪魔をすれば簡単に歪んでしまう。そしてすれ違う。結局は皆、似た者同士だったのだ。私も彼女も、そして拓人も。

 誰かに必要とされたい、認められたい、選ばれたい。それはまるで中毒性のある甘い果実のように目の前にぶら下がっていて、それを手にすれば心の乾きが満たされる。でもそれはきっと一時的に乾きを忘れさせてくれるだけで永続的に安心をくれるものじゃない。


「誰だって報われたいし、必要とされたい。それが子どもでも大人でも、恋愛でも仕事でも。でもきっと誰かを選ぶとか選ばれるとか、他人に自分の存在価値とか意味をゆだねちゃいけないんだと思う。選ぶのは人じゃなくて、自分の気持ち。自分がどうしたいか、誰といたいか、そういう素直な真っ直ぐな気持ちなんだと思う」


 そう口に出してみたら、気持ちがすとんと心のいびつに欠けた部分にうまくはまった気がした。


 自分は選ばれる側だとずっと思っていた。自分より優れた誰かに、自分が必要と思う誰かにいつの日か選ばれるそんな日を待つだけの側だと。それが桐野から真っ直ぐにあの告白をされた時、自分が選ぶ側に立っていることを知ったのだ。自分を選んでほしい、桐野はそう言ってくれた。

 でも本当に選ばなきゃいけないのは、誰かじゃなくて自分の真っ直ぐな気持ちなんだと今は思う。自分がどう思っているか、どうしたいか、誰といたいか。


 桐野の真っ直ぐさが、嬉しかった。何も飾らないそのままの気持ちが人の心をこんなにも大きく動かすんだと、初めて分かった。そしてそれこそが私と拓人に足りないものだったのだ。本当に好きな人にただ好きだと伝える、ただそれだけのことが私たちには難しかった。

 私たちはまるで写し鏡だ。だめなところが良く似ている。都が言っていたように意気地のない似た者同士で、だからこそぬるま湯のようなそんな関係が心地良かったのだ。でもそれはきっと砂の上に積み上げた城のようで、簡単に崩れ去るほどに脆い。そしてもうその城は、ただの砂へと戻ってしまったのだ。


 私は拓人を見つめた。どうか最後くらいは私の気持ちが、真っ直ぐな思いがうまく伝わりますようにと心から願いながら口を開く。


「もっと素直に拓人と向き合えば良かった。不安も愛情も全部真っ直ぐに伝えて、声に出して色んな話をすれば良かった。ごめんね、弱くて臆病でうまく伝えられなくて。……でも、好きだったよ。拓人の無口なところも不器用さも、わかりにくい優しさも」


 そして一瞬、ためらう。続く言葉を口に出せば、すべてが終わる。それがわかっていたから。


 けれど私は小さく息を吸い込んで、そしてその言葉を口にした。


「拓人……今まで、ありがとう」


 グラスの中の氷が、カラン、と音を立てた。

 拓人は何かを言いかけて口をつぐみ、そして口を開いた。


「……ああ。お互い様だな。俺もごめん。ずっとそばにいてくれたのに、不安にばっかさせて。……でも感謝してた。いや、今もしてる。俺もずっと灯里のことが好きだったし、ずっと大切に思ってた。うまく伝えられなかったけど。今までありがとう。こんな俺とずっと一緒にいてくれて」


 ずっと欲しかった答えをもらった気がした。真っ直ぐな飾らない思い。それは胸にすうっと染みて、そして消えていった。


 ふと互いの視線が絡み合い、見つめ合う。こんなふうに何の曇りなく真っ直ぐに見つめ合ったのは、随分久しぶりな気がした。もしかしたら初めてだったのかもしれない。

 四年も一緒にいたのに、きっとお互いに見えていたものはほんのわずかで驚くほどお互いのことを知らないままきてしまったのだろう。なんて、恋は難しいんだろう。誰かと本音で触れ合うことは、なんて難しいことだろう。


 私と拓人の間には、もう埋めようのない溝のようなものが大きく横たわっていた。もう手を伸ばしてもきっと二度と触れ合うことはない。恋はもう、終わってしまったのだ。どこまでも不毛な私たちの不器用な恋は。


 拓人の目の中に、私がいる。私の目にも拓人の姿が映っているのだろう。そしてお互いの目に相手の姿が映るのは、今日が最後だ。


「……さよなら、拓人」

「ああ、さよなら。……灯里」


 視界の中の拓人の顔が、ゆらり、と歪んだ。

 こうして、私の四年に渡る不毛な恋は今度こそきちんと終わりを告げたのだった。


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