第25話 物憂げな病

 朝。

 窓際に腰掛けたソフィアが小さな溜息を漏らした。潤んだ瞳に物憂げな表情で窓の外を眺める姿は恋する乙女に見える。傍に控えていたシトリーは、物思いの原因に想像を巡らせる。


(若様にお気持ちが向いていればいいのですが)


 シトリーはエプロンドレスの内側にある隠しポケットからチケットを抜き出した。勝負どころだと判断して切り札を使うことにしたのだ。

 王都でも大人気で予約が殺到している劇団のチケットだ。現在やっている歌劇のタイトルは『戦場の狼』。数年前に戦で実際にあった出来事をモチーフにした英雄譚である。


「たまにはエルネスト様を誘ってみてはいかがでしょう? もちろん、ソフィア様がよろしければ、ですけども」

「そうね! せっかくだしお声かけしてみようかしら。お仕事が忙しくなければ良いんですけれど」

「忙しければ自分でなんとかなさるでしょう」


 ソフィアがチケットを手に執務室へと赴けば、エルネストが何とも言い辛い表情をしていた。

 精霊がまた何かイタズラを、と思ってソフィアが目を凝らせば、アライグマらしき姿の精霊がエルネストの前で踊っていた。

 ふりふりと揺れる尻尾にお尻は可愛いものだが、エルネストの態度を見る限りは良い効果は期待できなそうである。


(……気が散るとか、もしくは目が疲れるとかそんな感じかしら)


 近づいたついでに追い払えば目をぱちくりさせたエルネストに見つめられたので、何かを尋ねられる前に観劇の話題を切り出した。


「観劇に突然誘っちゃって、ご迷惑でしたか?」

「いや、」

「そんなことないですよ! エルは恥ずかしがってるんです」


 エルネストが弁解する前に、何故か事務仕事の手伝いをしていたルーカスが答えた。ニヤニヤした笑みをエルネストに向ける辺り、エルネストが変な顔をする理由に心当たりがありそうだった。


「えっと、お仕事が忙しいなら私一人でも、」

「駄目だ」

「いやいやいやいや。エルは恥ずかしがってるだけで、お嬢との観劇なら仕事をほっぽり出してでも行きたいよな?」

「……ルーカス」

「でも見ようによってはチャンスだろ? 何しろ自分がモデルの劇なんだし、エルのカッコよさをアピールするチャンスじゃないか!」

「エルネスト様がモデル?」


 繰り返すように呟いたソフィアに、ルーカスが満面の笑みで頷いた。


「そうそう! 自分も参加した戦でしてね。奇襲を受けて一度撤退することになったんですけど、エルは近くの村にいる住人を避難させるって言い出して」

「国民を守るのは騎士の役目だ」

「最終的には逃げ遅れた女の子を担いだまま走って、矢を斬り払って追手も撃退っていう大活躍をしたんですよ! 女王陛下からも叙勲されて、吟遊詩人もこぞって取り上げてました!」

「すごい……エルネスト様! ぜひ観てみたいです!」


 目を輝かせたソフィア。

 断れなくなってしまったエルネストは、苦笑を浮かべながら観劇を了承した。


「ルーカス。俺が観劇している間に書類仕事は進めておけよ」

「ヴェッ!?」

「お前が焚きつけたんだから当たり前だろう」

「いや、これはシトリーが、」


 言い訳が始まったところで、そばに控えていたシトリーの視線が鋭くなる。

 ルーカスはシトリーとエルネスト、そして山積みの書類を見比べた後にガックリと肩を落とした。


「……鋭意、努力します」


***


 劇は評判になるのも当然、と思ってしまうような出来栄えだった。

 オーケストラを使った生演奏に天井を通した綱を使っての派手な空中アクション。自国の王子を題材にした英雄譚というだけでも人気が高いのに、複数の団員を用意しての早着替え、観客が観ている前でのどんでん返しなど趣向が凝らされていた。

 とはいえ、エルネストの表情は渋い。

 途中、三回ほど精霊にちょっかいを掛けられたのが原因ではなく、脚色が派手過ぎて納得できないのだ。

 さすがにどんな銘剣を振るおうとも離れたところにいる敵を斬り伏せることはできないし、そもそも一振りで100人も斬れない。

 さらに言えば、エルネストが助けた女の子は四歳だか五歳だった。

 舞台の中央で愛の歌を奏でるヒロインとは似ても似つかない存在である。


(……そもそも俺が持ち上げた瞬間に気絶してたしな)


 戦場で気が立っていたエルネストの怖さで気を失い、部下に引き渡すまで一切目を開けなかったのでロマンスどころか会話すらなかった。

 血なまぐさい戦場を見ずに済んだのはある意味幸運だったかもしれないが、現実はそんなものなのだ。

 歌が終わり、ヒロイン役の女性がエルネスト役の男性と熱い抱擁を交わす。


 いわゆる大団円だ。


 観客たちは総立ちになり、万雷の拍手が降り注いだ。

 憮然とするエルネストの横でソフィアも一生懸命に拍手を送っていた。その瞳が潤んでいるのをみて、少しだけエルネストの表情も緩む。

 どこかの不埒な部下とは違い、エルネストをからかったりしないのは分かっていたし、純粋に楽しんでもらえるならば悪いことではないか、と思い直したのだ。


「どうだった?」

「素敵でしたっ! エルネスト様すごいです!」

「……あくまでもモチーフだ。あれは俺じゃないぞ」


 念のために注意すれば、ソフィアは首をかしげる。


「でも、実際にあったことが元になっているんですよね?」

「かなり脚色されている。弱くはないつもりだが、さすがに100人も200人もいる敵を一振りで薙ぎ払ったりはできない」

「それは分かってます」

「人を抱えたまま兵士の頭より上に跳ぶのも難しい」


 舞台裏で引っ張り上げる者がいたおかげで、舞台上のエルネストはヒロインを抱きかかえたまま端から端まで一跳びにする超人となっていた。

 真面目に解説を入れるエルネストに、ソフィアはくすくす笑った。


「じゃあ、本当はどんな風だったんですか?」


 答えに窮していることに気付いたのか、ソフィアがもう少し具体的な内容を問う。


「たとえば、人を抱えたまま戦ったっていうのは」

「それは事実だ。まぁ逃げながらだけどな」

「充分すごいです!」


 目を輝かせて憧憬の眼差しを送るソフィアを見て、やや面映ゆい気持ちになる。本来ならば自慢するようなことはしないのだが、ソフィアが聞きたそうにしていることもあって口が軽くなっていく。


「あとは『魔王』って呼ばれているのも事実だな……遺憾だが」

「騎士団の方にも呼ばれてましたもんね」

「辞めさせたいんだが、『敵をビビらせるのにも効果ありますから』と言われてな」

「確かに。私を狙った人攫いも、怖がって逃げ出しましたもんね」


 二人で馬車に乗り込むが、ソフィアのテンションが妙に高い。


(そんなに観劇が楽しかったのか)


 ニコニコしながら歌や劇のことを話すソフィアに違和感を抱き、エルネストは彼女の横に座り直した。彼女の額に手を当てる。


「えっ? あっ? あの……?」

「……熱があるな」

「辛くないですよ? ちょっとあっついような、寒いような感じがするだけです」

「体調がおかしいのには気付いていたんだな。すぐ家に帰って休むぞ」


 エルネストが少し触れただけですぐ分かるほど発熱していた。

 家に帰り、大慌てでシトリーに看病の準備を指示する。歩けると豪語しながらもふらつくソフィアを見て、エルネストは彼女の体を抱き上げた。

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