第壱幕 大悪魔、降誕す-上-
◇同刻/同地/
「【
蠅は
臍の下、丹田の辺りにじわりとした熱を感じる。これは、自身のヱーテル総量も成長したかもしれない。中佐位を狙えるようになるのはいつの日か。
皆無は陸軍の少佐だが、正確には『単騎少佐』という。皆無の戦力は単騎にして通常の陸軍少佐級が率いる歩兵一個連隊――
「……帰ろ」皆無は入念に尻をはたく。何しろあの、埃まみれ、虫の死骸まみれのソファに座らされたのだ。気持ち悪いったらなかった。
虫たちが逃げ惑う屋敷の中を出口へと進んでいくと、少女
遺体の前で十字を切ってから手を合わせる。皆無は
「【
腐敗し、
(あの
南の海から坂を駆け上ってきた冷たい海陸風が、屋敷の上の
「「「少佐殿ッ!」」」外に出るなり、三人の、
「「「よくぞご無事で!」」」
「
「少佐殿? 顔が真っ青であります!」女性尉官――
男性尉官二人が相手ならばはぐらかすか黙殺する皆無だが、母親のいない皆無のために
「知り合い、やった」皆無は左手を撫ぜる。絞り出した声は、みっともなく震えていた。
「……胸は、必要でありましょうか?」伊ノ上少尉が両腕を広げてみせる。
「……
「大人ぶってみせても、少佐殿はまだまだ子供でありますな!」「少佐殿と一緒に
「アンタたちっ、少佐殿にそういうのはまだ早いって何度言ったら――」
「お前こそ、その乳房で少佐殿をたぶらかしといてよぅ言うで」「せやせや!」
「戦闘詳報書き方ァ!」
三人が即座に整列し、伊ノ上少尉が懐から手帳と鉛筆を取り出す。
「――始め。あの
「えっ、少佐殿、あの
「えぇぇ……当たり前やろ」皆無が
「【
「貴官は僕の授業を真面目に聞いとらんかったんかな?」
「そ、そんなことは……ッ!」青年尉官が脂汗を流しながら直立不動の姿勢を取る。
「じゃ、悪魔悪霊の分類について解説してみぃ」
「はっ! 悪魔悪霊は脅威度で分類され、上から甲種・乙種・丙種・丁種
「うん」皆無はうなずいてみせる。「
だが
「さっき祓った
「はっ! 単騎少佐を中核とした一個中隊で当たるべき、乙種
「へぇ。そんだけ手ひどくやられといて、甲種やないって?」
「はっ! あの屋敷から出てこないという点から、脅威度はやや低いと判断しました!」
「ええやん、合格」皆無の、神戸人らしからぬコテコテな関西弁による評価の言葉に、
「ありがとうございます!」青年尉官が直立不動で返答する。
生まれも育ちも神戸の十三歳。阿ノ玖多羅皆無の方言は、少し変わっている。
皆無が飛び級かつ首席で卒業した陸軍士官学校は、講義も教科書も全て
皆無はしばし取り澄ました顔で訓示を垂れていたが、やがて「ぷぷっ」と吹き出し、
「貴官らなァ、あの乙種
「「「め、面目次第もございませんッ!」」」
「こりゃァ訓練内容見直さなあかんなァ」
「これ以上厳しくなるのはっ」「少佐殿は鬼畜であります!」「鬼畜な少佐殿も素敵!」
彼ら彼女らの口調には
一年半前――十二歳で軍人になった当時、皆無は驚くほど自己評価の低い子供だった。
生まれてこの方、常に唯一絶対の父――日本一の退魔師である阿ノ玖多羅
それが、今から半年前のこと。
そこから半年間、この尉官三名は己の任務に忠実に、皆無を褒め、おだて、一緒に飯を喰い、見回りと称して神戸元町をブラブラし、天才肌の皆無からの意味不明で苛烈な訓練に耐えた。彼ら三人の粉骨砕身の努力の甲斐あって、皆無は見事に回復した。
尉官三名の方も満足していた。半年間、幼いながらも本物の実力者たる皆無少佐から手取り足取り術式の神髄を教わることができ、下士官から一足飛びに尉官になることができたのだから。そんな彼らによる三文芝居のおかげで、皆無の陰りが晴れたところに、
