腕を失くした璃々栖 ~明治悪魔祓師異譚~

明治サブ/角川スニーカー文庫

開幕 悪魔祓師は十三歳

明治三十六一九〇三年十一月一日二一時八分フタヒトマルハチ/神戸北野異人館街/哀れな悪魔の残りかす


 少女真里亜マリアは恐怖のただ中にいた。

 真里亜はベッドに潜り込み、震えている。部屋中を満たすカサカサと何かがうごめく音と、時折聞こえる甲高い女性の悲鳴を必死にやり過ごそうとしている。恐る恐る布団の隙間から外をのぞいてみると、水差しや花瓶といった調度品が中空を踊り狂っていた。

 ――この屋敷は、悪霊デーモンに憑りつかれているのだ。

 四日前、本国・英吉利イギリスに出ている父から珍しくプレゼントが届いた。同封されていた手紙によると、不思議な魅力にあらがえず衝動買いしてしまったらしい。箱を開けてみると、中身は白髪の少女の人形だった。抱き上げた人形と目が合った瞬間、突如として人形がたかわらいし、無数のはえに変じて部屋中を満たし、そして――…世にもおぞましいことが起こった。

 ……それからというもの、夜になる度に、この怪奇現象に悩まされることとなった。

 異国の港で貿易業を営むとき、この手の――その国が他文化圏出身の妖魔にじゆうりんされるという――出来事は、枚挙にいとまがない。

 日の沈まぬ大帝国として世界に君臨する母国から、極東くんだりにまで商いの手を伸ばしている武器商人たる父、その娘である真里亜は、そういった事情をよく知っていた。

 武器商人たちの目は今、この国――吹けば飛ぶような小国たる日本に注がれている。

 理由は、戦争だ。帝国が『東方を征服せよウラジオストク』なる軍事集積地を大建設し、シベリア鉄道を通じて大量の軍需物資を輸送し続けている。対する日本は国民に重税を強いて、軍艦や砲弾を世界中から買いあさっているという。海外から大量の大砲弾薬を持ち込む父などは、日本の役人たちを相手に言い値で売りつけることができた。それだけに、日本人商人からのやっかみは激しい。現に昨夜など数人の強盗が押し入ってきて、真里亜は必死に応戦した。父から銃器の使い方を仕込まれていなければ、殺されていたかもしれない。

 ……真里亜は現状に絶望していた。そんな折、一通の手紙が届いた。


貴女あなたノ居住ヲ侵略セシ悪霊ヲ祓フため、明日二十一時ニ参上ス。帝国陸軍所属悪魔祓師』


 悪魔祓師ヱクソシスト! 西洋妖魔からの攻撃に対する防御機構である。絶望のふちに立たされている真里亜にとって、それはまさに希望の光だった。

 ――ゴン、ゴン

 玄関から、ドアノッカーの音。来た! 来てれた! 真里亜はベッドから飛び出し、二階から転げるようにして階段を降り、正面玄関から外へ出る。軍属の悪魔祓師ヱクソシストとはどのような人物だろうかと見上げる……が、誰もいなかった。真里亜がしばし戸惑っていると、


「――失礼、レディ。こちらです」


 下から声がした。見るとそこには、おままごとか何かであろうか、ぶかぶかの軍服を着た子供が立っていた。真里亜は戸惑う。軍人と聞いて筋骨隆々な偉丈夫を想像していたが、実際にやって来たのは身長一四〇サンチ程度しかない少年だったのだから。


「大日本帝国陸軍・第零師団だいゼロしだん第七旅団所属、阿ノ玖多羅あのくたら皆無かいな少佐であります」


 アノクタラ・カイナ――物珍しいその名前と、目の前にいる可愛かわいらしい少年の姿が結びつき、真里亜はとっさに少年の左手――軍用手袋に包まれた小さな左手に触れる。父の店の近所に住んでいた三つ年下の男の子。東洋魔術が得意で、壁や空を駆けてみせては、近所の子供たちから英雄のような扱いを受けていた。真里亜もお姉さんぶって、よく一緒に遊んだものだった。あの小さな子供が、軍人チンダイさん――それも悪魔祓師ヱクソシストになるなんて!


「そんな、真里亜――…」皆無の方もこちらを覚えて呉れていたようで、何やら泣き出しそうな顔をしている。思わぬ再会が、それほどにうれしかったのだろうか。

 真里亜はまじまじと、十三歳のおさなじみを観察する。日本人離れした高い鼻と二重まぶたの大きな目、彫りが深くも端整な顔立ち。少女をかたどった西洋人形のようだ――少し長めのザンギリ頭であることを除けば。着ているのは濃紺色のろつこつ服と軍袴。軍帽には宵闇の中でも分かるほど鮮やかな黄絨と星章が入っている。首には悪魔祓師ヱクソシストのシンボルである紫色のストールをマフラーのように巻いており、それが妙に子供っぽくて可愛らしい。


「失礼いたしました、レディ」皆無が直立不動で敬礼する。そこにあるのは軍人の顔だ。りゆうちような英語を操るその声は、いまだ声変わり前。可愛らしいその声を必死に低くしている。「銃を持ち込むご許可をいただいても?」


