第24話 エルネスト/メアリ
「ソフィアの部屋から、話し声がする?」
「はい。誰もいらっしゃらないはずなのですが、確かに会話をするような声です」
エルネストの執務室。
羊皮紙の束に埋もれたエルネストに、シトリーがソフィアのことを報告していた。
「精霊の御子である可能性を考えております」
思わずペンを止めてシトリーを見れば、そこには真剣な表情の侍女長がいた。
切れ者で要領も良い部下が、ついに真実に到達してしまったのだ。
(……さすがに隠しておくのは厳しいか)
諦めを滲ませながらも、悪あがきをする。
エルネスト自身も理由を説明できないが、彼女自身が言い出すまでは精霊の御子だと断定したくなかった。
「……精霊の御子。本気で言っているのか?」
「はい。そうでなければわざわざ相談しませんよ」
シトリーの言葉にエルネストは頭を振った。そのまま羽ペンを置いて椅子にずぶりと沈み込む。
「……黙っていることは?」
「出来ませんね。国の法律ですから」
「だろうな」
冗談のようにしか聞こえない話だが、エルネストにも思い当たる節があった。
自らの頭痛を取り除いたときのソフィアだ。『ゴミがついている』と取って付けたように言い訳をしていたが、実際には触られた感触などなかった。
そして、彼女が動いた直後に消えた、長年の頭痛。
脚のこむら返り。
手の違和感。
他にも、ソフィアは出会う度にさっと払いのけるような動きをして、その度にエルネストが感じていた不快感が消えていた。
最早疑いようもなく、ソフィアが何かをしたと確信している。
しかしエルネストはソフィアを手放したくなかった。
一度宮殿に入ってしまえば、伴侶でない限りは自由に会うことすらできない。
否、伴侶ですら制限が付けられるというのが実状だ。精霊の御子が親しい人のわがままに振り回されないように。
強大な力を個人の私利私欲のために振るわないように。
精霊の御子としての力を狙った何者かにつけ込む隙を与えないよう。
御子を守るための『宮殿』だが、それは同時に御子を閉じ込める牢獄でもあった。
「……少し時間をくれ」
エルネストは書類仕事を全て投げ出して思案を始めた。
たった数日の内にソフィアの存在はかけがえのないものになっていた。彼女の声を聞きたくなる。彼女の顔を見たくなる。彼女に触れたくなる。
初日、ソフィアの髪に口付けたのが嘘のようにエルネストは緊張してしまうようになった。誰にも抱いたことのない感情に、エルネスト自身も戸惑っていた。
「……若様。やはり、お好きなのですね」
シトリーの言葉が腑に落ちた。
すとんと入ってきたそれは、今まで呼び名の無かった自分の感情に相応しいものだった。
(そうか……俺は、ソフィアを好きだったんだ)
今までも、何度か婚約の話を持ちかけられたことがあったが、相手を見ても何とも思わなかった。
体調不良や煩わしさ、そして『自分と婚約するメリット』ばかりを考える相手にうんざりして全て断っていたのだ。
それが、自分でさえ驚くほどソフィアに惹かれている。
(こんなにも人を好きになれるとはな)
彼女を失うことなど、決して考えられなかった。
「ソフィア」
口をついて出た名前は、誰にも聞かれることなく空気に溶け消えた。
***
「もう、本当に最悪。どうなってるのかしら」
箱馬車に揺られながら、メアリは不満げに呟いた。父であるセラフィナイト伯爵がそれを宥めるが、彼女の気持ちが晴れることはない。
「お父様が是非にって言ったからわざわざ足を運んだのに、売れませんってどういうことなのよ! 私が買ってあげるって言ってるのに!」
「王族が予約を入れていたのだ。仕方ないだろう」
メアリが訪れたのは、王都でも一番有名な洋服店だ。
貴族ならば知らぬ者がいないほどの店で、王族ですら重用すると言われてデビュタントに向けた素敵なドレスが手に入ると息巻いていたのだ。
ところがふたを開けてみれば、その店でしか取り扱いのない貴重な布は在庫分も、これから生産される分も全てを王族が予約済みなのだという。
