第15話 執務室にて

「遠慮、か」


 夕食を終えてシトリーやお針子からの報告書を読んだエルネストは、執務室で一人考え込んでいた。

 そもそもエルネストがソフィアを雇用したのは、彼女が精霊の御子かどうかを確かめるためだ。

 エルネストに寄せられたのは、夜虹絹やこうぎぬのみならず、プレゼントと説明したドレスを借りることにしたという話だ。

 仮にソフィアの目的が詐欺であれば、遠慮したフリをしていても高価なドレスや宝飾品をわざわざ『借りた』ことになどしないだろう。ましてやシトリーはソフィアへの贈り物だと言っているのだ。


(金銭目的ではないな)


 エルネストはシトリーの感覚を信頼していたし、そもそも自分の目から見てもソフィアにそういう気配は感じなかった。

 騎士という役職柄、欲望を秘めた人間の気配には敏感だ。

 そのエルネストにもまったくといって良いほど感じられないのだから、ソフィアは限りなく白と言えた。


 とはいえ、だ。


(……手に走った妙な痺れが消えた)


 食事時に感じた不快な痺れ。何も言っていないのにそれに気付いたソフィアは、手でさっと払うような仕草を見せただけで消して見せた。まるで、そこにいた何かを追い払うかのように。


(……やはり精霊の仕業、か……?)


 疑念は増す。

 医者には治せなかった長年の頭痛。脚のこむら返り。手の違和感。

 それらが消える直前には、ソフィアが手を伸ばすような仕草をしていたのではなかったか。

 思い返すのはエルネストが七歳、頭痛が一度だけ消えたときのことだ。


 義母に付き添われて向かったのは厳重な警備の敷かれた『宮殿』。豪華ながらも冷たい印象のあるその最奥で、とある老婆と面会したのだ。

 老婆は、名前をリディアといった。

 長年患っていた頭痛を消してもらうため、エルネストと義母は精霊の御子の元を訪れたのだ。

 しかし、リディアは苦しむエルネストを見て頭を撫でただけだった。


 精霊と会話をするわけでもなければ、精霊に何かを頼むでもなかった。


 たったそれだけのことでエルネストの頭痛を消した御子は、酷く悲しそうな笑みを浮かべた。


(リディアのしたことが、『精霊を追い払った』のだとすれば)


 追い払うのならば声を掛ける必要はないのかもしれない。

 そこまで思い至ったエルネストは、心の中ではすでにソフィアを精霊の御子だと確信し始めていた。

 とはいえ、ソフィアは自らを精霊の御子だと匂わせるようなことをしていない。

 それはつまり、


(……精霊の御子だとは思われたくないってことか)


 は、と短く溜息を吐くとこめかみを揉んだ。頭痛は治っているが、その仕草がすでに癖になっているのだ。

 それほどまでに長年の悩みだった頭痛を消してくれた恩人の意に添わぬことはしたくない、というのが本音だ。

 執務室の隠し戸棚から上等なブランデーとグラスを取り出して注ぐと、それを舐めるように飲んだ。


 王族のみならず、貴族には義務がある。

 『貴族憲章』と呼ばれるその法律は貴族や王族の専横を許さないためのものだが、その中に『精霊の御子を見つけた者は速やかに報告すること』や『御子は宮殿にて手厚く保護すること』などが定められている。

 本来ならばそのためにソフィアを家に招き入れたはずだった。疑念だったから報告しなかっただけである。

 しかし、確信に変わりつつある手応えを得てなお、エルネストは動けなかった。


(……彼女の笑顔を、曇らせたくないな)


 自身をみる真っ直ぐな眼差しも。

 コロコロと変わるその表情も。

 穏やかで透明感のある声も。


 エルネストが国のためにソフィアを差し出したとなれば、永遠に失われるだろう。


(……もう少し。もう少しだけ確信を持ってからにしよう)


 エルネストは、自らの中に生まれた感情の名をまだ知らない。

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