第26話 看病

「きゃぁっ!」

「静かに。力も抜いて良い。ベッドまで運ぶから、大人しくしなさい」

「じ、自分でできますっ! それに重たいので!」

「重くなんてない。戦場で抱えた子どもより軽いくらいだ」


 思わず悲鳴を上げたソフィアだが、エルネストは普段と変わらない足取りでソフィアの部屋へと向かう。


「立っているだけでも辛かっただろう?」

「いえ。朝からあっついなーとは思ってましたけれど、辛くはなかったですよ? なんか妙に元気でしたし楽しかったです」

「それは熱に浮かされただけだ。何でそんな日に観劇なんて」

「だって……それが私の仕事ですから」


 仕事、という言葉にエルネストの心がささくれ立った。頭痛に悩まされていた時と同じくらい深いしわが眉間に刻まれる。

 精霊の影響が薄いソフィアでさえ、怖いと思ってしまうような表情である。

 ベッドにソフィアを寝かせたエルネストは、当たり前のようにソフィアのブーツに手を掛けた。


「ま、まって! 待ってください! 自分でできます!」

「駄目だ。寝ていなさい。ーー今はそれが仕事だ」


 強い口調で言い切られて紐が解かれていく。男性に靴を脱がされる経験などしたことがないソフィアはドギマギしてしまう。異性にーー父も含めてーー素足を見られたり、あるいは触られることなど無かった。


(か、顔が近いです! 熱が、熱が――――――!!!)


 羞恥か、体調不良か。どちらかは分からないものの顔に熱が集まるのを感じた。ブーツを脱がされた彼女はそのまま上掛けを掛けられる。あとは何もすることなど無いはずなのに、エルネストはベッド脇に腰掛けてソフィアを見つめていた。

 当然ながら、そんな状況で眠れるはずもない。


「何か飲み物は? 食べられそうなものはあるか?」

「いえ……大丈夫です」

「大丈夫な訳あるか。少し待っていなさい」


 エルネストが用意してきたのはフルーツの盛り合わせと水差しだった。

 一口大に切られたそれをフォークで取り上げ、ソフィアへと差し出す。

 エルネストの背後に控えるシトリーがにんまりと笑っていることに気付いたソフィアは、上掛けをすっぽりと被って拒絶した。


「む、無理です……!」


 エルネストに食べさせてもらうと考えただけでもくらくらした。その上、それが誰かにに見られた状態だなんてとてもじゃないけれども我慢できそうになかった。


「少しでも栄養をつけないと」

「えっ、あっ、きゃっ」


 エルネストはソフィアを上掛けごと持ち上げた。ローブ

 そのまま膝に乗せるように抱きかかえ、改めてフォークを差し出した。


「ほら、少しで良いから食べて。あーん」

「あ、あーん……」

「そう、良い子だ」


 エルネストに抱き上げられたことで碌に味も分からないままに咀嚼し、飲み込んだ。 


(私が今食べたのは何!? 本当に食べ物だった!?)


 緊張のあまり食感すら分からず混乱するソフィアに、二口目、三口目と次々にフルーツが差し出される。為されるがままに流されたソフィアが小さく咳をすれば、エルネストが自らのおでことソフィアのおでこを近づけた。

 コツン、と触れ合ったところで黒曜石の瞳がソフィアをまっすぐに見つめた。


「熱、上がってるじゃないか」

(だ、誰のせいだと思ってるのよ――!?)

「寒いか? 暑いか?」

「ええっと、」


 暑い、と答えようとしたソフィアの目に飛び込んできたのは、水が張られた桶と手ぬぐいだ。シトリーが用意したそれは額に当てて熱を取るためのものだが、


(もしかしてあれで体を拭かれたり……?)


 熱に浮かされたソフィアは、エルネストに体を拭かれる想像をしてしまった。

 とっさに嘘を吐く。


「さ、寒いです!」

「そうか。じゃあ温める」

「えぅっ!?」


 上掛けごとぎゅっと抱きしめられる。

 エルネストの香りがソフィアの鼻腔をくすぐった。


「えぁ、えっと……?」

「まだ寒いか?」

「その」

「力を抜いて、楽にして」


 優しくも、力強いエルネストの抱擁。


「……きゅう」


 ソフィアが限界を超え、熱で目を回してそのままくたりと倒れた。


***


 朝、目を覚ましたソフィアは自分の身体が随分とスッキリしていることに気付いた。

 あのまま意識を失ったソフィアだが、たっぷり眠ったことで熱は下がったらしい。きちんとベッドの中にいたので身を起こせば、すぐそばまで引っ張ってきたらしいソファで眠るエルネストがいた。


