第45話 女の戦い

「それにしてもイレナさんはそれでいいのかな? 無駄に戦わなくてもお前さんは許嫁だぞ?」


 おじいさんに問い掛けられ、イレナは力強く頷く。


「はい。今のままでは奏介さんは私に振り向いてくれそうもないので。完全に勝利して奈月に身を引いてもらおうかなと」

「ほぉ。面白い」


 イレナの本気もおじいさんは感じ取れてくれたようだ。


「勝敗はわしが決める。勝負ありというまで戦う。それでいいな?」

「はい」

「それで結構です」


 私もイレナも道着に着替え、道場の中央で対峙する。


「いくよ、奈月」

「本気でいくからね」

「もちろん。私も本気だよ」


 緊張で空気が張りつめる。


「はじめっ!」


 おじいさんの掛け声と共にイレナがススーッと時計回りに動く。

 受けるのは私の戦い方じゃない。

 足の裏で押すような前蹴りで距離を縮める。

 開始早々の攻撃は予想外だったのか、イレナは慌てた様子でバックして間合いを取った。


 余裕を持たせればイレナのペースにされかねない。

 速攻で勝負を決める!

 私は体勢を低くし、懐に潜ろうと距離を縮める。

 しかしそれはイレナの罠だった。

 私の飛び込みに合わせて膝を付き出してきた。


「ていっ!」

「ッッ」


 今さら逃げれば体勢を崩す。

 そうなれば一気に勝負を決められるだろう。

 両腕で膝をガードをしたが、かなりの威力で腕が痺れた。


 追い討ちをかけるようにミドルキックを放ってくる。

 長い脚をまるで鞭のようにしならせる鮮やかなフォームだ。

 腕が痺れているいま、あれを受け止めることは出来ない。


 慌ててバックステップで逃げると、イレナはニヤリと笑って蹴りを止める。


「さすがやるじゃん、奈月」

「イレナこそ」


 強がって見せたが、蹴りをガードした腕はまだ痺れていた。

 わかっていたことだけどイレナの強さは本物だ。


 受けに回れば防戦一方になる。

 私は緩急つけた攻撃を繰り返すが、イレナの体勢を崩すことすら出来なかった。


 早くも軽く息が上がってきたが、それを気取られないように呼吸を意識する。


 どこにも隙がない。

 どうやって崩せばいいのよっ……


 迷っているとイレナは例の鞭のようにしなるキックを放ってきた。

 落ち着いて考えようとするタイミングで攻撃を仕掛けてくる。

 私はガードするので精一杯にだった。


「ごめんね、奈月。私はこれまであなたの戦い方を見てきた。どんな動きをするのかは研究済みなの」

「ちょっと見たくらいで私の全てを知ったような顔しないでくれる?」


 私の戦い方は我流。

 形がない分、予想外の攻撃が持ち味だ。

 そう簡単に読まれない自信はある。


 でも相手の動きを知っているか、いないかの差は大きい。

 私は戦いながらイレナの動きを見極めなければいけない。


 大丈夫、古林くんは初見でもイレナに勝ったんだもん。

 私だって勝てるっ……

 勝てなければ、古林くんの隣に立つ資格はないっ……!


 しかしイレナは気合いだけで勝てる相手ではなかった。

 必死に攻撃を仕掛けるが決定的な一撃を与えることは出来ない。

 スタミナが切れてきた私は、次第に手数も減り、防戦一方になっていった。


「うっ……」


 イレナのミドルキックが脇腹に食い込む。

 その瞬間息ができなくなり、よろめきながら後退する。


「もうやめとく? 今のはもろに入ったでしょ?」

「あれで本気? だったら余裕だし」


 膝をついたらその時点でおじいさんに試合を止められるかもしれない。


 歯を食い縛ってイレナを睨んで虚勢を張った。


「奈月も諦めが悪いね」

「そりゃそうだよ。だってここで諦めたら、古林くんのことも諦めるってことだもん」

「そっか」


 イレナは苦笑いを浮かべる。


「だったら私も諦めが悪いのか」

「どうして?」

「だって古林くんは奈月のことが好きなのに、諦めきれないんだから」


 私を動揺させる作戦だろうか?

 しかしそんな手にのるほど甘くない。


「イレナ、覚悟!」


 身体を大きく捻り、足刀蹴りを打つ。

 大きな動きだからイレナは簡単にバックで避ける。

 しかしそれが狙いだった。

 軸足で跳び、もう一撃、今度は腹部を狙って足刀蹴りを放った。


 ヒットした感覚があった。

 イレナがくの字に曲がるのがスローモーションで見えた。


 決まった。

 これで私の勝ちだ。


 しかし顔を上げたイレナの瞳は鋭く光っていた。


 腹部を蹴った私の足を掴み、ぐりんっと捻る。


「ああーっ!」


 膝に激痛が走った。


 しまったっ……

 勝ったと思い、油断していたっ……


「そこまで!」


 おじいさんが飛んできてイレナの腕を掴んで関節技を解かせた。


 負けた……


 足の痛みも、乱れた呼吸も忘れ、耳鳴りだけの静寂に落ちていく。


 私が負けた……

 イレナに、親友に、恋敵に、負けた……


 イレナが慌てて駆け寄ってきて何かを言っているが、聞き取れなかった。

 音として声は聞こえていたけど、意味を持った言葉として、認識できなかった。


 頬に感じる熱いものが涙だと気付けたのも、しばらく経ってからだった。



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 風合瀬さん、まさかの敗北っ!

 果たして恋の行方は!?

 早く戻ってこい、古林くん!

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