第16話 デート

 石畳の上を馬車が進む。

 エルネストのお誘いに応じてのデートである。といっても御者は副官のルーカスだし、箱馬車の中にはシトリーも乗っている。

 要するにエルネストの屋敷と何も変わらない。


『だから緊張しなくて良いのよ、って朝から何度も言ってるでしょうに』


 トトに呆れを含んだ視線を向けられたが、ソフィアはそれすら耳に入らないほどガチガチだった。

 何しろ父親以外の男性と買い物に行くのは人生初なのだ。

 それもメアリのついでではなく、ソフィアのための買い物である。


(小さな子供みたい……すごくドキドキする)


 落ち着きなく外を眺めるソフィアを、エルネストは優しげな瞳で見つめている。ちなみに今日の服装は騎士団の官服に近いものだが、れっきとした私服だ。

 かっちりした服装が似合うというのも間違いないが、ソフィアと出会うまで激しい頭痛に悩まされていたエルネストはオシャレのために服を選ぶ余裕がなかったのだ。

 結果的にルーカスやシトリーに命じてそれらしい服を見繕ってもらうに留まっていた。それでもエルネスト専用に仕立てられたと言えば納得してしまうほどに似合っているが。


「楽しみか?」

「えっ、はい! ごめんなさい、落ち着きがありませんでした。不愉快でしたか?」

「そんなことはない。ソフィアが喜んでくれるなら俺も嬉しい」


 エルネストのにこやかな笑みは、何も知らない女性がみれば一発で蕩けてしまいそうなものだ。

 一方で普段を知っているシトリーからすれば別人レベルのものでもある。

 御者として外で馬を操っているルーカスや騎士団の面々が見れば天変地異の前触れだと逃げ出す可能性すらあった。

 そうとは知らないソフィアは、エルネストの眩しさに視線を逸らしながらも自分のお役目を真っ当しようとしていた。


「ええと、今は無理なさなくて大丈夫ですよ? ほら、人目もありませんし」

「ぷぷっ……ソフィアお嬢様。若様は普段の言動もなっていないので、こういうところから頑張らねばならないのです」

「まぁそういうことだ。不満かも知れないけれど、恋人だと思って楽しんでもらえると嬉しい」


 大通りに店を構えた大きな洋服店に足を踏み入れれば、やはり女性のお針子が何人も待ち構えていた。


「お待ちしておりました」


 エルネストが貸し切りにしていたらしい店の中で、あれよあれよという間に洋服が積み重なっていく。

 お忍び用のシンプルなワンピース、と言われてソフィアは平民向けのものをイメージしていたが、実際に渡されるのはどれもこれも一目で高級だと分かる品ばかりだ。

 貴族向けにしては大人しいデザイン、といったところだろうが、平民でこれを着られるのはよほどのお金持ちくらいだろう。


「えっと、これがお忍び用ですか……?」

「ああ、もちろん。市井に降りるのであれば、ここで買う貴族が大半だ」


 エルネストの断言に、店員がことばを付け加えた。


「お忍び、と申しましても上位貴族ともなれば隠れて護衛がつきます。多少は華美にしておかないと見失いやすくもなりますし、街の人間も見分けられませんから」


(護衛はともかく、街の人にまで見分けられちゃっていいの……?)

 伯爵家では護衛どころか侍女すらまともにつかないことの多かったソフィアが首をかしげる。


「『今はお忍び中です』って分かる服装であれば、下手にナンパして護衛に睨まれたりもしませんし、少しばかり貴族らしい言動があっても笑って流してもらえるんですよ」


 貴族側が厄介ごとを避けるためにも必要な措置だし、平民からもしても貴族と知らずにつっかかっていき不敬罪で逮捕、なんてことにならないための配慮でもあった。


「誘拐や人攫いに狙われた時も目撃証言が多く取れるから、下手に紛れるよりも安全なんだよ」

「なるほど」


 騎士団の長を務めるエルネストに言われれば、納得の理由であった。


「そういえば、ソフィアを誘拐しようとした者達だけど、全員捕まえたよ。北部を通って国外へと運ぶルートも吐かせたから、このまま芋づる式に人身売買組織そのものを壊滅させられそうだ」


 ソフィアのおかげだ、と礼を告げるエルネストだが実際はエルネストが凄まじい手腕で追い詰めただけである。

 ワンピースを何枚かと、それに合わせられそうな帽子を見繕ったところでソフィアが試着室に案内された。採寸のための針子と、着替え手伝いや監督を兼ねたシトリーがついてきてくれたので一安心だ。


「さて、まずはこれですね」


 渡されたワンピースに着替えながら、細かいシルエットの変更や丈調整のためにチョコチョコと印を付けられていく。

 あっという間に用意された服の採寸が終わってしまった。

 元の服に着替えようとしたところでシトリーから待ったが掛かる。


「今準備させていますので、少々お待ちを」

「準備?」

「はい――ああ、来ましたね」


 針子が運んできたのは白を基調としたAラインのワンピースだった。腰の辺りを細いベルトで留めれば、全体がフリルのようにみえる可愛らしいデザインだ。

 オフショルダーになっているものの、フリルがあしらわれた首回りや肩のお陰で露出が多くみえないし、フリルやドレープには透け感があってなんとも軽いイメージである。


「えっと?」

「若様の指示です。昨日採寸したときの数字を手紙にしたため、すぐに着られるように一着素敵なものを仕上げて欲しい、と。今日のデートの記念に何かプレゼントをしたかったようですね」


 シトリーは言葉が出ないソフィアの表情を窺った。


「もしかして、お好みには合いませんでしたか?」

「いえ! 違います!」


 必死の否定に、シトリーどころか針子たちの表情も緩んだ。


(プレゼントをもらうなんていつ以来だろう)


 胸の内が温かなもので満たされていくのを感じた。

 差し出されたワンピースに袖を通せば、今までに着たどんなドレスよりも特別なものに思える。用意された鏡の前でくるくると回り、ふわりと舞うフリルを見る度に笑みが深くなっていく。

 小さな子供のようでもあったが、見ていた周囲の者ですら嬉しくなってしまうような喜びようだった。


「ぜひともエルネスト殿下に見せてあげてくださいな。お嬢様の喜びようをみれば、きっと殿下もお喜びになられます」


 針子にからかわれるまで、時間も忘れてくるくると回っていた。


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