第004話 運命は浅葱色の鱗粉とともに(2)

 ──土産品店と飲食店の間の路地。

 土産品店の倉庫、飲食店の厨房に挟まれたその付近には、人の姿はない。

 しかし薄暗い路地の奥では、複数人の男の怒声が響いている。

 その暗がりへ踏みこんだフィルルが見たものは、地に伏した一人の男と、取り囲んでそれを蹴りつける、気性が荒そうな三人の若い男だった。

 地に伏した男はフィルルに尻を向ける格好で、背を丸めて膝を曲げ、肘を曲げて両腕で頭をガードしている。


「……あら。ここにもカメが一匹」


 フィルルの声で、暴行中の男たちの足がぴたりと停止。

 宙に片足を浮かせたまま、眼下に向いていた暴漢たちの視線がフィルルへと移る。


「なんだぁ……? 見せモンじゃねーぞ姉チャン……って!」

「す、すっげえ……美人……」

「あれが下弦の糸目……ってやつか。俺ぁ初めて見たぜ……」


 片足で立っていた暴漢たちは暴行を中断し、フィルルに見とれてふらふらと体を揺らしながら、やがて両足をついた。

 その間抜けな様を見て、フィルルが笑いを漏らす。


「クスッ……。わたくしの美しさがわかるということは、このズィルマの地の者ですね。ですがこの風情ある古都に、あなたたちのような乱暴者は無用……。性根を改めるか、いますぐこの地を立ち去りなさいな!」


 暴漢たちから見て、表通りの明かりを背にし、下ろした木剣ぼっけんを路地の幅いっぱいに広げて、直立するフィルル。

 そのシルエットを一瞬、巨大なカマキリだと錯覚する暴漢たち。

 彼らの本能が、フィルルを捕食者、自分たちが被捕食者であると告げていた。

 しかし暴漢たちは、フィルルの美しさと細く華奢な体のラインに見惚れ、本能からの警告を無視してしまう。


「……ごくり。な……なぁ。あの女、ヤっちまわねえか?」

「だな……。こんないい女、俺たちゃ生涯抱けっこねえしよ」

「カツアゲで遊郭ゆうかく行く金貯めるより、手っ取り早いしな!」


 暴漢たちは足元で伏している男の存在も忘れ、腕を前に伸ばして駆けだす。

 フィルルは左足を一歩前へ踏み出し、やや前傾姿勢になって、二本の木剣ぼっけんを握る両手の握力を最大限へと引き上げる。

 その握力……リンゴの実を左右同時に粉砕できるほどの、鍛錬の賜物。


「フッ……下衆げすには名乗りも口上も不要っ! ただ破断あるのみっ!」


 ──ガッ! ガガッ! ガギッ! ガガッ!


 木剣ぼっけんが、木剣ぼっけんでありながら、鋼のごとく宙に剣跡けんせきを光らせる。

 並んで迫ってきた暴漢二人の両肩、両膝の骨に、瞬時に亀裂が走った。


「「ぐあああぁああぁああっ!」」


 同時に膝から崩れ、顔面を地に打ちつけて失神する二人。

 その背後にいた、残る一人の暴漢の足が止まる。

 フィルルの全身から発散される闘気と殺気が、暴漢を金縛りにした。

 残る暴漢は遅まきながら、先ほどの本能の警告が、正しかったことを思い知る。


「……ひっ!」


 身を翻し、路地の奥へ逃げんと一歩跳躍する、残る暴漢。

 しかしそれすらも、長身、長脚、長腕のフィルルの間合いの内だった。


 ──ガガッ! ガッ!


 残った暴漢は、背後から両肩と腰の骨を破断され、転倒、気絶。

 フィルルは踏みこんでいた左足を引っこめ、背を伸ばし、木剣ぼっけんを体の左右に下ろして「ふぅ……」と一呼吸。

 意識のない暴漢たちの体を避けながら歩み、うずくまっていた男へと声をかける。


「……片づきました。もう身を起こしても、大丈夫ですわ」


 フィルルの声を受けて、男の全身から震えが消え去る。

 しかし、まだ立ち上がらない。

 フィルルは続けて声をかける。


「旅行者ですの? 残念ながらこの古都・ズィルマにも、よそに漏れず下衆げすはおります。ですがそのような輩は、わがフォーフルール家の者が見つけ次第成敗しますので、どうかこの地を、嫌いにならないでくださいな……クスッ♥」


 優しさを帯びた、この地、そして旅行者への気遣いの弁舌。

 それを受けてようやく、男が両手をついて起きあがる。

 それまで球体にように縮こまっていた体が、細く長い四肢を伸ばして直立し、背と腰を正して本来の全身を見せる。

 あれよあれよという間に、己より大きくなる男の後ろ姿に、フィルルは唖然。


(長身……! 一七〇センチのわたくしより、頭一つ長身……巨躯!)


 男はフィルルに背を見せたまま、デニムジーンズのポケットからハンカチを取り出し、胸元でなにかを拭くしぐさを見せる。


(えっ……!? いまのしぐさ、もしや……。眼鏡を……お拭きに……?)


 眼鏡男子フェチのフィルルの胸元が、期待で激しくざわつく。

 男は胸元で拭いていたものを両耳にかけ、ゆっくりとフィルルへと振り向いた。


「あ、ありがとう……ございました……。お強いんですね……」


 よろよろと足をふらつかせながら、男がフィルルの正面に立ち、見下ろしてくる。

 長身のフィルルにとって、顔一個分上から男に見下ろされる機会はそうそうない。

 しかもその顔では、知性を感じさせる銀縁の四角いレンズが輝いている。

 優し気で温かみのある、だいだい色の瞳。

 鼻は高く、唇は薄く、やや面長の顔は長身とバランスがいい。


「……僕はカイト・ディデュクス。渡り蝶の生態調査を行っている、昆虫学者です。と言っても、まだまだ駆け出しですけどね。はは……」


 カイトは照れくさそうに、眉にかかるほど伸びた銀色の前髪を右へ左へ掻き分けながら、少年らしさの丸みを残した低めの声で名乗った──。

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