「おはようございます、ソフィア様」

「シトリー……えっと、この状況は?」

「あの後、眠ってしまわれたソフィア様を案じてエルネスト様が寝ずに看病をすると言い始めまして」


 騎士団長としての仕事が溜まっているのは無視するつもりだったらしい。徹夜で、となれば翌日にも響くし、何よりも困るのはソフィア自身である。

 エルネストが部屋の中に陣取っていては着替えや汗の始末もできない。


「仕方ないので睡眠薬を一服盛りました」

「えっ」

「では、朝食の準備をして参りますね」


 主人に一服盛る。

 信じられない行動にソフィアが固まっているうちに、シトリーはさっさと逃げ出してしまった。仕方なしに眠っているエルネストを観察すれば、ネズミの精霊が笑いながらエルネストの頭の上で複雑なタップを踏んでいた。


(ネズミの精霊にちょっかいを出されるとどうなるんだったかしら)


 見覚えがあるもののいまいち思い出せないまま、ソフィアは精霊を追い払う。

 同時にエルネストの目がぱちりと開いた。


「おはよう、ソフィア。具合は?」

「すごくスッキリしてます」

「なら良かった。寝ている俺に近づいて、何か悪戯でもする気だったか?」

「ち、違います!」


 否定してから、すぐにからかわれていることに気付く。

 優しげな笑みにじんわりと胸の中が満たされていくようだった。


「ずっと看病してくださってたんですね。ありがとうございます」

「……途中で寝てしまったけどな」


 面目ない、と気まずそうなエルネスト。

 まさかシトリーに一服盛られたせいだ、と伝えるわけにも行かず、ソフィアは勢いで押し切って誤魔化すことにした。


「それでも嬉しかったです! 何か私にできることはありませんか? お礼がしたいです!」

「お礼か」


 目を細めたエルネストが笑みを深める。

 貴公子のような笑みから、いたずらっ子のような笑みに変わった。


「それじゃあ、好物のヘーゼルナッツを――」

「だ、駄目です!」

「昨日俺がやったみたいに、果物をあーんって――」

「む、無理ですっ!」


 真っ赤な顔で拒否するソフィアに、エルネストは声をあげて笑う。


「冗談だ。……そうだな。俺が同じように具合が悪くなった時に、看病してもらえると嬉しい」

「そんなことで良いんですか?」


 エルネストの体調が思わしくないとなれば、シトリーを筆頭に世話を焼こうとする人間はたくさんいるはずだ。

 もちろん竜の威圧によって近づけない者もいるだろうが、ルーカスたち騎士団員なら兵器だろう。


(すごく慕われてたもの。エルネスト様が具合を悪くしたら、こぞってお見舞いにくると思うけれど)


「どうしたの?」

「いえ。エルネスト様の具合が悪い時は騎士団の方々がお見舞いに来るだろうな、と。シトリーもいますし、看病は必要ないような気がして」

「ソフィアは分かってないな」

「え?」

「シトリーは忙しいからって放置するだろうし、騎士の務めは平和を守ることだ。俺がいないときはより一層気合を入れるように指導してる」


 騎士団長の鑑ともいえる発言だが、それに、と付け加えられた。


「具合が悪い時に眺めるなら、むさ苦しい男の顔よりも可愛いご令嬢の方が嬉しい」

「かっ、!?」


 思わず言葉に詰まるが、エルネストの猛攻は止まらない。


「それに、寒いときは添い寝してもらえば抱きしめて暖まれる」

「だっ、そっ、えっ!?」

「ヘーゼルナッツは栄養満点だと聞くしな」

「えええええ!?」

「冗談だ」


(どこから!? どこからが冗談なんですかーー!?)


 心の中で悲鳴をあげたソフィアだが、一晩中看病してくれていた事実は変わらないし恩返しがしたいのも本音だ。

 せっかく下がった熱がもう一度あがりそうなくらい恥ずかしいけれども、何とか言葉を絞り出す。


「ご、ご希望に添えるかはわかりませんけども、もしもの時は看病がんばりますね」

「楽しみにしている。……添い寝もな」


 ソフィアは逃げるように上掛けを頭からかぶった。


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