第6話



 時刻は七時を回った。

さっきゴウキが上がっていった階段を、沢山の学生達が下りてくる。


「っ!ゴウキだ!」


 やっとゴウキが出てきた。そう、俺が駆け出そうとした時、俺の体はピタリと固まった。ゴウキの周りには、沢山の友達が居た。しかも、一人の女の子なんてゴウキにべったりと腕を回している。


「俺だって、ゴウキにあんなのした事ないのに……ん?」


 俺は自分の頭を過った考えに戸惑った。普通、男同士であんな風に腕は回さない。なのに、どうして俺はあの女の子に対してこんな気持ちになるのだろう。


「ゴウキのウソつき。友達も彼女も居るんじゃん。やっぱり、俺だけじゃなかったんだ」


 それまで楽しかった気持ちが、急に萎んだ。そりゃあそうだ。ゴウキは俺と違って格好良いし、良い奴だし、それにスマホを持っている。俺がしたかった『今、何してる?』ってヤツも、あの子達とはずっとやっていたのかもしれない。


「……お金欲しい」


 そう、俺がモヤモヤした気持ちを抱えて俯いた時だった。


「キミ、ずっと此処にいるけど大丈夫?」


 知らないスーツの男の人が、俺に向かって話しかけてきた。優しそうな人だ。眼鏡をかけていて、頭が良さそう。


「キミ、中学生?」

「こ、高校生です」

「どうしたの?」

「えと、その」


 男の人の手が俺の肩に触れた。制服越しなのに、その手の熱さが伝わってきて、俺は思わず固まってしまった。


「お金が欲しいの?」

「え?」

「さっきそう言ってたから」

「あ、はい。欲しいです」


 とっさに頷いてしまった。すると、眼鏡の男の人が俺の肩からその手を滑らせてゆっくりと俺の腕を撫でた。ちょっと変かも。普通、初めて会った人にこんな風に触るだろうか。


「じゃあ、今晩一緒に居てくれたら、おこづかいをあげよう」

「おこづかい?何で?」

「アルバイト料みたいなモノだよ」

「え!バイト?」


 思わぬ提案に、俺はピンと背筋を伸ばした。まさか、バイトを探そうとしていた所に、こんなに丁度良い話が舞い込んでくるとは思わなかった。でも、今晩はダメだ。


「でも、今日は友達と、」

「また明日にしようって言えば?きみ、好みだから。好きなだけお金あげるよ」

「好きなだけ……」


 男の人の手がいつの間にか、俺の腰に回っていた。熱い。本当はゴウキの家に行きたいけど、今日この人と“アルバイト”をすれば、スマホが買える。そしたら、あの女の子よりも、もっとゴウキと――。


「何やってんの?」


 俺が考え込んでいるうちに、いつの間にかゴウキがすぐ傍に立って居た。


「ゴウキ!」

「警察呼ばれたくなかったら、さっさと失せろよ」


 ゴウキがスマホを片手に唸るように言うと、そのまま俺の腕を強く引っ張った。すると、さっきの女の子と同じくらい、俺とゴウキの距離が近くなる。それが、凄く嬉しい。


「まだ何もしてないのになぁ」

「死ね。このド変態が」

「キミ?おこづかいが欲しくなったら、いつでも、」

「行くぞ、あられ」

「っうわ」


 もう口を挟む隙なんて欠片もなかった。俺の腕をゴウキの大きな手が掴み、そのまま何も言わずにズンズンと歩いて行く。


「なんで、ゴウキは怒ってる?」

「クソがっ!変な奴に声かけられやがって!何だよアイツ!」

「アルバイトに誘ってくれてただけだよ」

「お前、ほんっとにバカだな!?そうやって誰にでもほいほい付いて行ってんじゃねぇよ!」


 いつもの公園の前で、俺の腕を掴んでいたゴウキの手が離された。俺は、もっとゴウキと仲良くなりたくて、スマホが欲しかっただけなのに。


「……だって、スマホが欲しかった」

「またソレかよ。お前はスマホが欲しけりゃ、誰にだって付いて行くのか?」

「うん」

「最悪だな、お前」


 ゴウキの冷たい声に、俺は息が止まるかと思った。

ゴウキの一番になりたくて、スマホが欲しかったのに、むしろ嫌われてしまった。俯いて下を見てみると、足元が濡れていた。雨が降って来たのだろうか。それとも雪?


「は!?何泣いてんだよ!」

「へ?」


 ゴウキの言葉で、足元の水滴が、雨でも雪でもなく俺の涙である事が分かった。どうやら、俺は泣いているらしい。


「ゴウキ、ともだち、いっぱい居た。かのじょも、居た」

「は?」

「ともだち、いないっていってたのに。うぞだった。たくさんいた」

「あ、あられ?」

「おれ、もっとゴウキと仲良ぐなりだい。いじばん、仲良ぐ、女のご、より、ながよぐなりだい。すまほ、持ってたら、もっど、ながよく……なれるがなぁっでおもっだ」


 俺は手の甲で必死に涙を拭いながら、思った事を雪崩のように口にしていた。きっと、ゴウキもこんな事を言われて困っているに違いない。


「ぁぁぁぁんっ」


 俺が俯きながら大声で泣いていると、いつの間にか、俺の頭と背中に温かいモノが触れた。


「あられ、俺の一番になりてぇの?」


 気付くと、俺の体はゴウキによって抱き締められていた。ゴウキ、また身長が伸びたみたいだ。


「なぁ。あられ。答えろよ」


 再び、畳みかけるように問いかけられるゴウキの言葉。その問いに、俺は固いゴウキの体に額を押し付けたまま、深く頷いた。


「なりだいっ」

「そっか」


 そう、ゴウキが溜息を吐くみたいに言うと、俺の顔はそのまま勢いよくゴウキの手によって上へと向けられた。サスサスとゴウキの大きな手が、俺の輪郭を撫でる。


「こんなに可愛いあられが、俺のになった」

「ごうき?」

「そういう事だよな?こんな可愛いあられが、俺の一番になりたいって事は……あられは俺のって事でいいって事だよな?」


 ゴウキが変だ。

 俺の事を可愛いなんて、おかしな事を言っている。目は大きく見開かれて、呼吸も荒い。いつの間にか、俺の後頭部にはゴウキの大きな掌が添えられていた。そして、ゆっくりと頭を撫でてくれる。凄く、気持ちいい。


「あられ、スマホは大人になったら、俺が買ってやる。お前の欲しいモノは全部俺が買ってやるから。だから、もう変な奴に付いて行こうとするな。あられ、お前は俺のだ」


 さっきまで俺の頭を撫でていた筈のゴウキの手が、いつの間にか俺の腰とお尻を撫でていた。まるで、エッチな動画の始まりみたいだ。


じゃあ、この後、俺はどうしたらいい?


「じゃあ、ゴウキは誰の?」


 そう、俺がハラムさんみたいにゴウキの背中に這うように手を回した時だ。ゴウキは俺の耳元に口を寄せると、なんとも低く格好良い声で、こう言った。



――俺は、ずっと前からあられのだよ。




その日、寒空から落ちた一粒の霰は、公園のベンチに静かに溶けていった。


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