第46話 風合瀬さんの涙

 東雲先生から特訓を受けて帰ってきた翌日、三日ぶりに登校する。

 たった二日休んだくらいでは教室の壁の貼り出しすら変わらない。

 だけど教室の空気が少しだけ違う気がした。


「おはよう」


 風合瀬さんに声をかけると、気のせいか風合瀬さんはピクッと肩を震わせて振り返る。


「おはよう」


 ニコッと口角を上げて微笑む。

 だけどその瞳は笑っていない気がした。

 理由も説明せず二日も休んだから怒っているんだろうか?


「ごめんね。実はちょっと遠くに行ってて──」

「あ、おはよー。ねーねー、駅前に新しい雑貨屋出来てたんだけど知ってたー?」


 風合瀬さんはまるで逃げるかのように、教室に入ってきた友だちに手を振りながら行ってしまう。


 相当怒っているのかと思ったけど、違う気がした。

 挨拶するときに、作り笑いだけど風合瀬さんは微笑んでいた。

 風合瀬さんは感情を隠したりはしない。

 怒っているなら開口一番「どこ行ってたのよ」と詰め寄るはずだ。

 一体なにがあったのか?

 イレナさんなら知っているかもしれない。


「イレナさん、おはよう」

「お、おはよう」

「なんか風合瀬さんの様子が変なんだけど、なんかあった?」

「奈月のことは、奈月に聞きなよ」


 イレナさんは風合瀬さんよりも更に浮かない顔をしていた。

 明らかによそよそしいし、気まずそうだ。


「そう、だよね。ごめん」

「ううん。こっちこそ冷たい言い方でごめん」


 イレナさんは力なく微笑み、僕に背を向けた。



 風合瀬さんと話をしようと試みたが、なかなかチャンスがない。

 意図的に僕を避けているのは明らかだった。


 伊坂くんにもなにか変わったことがなかったか聞いてみたけど、特になにもなかったそうだ。



 終業のチャイムがなると風合瀬さんは逃げるように教室を出た。

 僕は慌ててそのあとを追った。


「待って、風合瀬さん」

「ごめーん。ちょっと急いでるの」


 風合瀬さんは振り返りもせずそう言って走る。


「少しだけ話を聞いて」

「また今度ね」


 なぜだかそのとき、今を逃したら取り返しがつかないことになる気がした。

 理由はない。

 直感的にそう感じた。


「今じゃなきゃダメなんだ。少しだけでいいから──」


 話を聞いて欲しい。

 そう願って風合瀬さんの手を掴む。


「離してよ!」


 風合瀬さんが声を荒らげて振り返る。

 その瞳には──


「えっ……」


 涙が溢れていた。

 風合瀬さんは慌ててバッと顔を隠し、走り出す。

 情けないことに僕は動揺してしまい、動きが止まった。


 なぜ?

 なんで風合瀬さんは泣いていたんだ?


 訳がわからず、僕はその場に立ち尽くしていた。


「古林くん」


 声をかけられて振り返る。


「イレナさん……」


 思い詰めた表情のイレナさんが立っていた。


「なにがあったか、ちゃんと話すね」


 そう言うとイレナさんは静かにこの二日間のことを語り出した。



「どちらが相応しいかの対決!?」


 イレナさんの説明を聞き、驚いた。


「私は古林くんのフィアンセ。奈月は古林くんの恋人。どちらが相応しいか、戦って決めたの」


 イレナさんは痛みを堪えるような表情で語っていた。


「本気の奈月は強かった。正直負けるかと思った。でも私は奈月の戦い方を何度も見て対策を立ててたから…その差で私は勝てたの」

「あの風合瀬さんが負けた……」


 それで落ち込んで、泣いていたのだろうか?

 彼女は誰よりも負けん気が強く、誇り高い。


「でも勝ちは勝ち。私が正式に古林くんと──」

「古林ッッ!」

「ご、権田先輩っ……」


 怒りのオーラを纏った権田先輩がノシノシとやって来た。


「お前、なにやってるんだ?」


 権田先輩は血走った目で僕とイレナさんを睨む。


「風合瀬を泣かせたら許さないって言ったよな? いま、風合瀬が泣きながら走っていったぞ」

「いや、それは」

「問答無用だ。来いっ!」

「いまはちょっと急いでいて」

「うるさいっ! お前に拒否権などないんだ!」



 権田先輩に連れてこられたのは学校の裏山にある林だった。

 殺気だった気配だったので学校内でも暴れだすかもしれないと思いついてきたが、本気で僕を殺す気なのかもしれない。


 危ないからイレナさんにはついてこないように言っておいた。


「お前は筋の通ったいい男だと信じてたのにな」

「違うんです。これには事情があって──」

「事情なんて関係ない」


 重く太い声で僕の弁明は遮られた。


「女を泣かせるのに事情なんてあるか? なにがあっても愛する女の笑顔を守る。それが男の役目じゃないのか?」


 悔しいが権田先輩の言う通りだ。

 何をどう言い繕おうが、風合瀬さんが泣く結果になってしまったのは、僕の責任である。


「俺はお前を倒す。ここで、必ず」

「先輩が怒るのはもっともですけど、そんなことしてなんになるんですか?」

「確かにお前や風合瀬にとって、俺は部外者かもしれない。でも俺の人生にとって、風合瀬は部外者じゃない。ヒロインなんだよ」


 理屈じゃないのだろう。

 今の先輩に何を言っても無駄だというのは、その瞳を見ればわかった。


 僕が僕の人生の主人公であるように、権田先輩には権田先輩の世界がある。

 二つの世界がぶつかれば戦わねばならないときも、ある。


 そして権田先輩のヒロインが風合瀬さんであるように、僕のヒロインも風合瀬さんだ。


「いくぞ、古林。手加減はなしだ」

「はい。僕も手を抜くつもりはありません」


 僕と権田先輩。

 二人の世界がいま、ぶつかり合う。




 ────────────────────



 遂に宿敵権田先輩との本気の対決。

 互いに譲れない戦いが始まる!

 死をも辞さない権田先輩を相手に勝機はあるのでしょうか?

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