「HAHAHA!」
皆無が暗視の真言密教術【
「……これは、阿ノ玖多羅・単騎少将閣下」
そう。この子供に見えるナニカこそ、日本一の退魔師と誉れ高い阿ノ玖多羅正覚その人である。反抗期のただ中にある皆無にとっては、あまり会いたくない相手でもある。
「よそよそしい呼び方は
「う、うっさいわボケ!」皆無は叫ぶ。部下たちの前で、こんなに恥ずかしいことはない。
続いてこの奇妙な父が、三人の部下の方へ宙を歩きながら近づいていき、「キミたち、いつもウチの息子の面倒を見て呉れてありがとね」ポンポンポン、と一人ずつ肩を叩く。
「痛たっ……って、あれ? 怪我が治っとる?」「
三者三様に、肩を回したり飛び跳ねたりして、あれほど
「見てたよ。あ~んな雑魚相手に
伊藤サン――父がことあるごとに口にするその人物とは、誰あろう
「阿ノ玖多羅少将閣下ならば、どのようにご対処なさいましたか?」
皆無が堅苦しく父に尋ねる。反抗期の真っただ中にいる皆無は、昔のように『パパ、パパぁ、あのね、あのね!』と話しかけることに大変な抵抗を覚えるのである。
「…………」だが、父はそっぽを向いたまま、答えない。
「閣下?」「――パパ」「うっ」「――パパ、だよ、皆無」
にんまりと笑う父。この父は大変に勝手な男で、自分からは好き放題話しかけてくるくせに、こちらから話しかける場合には、『パパ』呼びでないと返事をしない。
「うぐぐ――――……~~~~~~ッ!! だ、ダディ!」何がなんでも『パパ』呼びしたくない皆無が編み出した妥協策、『ダディ』呼びをすると、
「ふむ、私ならどう対処したか、だったね?」上機嫌で父が話し始める。
背後からは、「ぶっ……くく」「うわぁ」「ダディ呼びもお可愛い」と
「私なら――」父が右手の二本指を剣のように鋭く立てると、その指先が真っ白に輝き出す。ビリビリと空気が震えるほどの、
「えぇぇ……そんなんできるん、多分ダディだけなんやけど」
「
突如として父の輪郭がぐにゃりと
「悟りを得て即身成仏すれば、ヱーテル体を自在に操ることができる」
梟が皆無の頭頂部に留まる。その
この父が
「
「それにしても、
その言葉には、三人の
「まったく、そんなんじゃ伊藤サンに顔向けができないだろう?」
「またかいな」「また、とは?」「伊藤閣下のお話」「あれぇ、言ったっけ?」
父が真顔で首を
「相変わらず物忘れがひどいんやから」皆無は得意げに
「兎角、早く空を理解し、ヱーテル総量を伸ばしなさい。今どのくらいだったかな?」
ヱーテル――妖力、
「…………い、一万ちょい、やけど」答え
「ひっっっく!?」父が大笑いをする。「十二聖人の座を狙うなら、せめて百万はないと」
白目を
「……ん? 十二聖人? 十三やなかったっけ?」
「はぁ? 何を言っているんだか。ちなみに私のヱーテル総量は、二千三万と少しだよ」
「……修練はしとる。けど、手っ取り早く強くなれる方法があるんなら、教えて欲しい」
「ならばまずは得物に名前を付けなさい。名は体を表す。最も簡単で、それでいて奥深い手段だよ」父が身に着けている装備品――南部式や十字架、ストールといった数々の品が独りでに宙を舞い始め、「この子は
皆無は知っている。変人たる父が通算百八人の妻を
皆無は卒倒寸前である。「……名前名前言うんやったら、僕の名前の由来教えてぇや」
「ん? ん~、確か……お前は神無月の生まれだったろう? でも、一流の
何度も聞いたことがある説明である。が、『確か』という不穏な言葉が付いている。
「はぁ~ッ! 忘れっぽいダディに期待した僕が悪かっ――」皆無は軽口を飲み込む。父が、ごっそりと表情が抜け落ちた顔を外国人居留地方面――海岸線へと向けていたからだ。
