第17話 『魔王』
一方、ソフィアたちが試着室に向かった後の店内は修羅場の様相を呈していた。
待合用のテーブルに羊皮紙を広げたエルネストがとんでもない勢いで書類を整理し、サインをしたりそのままルーカスに突き返したりしているのだ。
「こっちの備品申請は却下だ。安いのは分かるがドウラン商会は粗悪品が多い。あとこっちは計算ミスだな。もう一度数え直すように伝えてくれ」
「では、別の商会に見積を取らせますね」
「ああ。これとこっちのはそのまま承認する。あと有給申請も一応は通した。ルーカスも人員の偏りがないかはチェックしておいてくれ」
羊皮紙の束が減る度に次の束が用意されるが、エルネストは表情一つ変えることなくそれを消化していく。
ソフィアと過ごす時間を捻出するために仕事をとてつもない勢いで片付けているのだ。
適当に流しているわけではない。
その証拠に数字のミスや商会の選定ミスなども全て突き返されている。
一応はルーカスがチェックした後だが、それでも抜けた部分を平気な顔で見つけられるのはきちんと書類を読んでいる証拠だった。
「……変に口説くより、こういうところをソフィア様に見せた方がずっと良い気がするんですがね」
ボヤいたルーカスに、鷹のような鋭い眼光が突き刺さる。
「デート中に仕事をするのはソフィアに失礼だろう。それほど野暮でもなければ、無能でもないつもりだ」
無能が団長に昇り詰められるほど騎士団は優しくない。
その上、本来ならば事務仕事を担うはずの文官や事務員の多くがエルネストのオーラに負けて退職しているため、決して一人で消化できる量ではないはずなのだが、そのことは考えないつもりらしかった。
「……よし、ここまで片付けたら残りはまた後でだ」
「了解。ソフィア様が戻られる前にきれいに片付けておきます」
片付けを始めるルーカスをよそに、エルネストは手についたインク汚れを拭きとって紅茶を飲み始める。
仕事をしていた素振りを徹底的に隠すつもりなのだ。
ほどなくして、エルネスト達のもとにソフィアが戻ってきた。
プレゼントしたワンピースを身にまとった彼女は、少しだけ上気した頬でエルネストを見つめる。
「お待たせしました……あの、ありがとうございます」
扉から出てきたソフィアを見たエルネストは、手に持っていた紅茶のカップを置くことすら忘れて見つめてしまった。
清楚なワンピース姿で凛と立つソフィアは、まるで白百合のようだった。清楚ながら華やかで、香りまで漂ってくるかのようだった。
(贈り物をして良かった……普通のワンピースでさえこれならば、ドレスを着たらどれほど素敵だろうか)
「あの……変、ですか?」
「そんなわけない! よく似合っている!」
力強いエルネストの断言にソフィアはほっと胸を撫でおろす。
「折角だからその服に似合う宝飾品と靴も贈らせてほしい」
「ありがとうございます。嬉しいですけど、買ってもらってばかりで何だか申し訳ないです。あの、これもお借りするということでーー」
「俺のワガママに付き合わせているんだから、遠慮なく受け取って欲しい。ソフィアが要らないならば処分する」
「そんな! こんなに素敵なのに!」
「なら、貰ってくれ」
エルネストとしては、はにかむソフィアを見れただけでも収支はプラスだった。むしろ貰いすぎで心苦しい、まである。
恥じらいと喜びに頬を染めたソフィアとエルネストが見つめ合う。
いつになく良い雰囲気にエルネストの鼓動が早まっていく。
――と、同時。
「し、失礼します! 団長、助けてください! 団員たちが喧嘩を――」
来店を告げるドアベルの音とともに一人の騎士が転がり込んできた。
***
「……本当に済まない」
「お気になさらないでください! 騎士団の仕事は国を守る大切な仕事です。私も助けていただきましたし」
「……止めてくる。なるべくすぐ戻るから待っていてくれ」
数十回目になる謝罪が終わった辺りで、馬車が騎士団の詰め所へとたどり着いた。エルネストとしてはソフィアを騎士団に近づけることすらしたくなかったのだが、こればかりはソフィアが譲らなかった。
『練習相手とはいえ、私は婚約者なんですよね? だとしたら、エルネスト様の差配する騎士団も見てみたいと思うはずです』
まっすぐにそう言われてしまえば、断ることも難しかった。
奥に修練場を構えた大きな建物にたどり着くなり、エルネストは馬車から降りた。
入ってすぐのところで二人の騎士が取っ組み合いの喧嘩をしていたが、エルネストを見て掴みあったまま固まる。
一人は頬に大きな傷のある男で、もう一人は赤毛を短く刈り込んだ男。
どちらもエルネスト自身が見出して騎士に引き上げた元平民である。腕っぷしもあり、正義感も強い。二人の喧嘩を止められる者もなかなかおらず、結果的に他の騎士は取り囲むだけで手を出しあぐねていた。
胸倉をつかみ、拳を振り上げる二人のすぐ近くに馬車が止まった。
不在のはずだったエルネストの登場に、取っ組み合いをしていた二人どころか周囲にいた騎士でさえもが固まる。
長年の勤務や訓練で慣れているとはいえ、常人であれば震えが止まらなくなるようなオーラが漏れ出ていた。
――まさに魔王の降臨だった。
「何をしている」
一言呟いたところで、取っ組み合いをしていた二人が姿勢を正した。正さざるを得ないだけの覇気が存在していた。
「「申し訳ありません!」」
異口同音に言ったことに気付いたのか、互いに睨み合おうとするが、目の前にいる魔王がそれを許さなかった。
「何をしている、と聞いた」
話を聞いてみれば、単純なことだった。
想いを寄せていた女性に振られた赤毛の男を、もう片方がからかった。それに言い返すうちに普段の勤務態度や模擬戦での強さなどに言及しだしてヒートアップして手が出たのだった。
既にエルネストのオーラに当てられ、二人とも戦意は喪失している。
「俺が指揮する騎士団は勇壮で理知的なものだと信じていたが、どうやら野蛮な奴も混ざっていたようだな」
「も、申し訳ありません!」
「つい、怒りに我を忘れて、」
「市民を守る騎士が怒りに我を忘れるなど、言い訳にもならん。訓練用の剣を持ってこい」
エルネストは言いながらこきこきと肩を鳴らした。
「どっちが強いかなどと比べずとも、俺が教えてやろう。――2人ともまだまだだ」
何が起こるのかを知っている団員たちは可及的速やかにエルネストの命令に応えた。
すなわち、訓練で使用する木剣をエルネストに差し出し、騎士二人にも握らせたのだ。防具を装備している騎士とは違ってエルネストは普通の服装なのだが、差し出された防具を断ると木剣を構える。
「時間が惜しい。2人で掛かってこい」
冷徹な視線とともに剣を突きつけたエルネストに、空気が変わった。
弾かれるように立ち上がった二人は先ほどまで喧嘩をしていたとは思えない連携でエルネストに襲い掛かる。
しかしエルネストは二人の切っ先を撫でるようにずらし、避けることすらせずに外させた。
「3分耐えられたら不問にしてやる」
傲慢な物言いだが、それが許されるだけの実力があった。
「うぉぉぉぉ!!!」
「右からいけ! 俺は左に回る!」
先ほどまで喧嘩をしていたとは思えない連携ぶりでエルネストに攻め込む二人。
『魔王』相手に諦めず戦おうとしたこと自体は立派だったが、結局一分も持たずに地面に横たわることとなった。
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