第38話 イレナさんの悩み

 ~許嫁イレナside~


「動きが遅いぞ、イレナ」

「パパが速すぎるの!」

「トレーニング中はパパじゃない! マスターと呼びなさい」

「きゃあっ!」


 パパは容赦なく私の脚を引っかけて転ばせてくる。


「どうした? 最近のお前は動きに迷いがあるな」


 パパが心配そうに表情を歪める。


「別に……パパには関係ないでしょ」

「関係ないだなんて……そんなこと言わないで、イレナ。パパは寂しいよ」

「トレーニング中はパパじゃないんじゃなかったの?」


 青い瞳にブロンドヘアのカッコいいパパだけど、娘にベッタリなのはちょっと残念なポイントだ。


「やっぱりフィアンセのことで怒っている?」

「別に」

「今からでも断ろうか? やっぱり結婚相手は自分で見つけるものだもんな」

「そんな簡単に断るくらいならはじめからフィアンセなんて作らないでよね」


 冷たく言い放つと、パパはしょんぼりしてしまう。


「本国の本家の方から命令があったんだ。パパは乗り気じゃなかったんだけど、おじいちゃんの言うことは絶対だから」


 パパは申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「ねぇパパ。なにか勘違いしてない? 私、別に古林くんと結婚したくない訳じゃないよ」

「え? そうなのか?」

「彼は強いし、性格も穏やかだし、それにチャーミングで独特なセクシーさもあるの」

「イレナ、お前まさか古林くんに恋をしているのか? というかもう付き合っているのか?」


 パパは驚愕の表情を浮かべていた。


「なによ? パパが結婚相手に選んだんでしょ? なんでそんなに残念そうな顔をしてるのよ」

「それは、だって、イレナはまだ高校生なんだし」

「二十歳で結婚させられるんでしょ? 高校生から付き合ってても、なんにもおかしくないと思うけど」


 そもそもパパの国では娘の恋愛に寛容だし、干渉しないと聞いていた。

 二十年以上日本で暮らし、すっかり心まで日本人になってしまったようだ。


「じゃあ古林くんと結婚するのかい?」

「んー……それはどうかな」

「迷ってるならやめた方がいい。うん、結婚なんてなしだ」

「別に迷ってる訳じゃないってば」


 娘をいつまでもそばに置いておきたいのだろう。

 自分で婚約までしておいて。

 でも情けないところがちょっぴり可愛い。


「それにしては歯切れが悪いじゃないか」

「結婚となれば私の気持ちだけじゃなくて相手の気持ちもあるでしょ」

「なに!? 古林くんはイレナみたいに可愛い子に言い寄られても拒むような不届きものなのか!?」

「パパが思うほど美しくないから」

「いいや。イレナは日本一、いや世界一美しい!」

「はぁ……」


 親バカぶりなら世界一かもしれない。

 困ったパパだ。


「拒むとかじゃなくて。古林くん、彼女いるんだよね」

「なにっ!? イレナというフィアンセがいながら、他に女かいるだと!? 許せんっ!」

「落ち着いて、パパ。私と婚約していることを知る前から彼女と付き合ってたの。むしろ私があとから割り込んだかたちなんだから」

「それにしたって……イレナがフィアンセだと知った瞬間に彼女とは別れるべきだろ! パパが懲らしめてやる!」


 とにかく私のことになると冷静さを欠いてしまうのが、パパの欠点だ。


「逆で考えて。もし許嫁がいるとわかった途端に彼女を捨てるような人、嫌でしょ?」

「それは、まぁ……そんないい加減な男にイレナは嫁がせられないな」

「そんな真面目なところも彼の魅力だから」

「その彼女というのは誰なんだ?」

「奈月。風合瀬奈月だよ」

「奈月ちゃんって……」


 奈月はうちにも遊びに来たことがあるのでパパも知っている。

 しかも奈月はパパをカッコいいと誉めちぎり、たいそう覚えがいい子でもある。


 さらに言えば私が奈月と戦うためにあの高校に入学したことも知っていた。


「よりによって奈月ちゃんの彼氏だなんて……本当にごめん、イレナ。パパが婚約なんか決めてしまうから奈月ちゃんと……」

「それは大丈夫。別にそれで奈月と絶交とかしてないし」

「でも古林くんを奪い合う関係になってしまったんだろ?」

「まぁね。でもそれくらいで私たちの友情は壊れないから」

「それくらいって……けっこう大変なことだと思うけど」


 パパが言うのももっともだ。

 けれど今のところ奈月と変な空気になってない。

 これも奈月の優しい性格のおかげだ。


「やっぱりどちらが古林くんにふさわしいか、戦って決めるしかない。もともと奈月と戦うためにあの学校に入ったんだし」

「そうか……わかった」

「奈月に勝つために、私はもっと強くならないといけない」


 改めて気持ちを言葉にすると、力が漲ってきた。


「でもそれにしては最近のイレナは動きに迷いがあるな」

「それは、まあ、勝ちたいって気持ちが強くて焦りが出てるから」


 とっさにそう誤魔化すが、それが嘘であることは私が一番分かっている。

 古林くんの気持ちが1ミリも私に傾いておらず、完全に奈月にしか向いていないからだ。

 その事実に焦り、心に迷いや戸惑いが生まれている。


 誰かに恋し、不安になる。

 こんなことは生まれてはじめてだった。


 これまでは一方的に好きになられるだけで、誰かを本気に好きになったことなんてなかった。

 私が望めばどんな男子だってなびいてきた。


 でも古林くんは違う。

 よりによって私がはじめて恋をした男子だけは、なびいてくれなかった。


 恋愛というのは、そして人の心というのは、なんとも理不尽で思い通りにいかないものである。


 ────────────────────



 イレナちゃんにはイレナちゃんの葛藤や苦しみがあるんですね!

 そして娘溺愛のパパ。

 だんだん抜き足ならぬ状況に追い込まれる古林くん。


 そしてみなさん。

 今年一年ありがとうございました!

 来年もよろしくお願い致します!

 良いお年を!

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