「極大ヱーテル反応。場所は居留地の九番地南の海岸線。は、ははは、驚いたな……
「――わ、分かった」皆無は、震えそうになる声を必死に抑える。
「私は
言うや
「お前らは神戸鎮台へ移動し、指示を仰げ!」皆無は部下三名に命令する。
「「「はっ!」」」身の程を理解している部下たちは、皆無の命令に素直に従う。
「【偉大なる軍神スカンダの剣・ニュートンの
異人館通りに立ち並ぶ邸宅の屋根や、張り巡らされた電柱・電線の上を凄まじい速度で走りながら、「【
ヴウゥゥゥゥウウウウウウウウウゥゥゥウウウウゥゥゥゥゥゥゥ…………
手回しサイレンの音が、そこかしこで鳴り始める。家屋から血相を変えた人々が
皆無は
居留地の南端、海岸通りへ出た。いつの間にか風は
皆無は空を仰ぎ見る。――そこに、一人の天使がいた。深紅のドレスを纏った天使が。
白鳥のような翼を背負った少女が、退魔結界の内側――神戸港・外国人居留地の海岸線近くで羽ばたいている。少女の背後では、この港を外界の西洋妖魔から
「【オン・アラハシャノウ――
――ヱーテル総量、およそ五億単位。
あの、日本一と
この国を滅ぼしたらしめる最悪の
皆無は震えながらも村田銃を構え、懐から虎の子の
「――
皆無が
「そなたらと敵対する意思はない――人の子らよ」
少女が、顔を上げた。燃えるような、意志力の塊のような真っ赤な瞳が皆無を
少女の翼がドロリと溶け、手の平に載りそうなほどに小さな、翼を生やした馬に変じる。
「よい、
少女の声が、
皆無は少女を観察する……そうしてようやく、皆無は少女の惨状に気付いた。少女が
そして――――……少女が、両腕を、失って、いることに。
「お、お前は一体――」
皆無が銃口を下げた瞬間、少女の影から一人の異形が飛び出してきた! 長大な
「なッ――予の影に潜んでいただとッ!?」驚く少女と、
「くッ!」
火花が散り、ヱーテルで強化されているはずの銃剣があっさりと砕け散る。
皆無は強化された脚で背後へ跳躍し、【
――ヱーテル総量、およそ五百万単位。
一方、少女の姿を取ったヱーテル五億の
(なら、先に対処すべきは梟頭ッ!)
――ることはできなかった。
「ぁぐッ――」右腕を、斬り飛ばされた。皆無は壮絶な義務感と覚悟で以て悲鳴を
敵の頭部に、立て続けに三発撃ち込んだ。敵が衝撃で
皆無は、明後日の方向に飛んでいきつつある己の右腕が、その手指がしっかりと村田銃を保持していることを目視する。切断された直後の腕と肩の間には
「くぅッ――」激痛とともに、引っ張った。
果たして右腕と肩の間にあった
驚嘆すべき集中力と狙撃力で以て放たれた銃弾は、村田銃の銃床を弾き、村田の体を勢いよく反転させる。その銃口が、
「――【
――瞬間、夜の神戸に昼が訪れた。
太陽かと見まごうばかりの光を纏った銃弾が、巨大な火の玉となって敵を撃つ!
(やった!)爆炎に目と肺を焼かれないように顔を背けながら、皆無は勝利を確信する。自分が――否、国家が持ち得る最大最強の一撃を見舞ったのである。(次は――…え?)
光と炎と煙が晴れた夜の
「あ、あ、
敵の持つ剣が、その切っ先が皆無の左胸に入り込み、ぞっ、ぞっ、ぞっ……と、差し込まれていく。皆無の小さな心臓を、ゆっくりと、丁寧に刺し貫いていく。そうして最後に、
「死…に……た…く――――……ごふッ」
その刃が、皆無の
明治三十六年十一月一日、阿ノ玖多羅皆無は死んだ。
◇数分前/外国人居留地・路地裏/帝国陸軍
闇よりもなお
「え?」
ヱーテル総量、約一万単位。丙種
「十二時方向! 鶴翼の陣!」
中佐の号令とともに、同行中だった尉官四名が陣を組む。狼の
「ヱーテル総量、一万!