その布地が全財産をはたいても買えないものだと知った伯爵は買えなかったことに安堵すらしていたが、メアリにそんなことを言えるはずもない。
「私が着るはずだったのに!」
「そうだね。その代わり、宝石店では好きなものを買ってあげよう」
「本当? 約束だからね!」
「もちろん。それに、王族がその布地を集めているならば、メアリを見て気に入った王族がプレゼントしてくれるかも知れないね」
何の気なしに言った言葉だが、メアリにとっては当たり前にすとんと落ちる言葉だった。
「そうね、確かにその通りだわ。プレゼントしてもらえば良いんだ」
「第一王子のアルフレッド様はすでに婚約されているはずだが、第二王子はまだだったはずだ。身体が弱いとのことであまりパーティには出席されないが、会えれば良いな」
会えれば。
メアリを一目見れば。
それだけでメアリに夢中になるはず。
メアリもセラフィナイト伯爵も、大真面目にそう考えていた。
「んー……でもそうしたら、宝石はドレスに合わせたものが良いかしら?」
「はははっ。何を付けてもメアリの方がずっと綺麗なんだから、好きなものを選びなさい」
「はぁい。楽しみだな」
にっこり笑って外を眺めたメアリ。
馬車が行きかう大通りを進む内に、すれ違った馬車に信じられないものを見た。
すなわち、ソフィアの姿だ。
「……お姉さま?」
「ん? どうしたんだい?」
「今すれ違った馬車に、お姉さまが乗っていた気がしたの」
メアリの言葉に、伯爵は眉を寄せた。
「メアリには姉なんていないよ。……家出なんてしおって、家名に傷でもついたらどうするんだ」
「でも、」
「聞き分けなさい。メアリの評判まで落ちることになるんだよ? ソフィアはもう他人だ。貴族院にもお願いして、正式に籍からも抹消した」
父に窘められて大人しく座り直したメアリだが、心の中で出奔した姉に想いを馳せた。
(まったく。せっかくお父様が修道院を用意してくださったのに家出なんて。人を困らせて何がしたいのかしら)
生まれてからずっと自分が世界の中心にいたメアリには、ソフィアの苦悩などわかるはずもない。メアリの役に立てるチャンスをふいにしたソフィアを心の中で
(お父様もお母様も、屋敷のみんなだってこんなに優しくしてくれるのに。注目されないのがそんなに不満?)
布の幌が張ってあるだけの馬車ならばともかく、メアリが見たのは自分たちと同じ箱馬車であった。
それはつまり、誰かしら貴族と関わりがあることを示している。
(だったら、私みたいに可愛くなればいいのに。まぁ、それができないからお姉さまは誰からも注目されないんでしょうけど)
悪意はない。
無邪気なメアリは、彼女なりの論理でソフィアの気持ちを推測していた。
(問題を起こせば注目してもらえると思った? 残念でした。お父様が愛してるのは私だけ。屋敷のみんなだってそう。お姉さまがいなくなったのに気付いたのだって、修道院のお迎えが来てからだもの)
馬車が宝石店に近づき、速度を落とした。
「さぁ、着いたよ」
父に手を差し伸べられ、メアリは軽やかに馬車から降りる。
(まぁ、何か役に立つことを示してくれるなら私がお父様に執り成してあげれば良いか。どうせいても邪魔なだけだったし)
父の怒りを鎮めるのはいつもメアリだった。
実際はメアリのわがままに起因することで理不尽を強いられたせいなのだが、少なくともメアリはそう思っていたし、ソフィアを救ってやっているとすら考えていた。
誰もがメアリを好きになってくれたし、大切にしてくれる。
それができない者はつまはじきにされても仕方ないし、できるように心を入れ替えるべき。
傲慢な思考の元でソフィアに何をさせるか考えていたメアリだが、宝飾店でもとびきりの逸品を勧められ、ご満悦でそれを買うことに決めたのだった。
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