 そんな皆無が、腰の拳銃嚢から拳銃を取り出してみせる。武器商の娘たる真里亜は、その銃を知っている。昨年開発されたばかりの自動拳銃、『試製南部式』だ。

 真里亜は銃の持ち込みを快諾し、幼馴染を中へ案内すべく先導する。


「失礼します」ぺこりとお行儀よく頭を下げ、皆無が玄関のドアを開いた。



「……暗いですね」廊下を歩きながら、少年がぽつりとつぶやいた。

 それはそうだろう、今夜は月が出ていないのだから。真里亜は少年に、足元に気を付けるよう忠告する。


「はい、ありがとうございます――ぅっひゃぁ!?」何かにつまずいたらしい少年軍人が、素っ頓狂な声を上げた。

 にも年相応なその声があまりにも可愛らしくて、真里亜は思わず笑ってしまう。


「……【新月の夜・夜空を駆けるラクシュミーの下僕・オン・マカ・シュリエイ・ソワカ――ふくろう夜目よめ】」後ろを歩く少年が日本語を発した。

 振り向いて見てみれば、少年のが薄っすらと光り輝いている。


「何でもありませんよ」少年がにこりと微笑ほほえむ。「魔術で視力を補強しただけです」


 応接室に着き、真里亜は皆無にソファを勧める、自分はテーブルを挟んだ対面に座る。


「あ、ありがとうございます」少年が何故なぜか顔を引きつらせ、しつようにソファの上を手で払ってから座る。潔癖症なのだろうか。「それでは、事の経緯を教えていただけますか?」



 真里亜はこれまでのいきさつを洗いざらい話した。かく、自分の恐怖体験を誰かと共有したかった。少年は丁寧にあいづちを打って呉れて、真里亜は救われたような気持ちになった。気が付けば、高嗤いは聞こえず、ポルターガイスト現象も鎮まっていた。

 話の後、悪霊が何処どこに潜んでいるのかを尋ねると、


「今はこの部屋にいますが……大丈夫です。すぐにはらってみせましょう」


 皆無が懐から細長い小箱を取り出す。小箱には『大天使弾』と記載されており、日本での暮らしが長い真里亜にも、その意味は読み取れた。

 少年が慣れた手つきで箱を開くと、中から実包が出てきた。武器商の娘・真里亜の見立てによると、八ミリ口径、ボトルネック型のリムレスやつきよう。銀の弾頭には十字架を基本とした細やかな彫刻が入っている。少年が左手で実包をぎゅっと握りしめ、


「【御身の手のうちに】」右手の二本指を、まるで剣のように鋭く伸ばして額に当て、

「【くにと】」二本指をへそへ、

「【力と】」左肩へ、

「【栄えあり】」右肩へ当てる。

 ぽぅ……と、少年の左拳が白い光を帯びる。


「【永遠に尽きることなく――斯く在り給ふAMEN】」


 少年が左手を開くと、大天使弾がキラキラと光り輝いている。その輝きは美しいが、同時に何故か真里亜の胸中を不安にさせる。


「聖別したこの弾丸で、今からこの屋敷に巣食う悪霊デーモンを祓ってご覧に入れましょう」


 少年が南部式自動拳銃を抜く。独特の丸い遊底スライドを勢いよく引き、飛び出してきた実包を驚くべき反射神経でもつて中空でつかみ、流れるような所作で大天使弾をそうてんする。

 れぼれするような神業に、真里亜は思わず歓声を上げ、いやいやそんなことよりも今は悪霊デーモンだ、と思い直す。悪霊デーモンは一体全体何処に隠れているのかと真里亜が問うと、少年が真里亜のいる方向を指差す。慌てて振り向くが、何もいない。

 脅かさないで欲しい、と真里亜が抗議すると、


「いいえ、いますよ」


 少年が、ひどく寂しげに笑った。その手には、南部式が握られている。


「――――ここにね」


 真里亜の視界に、八ミリ口径の銃口が映った。


「――――■■■■?」どうして、と呟いたはずだった。

 が、その声は、数日来悩まされ続けてきた金切り声そのものだった。



◇同刻/同地/帝国陸軍第零師団だいゼロしだん第七旅団所属単騎少佐・阿ノ玖多羅皆無


 弾丸は、真里亜を名乗る悪霊の頭部を破砕せしめる。

 ほこりまみれの床に倒れ伏す自称真里亜の肉体――濃密度ヱーテルによって受肉マテリアラヰズ寸前の域に達していたソレは、悪霊デーモンの制御下を離れ、白い光となってがれてゆく。

 最後には、淡く白く輝く、蠅のような塊が残った。電灯も点いていない、蝋燭の明かりもない真っ暗な部屋で、悪霊デーモンのヱーテル核であるその蠅が、まるで蛍のように宙を漂う。

 皆無の足元では、しようを吸ってひと回りもふた回りも大きくなったゴキブリが、調度品の欠片かけらを蹴り上げながらカサカサと音を立てて蠢いている。

 皆無は南部式自動拳銃を腰の銃嚢に収め、静かにもくとうする。



――――――――明治悪魔祓師ヱクソシスト異譚『腕ヲ失クシタ璃々栖』、ココニ開幕ス。

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