村田銃を構えようとしていた中列二人が、十字
「――ぎゃッ!?」少尉の悲鳴。
結界が、どす黒いヱーテルを纏った狼の突進によって、あっさりと
狼が少尉の脚に
「【御身の手のうちに・
光り輝く弾丸が、敵の頭部に吸い込まれる。狼が大きく跳ね飛ばされる。が、それだけだった。丙種
「対象を乙種と再認定!」
前列左の少尉が、負傷したもう一人の少尉を抱え上げて後退する。
神戸港の各家屋を守る結界は、先ほど少尉が展開し、あっさりと破られたものと同程度の強度しかない――いや、港そのものを外海から守る【
だが、現にこうして、この黒い狼は【
(今、ここでコイツを祓い切らなければ、神戸が滅ぶ!)だから中佐は、覚悟を決めた。己の
村田の銃口の先に、火天が描かれた
「【神に似たる者・大天使聖ミカヱルよ・清き炎で
「【――
銃口から放たれるのは、光り輝く巨大な
狼は頭部を失い、倒れ伏す。残った体も、どす黒いヱーテルの粒子になって宙に溶けた。
「――討伐完了だ! お前たち、よく耐えた!」中佐が
いつの間にか、自分が地面に倒れ伏していることに、気が付いた。右足に、力が入らない。腕で身を起こしつつ振り返ると、
「あ、嗚呼ぁ……中佐殿」
震える声に中尉の方を見てみれば、中尉は明後日の方向を見ながら震えている。一体、何を見ているのか。第七旅団が誇る最終奥義を以てしても祓えないこの
そこに、ソレが立っていた。梟の頭に、光り輝く裸身と天使の
「ゴァァアアアァァアアアアアアアッ!!」その異形が、長大な剣を振り上げて
「あぁ、嗚呼ぁ……」中佐は、明確に絶望する。自身が生きながらにして狼に喰われつつあることなど、問題にならないほどの絶望。
中佐の視界に収まる影という影から、無数の狼――乙種
にわかに、辺り一面が
(嗚呼……俺は今日、ここで死ぬ。最期に妻と娘に
中佐が壮絶な覚悟を固め、自身を喰らう狼に向けて銃口を向けた――まさにそのとき、
「HAHAHA!」場違いなほどに陽気な笑い声が、夜空を引き裂いた。
同時、空から光り輝く弾丸が降り注いできて、中佐に喰らいついていた狼を、部下たちを喰い殺さんとしていた
(来て
◇数瞬前/外国人居留地・上空/帝国陸軍
神戸
正覚は無詠唱の【
「――【
独りでに引き金が引かれ、数十個の光の矢が一斉に放たれる。一発一発が無詠唱の【
――ものの数秒で、
連れてきた佐官たちの中には治癒術式を得意とする者も多い。彼ら彼女らが全力を尽くせば、死者数零でこの戦局を乗り切ることも不可能ではないだろう。だが、
(私が感じたヱーテル反応は――脅威は、こんな雑魚どもじゃない)
正覚は今一度、より入念に周囲を探査する。そして、
「皆無ッ!!」
水天の真言密教術で以て、息子の全身を氷漬けにする。今にも倒れ伏そうとしていた息子の体が、そのままの姿で凍りつく。ひとまず息子の死は免れた。が、あれほど徹底的に破壊された心臓を再生させるには、さしもの自分であっても皆無に直接触れる必要がある。
「けど、そうは問屋が卸して呉れそうにない、か」正覚は大通りに降り立つ。彼の視線の先には、
尋ねながら、正覚は状況を整理する。――敵の数は、三。
一つ、自分が最も警戒していた、ヱーテル総量五億超えの
一つ、
最後の一つが、梟頭の
その
「遅い」敵の行動を待ってやる義理などない。彼我の距離は数十メートル。正覚は【
無詠唱の【
空が真っ赤に燃え上がり、爆風が各家屋を覆う結界を焦がす。
計八発の
(あの堅さは間違いなく
弱い、と正覚は感じる。堅いことは堅いし、無数の
正覚は次なる【
(
「【
敵が、詠唱を完成させた。途端、敵の右手から漆黒の霧が
(
(
正覚は遮二無二弾丸を撃ち込むが、霧は一向に衰えを見せない。
今や
が、神戸とて、【
「ゴァァアアアァァアアアアアアアッ!!」いきなり、正覚の後方で
慌てて振り返れば、目の前にいたはずの
(【
【
「【
(あれは……腕?)正覚の目には、それは義手か何かのように映る。
――大十字架が光を失った。永らく神戸港を西洋妖魔たちの手から護っていた【
視界が霧に覆われる寸前、正覚は見た。皆無を氷漬けにしていた己の術式が霧に
「皆無――ッ!」正覚の声もまた、霧に呑まれてしまう。(拙い拙い拙いッ! 早く治療せねば、皆無が死んでしまうッ!)
不老不死の身となった己と違い、人間は心臓なしでは数分と生きられない。皆無の心臓を再生させるためには術式が必要だが、そのためにはまず、この霧を晴らさねばならない。
村田銃を捨てた正覚は、両脚にヱーテルを込め、
(ここは――…
ふと、周囲に無数の気配。濃い霧の中から、漆黒よりもなお
◇同刻/同地/阿ノ玖多羅皆無単騎少佐
心音が、聴こえない。己の心音が、聴こえないのだ。何度【
「…………すまぬ、な」
耳元で、ひどく心地の良い声が聴こえた。どうやら自分は、先ほど天から現れた少女の
「
……当たり前だ。当たり前だ! 自分はまだ何も成していない! 偉大過ぎる父には届かぬまでも、ひとかどの
男児として生まれたからには大成し、国家繁栄と独立維持の礎とならねばならない――このごろの多くの若者と同様、皆無もそのような単純明快な
「よかろう」果たして皆無の意志が伝わったのか、少女が
少女が皆無の体を、真っ赤な血で染まった肩でとんっと小突く。皆無の体がわずかにのけ反り、皆無はその悪魔的なまでに整った、凄惨なまでに美しい少女の顔を間近で見上げる形となる。その顔がぐんぐん近づいてきて――
少女の唇が、皆無の口を塞いだ。
口付け。甘くドロリとした何かが喉に流れ込んでくる。胸が焼けるように熱くなり、頭が割れそうなほどに痛み、視界が真っ赤に染まる。
「……う、うごぉぁぁあああああああ!!」己の喉から吐き出される、獣の
全身の血が沸き立つ。腕が、胸が、腹が、脚が内側から蠢きながら隆起し、体の奥底から別の何かに作り替えられる
そこから先の記憶はない。
◇同刻/同地/阿ノ玖多羅正覚単騎少将
術式による索敵が行えない今、正覚はその数・位置をヱーテル反応と肌の感覚だけで何とか把握する。四方八方から飛び掛かってくる巨大な狼たちを、正覚は素の体術とヱーテルによる筋力の補強のみでこれを潰し、打ち払い、
……そんな風にして一分近くが経過した。いくら頭部を潰しても、狼の数は一向に減らない。死した狼が闇に呑まれ、新たな狼となって襲い掛かってくるからだ。
(糞っ、糞っ、糞ったれ! 早く戻らねば皆無が死んでしまう!!)
その焦りが
「しまっ――」
その狼の影から現れた
――そのとき、闇の世界の一点に光のひびが入った。
ひびはすぐに世界全体に広がり、まるでガラス窓が砕け散るようにして、闇が
そして、最初に光のひびが入ったその場所に、拳を突き出した小柄な異形がいる。
「ゥガァアァアァアアアァァアァアアアァアアアアアアアアアアアアアア!!」
その異形――皆無と同じくらいの背丈で、
「あはァッ、素晴らしいぞ人の子よ!」異形の隣に立つ、両腕のない少女の
「か、皆無……?」正覚は
十三年も育ててきたのだ。姿と声がどれだけ変わろうとも、分からないはずがない。だが当の異形――変わり果てた皆無は正覚には目も呉れず、
「よし、
正覚が見守る中、不和侯爵
◆同刻/同地/腕のない甲種
彼我の距離は十メートルほど。皆無は四足獣のように体を深く沈み込ませる。今の皆無に、冷静な思考というものはない。殺せ殺せ殺せ、敵を殺せ! 我が主の望むままに――狂気と狂乱の中、ただそれだけを己に命じて動く。
不和侯爵
「ガァァアアアゴォォオオオオッ!!」皆無は咆哮とともに、手近な狼へと、その鋭い爪を振り下ろす。
狼はまるで豆腐か何かのように軽々と切り裂かれ、皆無の【悪魔の
同じようにして全ての狼を屠り散らすと、肝心の、
「照らせ、
皆無が両腕を天に掲げると、上空に七つの太陽が生成される。神戸港のあらゆる影が照らし出され、皆無は視界の端――海岸通り近くの裏路地に、潜むべき影を失って戸惑う
翼。翼があれば空が飛べるのだ――皆無は背中から翼を
「ふふふ、
また、口移しで暴力的な量のヱーテルを注ぎ込まれる。
果たして皆無は
「よくやった、愛しき我が子よ」海岸線に戻ると、麗しの主が
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